先日、ドラッグストアに行きました。
近所の小規模で日配品・冷凍食品も僅かですが陳列できるくらいの規模の店舗です。
1カ月前くらいからマスクの供給が途絶えてしまって、売り場ってガラガラになっています。
最近では何故かトイレットペーパーも品薄になってしまい、さらには生理用品も品薄になっています。
また、赤ちゃんのおしりふきも、介護用品の身体拭きのようなものやビニールの使い捨て手袋と言った商品までも普段以上の販売数になっている模様です。
私は花粉症で、去年使用分がまだ残っていたのでマスクは今の所は大丈夫です。
そしてトイレットペーパーも、もうしばらくは耐えられる量がたまたまですが残っていたので、今回の騒動には巻き込まれずに済んでいます。
今の所はね。
何か、買いたいものが買えないとなると、心理的な影響が強くなり「他のも買えなくなるかもしれないから買わなきゃ」といった、買えなかった事によるストレス発散のような行為かもしれないですし、
「みんなが買っているから自分も買おう。家に在庫あるけど」
という心理が働いての今回の騒動になっているかもしれません。
勝手な想像ですが、開店前に並んで普段以上の在庫を確保しようとする人は、転売ヤーかこういった心理に強く影響されている人か、テレビのワイドショーの観過ぎで不安感を煽られまくった人ではないかと感じています。
でも、そこから波及して?「米」が売り場から消えたのは草。
カップ麺・乾パスタ、レトルト商品にしても品切れを起こしているようですが、これらは工場生産をしているものです。
東北での震災発生直後といった状況であれば、商品製造の工場破壊やインフラ破綻により入荷が滞るという事は考えられます。
ですが、今は製造・流通に関して特に問題は無いです。
米も普段から余っている、米の消費を推奨しているという状況でもあるので、米の在庫を家に確保しようという動きは、とても不思議な光景に見えます。
売れる事で店舗は助かると思いますが、
「在庫抱えてどうすんの?」
と感じます。
米に限らず、食品は時間とともに劣化していきます。
米を保管する際も業者は温度管理を行い、品質が急激に劣化しないようにしています。
それと同じ事が家庭で出来る訳がないので、どんどん劣化していきます。
そんな美味しくない米を翌月とかに食べる事になるわけですよ。
情報操作・印象操作に負けた自分自身への戒めとして不味い飯を食べるという敗北感を味わったり、徳川家康が武田軍との三方ヶ原の戦いで敗れた際に自戒の意味を込めて書かせたという伝承がありますが、それと同じような気分を味わうために家で米の袋の山を目の当たりにしたいというのであれば、分かります。(わかるのか?)
毎年コメの収穫前に「米の在庫がやべぇ」という感じの事は全く起こってないです。
そんな状況なのに「米、米買わなきゃ」と掻き立てられるのは、ちょっと
どうかしてるぜ!
と感じてしまいます。
陳列されている商品が他の人が次々と手にしているのを見ると「私も買わなきゃ」と思ってしまう心理はわかるんですけどね。