ユーザーブロマガは2021年10月7日(予定)をもちましてサービスを終了します

  • 本を読むこと、祈ること

    2015-08-01 20:06
    こんにちは、Mistirです!
    お久しぶりの更新。

    なんで長いこと書いてなかったかって……
    単純に書くこと無かったんです。そんなことってあるでしょ?

    書くことが無いとき、つまり語りたいことが無いときって大抵インプットが著しく減ってるときなんですよね。情報のインプット
    しばらくTwitter廃人と化してましたからね……
    Twitterは情報のインプットなんてもんじゃないですからねぇ。情報が右から左、否、下から上へと流れていく場所ですから。
    何故Twitterに張り付いてたかって?
    寂しかったんです。ええ。
    まあその感情のゆらぎは体調不良に起因するものだと後々明らかになりましたが。

    で、最近インプットが増えてるかっつーと……

    増えてます。

    某電子書籍ストアでラノベの大セールやってたんすよ。
    それで10冊以上ラノベ買ったんですけどね。

    久々に、「ラノベの読書量が増えると、それ以外の読書量も増える」っていう(僕にとっての)真理を思い出しました。
    ラノベってポテトチップスみたいなもので、読みまくってると延々と読んでられそうな気分になってくるんですが、たまに「健康的な」ものも読みたくなってくるんですよね。
    つまるところ、少なくとも主人公の男がモテるわけじゃない小説を含む数多の本を読みたくなってくるわけですよ。
    ってことで、まあ最近はホントに色んな本読んでます。そりゃもう、ゴリゴリと。

    で、ずっと前に買ってほったらかしといた本を掘り出してみました。

    カーネギーの『道は開ける』って本です。

    自己啓発界のONE PIECEみたいな本ですね。
    自己啓発界ってなんだよ(セルフツッコミ)。

    この本も安かったから買ったんですが、最初読んだとき胸焼けしちゃって。

    要は「不安への対処法」っていうある種たった一つのテーマをもう徹底的にあらゆる方向から具体例具体例具体例のオンパレードで語ってる本です。

    実は、最初に買った当時はそれほど不安が無かったんですよ。
    ただ単に不安から目を背けてただけなのかもしれませんが……
    とにかく、あんまり今の僕には必要ないなって思って読むのやめたんです。

    で、最近体調不良に起因するのか何に起因するのか、結構な不安に苛まれまして。
    読書量が増えてる流れに乗って再読することになったんですが……

    あるページで「祈ることの効能」について、詳しく語られてるんですよね。
    こう書くと宗教書っぽいんですが、カーネギーおじさん、どうやら無神論者らしい。
    あくまでも「祈ること」がどういう「理屈で」効果的なのか考えていらっしゃる。

    例えば、祈りは「不安を言葉にする作業である」。
    さらに、「その言葉を『他者(この場合は神だけど)』と共有する作業である」っていうように細分化して捉えてるんですよね。
    そこから「祈りの有効性」を語ってる。

    うーん、この合理性。嫌いじゃない、むしろ好きだぞ。
    と考えはするものの……

    そう簡単に祈れないよねぇ。僕らは。

    いや、日本人も「神頼み」はするだろう。
    でも、根本的に「祈り」と相性は悪い気がするんだ。
    特に僕らみたいな「悟り系ネット世代」は。

    ほら、僕らってサバサバ系じゃん(偏見)。
    とりあえず、

    「祈るにはあまりにも、冷めすぎている」

    ような気はするんすよ。少なくとも僕は。

    でも、同時に気付いた。

    「あ、読書って祈りと何一つ変わらないじゃん」

    と。

    カッコつけてる……のはあるけれど、「実質的に」変わらないなぁ、と思っている。

    そう、祈っても何も変わらない。
    何も変わらないけれど。何かが変わるかもしれない。
    祈りという行為が、自分自身に働きかけ、世界の見方が気付かないウチに変わっている。

    本を読むことも一緒だ。
    本一冊読んだところで何も変わらない。
    変わったと思うなら、それは幻想だ。少なくとも僕はそう思っている。
    勿論、何かをガッツリ変えてくるような、黙示録的な本もあるにはある。
    だけど、そんな本は人生で何冊も何冊も出会うものではない。それに、そういった「世界の見方を根本的に『たった一冊で』変える」ことは決して読書の本質ではないような気がするのだ。
    だって……「この一冊で世界の見方が変わる」なんて、どうも安っぽいじゃん。あまりそういう言い方はしたくない。「この本は凄くいいよ」くらいならしょっちゅう言ってるけど。
    でも、『たった一冊で』大きく人が変わることが無いにせよ、「何冊も読んでいると」ゆっくりと人は変わっていく。確実に。

    良い方向に変わるかどうかなんて知ったこっちゃ無いのだ。
    とにかく、変わるのだ。
    毎日毎日祈りを捧げることもそうだろう。
    良い方向に変わるかどうかなんて知ったこっちゃない。
    もしかすると、祈るしかできないクズになっちゃうかもしれないわけで。

    それでも、人は祈り、本を読む。

    そうして、屍のように読まれ続けた本の先に。
    吐き捨てられた数多の祈りの先に。

    自分自身という不可思議な物体が鎮座しているのだ。

    だとすると、やっぱり自分なんて探すもんじゃねーな、と思う。
    祈りと読書、あるいは読書という祈り、あるいは祈りという読書の残骸の上に自分自身が寝転がってるんだから。どこ探しても見つかるワケがない。

    ……なんて、厨二病じみたことをニヤニヤ考えながら、今日は本屋で色んな本を物色していた。
    家の近所のちょっと分かりにくいところに、本屋とカフェが併設されている店を発見した。
    今日はもう遅かったから本も買わず珈琲も飲まず帰宅してこうやってブログ書いてるわけだけど、また時間あるときにその場で買った本をゆっくり読んでみるのもいいかも、なんて思ってる。

    祈るように、本を読む。
    その先に何があるんだろうね。ホント。

    いつか、何かしらの神様が祈りに耳を傾けてくれるのだろうか。それとも……

    では、また次の記事でお会いしましょう。
  • 広告
  • 「圧倒的成長」って言葉はウザいと思うけど、「日本は成長しなくていい」って言葉には反発しちゃう人のための記事

    2015-07-14 20:226
    こんにちは、Mistirです!

    今回は、「リクエストにお応えしてブログ更新しよう」のコーナー!(第一回)

    リクエスト内容をすっごく雑に要約すると、「最近、日本の技術力に対する投資少なすぎじゃね?ヤバイ」って話と、「技術的な進歩を目指すなら、失敗に対するアフターフォローと学びの機会は絶対に損失すべきではない」って話に対するアンサーが欲しいとのことでした。

    実は……
    僕、このあたりの考え方、揺れてるんですよ。

    例えば以前、こんなことを言う人がいた。




    バカじゃねえの、って話だけどさ。
    徹頭徹尾バカにできるかっつーと、そうでもなかったりする。
    それでも、この人がこんなことを言っちゃダメだ。
    何故か?

    この人は、誰が何を言おうが「金持ち」だ。
    はっきり言っちまうと、「金持ち」には黙ってもらうしか無い。乱暴な言い方だけど、お金のある人が

    「日本は働き過ぎです!もっと悠々自適と過ごしましょう」

    なんて言っても、誰も聞かないでしょ?
    僕も聞かない。「死ね!」って思う。本気で。

    で、この人はそれを堂々と言っちゃったワケ。
    議論というフィールドに絶対に乗らない。
    だって、大義が無いもの。極論、愛人10人侍らせながら「彼女なんて要らないよ」って言ってるのと全く同じだ。チクショー。

    だから、別に金のあるわけじゃない新入社員ぺーぺーのMistirちゃんが語るしかない。
    「技術的進歩」「成長」ってなんだ、って話を。

    時折、生きづらいなぁ、って思う。
    鬼のように絵が上手い人ばかり。
    鬼のように難しく複雑なシステムが世界を管理している。
    洗練されきった商品が大企業から販売され、みんなそいつに群がる。
    快適な技術の集大成のような安アパートに、僕らは住んでる。
    快適だ。
    その裏側を想像せず、結果だけを享受するなら。

    世の中は価値のデフレと、中身のインフレで溢れてる。

    そんな世の中で生きてたら、そりゃまあ快適だけど、何か疲れる。
    そう思うときがたまにある。
    まだまだまだまだ、日本は「進んで」しまうのか。
    たまには止まってくれよ、と思わないでもない。
    表層的な「快適」を味わいながら。

    でも、同時に「こう」思うこともある。
    別にループしてるだけじゃね?と。

    別に「成長」なんてしてない。
    あるがまま、ただ進んでるだけだ、と。

    例えばだけど、ゼロからインターネットが始まった瞬間に使われた技術と、Twitterに使われてる技術、どっちが上だと思う?

    そりゃ、複雑なのはTwitterだろう。当たり前だ。
    あらゆる技術の、現段階での集大成なのだから。

    でも……ゼロからインターネットを始めるより難しいことをやってるのだろうか?

    例えが悪かったかもしれないから、別の方法でも例えよう。

    現代の日本の製鉄と、戦国時代の刀鍛冶。
    高い技術力が集結してるのはどっち?って言うともちろん製鉄の方だろうけど、どっちが「難しいことやってるか」って言うと、そんなに変わらないのかもしれない。

    要は、時代が進んでも「万人がアインシュタインの相対性理論を完璧に理解する時代」なんてものは来ないのだ。

    頭を使うことのできる人間が、頭を徹底的に使う。
    それだけの話しで。
    そこに「成長」なんてものを考えるのは、もしかするとノイズなのかもしれない。

    この辺りに、僕は答えを出し切れてない。
    「疲れ」るからさっさと休め日本、二位じゃダメなんですか。
    ……と思うこともあるし。

    「せっかくなら、徹底的に走ればいいじゃん」
    ……と思うこともある。

    何が正しいとも言えない。

    ……実は、たまに思うことがある。
    あまり大きい声では言えないし、どんな政治思想の方にも叩かれそうだけど
    ……あえて言おう。

    たまに、
    「敗戦直後の日本に戻ってみろ」
    と思う。

    色んな人が言う。
    敗戦後、日本にはエネルギーがあったと。

    ほんまかいな、と思う。
    戦争経験者の美化なのか、それとも本当にそうだったのか。

    どちらでもいい。
    徹底的に、ダメになってしまえ。
    どうせ数万年後、地球は滅びるのだ。
    形あるもの、いつか滅びるのだ。
    ダメになって、そこで何が起こるのか、僕に見せてくれ。
    そのエネルギーの奔流を、見せてくれ。
    嘘でもいい。ダメになる方がいいんだ(岡本太郎風)。

    ……なんて言うと。
    極論だとか厨二病だとか言われそうだけど、どうも今の日本って「ダメになること」への恐怖感が支配してる気がする。
    政治程度でダメになっちゃうなら、もともとその程度の国なのさ。……なんて思ってる僕の思考は退廃的なのだろうか。

    まあ、結局
    「流れに身を任せよ」
    って考え方は変わらない。

    日本政府がドケチで技術に投資しないから、欧米諸国に負けちゃう。
    勿体無いけど、それもあり得る話だろう。

    だったら、僕は欧米諸国で生きていけるように、言語を学ぼう。
    そう発想してしまうようになった。
    ついでに言えば、ドケチな政府のもとでしか生まれないような発想の製品が生まれるかもしれない。

    さて。結論に入ろうか。
    僕は日本に愛着がとりわけあるわけじゃないし、ついでに言えば世界にも愛着があるわけじゃない。
    ただ……
    どこの何も、信じるべきもの、身を置くべき場所がないなら。
    せめてこの時代を見届けてやろう。
    それくらいの気持ちはある。

    今ここにある「国家」の情勢や、そういったものを信じることができないなら。
    言い換えれば、「日本人である」ということを誇り(頼り)として生きられないなら。
    信じられるのは、「ここに時代が流れていること」くらいだと思うのだ。
    デカルトじみた考え方だけどね……。

    信じようが信じまいが、時代は流れる。
    時代は変化する。
    何かが変化する。

    だったら、その「時代」の「変化」だけを信じるしか無い。
    別に「良くなる」ことを信じるわけじゃない。
    ちょっと一歩引いた立場から、「変化」そのものを眺めるのだ。
    そういった何かしらの変化を楽しめなくなったとき、僕は本当に生きてる意味が無くなっちゃう気がする。
    そういった感情の動きも含めて。
    日本を応援する気持ちになれないから、僕はこの日本を見届ける。
    変かな、これって。

    僕はひねくれてるので、アンサーもひねくれます!
    そんなこんなでリクエスト更新、第一回でした!!

    ではまた次の記事で。さらば。
  • 誰も語ろうとしない、人生に必要な技術の話

    2015-07-06 23:342
    こんにちは、Mistirです。
    さっきゲーセンから帰ってきました。

    いやー、最近もポップンやってるんですが。


    なんとか、最近クリアしました。
    当分、またクリアできる気がしません。

    さて、最近ブログ書かなかったのは、何故か何も降ってこなかったからなんですよね。
    言葉というか、思考がずっと上滑りしてた。

    どうも、自分が何を目指せばいいのか分からない。
    まあ、ちょっと体調崩したりもあり、なかなか思考がまとまらなかったんですね。

    で、ポップンやってると何故かアイデアじみたものが降ってくる
    多分、ポップンやってると何かしらの境地に達してるんでしょう。多分マジで。

    あと、ポップン抜きに僕は何も語れません。
    ポップンやって初めて「あ、人間ってどこまででも行けるんだ」ってことと「上には上がいるんだ」ってことに気付きましたからね。マジで。

    で、今回ポップンやりながら何を考えたかっつーと。

    金払ってでも上達したい娯楽と、金もらってでもやりたくないことの違いってなんだろう?

    ってこと。
    いまいち分からないんだけど、なんで金払ってまで僕はポップンやってるんだ?
    ついでに言えば、ゲーセンまで行く時間かけてまで。

    自分で言うのもなんだけど、こんな無駄な時間ねえぞ?
    だけど、全然この時間が無駄だと思わないんだよねぇ。
    ちょっとだけ逆説的だけどさ。

    逆に言えば、ポップンやってるときのような感情を継続させることができれば……
    オラ、超人になれるんじゃね?
    多分、何やっても上達するぞ。

    まあ、多分これは今まで常々言われてきた「ゲームのように人生を楽しむ」とかそういう話になっちゃうのだろう、どうしても。
    でもそれじゃあつまらないよなぁ。
    いわゆる「強者」……とはいってもマシな方の「強者」が言いそうだ。
    人生、楽しんだほうがいい」と。
    何故マシな方かっつーと、マシじゃない強者は人生の楽しみを棄てて棄てて棄てて棄てて棄て去ったあとにようやくよし、って言うから。まあ、あまりいないけど。

    ちょっと話がそれた。

    で、「楽しむ」って間違いなく論理をハズレた感情だから、論理で制御しようと思った瞬間、楽しくなくなるわけだ。

    結構前に、僕はこの「楽しむ」って感情を生むためには「待つ」ことが大事だとか、そういう話をしてる。

    何やっても楽しくない人へ

    まあ、だからそこで一度、結論は出ちゃってるわけだけど。

    僕も短気だから、できれば待ちたくない。
    というか、待ってるって感覚を「無くしたい」。わりと、焦っている。あらゆることに。
    あらゆることに焦って焦って、結局何もできなくなる……んだよね。
    そりゃあ、良くない。

    ものごとを上達させるために必要なことって、極限までそぎ落とせば間違いなく二つしか無い。
    ・楽しむこと
    ・継続すること

    もちろん、「削ぎ落とさねば」もっと色々と語れるだろう。楽しんでる独学の人間と、楽しんでないけど凄い師匠を得た人間と、どちらが上達が速いか?とかね。

    でも「とりあえず」上の二つの条件が大事なことに間違いはなさそうだ。

    で、継続はなんとでもなる。ぶっちゃけ。継続させるための方法なんて、たくさんの本が出てる。
    でも……楽しむために、どうすりゃいい?
    実は「楽しむ」を手に入れるための方法ってあまり真剣に語られてなかった気がするんだよなぁ。

    「楽しむのは、技術だ」

    誰だよこんなこと言い切ったの。
    俺だよ!

    ……で、なんでまたこのテーマでブログ書いたかというと。
    ……掴めそう、なんだよなぁ。
    普遍的にものごとを楽しむメソッド。
    ……掴めそう。

    ってことは。

    掴めてないんだな、これが。
    ……ごめん。

    いやー、やっぱ論理にできねえ。

    でも、ちょっとだけ掴めた部分を言えば。
    「楽しい」って思えるまでに時間がかかるとしたら……。
    とりあえず、まずは「楽しい」を感じようとせずに、思考を軽く麻痺させるところから始めたほうがいいんじゃないか、と。

    理屈で考えようとしたときに、一瞬スイッチを「オフ」にする。
    理屈で考えると、絶対に楽しさは吹っ飛ぶから。
    損得勘定でものごとを考えちゃうから。

    だから、「スイッチを切る」。
    そう、「スイッチを切る」のだ。
    この感覚。

    で、書きながら「怖いなぁ」とも思ってる。
    だってこの考え方、一歩間違えたらブラック企業じゃん。
    「今苦しくても、思考のスイッチを切りなさい」。ね。

    はっきり言って、ブラック企業的であることを否定出来ない。
    それに……絶対に、考えること自体はやめちゃダメだ。
    思考のスイッチを切るのは、あくまでも思考をクリアにするためなんだから。
    思考にも数パターンあってさ。ぐだぐだと言い訳しちゃうタイプの思考と、明晰にものごとを把握するための思考ってそれぞれあるじゃん?
    僕が言ってるのは、とりあえずぐだぐだ言ってくる思考を、その刹那「切る」ことができるんじゃないかって話。
    ……って、この辺りが難しいなぁ。
    ものごとを明晰に捉えることが足枷になることもあるし。
    ああ、この辺り泥沼にハマる前に一度抜けよう。
    問題は、どうやって「スイッチを切るか」ってことだ。

    ……どうやって切るかって?
    そうですね。「トレース・オフ」とか言えば……




    無理ですね。うん。
    僕も実はわかんねーんだ。

    これは言い換えれば「切り替えの早さ」っていう言い古された言い方もできるのかもしれない。

    あー、そういえば。
    話めっさ変わるけど。
    僕、飲み会が好きっちゃ好きなんすけど、さすがにオールとかはあまりしたくない。
    でも、会社の人とかに誘われると(余程の用事がない限り)「ハイ行きますッ!」って一瞬で了承しちゃう。

    ネットとか見てると「会社の飲みとかマジで嫌」とか言ってる人結構多いよね。
    で、僕は飲みが別に嫌いじゃないっていうのはあるけど、一応自分の時間を超大事にする性格なんですよ。

    でも、別に「嫌」とかそういう感情を出さずに行動してるなぁって考えたとき……
    ああ、そうだ、こういったとき。
    確かに、そういうときって思考のスイッチ切ってるわ」って思うんすよ。

    損得勘定。「ここで飲み会に行ったら、自分の時間が無くなるぞ!」……そう考えると、断っても、行っても、辛い。
    だったらグダグダ言わずに、思考のスイッチ切っちまえ。

    ごく一部だけど、やっぱ意図的にやってる。
    できてる。

    ……うーん、やっぱりブラック企業的だ。自分のやり方は。
    ……あ、僕の勤めてるところはブラックじゃないです。はい。決してそういう問題じゃなくて。

    ものごとで極限まで上目指すってどうしてもごくごく一部に「黒い」要素が含まれるんじゃないか、とも思わないでもない。

    ……まあ、ね。身体だけは壊したらあかんで。

    さて。結論に入ろう。
    大事なことは、これだけ。
    思考停止せず、思考を停止する。

    ……思考停止(停止するとは言っていない)。

    ……むちゃくちゃだけど、そうと表現するしかないのだ。
    いや、もっとシンプルにいこうか。

    思考停止せず、負の感情を切る。

    ……いや、こう書くと逆にすっげー難しく見えるよなぁ。そんなことできねえって。
    じゃあ、もういっそこれでいいや。

    心の中でこう呟いてみる。
    (スイッチを切るためにあなたの好きな厨二詠唱を入れてください)」と……

    ま、要はさ。
    結局、何かものごとを楽しむなり、ノリでできるようになるには、ある程度ベースになる実力手に入れないと無理なんだよね。
    だから「とにかく」やってみること。
    もちろん「とにかく」やりたくなるまで「待つ」のも大事だけど、「待てない」ときには意図的に損得勘定や感情のスイッチを切ってみること。

    ……それができるといいよなぁ!(本気でできるようになりたい)。
    そういう趣旨のお話でした。
    ちなみに、このブログは露骨に「スイッチを切って」書きました。

    みなさんの「スイッチの切り方」、よろしければ教えて下さいね。
    ……普通、ここ「スイッチの入れ方」聞くよなぁ。「や◯気スイッチ」とかいう広告に思いっきり喧嘩売りながら、今日の記事はここまで。
    ではまた次の記事で。

    ……考えるな、感じろ(エロス)