だけのは(50)名前に想いを込めすぎましても
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

だけのは(50)名前に想いを込めすぎましても

2020-10-27 21:00

    子どもにつける名前の話です。

    私には子どもはいませんし、結婚もしてないので、蚊帳の外ではあるのですが、一つの考察として思い付いてしまった事があるので、残しておきたいと思います。



    子どもに名前を付ける時って、悩む人は多いと思います。

    その子の人生に大きく影響するかもしれないですね。

    DQNネーム(キラキラネーム)というのが何故か流行しているようで、そのような名前で個性というか、特別感なのか唯一無二の存在にしたいというのか?よく分からない理由でつけている人がいます。


    ちなみに、ニコニコ大百科の中では

    DQNネームは常識から逸脱した奇抜な名前を揶揄する意味で使われる。 なお公の報道機関などでは「キラキラネーム」と呼ばれている。


    と、記載されてますね。


    ドキュンネームをつけようがつけまいが、別に良いんですよ。

    親としてはね。

    親の自己満足の部分が大きいと思いますので。

    子どもにとっては、それを受け入れて誇りに持っている人もいるでしょうが、「たまったものではない」と感じている人もいると思います。



    日本の言葉の中に「名は体を表す」という言葉があるんですが、「名前負け」という言葉もあります。


    【名前が立派過ぎて、かえって実質(人物)が見劣りすること。】


    という意味なのですが、これって、DQNネーム(キラキラネーム)が流行る前から存在している訳なんですね。



    創作物・アニメやゲームのキャラクターでは、キャラクター付けのために、身体が大きく強い体格のキャラクターには、それに見合うような名前を付ける事は多いです。

    大豪院邪鬼とか(なぜか一番に頭に浮かんだ)、ストリートファイターの豪鬼とか、押忍! 番長シリーズの主人公で轟金剛(とどろきこんごう)とか、 龍が如くシリーズで「関西の龍」と呼ばれる近江連合の郷龍会会長である郷田龍司とか。


    分かりやすさに繋がりますからね。

    これは、キャラクターの設定ありきで名前を付けているんですよね。


    で、このキャラクターにあこがれてとか、他にも大好きなアイドルやスポーツ選手と同じ名前を付けるのは良いんですけど、その子が同じようにアイドルになったりスポーツ選手になる訳ではないんですよね。

    当然です。

    今回の考え(テーマ)は、某マンガの中で、有名球団のレジェンドと呼ばれるような名前と同姓同名だったので、「お前は、4番サードな」と指示される、現実ではまずありえない設定がなされているのを知った時に具現化していきました。

    漫画の中では最後は活躍してハッピーエンドみたいな感じになる訳なのですが、現実ではそうはいきません。

    例えば、「美」という言葉をつけるのであれば、外見はともかく、心やしぐさや雰囲気として美しい人であってほしいというような想いを込めたとします。

    でも、それって自然に身につくとは限りません。

    家庭環境が大きく影響すると思います。

    親の立ち振る舞いが美しいというような家庭というのは、稀だと思います。

    子どもに想いをのせるのは良いんですが、親の行動が美しいものでなければ、子どもは美しくないしぐさを身に着ける事になります。

    親の姿を真似するのが子供ですから。

    親が出来ない事を子供に期待するのは、無理だという事です。

    親の美意識にも左右されるとも思います。

    そもそも、親が美しさを持っている人だったら、それが自然な姿なので、子どもに「美しさ」を求める事は、意識としては生まれにくいと考えてしまいます。

    「私のように美しい子として育ってほしいから、名前に「美」という言葉をつけた」

    というのは、ちょっと偏った美しさのような感じがします。


    他にも、「大和」という名前を付けた人の理由が、身体も心も大きく和やかで人との和を大切に出来るようにという事のようですが、それが出来るかどうかについては、家庭環境が大きく影響していると思います。


    人との和というのであれば、コミュニケーション能力の部分になると思います。

    私はネガティブな部分を結構強く持っているので、親がコミュニケーション能力について、強く意識をしているから出てきやすいのかなと感じてしまいます。

    で、親がコミュニケーションで悩んでいて、子どもにはそんな思いをさせたくないから、名前につけるという事に繋がるのかな?

    と、最初に思う訳です。


    人は、欠損を抱える動物ですので、自分に無いものを求める


    というのを、基本的な考えとして持っています。

    ドキュンの名前も、自分が大勢の中に埋没してしまっているので、名前だけでも目立つものにしたい・個性あるものにしたいという想いの裏返しでもあるのかな?と思います。

    親のエゴの部分が大きいのか小さいのかが出発点となるのかなと思います。



    あくまでも理由付けなので、どれほどの思いを持っているかは個人差が大きいでしょう。

    一つの考え方として、考察するのは面白いかなと思う訳でございます。



    ちなみに、私の名前です。

    どのようにつけられたかを親に聞いたところ「神社の神主さんに決めてもらった」だそうです。


    へー、そうなんだ。

    で私の中では終わりました。


    私の感覚を理解できるか、親は愛が足りないと受け取るかは、その人の名前に対する思い(執着)次第だと思いますね。


    という感じで、以上です。


    広告
    コメントを書く
    コメントをするには、
    ログインして下さい。