強い心をつくるための必要最低限なこと
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強い心をつくるための必要最低限なこと

2014-07-24 07:59
  • 6


心の理論武装


 理論武装ってあるじゃないですか。あれって意外と正しいんですよね。過去の苦い経験を積んで自分なりに考えて理論を生み出し、それを心の武具にしていく。これは強い心を作るためには欠かせない要素です。

 一方で、経験のみに従ってこのような武装をすると、偏った心を抱いていしまうことになります。これが習慣になってしまうと、気づかない限りなかなか抜け出せません。ベイトソンが言うには、膨大なデータから得られる情報と、公理のような永遠の真理(と思われていること)の両方を使って挟撃作戦を行うようにするのがいいとのこと。例えば図形について調べるのであれば、図形から得られる経験的な情報だけでなく、幾何学という既に塗り固められた公理・定理を基にして考えていくようにするわけです。

 心の武装もまた同じで、経験的な部分と心の公理・定理のようなもの両方を使って挟み撃ちするようにするわけです。要するに、経験の裏付けとして公理・定理を使うこともあれば、逆もあるということです。

 じゃあ心の公理・定理ってなんだよ、と思うことでしょう。簡単に書けば「草の三段論法」のようになっているということです。これについては”こちら”をご覧ください。まあ厳密に言ってしまえば、これは公理でも定理でもなく、仮説なんですけどね……。





学習することの学習


 まとめると、公理・定理によって経験的な部分を見つめると同時に、経験と公理・定理が互いに矛盾していないかを常にチェックすること、これを怠らないことが重要です

 では、心の動きとやらをどのようにして掴み捉えていくのか。これは人それぞれかもしれませんが、自分は「学習することの学習」を把握すること、つまり、「知るということを知るということを自分で知る」ということを把握することです。このように、「ということ」という風に輪郭を規定して一歩距離を置いて考えることが重要で、これをしないで心について考えることはできません。

 もう一つ重要なのは、主に心は言葉の流れで出来ているといことです。確かに身体の生理的反応もありますが、主に理性的であればあるほど言葉を使う傾向があるかと思います。ですから、言葉の使い方をきちんとしなければなりません。心の中とはいえ、誤った言葉の使い方をしたり汚い言葉を使うことになると、自己矛盾を引き起こす原因になってしまいます。常に心をクリーンに保つことは難しいですが、できる限りクリーンになるように心がける必要があります。





心の動きは一期一会


 ここで一つの疑問が浮かぶことでしょう。「クリーンにしようとすればするほど疲れるんですがどうしたらいい?」と。そういう時は、まず疲れる原因を探ることです。どう疲れるのかを把握すること。生理的反応によって疲れるのであれば、まずはそれを自覚すること。これだけでも大違いです。この種の情報をあらかじめ仕入れておくかで心の負担が大きく変わります。ピッチャ―がストライクしか投げないと確信できるのとできないのとでは構え方がだいぶ変わってくるでしょう? そんな感じです。

 このようにして地道にいろんな情報を手に入れること。そしてこの情報を吟味していく上で自分なりの法則を見出すこと。これが心の武装への第一歩です。

 一番やっちゃいけないのは、「どうでもいい」、「後で考えよう」と投げやりになることです。諦めてはいけません。こういう情報は一期一会で、その場で収集して分析しないといけません。なぜなら、全く同じパターンを意識して得ることはできないからです。どうせ投げやりになるなら目一杯戦ってからにした方がいいでしょう。

 では時間がないときはどうすればいいのか。その時は素直に諦めましょう。引きずってもしょうがない。素直に忘れることです。

 こういう地道な作業は言語習得と同じで、長い年月をかけていく必要があり、しかも自分のやってることは無駄ではないと確信が持てていないと決して成果を上げることができないのです。逆に言えば、一度何か大きな壁を乗り越えさえすればそれを指針にいろいろと物事が見えてきます。その大きな壁を乗り越えるまでが本当に大変なので、頑張ってください!!!





瞬間的判断力


 あと、「気にしない」「どうでもいい」と言った時点で何かモヤモヤが残るなら、そのモヤモヤをすぐに弄ってしまえばいいんです。それで心が安らぐなら、痛みや違和感が麻痺するなら、それでいいのではと最近思ってます。そして振り返れるときに振り返ってみる。振り返りたくないだろうけど振り返ってしまったときに即座に反省する。この繰り返しこそが、心を強くするための要素になってきます。

 実践的な側面を述べていきます。

 瞬間的判断力というのがありまして、これは瞬間的に物事を判断する力のことですが、心はつねに動いており、なおかつ言葉によってその動きは変化していきます。心を強くするには、心の声を使ってそれをなんとかしてコントロールする術を身につけなければなりません。それも瞬間的に、です

 これに関しては自分もまだまだなので何とも言えませんが、少なくとも、心の声による突拍子のない問に対してスルーすることは賢い選択とは言えません。常にその問に答えていく。そしてその問に対する答え方のパターンというのを自分で察知する。自分はどのようにしてその問に答えたか、どんな言葉を使って答えたか、また、どのような答え方を使ったのか。このようにして常に自己考察を怠らないことです。自分の心ととことん向き合い、とことん闘い、とことん愛する。

 こういった心の処方箋は、一つひとつはもろいのですが、地盤さえ固めてしまえば強い武具になるのです。言語は一つひとつでは使い物になりませんが、文法という法則を以てすれば意味を持ち、創造の糧となります。それさえ分かっていれば、迷うことなく自分の心と闘うことができるでしょう。本来、心と闘うという表現は正しくなく、むしろ誤った認識を助長させてしまうのですが、壁を乗り越える段階ではどうしてもこのような状態になってしまうので、あえてこのような表現を使うことにしました。本当は闘うというよりも、心のパターンを把握してそのパターンに自分なりの意志を込めて「弄る」というのが正しい表現だと思います。




瞬間的に論理的に答えていく


 瞬間的というと直感的になるのですが、瞬間的に論理的に答えることはできます。もしできなければ論理的な議論をするのにいちいちラグが生じてしまうことになってしまい、ディベートが成り立たなくなるでしょう。

 自分の心とディベートする際に重要なのは、瞬間瞬間に適切な答えを出していくことです。ここでいう適切とは曖昧な答えや正論を出して終わらせることではなく、将来の自分にとって重要な選択になるということを自覚した上で、つまり覚悟を決めた上で、ということです。これさえ意識しておけば、どんな答え方でも構わないと思います。
 



あとがき


 おそらく上記以外でもまだまだ心を強くする要素はあるでしょう。ですが、単純な精神論で片付けられるほど心の問題は甘くないと思っています。そのような論理でことが片付くのは、元から苦労を乗り越える術を自然と学んだから言えるのであって、論理的にひも解こうとするとすごく時間と労力が要るわけです。心の武具を作るのは、実際に物を作るのと同じくらい大変なのです。

 何度も失敗し、何度も傷つく。そして近道は誰も教えてくれない。だから、自分なりの近道を書いた次第です。これを参考にして今後の読者の心の健康に役立ってくれたら幸いです。まあ一番の近道は、心のはたらきによって生じる身体の生理的反応を自分の意志で弄ることなんですけどね。

【追記】これは受動的な対策法であって能動的な対策法ではないんですよね。能動的になるには、現段階では単純な精神論に頼るしかなさそうです。

(関連記事)


 今回は三行まとめはなしで。


【追記】たぶん、誰でも最初は打たれ弱くて、人間である以上これは克服できないものなのでしょうね。それならいっそのこと弱点をさらけ出さない努力をする方針を取る方が心の負担がはるかに少ないと、最近になって知りました。

 僕は幼いころから心と体の反応がすごく敏感で、この年齢になるまでどのようにしてこの敏感さを穏やかにしていけるかずっと考えてきました。その結果、無根拠ではなく、論理的に根拠をもって心の声に対抗するという方法に至りました。うるさいうるさい言うても仕方がないということに気付くのには相当のステップを踏みましたね。心の声は論理的に納得して引いてくれるまで何度も繰り返しやってくるんです。

 何だかんだで人間は論理に頼らなければならない一面があるようです。どこかの哲学者も、論理によって非論理な部分が分かる(つまり論理的でなければ非論理な部分は見えてこない)と言っていました。

 しかしこの論理の使い方にも非常に難しいものがあって、慢心して自分の意見が正しいと思いこむと痛い目に遭います。自分だけでなく、他人まで巻き込んでしまいます。徹底的に謙虚に深く考察していく必要があるのです。時には自分を捨てる覚悟というのも必要になってきます。場合によっては自分がなくなって、他人に流されている傾向をもつこともあるかもしれません。

 少なくとも重要なのは、若いうちに自分の心の声と論理的に真剣に向き合うことなんですよ。これは学校では決して教えてくれないですし、実際にどのようにすればいいのかなんて、小説読んだり音楽聴いたり芸術に触れたり相手とコミュニケーションを交わしたりなどして経験を積むしかないんですよね。

 大人になればなるほど時間がなくなっていく現代ですから、柔軟で若いうちにいろいろと経験するのが本当に良いことなんだと最近になって分かりました。とりあえず若いうちは何事にも貪欲になり、真剣に取り組み、孤軍奮闘する。そして時には休み続ける心の余裕ももつこと。こうすることで、大人になって揉まれるときに、自分なりの対策法というのが生まれてくるものだと思うんです。


 僕もそろそろそういう社会に溶け込まなければならないので、あまりでかいことは言えないですが、手っ取り早く強い心を持ちたければ、下手な期待は絶対にしないことです。これだけは肝に銘じておいてください。常に裏切りの可能性を念頭に入れておかないと、本当にこの社会は人間の弱みに付け込んでどんどん心を蝕んでいきます。

 なるべく無駄なところで傷つかないよう、努力していきたいです。

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人は皆平等に精神が弱いと聞きます 問題は自分の弱さからどう逃げるか(克服ではありません)が肝心なことだと思います
その弱さを理論でガードするべしと読み取りました
71ヶ月前
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>>1
 簡単に言えば、ゲストさんの言う通りで、自分の心の弱い部分を如何にしてさらけ出さないようにするか、さらけ出すことによって精神的ダメージを受けないよう如何にして構えを形成していくか、みたいな感じです。

 返信してたら長くなってしまったので、記事の方の【追記】にまとめておきました。そちらをご覧ください。
71ヶ月前
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>>2
返信ありがとうございます 人生は無意義です 答えが分かりませんから ですが無意義の中ででも楽しむことはできます
余計なお世話ですが ちょっと硬すぎるかなと思いまして リラックスすることも大事ですよww
そうですね 弱い心でも それを補える何かを自分で見つけることが出来るのを強い心と言うのかもしれません
とても為になりました
71ヶ月前
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 これを読ませていただき色々と考えたんですが、結局のところ
 ポジティブに切り替えたら万事解決って思いました。

 弱点に思うのは、それをネガティブに自分が扱ってるからに過ぎないと思ったり
 なんか厳しいなーって思って自分を追い込みながら、その先に待ってるのは
 ポジティブな感情だと僕は思った。
 なんか切り替わるタイミングがある。
 その切り替えのタイミングも工夫してコントロールできるようにしたら
 いい感じになるかもしれないって思いました。
71ヶ月前
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>>3
 実は最近リラックスしすぎてだらけてしまっていたので少々硬くなってますw
71ヶ月前
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>>4
 そうですね~。その切り替わるタイミングを見つけるのがすごく難しいんですが、もし感覚的にでも把握できたら結構強いですね。

 でも、その切り替わるタイミングを意識が把握してしまったら、結局それを意識がいじってしまってコントロールすることはできないんじゃないかとも思ってみたり。意識がその切り替えパターンの把握をする余裕がないくらい本気で悩まなければ切り替えはこないと思います。なんか経験上、そんな感じがします。

 悩んでる最中に「お、そろそろ切り替えが来るぞ(・∀・)」なんて思わないですし、そんなこと思う余裕があるなら大した悩みじゃないような。でも、なぜかそういうパターンを自然と把握できる自分がいる。この一線を引いて距離を置きながら観察する自分は何なんだろうとしばしば思いますね。

 結局、意識は舵取り役で、ある程度は無意識に任せておく体制を作っておけばいいんじゃないですかね。なんでも意識で変えようと思うと逆に無理がかかるので、無意識に任せられる部分をまずは発見して、意識にしかできないことをやる方が経済的かなーと思います。

 弱点についてですが、何だかんだで傷ついてしまう何かがある限り弱点は弱点だと思います。それをポジティブに扱えるようになるのは相当なレベルだと思います。下手するとやせ我慢になって無理を起こしてしまうかもしれません。僕はそれだけは避けたいと思ってます。まずは弱点をネガティブに扱っている自分を認め、それに従ってどうすればいいのかを考えていく。こっちの方が心の経済的にもいいかなーと思っています。それから地盤が固まれば徐々にポジティブに扱っていく方向に行く方がいいかなーと。

 まあ、自分がチキンなだけなんですけども……。
71ヶ月前
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