打たれ弱い人へ なぜ打たれ弱いのか  その対処方法
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打たれ弱い人へ なぜ打たれ弱いのか  その対処方法

2015-03-05 21:23
  • 9

 僕が打たれ弱いということはこのブロマガをよく読んでくださっている人ならよく知っているかと思います。今回は僕のちょっとした経験談からなぜ打たれ弱いのかを述べてみようと思います。


 僕の記事が話題の記事としてニコニコのヘッドラインに載ったとき、コメントの炎上で僕はとてつもない精神的苦痛を味わいました。ただでさえ打たれ弱いのにあれだけのコメントが来たのですから、もう二度と味わいたくない苦痛でしたね。そういうわけで話題の記事に載せないよう、プロフィールに断ってあるわけです。

 精神的苦痛を味わう主な原因は辛辣なコメントにあるわけですが、もう一つあります。それは、そのコメントの論理に対して何ら対抗手段をもつことができないでおり、それ故に傷ついてしまうのです。つまり、「これこれのケースではこう対処しよう」というノウハウを体に染み込ませていないから、反射的に傷つく反応が生まれてしまうのです。

 これに対して僕は長年悩み続けましたが、いろいろと考えた結果、次のような結論に至りました。

①まずは期待せずに実験的に対象に向き合う
②相手の論理の正当性をくみ取り、それを自分から切り離して謙虚に考える(受け止める必要はない)
③「そういうお前はどうなんだ?」を使う

 ①に関しては結構前から述べていることです。期待をせずに実験的に向き合う。つまり、対象を認識する前に「さて、どんなメッセージがあるのかな?」と実験をするような態度で臨むということです。これで自分への心理的コミットメントが極端に減り、精神的苦痛が大幅に和らぎます。

 ②に関してはこういうことです。つまり、相手がどんなに辛辣にコメントをしていても、その相手の論理に何かしらの正当性があれば、それだけを切り抜いて自分から切り離し、謙虚に考えるということです。自分が傷つく理由は、相手の論理に正当性があるから、相手の言うことにも一理あるからなのです。そもそも本当に的外れなことなら傷つくこともありませんし、萎えることもありません。相手にも正しい何かがあるということを自覚し、それで傷ついているのだということを知る。こうすることで、その後、十分に議論して自分なりの価値観を形成していき、次に同じような内容のコメントがあっても大丈夫なように対処方法を体に染み込ませておくのです。

 ③に関しては、「お前はどうなんだ?」と言うことによってまずは自分を棚に上げ、相手を攻撃するようにします。こうすることで、相手の方に意識が向き、まるで相手を狩るように集中して、自分が傷ついていることを忘れてしまうのです。


 ①から③に共通するのは、まず自分から問題を切り離して考えるということです。できるだけ心理的コミットメント(自己への感情移入のような介入)をしないようにすることが重要なのです。関心を自己に向けるのではなく他者に向けること。できるだけ心理的コミットメントをする対象を相手に向けることです。できるだけ相手に関心をよせ、その後に自己にフィードバックする。すぐに無媒介に自己にフィードバックしてしまうから極端に傷つくわけで、一度相手の主張を相手に当てはめてみてから、自己に向けて、真剣に議論するべきなのです。これによって、自己から問題を切り離して一時的に苦痛をそらすことができるだけでなく、相手を主観的に分析して攻撃し、それによって自分から自分自身にフィードバックして自分を分析することができるわけです。

 要するに、問題を棚上げして相手を攻撃し、その攻撃の後、「じゃあ自分こそはどうなんだ?」と自分で問うことで、自分のペースで考えることができるようになるということです。つまり、傷つく原因の一つとして、期待外れの不意打ちを食らって相手のペースで考えさせられるというのがあるのです。


 これは個人のみの問題にも応用できます。何か失敗をしたときに、もう一人の自分がけなしてきたとします。そこで、「じゃあ、お前はどうなんだ?」と問うてみるのです。するとどうでしょう、もう一人の自分は何も語ることができないではありませんか。一度やってみてください。絶対に語ることができません。なぜなら、もうひとりの自分の言葉を発するのは自分自身だからです。そもそも答えられるわけがないのです。そこでこう言うのです。「おまえ、いっちょまえに文句言う割りには、そういうところで黙るんだな、卑怯者だね」と。これでひとまず悪意のこもったもう一人の自分を黙らせることができます。


 結局、精神的に傷つく理由は、その対象が相手にしている内容に自分が含まれていると思いこむからなのです。考えてみてください。他人事ならまったく傷つかないのに、自分のこととなるとすごく傷つきますよね? でも、逆の発想で、あたかも他人事のように振る舞えば、傷つくことはないのです。実際に僕はこれでだいぶ自己のコントロールが利くようになりました。

 皆さんも、ぜひ試してみてください!!!




あとがき

 攻撃と言うと物騒な感じですが、もともと狩りをしていた人間に備わっている本能みたいなものです。攻撃をされるとやり返したくなるわけですが、実際に暴力をふるうのではなく、観念として架空の他者をつくり、それを攻撃する感じです。愚痴をこぼさないとやっていけないように、攻撃をしないと気が済まないというのが人間の性のようです。皆さんも、我慢せずにどんどん発散しましょう! ただし、リアルに暴力という手段に訴えないように。







三行まとめ

傷つく理由は瞬時に不意打ちを食らって自分のペースで考えられなくなるから。
傷つく理由は対象の言っていることが自分のことだと思い込み過ぎてるから。
問題を自己から切り離し、他者に当てはめ攻撃(分析)してから自己に回帰せよ。




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×
面白いですね。
 中世だと、「自分」を守るために命がけの「決闘」という慣習があったわけ
で、騎士や侍のそうした伝統により私たちが守るべき自分自身の自我、が
支えられてる部分もあるわけですが、

 これが無敵の論戦者、ソクラテスなどになると、そもそも守るべき自分、
打たれ傷つく自分、などというものが不明で、そもそも「無知の知」の真理
真実以外のいかなる意見も主張も持たないので、話してるうちに相手が自滅
してしまったりするんですよね。

 まあ、昨今は負けてるのに勝ってるよう見せかける手段的ニヒリストが
論戦の勝ち負けをさらにややこしくしてますが。

 彼らにはそもそも打ったり打たれたり、傷ついたり傷つけられたりする
『自分』がソクラテスのようにないけのですけれども、ソクラテスと違い、
真実、というものが決定的にないからただただ面倒くさいだけなんですよね・・・
62ヶ月前
×
>>1
 ほうほう。打たれ弱い人というのはつまり、まず自分の意見・主張をもっていて、しかもそこに自分への「思い入れ」のようなものを持っていて、そこに他人の意見・主張という不意打ちによって犯されると大きなダメージを食らうわけなのですが、ということは、ソクラテスのように守るべき自分というのがそもそもいなければいいわけですね。常に相手を分析的に観ていく感じでしょうか。そして自己にはフィードバックしない、あるいは、もうフィードバックし尽していて飽和状態にある、そんな感じでしょうか。

 ちょっと気になったのが、もしソクラテスに対して「お前はどうなんだ?」と問うたらどんな返答が来るのでしょう? 無知の知についてひたすら語るほかない気がします。しかも不意打ちのようにして突然フられたら、瞬間的に無知の知について語ってくれるのでしょうか。ソクラテスはそこまで純粋に守るべき自分・打たれ傷つく自分がないのでしょうか。

 たぶん、こうやって僕が疑問に思ったのは、僕がソクラテスのような人に出会ったらどのように攻撃(物騒な言い方ですが、とりあえず攻撃という言葉を使います)しようかと思い、ソクラテスに僕という自分ではなくソクラテスという自分に意識を向けさせようと必死なのです。

 心的自分がいないのであれば、全く傷つく自分がいないのであれば、それはもはや機械です。ソクラテスは人工知能か何かという結論に僕は至ってしまいます。どちらかと言うとソクラテスは論戦時においては相手を分析攻撃するだけの弱いAIの部類に入るような気がします。

 打たれ傷つく自分が全くいないということは、当たり前の生活の中で突然何か非日常な出来事があったとしても全く動じないということになります。動じないということはあらゆる生理的反応がないということです。あらゆることにも期待を持たず、何事に対しても実験的に振る舞い、ただデータ収集のつもりで日常生活を送っている、そういう存在になってしまいます。

 例えば階段をのぼっているとき、僕は階段というひたすら続いているものを認識した上で歩いていくわけです。つまり、頂点に達するまでは常に同じように歩き続けても大丈夫だと「期待」するわけです。だから無意識に任せて歩いて行けるわけです。もしここで階段が急になくなったら、それは不意打ちになって僕の心にダメージを与えることでしょう。ところが、ソクラテスはそういうダメージを全く持たない。無知の知を常に日常にも応用しているため、階段が突然なくなることも「覚悟」の上で階段を歩いていることになります。これはある意味で異常に神経質な人間と言えるのではないでしょうか。僕の価値観で考えると、ソクラテスはそういう人間であることになります。

 普通の人間がソクラテスのように振る舞おうと思えば、まず最初にくる感情が不安でしょう。覚悟を決めた上での不安というのもおかしな話ですが、階段を上り切ったときには多少安堵してもおかしくはありません。もしこのような不安が一切ないのであれば、階段を上り切れることも、階段がなくなったとしても対応できるということも当たり前のように知っていることになります。これはもう神の領域ではありませんか!

 もっと極端な話、ソクラテスを突然現代にタイムスリップさせて、いろんな情報を一気に頭に仕入れざるを得ないような状態に陥ったときでさえ、完全に落ち着き払ってあらゆる問題(紀元前の一般人がタイムスリップしたときに感じるであろう問題)に対処し、振る舞えるということになるわけです。そんな人がこの世にいるのでしょうか?

 以上の例から、僕はソクラテスのような理想な心はないと思っています。だから人間は傷つく自分というのものを必ず持っていると思います。それ故に、それを守るためにいろんな言動が生まれ、対立・問題が生じてしまうと僕は考えています。

 あ、別にリウキさんを責めてるわけではなく、もしソクラテスのような心があるとしたらという仮定のもとで勝手に僕が考えてこのように文章に書き起こしただけのことです。独り言をコメントにするのはすごく失礼だと承知ですが、せっかくですので載せておきます。

 でもよくよく考えてみれば、僕の提案した対処法は究極的にはソクラテス的心をもつように啓蒙しているわけで、究極的には不可能なことを提案してることになりますね・・・。あああああああああ頭パンクしそううううううううううう!!!(自滅)
62ヶ月前
×
すごく長くなってしまった・・・申し訳ない(´・ω・`)
62ヶ月前
×
 今思ったのですが、人は真理のすべてを知る事は出来難いということ(無知)を知るべきである(無知の知)というのがソクラテスの教えなわけですよね。ということは傷つく自分があってもおかしくないと思うのです。だってすべてを知ることができないことを常々知っていたとしても、それはあらゆることに対して諦めの覚悟を決めることができているだけで、結局それは自分が傷つくことに対する覚悟も含まれているわけですよね。ということは、傷つく自分がある可能性はあるわけです。

 そうなってくると、無知の知を常にわきまえているからと言って、傷つく自分、守るべき自分が全くない、そういうのは不明であるとは言えないのではないかと思うのですが・・・。

 いかん、頭が煮えてきた・・・。
62ヶ月前
×
どうか落ち着いてw

 当然ながら、ソクラテスに自我が無いわけではないですよ?
 minatoさんは先にソクラテスを「無知の知」の機械、という
表現をされましたが、それは半分正しく、半分違ってる、と
思われます。

 と、いうのも、ソクラテスは哲人・哲学者であり、哲学の
原語は「フィロソフィア」・・・すなわち、
「フィロ(愛する)・ソフィア(智)」であり、よって、
哲学は智を愛する学問、となり、そうしてみるとソクラテス
は「無知の知」という真理・真実のソフィア(智)を深く深く
愛するがゆえにそれに機械のごとく徹する人間的自我を持つ、
愛の深い人物、と言えることになるわけです。

 そこが愛以前の感情を持たない機械や、そもそも愛を憎悪
するニヒリストとの決定的違いでしょうね。


 つまり、結局のところ問題はこの私、品陀リウキやminatoさん
の智や知、真理への愛が、はたしてどの程度のもんか、
 ということになるわけですw

 ある論を展開して打たれ叩かれて悔しいのは結局、それが正論
なのに誤論と扱われてる時や、逆に正論でなく誤論と気づかされ
た時ですから、やっぱり、論戦に勝てない以上はまだまだソクラ
テスの「フィロソフィア(愛智)」に比して、愛が足らない、と
謙虚になるほかはないでしょうね。

 まあ、そもそもソクラテスが相手にした、智への愛を自覚しない
ソフィスト(単なる智者)を相手に論を戦わすならまだ実りもある
でしょうが、そもそもの愛がなく、智そのものやことの当否正誤も
どうでもよく、虚しさを紛らわすためだけに小理屈で絡んでくる
惰性的ニヒリストは相手するだけ無駄ですので、くれぐれもご用心
をw
62ヶ月前
×
>>5
 惰性的ニヒリスト・・・そういう存在、結構自分の中にいるような気がします・・・。用心します!

 他人の対立意見を見て傷つくのはやはり修行不足ということですね。精進します(`・ω・´)

 精進という意味では話題の記事に載せてもらえるように取り計らうべきなのかもしれませんが、うーん、僕はそこまでしてドMになりたくないですね。なんせこの平穏な日常を守りたいという心があるので。

 個人的には、もしソクラテスに対面できたらソクラテスと同じ方法でソクラテスに関する情報をいろいろと聞き出してみたいですね。できればソクラテスから精神的に強くなる術を学びたかったです・・・。
62ヶ月前
×
 日常を大事に思い守ることは悪でも恥でもないと思いますよー
実際やるだけ無駄な不毛な論戦、なんてのはいくらでもありますし。

 ソクラテスは対話形式においてこそ「無知の知」で相手から話を果て
しなく引き出しますが、もし、ソクラテスの方法をソクラテス自身に
ぶつけたなら、独白形式の哲学を極めたヘーゲルのような話になって
くるでしょうね。

 そして、彼自身の強さのもとと思われるものなら、「饗宴」において、
アルキビヤデスが述懐しておりまして、それによれば、ソクラテスは
若いころは別段、学者だったというわけでもなく、彼の住まうポリス・
アテナイのために市民として戦う非常に優れた戦士だった、という話
です。
 裸足で雪中行軍し、いかなる時も敵への備えを忘れず、挙げた手柄は
人に譲る、という鋼のメンタルの持ち主だったといいます。意外と知ら
れてないようですが。

 宗教家などでも、精神鍛錬は肉体鍛錬とセットになってますし、やっ
ぱり論戦の強さもそういった強さと裏腹なのかもしれませんね。
 ちなみにヘーゲルも身体的におそろしく頑強だったそうです。
62ヶ月前
×
>>7
 へー、ヘーゲルって年老いた写真しか知らないから、すごく意外でした。確かプラトンも結構いい身体してたらしいですよね。僕のような腹の出た(もしくはヒョロヒョロで痩せきった)現代人を見たら幻滅するかもやしれませんね。

 ソクラテスの話、すごく面白かったです! もしかしたら現代では自衛隊の方々が哲学の鍵を握ってるのかも屋しれません。僕はフランスの哲学者アラン(の「幸福論」)から哲学に興味を持ったのですが、その人が言うには、「軍人の徳が戦争をなくすだろう」とのことでした。初めて見た時はあまり理解できなかったのですが、リウキさんのコメントで何かモヤモヤがスッキリしたような気がします。ありがとうございました!

 確かデカルトがしっかりした精神活動をしたければ健康を保てみたいなこと言ってましたね。いま運動不足気味なので精神鍛錬もしつつ、スクワットするなりして適度に運動したいと思います(事情があって軍人のような肉体鍛錬は無理ですが)。

 とにかく、今回はとてもいい刺激になりました。つたないブロマガですが、これからもよろしくお願いします!
62ヶ月前
×
 こちらこそいい勉強になりましたのでよろしくお願いします。
自分もブロマガで今、デカルトを扱っていたので丁度良かった
です。
 これからもminatoさんのブロマガ楽しみにしてますよ~
62ヶ月前
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