• これからも歩兵の友であり続ける、銃剣の役割と歴史とは

    2021-01-11 18:32

    某サイトの記事が消えてしまったので、改めて色々修正加筆し、原文とは異なる内容にした上で、こちらで銃剣に関する記事を書いてみました。
    (不味かったら消します)

    歩兵と聞くと様々な装備を思い浮かべるかと思います。
    最新の戦闘装具一式にに身を包んだ小銃手や煌びやかな服装に身を包んだ戦列歩兵、
    あるいは終戦から1世紀もの時間が過ぎた第一次世界大戦で銃剣を掲げて突撃した兵士達。

    様々な歩兵の姿があるとはいえ、彼らの腰や小銃の筒先に必ず存在した武器として銃剣があります。

    今回は、銃剣の役割と歴史を紹介します。


    1、銃剣の生い立ち

    銃剣は17世紀のフランスにて誕生したと考えられています。
    バイヨンヌ地方の農民紛争にて、マスケット銃の銃口に短剣を挿して槍の代わりとしたのが
    最初と考えられた事からBayonetという英語名称になったとも言われますが、真偽は不明です。
    銃口に挿して用いる銃剣をプラグ式と言い、しばらくの間用いられました。

    当時の前装式銃は装填に時間が掛かり、敵の突撃から槍を持った兵士に守って貰う必要がありました。
    そのため、銃剣は誕生と同時にヨーロッパ中に広まり、軍隊では銃口に挿すのではなく、
    専用の取り付け具を用いるソケット式という方法を開発します。
    それにより軍隊は槍兵をなくして全員を銃で武装する事を可能としました。
    そこから現代へ続く銃剣の姿となるのです。
    それは現代式の軍隊の幕開けにもなりました。
    スウェーデンのグスタフ・アドルフが16世紀末に考案した三兵戦術の歩兵を銃兵だけに統一し、
    小銃兵と騎兵及び砲兵を基幹とする陸軍の姿が出来たのです。

    三兵戦術において歩兵は騎兵の突撃を防げる存在として、また突撃して敵を破砕する為に銃剣を用いました。
    そして、銃剣はひとつの時代を切り開くのです。

    2、銃剣は嘘をつかない

    銃剣が最も活躍したのは17世紀後半から19世紀にかけての戦列歩兵の時代です。三兵戦術の全盛期でもあります。
    その活躍を端的に示す言葉としてロシア帝国の名将スヴォーロフ将軍の言葉を紹介しましょう。

    「銃弾は嘘をつく。だが、銃剣は嘘をつかない」

    これは当時用いられたマスケット銃の命中率が滑腔砲身である事や火打石の打ち付けの衝撃により低い事、またそもそも撃とうにも不発率が高かった事に起因する言葉です。
    何より、銃は個々の兵士が罪悪感から発砲しない事もあるのに対して、銃剣は突撃してしまえば相手を倒す他ないという実効性からも来ていると思われます。
    特にスヴォーロフ将軍は敵への攻撃をする時に銃剣突撃を多用したとされていますから、銃剣が如何に重要な武器だったかが推し量れます。
    戦列歩兵は射撃の効果と命中率を最大限に発揮する為、肩が触れ合うほど密集した隊形を作る事が基本でした。
    その為、銃剣を着けて前に突き出せば自然と槍衾となって突撃した時、または突撃された時も敵を突き刺す事が出来たのです。
    銃剣は倒れた敵兵の生死を確認する手段としても役に立ちました。

    銃剣は突撃してくる騎兵に対しても重要な役割を果たし続けました。
    特に方陣という四角く隊列を組み銃剣で槍衾を作る陣形は、ナポレオン戦争の最終局面であるワーテルローの戦いにてフランス軍の大規模騎兵突撃からイギリス軍が身を守る術として実施され、見事撃退しています。

    そんな銃剣も銃の性能が向上していくと役割に限界が見えてきます。
    アメリカの南北戦争から大々的に使われるようになったミニエー弾と連発式の銃です。

    マスケット銃の時代は命中率が低かった為、約100mほどで撃ち合ったので銃剣突撃も阻止射撃を大量に浴びる前に行う事が出来ましたが、それまでは装填が難しく技量のある兵士しか使えなかったライフル銃が、ミニエー弾の普及により普通の兵士にまで広まり、交戦距離が増大したのです。
    加えて装填速度の高速化により、突撃を行う合間に大量の銃弾を浴びる状況になってしまいました。

    フランスのミニエー大尉が開発した椎の実型の銃弾はライフル銃へ簡単に装填でき、幕末の日本にも輸入され戊辰戦争で猛威を振るいました。
    それに加えてスペンサー銃といった連発可能なカービン銃やガトリング砲といった機関銃の登場が銃剣突撃の成功率を低めていったのです。
    火砲の発展に伴い、突撃破砕射撃が行われるようになったのも大きな違いです。

    それでも、南北戦争ではゲティスバーグの戦いで行われたピケット将軍の突撃がありましたし、日本でも西南戦争での田原坂の戦いに代表される切込みや日露戦争の203高地の戦いで銃剣は用いられました。

    ここで大切なのは、何れも防御された陣地を奪取する為、大火力の支援射撃が加えられる中で行われたという点に於いて、現在の銃剣の使用目的のひとつと共通するという事です。
    ゲティスバーグでは南北戦争でも最大級の砲撃が行われた後に突撃が遂行され、田原坂ではかち合い弾と呼ばれる正面衝突を起こす銃弾が出たとされるほどの激しい銃撃戦の元に薩摩軍の抜刀突撃や官軍抜刀隊による切込みが行われています。

    そして時代が進み日露戦争ではロシア軍の大砲や機関銃を用いた防御砲火に対して、攻城砲とも言うべき重砲を並べて、徹底的な砲撃を行った上で日本軍は突撃を遂行しています。
    この時には南北戦争では連隊規模での大規模銃剣突撃だったのが、中隊規模に分散した散兵的な突撃方法へと進歩していったのも特筆すべきポイントでしょう。

    やがて戦列歩兵に近い密集突撃で大損害を出す第一次世界大戦も、塹壕という陣地へ向けた突撃で同じ様に銃剣は用いられていきました。
    狭い塹壕を制するために兵士達が用いた武器にこん棒やスコップといった手ごろに相手を叩きのめせる道具が使われる一方で、銃剣も着剣するだけでなく、ナイフのように用いられる事もありました。。
    第一次世界大戦でより注目すべきなのは、阻止火力の中を潜り抜ける為に、より小規模な単位での突撃へと移行し、フランスの戦闘群戦法やドイツの突撃兵のように小規模かつ十分な火力を持った小グループを敵陣地へ浸透させるように突撃するようになった事でしょう。

    そして、歩兵の火力戦闘がより強力になる第二次世界大戦でも銃剣は使用され続けました。
    特に日本軍による銃剣突撃は玉砕時の無謀な突撃のイメージと合わさり強烈な印象を残しています。
    実際には、適切な火力支援の下に、上記した浸透するように敵陣へ攻撃を行う浸透戦術を洗練して行えるように訓練していたのが日本軍ではあるのですが、あまりに玉砕の為の突撃の印象が大きいのが不幸だと思います。

    そして第二次世界大戦後の朝鮮戦争でもアメリカ軍陸軍のルイス・ミレットによる大規模な銃剣突撃が記録される一方で、中国義勇軍などが国連軍へ突撃を繰り返しては当時の司令官の名前からヴァンフリート弾薬量と言われるほどの猛烈な砲爆撃により撃退され銃剣突撃の限界を感じさせました。
    ここにきて阻止火力により銃剣突撃は阻まれるという問題が大戦に続き起こる訳ですが、この戦い方は密着されると砲爆撃に頼って撃退する事は困難になるという戦訓を国連軍に残しました。

    後のベトナム戦争では、この戦訓を学んだベトナム軍がジャングルの中などから至近距離に襲い掛かるという戦い方を繰り広げ、アメリカ軍は悩まされる事となります。
    結局は現代も歩兵の銃剣による戦闘能力が重要であるという結論が導かれたのです。

    3、銃剣の役割と今の扱い

    誕生から銃剣の役割は槍の代わりに突撃から身を守る最後の手段として、逆に突撃時に至近距離の敵を突き倒す為に使われてきました。
    今でもその役割は変わっていません。

    自身も陸自の前期教育で体験しましたが、突撃の時には着剣して敵の陣地を蹂躙し、完全に支配下に置くために役立ちます。
    突撃の時には射撃も加えるのですが、至近距離の敵に対しては殴打や刺突の方が繰り出されてしまうという心理実験の研究もあります。
    実際に突撃すると走っていく勢いのまま、相手となる的(てき)を刺突するのが自然と感じてしまうのです。

    別の使い方として刃物には動物全般に恐怖心を煽る効果があり、これは防御や突撃だけでなく暴徒の鎮圧などにも活かされています。
    代表的な事例としてはベトナム戦争時のアメリカ州兵による反戦デモ鎮圧の映像に着剣する姿が見られます。

    同時に銃剣には式典で軍隊の威容を示す存在としての役割もあります。
    自衛隊でも観閲式の行進等にて、着剣しての行進及び捧げ筒が行われています。
    イギリスでは全長の短いプルパップ式小銃でも着剣しての儀仗や行進を行っており、式典に於ける着剣は今も重要な役割を演じているのです。

    現代の火力戦闘にて銃剣は姿を潜めたように思えますが、実際にはイギリス陸軍がアフガニスタン戦争にて幾度も銃剣突撃を行い、アメリカ軍でも市街地戦などで銃剣を用いるケースがあった様です。
    湾岸戦争でも、イラク軍の陣地へ着剣して突撃を行うケースがあった事が、トム・クランシーの「熱砂の進軍」にも書かれていたと記憶しています。

    銃剣突撃と聞くと正面から無謀にも突っ込むイメージがあるかも知れませんが、実際に行われるのは、機関銃などの火力で制圧しつつ敵の側面などに近寄り、一気に突撃して圧倒する事です。
    その中で、銃剣が持つ威嚇効果は存分に発揮されますし、意外に突っ込む兵士を撃ち倒すのは困難な事です。

    例えば、エアガンの安全装置を入れ友人にいきなり襲い掛かられるというトレーニングをやってみると分かり易いでしょう。
    これが弾倉も外した状態となると一層困難になります。
    かつてカンボジアPKOにて自衛隊が派遣された時に、小銃への実弾を装填する事はおろか弾倉の取り付けもなかなか認められず、銃剣が頼りになったという逸話があります。
    現場の判断でとっさに発砲を許可されたとしても即座に撃つ事は難しいのですから、着剣しているかどうかという違いが生死を分ける局面もあるでしょう。

    また、銃剣には鉄条網を切るワイヤーカッターの機能が追加されたり、第二次世界大戦後は刃の形状をナイフ型とする事で多目的性を高めています。

    現在、アメリカ陸軍では銃剣の教育を簡略化したとの事ですが、海兵隊では依然銃剣のトレーニングは重視されています。
    世界的にも銃剣を装着しないのは、政治的理由で着剣を認めないドイツ連邦軍くらいではないでしょうか。

    これから時代が変わるなかで銃の見た目や性能は変わっていくかと思いますが、世界中で銃剣は歩兵の相方として存在し続けると自分は信じています。

    「銃弾は嘘をつくかも知れませんが、銃剣は嘘をつかない」のです。


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  • アメリカ軍とライフルの影響力(4/26追記)

    2020-04-18 18:35
    アメリカ軍といえば、圧倒的な戦力を思い浮かべてしまうかもしれません。
    しかし、彼らの歴史を紐解いていくと、その中心にはライフルの存在が必ずあります。

    今回はアメリカ軍とライフルの関係に関して、個人的な意見を書いてみます。

    1、独立戦争とライフル
    アメリカとライフルの関係は、合衆国建国からの深い仲です。
    そもそも開拓地として白人が入植したアメリカでは、日々の食糧を得る為に、狩猟も大切な仕事でした。

    当時の軍隊は戦列歩兵が中心で、使用する小銃は滑腔砲身のフリントロック式マスケット銃が主体でライフルは狩猟に用いる事が多く、アメリカでも多くのライフル銃が活躍していました。

    特に、ペンシルベニア州やケンタッキー州で多く用いられたロング・ライフルはケンタッキー・ライフルとして歌にされる程、入植者たちに愛されます。
    そして、アメリカが国家として独立する為にイギリスと戦った独立戦争では、ミニットマンたちの愛用する武器として活躍します。
    もともと狩猟用に用いられていたロング・ライフルは射程と命中精度で軍用マスケット銃に勝っており、大陸 軍は散兵と狙撃を用いてイギリス正規軍と対峙します。
    イギリス軍は発射速度ではミニットマンたちよりも優位でしたが、指揮官に対する狙撃などを受けて、容易に進撃できない状況へと陥ります。
    そのため、大きな会戦ではイギリス軍が優勢でありながら、多くの出血を強いられ、大陸 軍は正規兵による部隊を整えて勝つための時間を稼げたのです。

    現在も、ロング・ライフルはアメリカ独立の象徴であり、アメリカ軍というよりアメリカ国民にとって大切な存在であります。

    2、南北戦争と弾薬供給
    アメリカ軍が最初に経験した総力戦、世界でも前例がなかった戦いが南北戦争です。
    本来はCivil Warと呼ばれるこの戦争で合衆国政府が痛感したのは大量の弾薬を補給し続ける難しさでした。
    スペンサー銃やウェンチェスター銃といった連発銃やガトリングガンに代表される機関銃が誕生したのも南北戦争ですが、あまり大々的に利用されなかったのには理由があります。

    まず、南軍の場合は連発銃を運用するのに必要な薬莢式のライフル弾を製造する技術がありませんでした。
    そして、技術力に勝る北軍も、大量の動員を行った結果、前装式小銃の生産すら完全に間に合わせる事が出来ず、輸入小銃も運用している状況でした。
    工業化が進み、ヨーロッパに先駆けて銃器の規格化や大量生産を進めていた状態ではありましたが、それでも厳しかったのです。
    弾薬の生産も、またそれを部隊に行き渡らせる兵站能力も不足しており、連発式小銃の導入は兵站関係部署より反対を受けています。(資料を忘却したので、思い出したら追記するかもです)

    そのような中で、南北両軍で主力となったのは、フランスのミニエー大尉が開発したミニエー弾を用いる前装式ライフルでした。
    マスケット銃と同じく装填がすんなりとでき、ライフル銃としての射程と命中精度を持つミニエー弾使用小銃は、戦場で中心的な存在となり、戦列歩兵を廃れさせる要因にもなっていきます。

    3、アメリカ海兵隊とライフル信仰
    時を進めて第二次世界大戦前の時代まで進めます。
    当時、アメリカ海兵隊は第一次世界大戦からハイチなどの南米で起きた動乱を経て経験を積み上げていました。
    その中で昇進を重ねた人物にルーパテス准将という方がいます。
    彼はそれまでの勤務経験から、アメリカ海兵隊員は全員がライフルマンである必要があり、一定の練度を保つ必要があると考えました。
    そこで1942年3月に書き下ろしたのが、「海兵隊信条」です。
    This is my Rifle.で始まるこの信条は永くアメリカ海兵隊で用いられ、映画「フルメタル・ジャケット」の中でも取り上げられています。
    もともと、それまでの海兵隊は重装備を持たず、船内の治安維持や海外領地の警備を主要任務としており、隊員にとってライフルは非常に大切な火力でした。
    ニカラグア動乱などでは航空機の運用なども始まっていましたが、第一次世界大戦の「ベローの森の戦い」ではフランス軍の支援をなかなか受けられず、独力でドイツ軍と対峙した経験もあり、より重視されていると考えています。
    第二次世界大戦では、太平洋戦線を海兵隊は戦いました。
    狭い島嶼やジャングルでの戦闘は個人携行火器の重要性を海兵隊に痛感させたでしょう。
    当時、M1ガーランド半自動小銃が登場したのは、海兵隊のライフルへの信仰を高めるのに、一定の役割を果たしたのではないかと考えています。

    海兵隊は現在も射撃の成績を重視しており、個々の戦闘力を高めて、少数精鋭としての価値を維持するという意味でも、ライフル信仰を続けていると考えます。

    4、WW2米軍のライフル運用
    一方陸軍はどうでしょうか。
    当時のアメリカ陸軍の小隊以下に配備される小火器の内容を見ると、他国と比較してライフル銃の火力に依存している度合いが大きいと感じられます。
    これは第一次世界大戦に開発されたBAR自動小銃を分隊支援火器として、他国の軽機関銃と同じように運用しなければならなかったという事もあるでしょうが、どちらかというと大隊以上の規模で戦った時に、砲兵火力を含めた戦力の総合で他国より勝るように編制されています。

    そして、小隊以下の火力を発揮する際に重要となったのがライフル銃なのです。
    機関銃の持続発射能力が他国より劣る米軍は小銃火力で補填する必要がありました。
    M1ガーランドのような半自動小銃が全軍へ急いで配備されたのは、小銃手の投射できる火力が大きくなれば、数人の小銃手で機関銃と対抗できる為、アメリカ軍にとって必要不可欠な存在だったと考えられます。

    【追記】アメリカ軍の30口径信仰
    昨今、とある退役幹部の方の著書の内容でも話題になった7.62mm弾。
    アメリカ軍はM16自動小銃の採用までこの弾薬にこだわり続けました。

    何故、そこまで拘ったのかを理解するには、その誕生から小銃に限らず機関銃などでも採用された経緯を考える必要があります。
    まず、最初の7.62mm弾こと30-06弾は1906年にアメリカ軍正式小銃M1903用弾薬の30-03弾の改良型として登場しました。
    そもそも、この30口径ライフル弾薬は、米比戦争にて38口径拳銃がモロ族相手にパワー不足とされたのと同じように、当時正式採用されていた30-40クラグ弾の威力に疑問が持たれたのがきっかけで開発されました。
    そこで、より威力の高い弾薬と小銃の開発が急がれます。
    そして登場したのがM1903と30-06弾です。
    30-03弾の弾頭を尖頭弾として弾速を速めたのが30-06弾で、これは弾道性能良好・威力も十分な為、M1917機関銃や航空機用機関銃にも流用されました。
    M1半自動小銃の弾薬としても採用されていきます。機関銃用としてはM1919機関銃の退役まで使用されました。

    1957年には全長を短縮した、7.62mm×51弾がNATO標準弾薬として採用されました。
    この弾薬は30口径を全自動射撃に対応させるというM14小銃の為に開発された弾薬です。
    M14の実態は全自動射撃も出来なくはない自動小銃で、連射時の性能は満足なものではありませんでした。(小銃としては素晴らしいと個人的には思っていますが)

    7.62mm弾は30口径に絶対的な信頼を置いたアメリカ軍の主張により、イギリスなどが用意した小口径弾を押しのけて採用されます。
    この決定が西側の自動小銃開発に大きな影響を与えた為、批判の対象となり勝ちです。

    ここからが大切な内容になりますが、何故アメリカはNATO諸国の反対まで押しのけて30口径に拘ったのでしょうか。

    その解答はアメリカ軍が想定した小銃の交戦距離にあります。
    当時、すでにほとんどの列強国では小銃による交戦距離は400~500m程度が主体とされた中で、米軍は機関銃なみの600m以上の射程での交戦も想定する傾向がありました。
    その理由は先に述べたWW2アメリカ陸軍のライフル運用に根差します。
    機関銃火力だけでなく、小銃火力にも依存する必要があったアメリカ陸軍の運用を考える限り、小銃にも30口径の火力を必要とし続けたのです。

    この傾向が解決するには、同じく7.62mm弾を使用するM60機関銃が分隊に配備され、十分な機関銃火力を得られるまで待つ必要がありました。

    5、M16自動小銃の登場
    アメリカ軍のライフル史で影響が大きな出来事として、M16小銃の登場があります。
    これはそれまでの7.62mm弾より軽量な5.56mm弾を使用する、非常に軽量なライフルとして大きな意味がありました。
    全自動射撃にも対応し、より多くの弾薬を一人の兵士が持ち運べるようになったのです。
    これにより、SMGを分隊に配備する必要性が薄れ、機関銃の制圧力を小銃で代用しやすい環境が出来上がりました。
    つまり、小銃が及ぼす影響力が強くなったのです。
    小銃の影響力は第一次世界大戦で砲兵戦術が間接射撃中心となると共に薄れていますが、ベトナム戦争のような小火器中心の戦闘が起こりやすい環境では大きな存在でした。
    加えて、M60機関銃の配備で中距離以遠の火力発揮も機関銃に依存できるようになり、400m以下での射撃戦が増えたベトナム戦争ではより、小銃への依存が大きくなったのです。

    さらに、M16はより取り回しをよくしたM4カービンへと変化し、今でもアメリカ軍に大きな影響を与えています。
    市街地戦闘を冷戦期よりも意識した結果、取り回しの良い小火器が求められるのは当然の流れでした。
    そこでM4カービンはM16の特性を引き継いだまま、アメリカ軍の求める流れを満たしたのです。
    ライフルにこだわる海兵隊でも多用されている事からも影響力の大きさがうかがい知れます。

    M16の登場はアメリカ軍とライフルの関係をより強くしたのです。

    6、制圧効果と命中精度
    駆け足となってしまいますが、最後に制圧効果と命中精度に関する関係性を少しだけ紹介します。
    従来、敵歩兵を圧倒して制圧するには投射火力こそ重要と考えられているところがあります。
    しかし、アメリカ海兵隊はアフガニスタン戦争やイラク戦争の教訓から、精度の高い射撃を敵に加えれば投射すべき弾量を減らせると考えた時期があります。
    その結果導入が進んだのがM27IARです。
    BARと近いコンセプトともとれる自動小銃ですが、比較的高い精度の射撃を行う事で、分隊支援火器として機関銃の代役を果たすことが求められています。

    これは機関銃より軽量で、消費弾薬量を抑制するという意味ではひとつの有効なアイデアです。
    一方で投射量で敵を圧倒する機関銃の運用も必要であり、その場合は役割を果たすのが難しい武器でもあります。

    アメリカ軍はライフルで誕生し、現在もライフルで戦う軍隊です。
    彼らにとってライフルは今でも大きな影響を与えているでしょう。(新型ライフルがなかなか決まらない理由でもあるでしょうが)


    今回は、久々の投稿という事もあり、不完全な部分も多々ある内容となってしまったかと思います。
    しかし、これからも折を見ては記事を書いたり、訂正をしたりしますので、お時間に余裕があるときにお立ち寄りいただけると幸いです。
    最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
  • 米海兵隊考察備忘録

    2019-05-19 16:44
    大学の卒論として「アメリカ海兵隊にみる組織と歴史」というものを書いたものの、今はデータすら紛失してしまい、自らの手でも読み返せなくなってしまいました。

    そこで、ある程度の内容をまとめておこうと思います。(適宜追記していくことになります。)


    目次
    1、海兵隊とは何か
    2、アメリカ海兵隊の歴史。創設期から現代までの役割と組織の変容
    3、アメリカ海兵隊のエトス(精神)とは
    4、組織構造の特色
    5、他国での海兵隊
    6、日本の陸上自衛隊とアメリカ海兵隊の対比と変革

    個人的な備忘録なので、更新は遅くなります。
    また、執筆した当時は陸自の水陸両用団も話題すら出ておらず、将来的に似たような組織が陸軍的組織の中に編成されるであろうことは示唆しましたが、まさか本当になるとは思いませんでした。
    また、このブログの過去記事にある様に、日本の空母保有に関する可能性も示唆してきましたが、今になって固定翼戦闘機を艦艇から運用する政策が進むとは思ってもいませんでした。

    これからも、過去の考察と未来への推測を力不足ながら続けていこうと考えています。

    数年ぶりの更新が非常に短い内容で申し訳ない限りです。