• THE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION 14 Charlotte・Charlotteドラマ「鏡の中のシャーロット」の感想

    2019-05-18 07:23
    THE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION 14 Charlotte・Charlotteのネタバレを含みます。
    未視聴の方はCDご購入の後、ドラマパートと曲を通しで聴くことを強くオススメします。

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    ■はじめに
    事の発端はTHE IDOLM@STER MILLION THE@TER GENERATION 14,15のリリースイベント昼の部で発せられた(らしい)一言。
    "「MTG14のドラマについて様々な感想を頂いたが、その中でシャーロットの正体についての正解は無かった。」"※昼の部に参加できてないので細かい言い回し違ってたらごめんね…
    これはどういう事かというと、シャルシャロ(Charlotte・Charlotte)のドラマパート考察で有力だったシャーロット生まれてこなかった双子説や母親説が公式に否定されたということだ。
    ※後にゆちゃ氏から色んな解釈を否定するものではないとコメントがありました。
    てっきりシャーロットの正体は母親の残留思念か何かだと思っていた私も、これにはひっくり返るほどの衝撃を受けた。どのくらいの衝撃だったかというと、昼の部の感想ツイートを漁っていて目にしたこの件が頭から離れず、その後の夜の部をなんだかふんわり見てしまったほどだ。(いや実に勿体無いことをした…
    その日はお家に帰るまでシャルシャロのドラマパートを聴き続けた。なんなら帰ってからも聴いてたのでGW最終日はシャルシャロのドラマパートを聴いてたら終わってたと言っても過言ではない。(だいぶ沼ってますねこれね…(・・;)

    だって知りたかったんだものシャーロットの正体。
    私もシャルシャロのドラマに良さを感じた一人なんだから。
    正解とまではいかずとも公式の解釈に近い認識は持っておきたいじゃない。

    そんな訳で、
    MTG14のドラマ「鏡の中のシャーロット」の感想を書くことにしたのだ。
    長文のうえメモ帳そのまま貼り付けたかのような文章で読みにくいが勘弁してほしい。
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    ここからネタバレするよーいっぱいするよー(o・∇・o)

    シャルシャロのドラマを初めて聴いたときは、なんだか不思議な話だなぁとか、可愛らしい双子の女の子ものかと思ったら案外ダークな感じだぞ?とか、思い出のマーニーに似てるなぁとかそんな事を考えていた。
    で、今回の件があって何度も聴き直してみたのだけれども、聴けば聴くほど深みにハマるというか味が出るというか、登場人物の心理描写の細かさや場面設定の的確さ、物語に込められたテーマなんかが見え隠れしてきてそこからはもうめちゃめちゃ楽しかった。

    さて、「鏡の中シャーロット」はそんな魅力的なドラマなのだが、聴いていて疑問に思った、というか謎が残ったなと思った部分がある。たぶん聴いた人はみんな同じような疑問を抱いたんじゃないだろうか。
    それは、

    ・シャーロットとは何者だったのか?
    ・どうして消えなくてはならなかったのか?

    という疑問だ。

    ■シャーロットは何者か?
    シャーロットの正体については劇中で明かされてはいないが、CDドラマの中でおそらく唯一言及されている部分がある。エピローグでのまつりの一言がそれだ。
    エミリー
    「シャルロットはどうしてシャーロットとお別れしなければならなかったんでしょう?」
    まつり
    「それが、”大人になる”ということなのです。」
    なんとシャーロットの正体は、
    ”シャルロットが大人になるためにお別れしなければならなかった存在”
    だったのだ!(まんまやないかい…(´・ω・`)

    ■シャルロットにとって大人になるとはどういう事か?
    シャルロットが大人になるためにはシャーロットは消えなくてはならない。
    では、シャルロットがどうなったら大人と呼べるのだろうか。
    劇中のシャルロットの状態で例えるなら、
    寄宿学校に行かされる話を聞かされ義母に毒を盛ろうとするまでが子供、
    結局毒を盛らずに部屋に戻ってきた後の状態が大人ということになる。
    この間に何があったのか。
    シャルロットのしたことといえば義母にお茶を淹れたことだけだ。
    もちろん、その行為自体がシャルロットを大人へと近づけたわけではない、
    その行為を行うことによりシャルロットが内面的に成長した。と捉えるべきだろう。

    一体、シャルロットのどういう部分が成長したのだろうか?
    それを知るためには、まずシャルロットがどういう娘だったかを考える必要がありそうだ。

    ■シャルロットの内面
    大人になる前のシャルロットはどういう娘だったか。
    シャルロットは外側だけ見れば病弱なお嬢様だ。
    では内面はどうだろう?

    ここからはドラマを振り返りながらシャルロットの心境を考えていきたい。
    (*>△<)<ここから長いよ!め~っちゃ長いよ!

    ★一人おままごと
    シャルシャロのドラマは鏡の前で一人おままごとをしているシャルロットのシーンから始まる。
    シャルロット
    「ねぇシャルロット聞いて?コマドリのルビアが噂していたの、貴婦人の湖のほとりにあるお花畑のこと。」
    「今は一面エランティスの花に覆われて、黄色い絨毯のようなんですって!」
    ※この辺のシーン、台詞の切り替わりごとにパタパタと足音が聴こえてとてもかわいい
    いきなり独特の世界観から始まるシャルシャロのドラマ。(そういうのほんと好き!
    一人で楽しそうにおままごとをする女の子というのはなかなか異質じゃなかろうか。
    一体どうしてシャルロットは一人二役までしておままごとをしていたのか?
    ……いやもう心が痛むので言ってしまうが、それは相手がいなかったからだろう。
    (病弱でお屋敷に閉じこもったきりでは無理の無い話だけども…

    だがよく考えてみてほしい。本当に相手はいなかったのか。
    使用人のウェンズデイやフライデイに頼めば快く引き受けてくれたはずだ。
    しかし、シャルロットはそれをしなかった。
    何故か。

    シャルロットにとってウェンズデイやフライデイは家族同然のように想っている存在だが、同時に「あれをしてはいけません。お母様のお言いつけですよ。」と義母の意向のままにシャルロットをお世話する存在でもある。遊びたい盛りのシャルロットのああしたいこうしたいという気持ちにSTOPをかける存在だ。もし仮にそんな二人とおままごとをしても「次はお勉強の時間ですよ。次はお茶の時間ですよ。」と言われ、きっと楽しくないはずだ。二人の言葉を通して義母の存在を感じてしまうというのもあるだろう。
    だからシャルロットはウェンズデイ・フライデイとはおままごとをしなかった。
    シャルロットにとっておままごとの相手は自己の内面に求めたほうが居心地が良かったのだ。

    この一連のシーンから読み取るに、シャルロットがおままごとに求める相手とはシャルロットの言うことを「そうね。そうよ。そうでしょう。」と肯定してくれる存在なのだろう。
    もちろんそんな人は現実にはいない。
    だからシャルロットは自分の内側にそういう存在を作ったのではないか。
    しかし、それは本来であれば亡くなってしまった母親の役目だったのかもしれない。

    【シャルロットの心理状態①】
    ウェンズデイやフライデイといった他人(外の世界とのコミュニケーション)よりも自分の内側に作られた都合の良い存在(自分の内側とのコミュニケーション)を心地よく感じている。


    ちなみにエランティスの花言葉は"人間嫌い"。
    その花畑に倒れ込み胸いっぱいに香りを嗅ぐことが夢だと話すシャルロットからも、外の世界とのコミュニケーションを避ける自分を許容したいというような気持が感じられる。


    ★シャーロットとの秘密のお茶会
    はしゃいでいるところを義母に叱られ、
    お父様が帰れなくなった事を告げられたシャルロット。

    シャルロットは幼い頃に母親を亡くしており、父親は多忙のためなかなか会えない。
    言うなれば両親からの愛情を満足に受けられなかった子供だ。
    しかしこの夜は、シャルロットが楽しみにしていた父親との会合は中止になってしまい、母親の代わりに愛情を持って接するべき義母には叱られてしまう。(もっとも、シャルロットを叱ることは義母にとっての愛情だったりするのだが…)
    このときのシャルロットはさぞや傷心していたことだろう。
    そんなシャルロットが屋根裏で見つけたものが母親の形見のティーセットだった。
    シャルロット
    「もしもお母様が生きてらしたら、このティーセットでお茶会をしましょうと言ったわね…」
    「そうだわ!この屋根裏でお茶会をしてみようかしら。」
    シャーロット
    「まぁ素敵ね。賛成だわ。」
    ここで初めてシャーロットが現れる。
    冒頭の一人おままごとのシーンではなくここで初めて姿を見せたのは、おそらくシャルロットの心境の差によるところが大きい。
    このときのシャルロットは両親からの愛情を受けられずに落ち込んでいた。そんなシャルロットが母親の形見を見つけ、母親の姿を思い出そうとすることは想像に難しくない。しかしシャルロットは母親の姿を覚えていない。そんなときシャルロットは鏡に写った自分の姿を見て何を思ったか。無意識に亡き母親の面影を重ねていたのではないか。

    優しかったお母様とのお茶会。シャルロットにとってどれほど甘美な誘惑だったろう。
    幸いにして自己の内側に自分にとって優しい存在を作ることには長けていた。

    こうしてシャルロットはシャーロットという最高の理解者を得た。
    優しかったお母様のイメージと一人おままごとで作った自分を肯定してくれる存在を結びつけ、シャーロットという人格を作り上げたのだ。
    シャルロットは、自分が受けられなかった両親からの愛情を外の世界の存在ではなく自身の内側に求めた。しかし、それは同時に心の中に子供のもつ甘えに似た部分を許容する存在を棲まわせてしまったことを意味していた。

    【シャルロットの心理状態②】
    両親からの愛情に飢えていたシャルロットは、それを求めるあまり、無意識に亡き母親のイメージと一人おままごとで培った自分にとって都合の良い存在を結びつけてしまう。
    その結果、両親の代わりとして心の中に甘えられる存在を作り上げてしまった。


    ★シャーロットとの融合
    翌朝。ベッドから目覚めたシャルロットはシャーロットの事を忘れているが、ガウンには埃が付いており、屋根裏部屋での一件が夢ではなかったことが伺える。
    その後、自室の鏡に写った自分を見てシャーロットを再び認識する。

    ここでのシャルロットは母親の形見の鏡やティーセットが無くてもシャーロットを認識できている。これは何を意味するのか。あの一夜を通して、シャルロットの中で自分の持つ甘えの部分を許容するという心理が当たり前のものになってきているとしたら…。

    ここからウェンズデイとフライデイによる勉強の時間が始まるが、
    シャルロットはシャーロットとの会話に夢中でまるで話を聞いていない。

    一見すると新しい友達を得てはしゃぐシャルロットという微笑ましい構図だが、実はここからシャーロットとの融合が始まっている。ウェンズデイ・フライデイとの受け答えをよく聴けばわかるが、シャーロットの声で返答しているにも関わらず会話が成立している部分がある。さらに驚くべきは聖母様の絵を描いているシーンだ。
    シャーロット
    「邪魔をしてはだめよシャルロット。いま、聖母様の絵を描いているところなんだから。」
    これまではシャーロットは鏡の中の存在、あるいはシャルロットの心の中の存在として描かれてきた。しかし、ここではなんと絵を描いている。もちろんシャーロットは肉体を持たないため、シャルロットの身体を使ってシャーロットが絵を描いているのだ。別人格が身体を乗っ取ったのか?と思うかもしれないがそうではない。シャーロットは自身の甘えを受け入れる存在としてシャルロットが作り出したものだ。この場合、自身の甘さを受け入れるという精神構造がシャルロットに完全に癒着したと考えるのが妥当だろう。

    【シャルロットの心理状態③】
    自身の持つ子供じみた甘さを受け入れるという心理がシャルロットの心に完全に癒着した。


    ★貴婦人の湖、スズランの花畑
    ここからはドラマパート後編にあたる。
    前編の最後でお父様が帰ってきておりシャルロットはようやく父親に会うことができた。
    そんなシャルロットにシャーロットは貴婦人の湖に行ってスズランの花束を作り父親にプレゼントしないかと誘う。元気になった証拠を見せるのだと。

    父親と会うシーンはカットされており聴くことはできないが、シャルロットは久しぶりに会う父親からの愛情を充分に享受したに違いない。そして父親が仕事に戻った後はきっと、お父様からの愛情をもっともっと受けたいと願っただろう。
    そんな折に、お父様を喜ばせるためとしてシャーロットがシャルロットを貴婦人の湖へ誘う。この行為にはシャルロットのどんな心理が隠れているのか。前述したようにシャーロットはシャルロットの甘えを許容する存在だ。ならばこれは、シャルロットの父親にもっと甘えたいという心を満たすための誘惑ではないだろうか。
    そうとするなら、この時点でのシャルロットの心の中では外出禁止という言いつけを守ろうとする自制心よりも、お父様の愛情を一身に受けたいという子供のような願望が勝っているということになる。

    ちなみにスズランの花言葉は"純粋"、"再び幸せが訪れる"。
    一面のスズランに囲まれたシャルロットもまた純粋な……子供だったのだろう。


    【シャルロットの心理状態④】
    自制心よりも父親の愛情を受けたいという子供心が勝っている状態。


    ★スズランの毒
    帰るのが遅くなったシャルロットは義母に叱られてしまう。
    その話の途中、あなたは普通ならとっくに学校に通っている年齢なのだから、身体が良くなったら寄宿学校に行かせるという話を聞かされる。
    部屋に戻って反省なさいと促されるシャルロットだが、どうしても寄宿学校に行きたくないらしく、シャーロットと一緒にお母様を止める方法について話し合うのだった。
    シャルロット
    「だめよ。この本にも書いてあるわ。寄宿学校にはいじわるな先生や厳格な寮長、沢山のいじめっ子がいるんですって。」
    シャーロット
    「なんて恐ろしいの。寄宿学校なんて絶対に行きたくないわ。死んでも御免よ。」
    シャルロットが寄宿学校に行きたくない理由がここで語られているが、見ての通り、全て他者(外の世界)とコミュニケーションをとることに対する恐れに起因するものだ。
    寄宿学校に行きたくない=外の世界とコミュニケーションを取りたくない気持ちと、父親からの愛情が奪われてしまうかもしれないという不安から、義母を止めようとするシャルロット。
    学校に行きたくない、お父様に甘えていたいと訴えるこのシーンのシャルロットは、まるで駄々をこねる子供のようではないだろうか。
    シャルロット
    「きっと私、お母様に憎まれているんだわ。」
    シャーロット
    「シャルロット、お母様を止められるのは、私達だけよ。」
    「私は手伝えない。これはあなたが一人でやらなくちゃいけないことなのよシャルロット。」
    シャーロットはこう言った。これはあなたが一人でやらなくちゃいけないことだと。
    それはつまり、義母に毒を盛ること(外の世界とコミュニケーションを取らず、そんな自分を許容してくれる優しい存在の下でずっと暮らすこと)と義母とお茶会をすること(自己の内面にある優しい存在との対話だったお茶会に外の存在を招き入れること、外の世界とのコミュニケーションを受け入れること)を自分の意志で選ばなければならない、ということをシャルロット自身も感じていたのだろう。

    【シャルロットの心理状態⑤】
    寄宿学校に行きたくない気持ちと父親からの愛情を受けたい気持ちから義母を止めようとするが、心の奥底ではいつまでも駄々をこねてはいられない、いつかは大人にならなければならないということに気付いていた。


    ★義母とのお茶会
    結局、シャルロットは義母に毒を盛らなかった。
    義母
    「シャルロット、指が震えているわ。かわいそうに、緊張しているのね。」
    「たとえわたくしが嫌われても、あなたのためになるならそれで良いのだ、と。」
    「そんな心配いらなかったのね。あなたはわたくしの…娘なんですもの。」
    一人おままごと、シャーロットとのお茶会では自分にとって居心地のいい存在を自己の内面に作ったシャルロットだったが、今回はその位置に義母を招き入れた。これは義母がシャルロットが求める優しい存在に適合する人物になったというわけではなく、シャルロット自身が外の世界に対してコミュニケーションを取るように歩み寄った。と捉えるべきだと思う。

    【シャルロットの心理状態⑥】
    シャルロットは義母を受け入れた。寄宿学校行かずにずっとお父様の愛情を受けていたいという甘えを断ち切り、外の世界とコミュニケーションを取るための第一歩を踏み出した。


    ★シャーロットとの別れ
    シャーロットに毒を盛れなかったと話すシャルロット。
    シャーロットは自分がシャルロットにとってもう必要ないことを告げ消えてしまう。
    シャルロット
    「あなたは私なんでしょう?ずっと一緒にいてくれるんじゃなかったの?」
    シャーロット
    「ええ、もちろんずっと一緒よ。けど、私は消えなくてはならないの。」
    「なぜなら、あなたにはもう私は必要ないからよ。」
    義母とのお茶会を経たシャルロットは自身の甘えを自制し外の世界と向き合おうとしている。そんなシャルロットにとって自分の心の幼い部分を許容してくれる存在はもう不要なのだ。
    シャーロット
    「シャルロット、お母様のお顔は思い出せた?」
    劇中2回聞かれるこの台詞。
    1回目に聞かれたとき、シャルロットは「とても優しかったことだけは覚えているわ。」と答え、シャーロットは「それを覚えているなら、きっと大丈夫ね。」と返した。
    おそらく、シャーロットが消えてしまってもずっと一緒に残る部分がここなのだろう。優しかった母の記憶。この先、外の世界と接するうえで辛くなるときがあったとしても、もう自分の中に甘えられる存在を作らなくても良い。自分が確かに愛されていたという実感。その記憶さえあれば一人でも強く生きていけるはずなのだから。

    ★巣立ち
    シャルロットが寄宿学校に通い始める日の朝。
    義母がプレゼントとして用意したのは母の形見のティーセットだった。
    カップのふちは修繕されていた。いつの日かシャーロットが見せてくれたのと同じように。
    シャルロット
    「月の光の魔法だわ…」
    個人的にプリンセス属性のドラマは現実的だなぁと思う。お姫様なんてファンタジーな存在をテーマにしているにも関わらず、描かれているのは自分の力で未来を切り開く女の子達の成長物語だ。もちろんそこに魔法なんて存在しない。魔法少女の名前を冠するトゥインクルリズムでさえも悪のギョーカイジンを改心させたのは街を人を守ろうとする意志の力だ。特別じゃない女の子が必死に努力して光輝くお姫様を目指す。そういうある種の人間臭さが、私がプリンセス属性のドラマに魅力を感じている所以なのかもしれない。

    ■最初の疑問
    さて、長々と書いてしまったが、ここまでシャルロットの内面を振り返ってきたことで、最初の疑問についてはもうだいぶ認識が固まってきているんじゃないだろうか。
    私は最終的に以下のように固まったがどうだろう?
    他のPさんの解釈も是非聞いてみたいところだ。

    ・シャーロットとは何者だったのか?
    両親の愛情を満足に受けられなかったシャルロットが自己の内側に求めた、シャルロットの心の弱い部分を受け入れてくれる存在。母親の形見と鏡に写った自分の姿から認識していることから、シャルロットが思い描く理想の母親像と言い換えてもいいかもしれない。もっともこの場合の理想とは、義母のようにシャルロットの将来のため大人になるための手助けをするという意味ではなく、寄宿学校に行きたくないという気持ちを許してもらえるような、シャルロットの甘さを寛容してくれるような存在という意味である。

    ・どうして消えなくてはならなかったのか?
    シャーロットとの別れはシャルロットが大人になるため必要なことだった。学校や仕事に行きたくない気持ちは大人も子供も持っているが、大人は行きたくないと思いつつも仕事へ行く。なぜならそれが大人になるということだから。寄宿学校に行きたくないシャルロットを許容する存在が残っていては、いつまでたってもシャルロットの精神は子供のままだ。シャルロットは義母を受け入れた。寄宿学校行かずにずっとお父様の愛情を受けていたいという甘えを断ち切り、外の世界とコミュニケーションを取るための第一歩を踏み出した。そんなシャルロットにとって自分の心の幼い部分を許容してくれる存在はもう不要なのだ。
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    ■おわりに
    ゆちゃ氏も言っていたようにシャルシャロのドラマを聴いた人それぞれが思い描く解釈が正解で良いと思う。その方が面白いよね(・∀・)
    私もドラマを聴いていいなと思ったPの一人として感想を書いてみたがどうだったんだろう。シャルシャロのドラマはMTGシリーズ屈指の難解さではあるけど、一回聴いてよくわからなかった人にも良さが伝わるといいなぁ。解釈の押しつけになってなければいいけども…

    ここまで真面目に読んで頂いた方々、本当にありがとうございます。
    是非この状態で、だってあなたはプリンセスをもう一度聴いてみてほしい。
    歌詞の”Sweet my sis.”や”私のプリンセス”の意味がきっと違って聴こえるはずだ。
    シャルシャロ沼はいいぞ……
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