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【クッキー☆SS】線路は続くよ、どこまでも
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【クッキー☆SS】線路は続くよ、どこまでも

2021-02-14 12:15

     配信を終え、パソコンの電源を落とした。
    ぬるくなった酒を一気に呑み、長い間天井を眺めていた。
     ふと携帯に目を落とすと、ありくんから連絡が入っていた。
    「今週末に映画でも観に行きませんか?」
     俺は二つ返事でオーケーした。細かい日程を決めた後に、
    俺たちは近況を報告しあったり、最近観たクッキー☆動画の感想を言い合ったり、
    取り留めのない会話を楽しんだ。
     その内に話すことも無くなり、会話を終え、携帯を投げ出して深呼吸をした。
     彼とは数か月前にとある動画がきっかけで連絡を取り合うことになった。
    最初はただ反応していただけであったが、
    彼の素朴な人柄に惹かれ、徐々に気を許すようになった。
     そんな関係が続いていたある日、彼から現実で会わないかという提案がされた。
     俺はめちゃくちゃびっくりした。アウトローが主流の例のアレ界隈で
    そんなことをする人間がいるということに。
     三日間返事を考え、俺は結局会うことにした。
     
     約束の日当日、お互いの特徴を教え合い、彼と初めて顔を合わせた。
    彼はなかなかの高身長で、程よく筋肉がついたいい体つきで、
    顔は案外どこにでもいるような平凡な人相をしているが、
    どことなく親しみを感じやすい朗らかな雰囲気が出ていた。
     こんなそこそこのナイスガイがネット声優に執着したり、
    東方のコスプレをして踊ってみた動画をあげているなんて、
    世界は驚きに満ちている。
    「ふるたか君ってけっこう可愛いね」
     彼は開口一番にそう発した。

     俺達は適当な喫茶店に入り、コーヒーを頼んだ。待っている間、
    なぜクッキー☆に首までどっぷり浸かっているのかといった
    根本的なことを質問し合った。
    そうすると彼は彼なりに考えを持っていて、
    けっこう面白い人だと感じることができた。
     コーヒーがきてから、今度は互いの素性について会話をした。
    出身地、職業、趣味、家族構成、配偶者の有無等々。
     彼は現在お付き合いをしている人はいないようだ。

     喫茶店を出て、俺たちはしばらく駅近の散策をした。
    俺はここには一度も来たことはなく、ありさんも数回仕事で
    来たことがある程度で、二人共地理には全くと言ってもよい程、疎かった。
     彼は移動販売式の小洒落たパフェ屋をみつけ、チョコレートパフェを
    実に旨そうに食べていた。
    喫茶店でもコーヒーに砂糖を二つも入れていることから、
    彼はかなりの甘党らしい。
    「ふるたか君も少し食べようよ」
    と彼は俺にパフェを勧めてきた。
     ダイエット中だからという理由で断ろうかと思ったが、
    グイグイと押してくる彼に負け、本当に一口だけ食べたが、
    どこにでもある平凡な味がした。
    建前上、美味しいと言ったが正直微妙なところだった。しかし、この程度のもの
    でこれだけ感情を表に出す彼は、見ていて気持ちが良かった。
    彼の人柄は俺にとってはとても魅力的にみえる。
     ありさんは個人的にかなり好きな部類に入る人物だ。
    その後も散策を続け、俺たちは日常の多忙を忘れ、大いに楽しむことができた。
    「少し休憩しない?」
     ありさんはやや緊張した声色で言い、目の前にはビジネスホテルが建っていた。
    つまりはそういうことだろう。
     俺たちの間にはほんの少しの沈黙があった。
    彼の性趣向は喫茶店で聞いてはいたが、この展開にはかなり驚いた。
    もちろん俺たちは両方共バイセクシャルだ。彼を抱くには全く問題はない。
    しかし、俺はまだ性交渉をした経験がなく、貞操を守っている訳ではないが、
    いささかの抵抗があった。
     彼の顔じっと見て、今日一日のことを思い出した。何気のない仕草や、
    顔の表情、一所懸命に他人の気持ちを理解しようと、
    心を込めて、話に耳を傾けている様子。
    「ごめん、何でもないや」
     彼ははにかみ、この場所から離れようとした。
    「いや、行こう」
     恐らく、かなり上擦った声だったと思う。
     彼の手を取り、俺たちはホテルの中に入ってセックスをした。

     彼の人柄の良さはセックスに顕著に表れていた。
    受けであったが、彼のリードがなければ、ここまで気持ちよくはなれなかっただろう。
     初めてのセックス、大成功である。
     一緒にシャワーを浴び、ルームサービスでワインを頼んだ。
    ソファに腰を下ろして、二人でテレビを観ながら、まったりとした時間を味わった。
    「ふるたか君は僕が初めての人でも良かったのかい?」
     彼は何気なくではあるが、どんな返しがきても
    対応できるような姿勢をとって言った。
    「あり君みたいな人が初めてで良かったよ。
    むしろ俺なんかとして良かったのかい?」
    「もちろんだとも、そんな卑下をしないでくれよ。
    君は自分で思っているより、よっぽど魅力的なんだからね」
     俺たちは同じベッドに入り、一晩を過ごした。

     あり君とは現在まで日程が合えば、デートをし、互いを愛し合っている。
     彼との馴れ初め思い出し、感慨深くなりながらも、明日も仕事のため、
    早めに床に就くことにした。

     一週間をなんとか乗り切り、約束の日になった。
    「久しぶり、元気してた?」
     彼は紺色のポロシャツにカーキ色のズボン、
    クルミ色のよく手入れのされた革靴といった出で立ちをしていた。
    洗練されたセンスだが、決して気取らず、とても清潔感にあふれていた。
    「なんだか普通の恰好で来ちゃって申し訳なくなるなぁ」
    俺はデートの度にそんなこと感じの小言をついつい漏らしてしまう。
    「ただ映画と食事に行くだけさ、僕はただ着たい服を着てくるだけであって、
    ふるたか君がそんなに気持ちになる必要はないよ」
     相変わらずフォローが上手だ。彼の会話能力には目を見張るものがある。
    「今日はなんの映画を観るんだっけ?」
    と俺は言った。

    「決まってるじゃん、今日は」
     「4番シアターにて魔理沙とアリスの自己矛盾☆が9時16分に
    上映されます」
     彼の言葉に重なるようにアナウンスがロビーに響いた。
    「そうだよこれこれ、あっやべ、チケット買ってないじゃん、急ごうか」
     俺たちはチケット売り場に急ぎ、小走りでシアターに向かった。
     クッキー☆本編がまさか映画化するなんて、
    一体誰が想像していただろうか。

    「いやぁ、やっぱり面白かったねー」
     ロビーで俺はコーヒー、彼はチュロスをかじりながら、
    映画の感想を言い合った。
     2020年2月15日、ニコニコ動画にて、ある一本のボイスドラマが
    公開された。「魔理沙とアリスの自己矛盾☆」
     公開当初から絶大な人気を誇り、クッキー☆界隈以外をも巻き込み、
    地上波で紹介されたことを皮切りに、日本で一大旋風を巻き起こしたのだ。
     そして、遂には映画化までされ、今年の流行語大賞は自己矛盾よ、
    が最も濃厚であると、真しやかに囁かれている。
    「まさかクッキー☆本編が公の場で観られるようになるなんて、世も末だね」
    とありくん。
    「多田野数人選手が日本社会のキーマンだったなんて、
    現実は小説よりも奇なりなんて、昔の人は見事に言い得ているよ」
    「これはもう自己責任の範疇ではない。専門家がいてもおかしくない位、
    興味深いし、淫ク☆の歴史だけで本が一冊書けそうだね」
     しばらくの間、彼とそうやって話していた。
     話をしていたら二人共腹が減ってきたため、
    映画館の近所にあった適当なファミレスで昼食をすまし、
    その日はそのまま解散をすることにした。
    楽しい一日で俺はとても満足した。

     電車に乗り、押し潰されそうに感じるほど、厚い雲に覆われた灰色の空を眺めながら、
    電車の揺れに身を任せていた。
     車両には一様に疲れ切った顔をした人ばかりであった。
    恐らく俺も似たような顔つきをしているだろう。
     映画館であり君と一緒にいた時にはあまり気にならなかったが、
    あそこにも、ここにる奴らと似たような面構えをしている人間はたくさんいた。
     子供に駄々をこねられ、年々つまらなくなっていく長寿アニメの映画を、
    高い金を払って寝に来た子連れの親。
     金になるからといった理由だけで、起用された二枚目の俳優目当てで、
    映画を観に来た女の連れの眼鏡をかけた冴えない男。
     時期公開の絶対に実写化しないほうがいいと、たまらなく感じるポスターを
    ボーっと眺める、娘を迎えに来た中年の女。
     俺はまだ考えるだけの力が残っているからいいが、
    彼らはなんだか、ミヒャエル・エンデ作「モモ」に登場してくる灰色の男たちに、
    時間を奪われてしまった哀れな市民にようにみえてならなかった。
     この車両に乗っている人もそんな風に感じる。
     だが、だからといってどうなるのだ。
    俺はただそのことに気付いたからといっても、この状況を打破する術なんて、
    持っている訳じゃない。むしろ、自分たちの心は擦り切れ、
    もうこれ以上絞り上げることはなんか出来ないという事実に対して、
    無知でいる彼らの方がまだ救いようがあるんじゃないかと考えてしまう。
     叫ぼうとしたが、止めた
    彼らは表面張力に頼り切った、並々と水が入ったガラスのコップのように、
    今にも溢れてしまいそうだからだ。
     叫びたいのは彼らもきっと同じなのだろう。
    俺だけがその忍耐を破るわけにはいかなかった。
     俺は細く長い溜息をし、さっき観た映画を思い出しながら、
    自分の哀れで、下等で、不可解な何の面白みもない人生の軌跡と、
    これからを想像し、目を閉じた。

     週末に彼とある計画を立てた。
    「本当にするの?」
     あり君は不安に満ち満ちた顔をして、訊いてきた。
    「これが俺たちに必要なことなんだよ、きっと」
     タクシーを拾い、山奥まで行ってくれと頼む。
    「山奥って、一体どこなんですか、お客さん?」
    タクシー運転手は困った様子で聞き返してくる。
    「人が滅多にこないような、そんな山奥だよ」
     運転手は数秒、何か考えるような素振りをし、
    バックミラー越しに、
    「まだ若いんですから、生きていたら何かいいことありますよ」
    と宣教師のような穏やかな声で諭してきた。
    「違う。自殺でも犯罪でもない、趣味のために行くんですよ」
    語気をやや強め言う。
    「二人でちょっとしたパーティーみたいなものをするんだ」
     あり君の迫真のフォローが光る。
    「趣味で人気のない山奥に…… 最近の若い人はよくわかりませんなぁ」
    納得はしたらしいが、困惑した表情のまま運転手はハンドルを切り始めた。
    揺らされること一時間弱、いい具合にうっそうとした場所にたどり着く。
    「この辺でいいよ、降ろしてくれ」
    運転手に金を払い、車を降りる。
    「帰りはどうされますか?」
     運転手は顔には出さないようにしているのだろうが、
    その顔には明らかに怯えのようなものが混じっている。
    やはり、さっきのこじつけには少し無理があったかもしれない。
    「また頼むよ、名刺をくれないか?」
     運転手の顔のこわばりは幾分か和らぎ、
    俺は名刺を受け取り、タクシーは山を下りて行った。
    「さて、少し歩こうか」
     数十分、ひび割れたコンクリートの道を歩き、
    その間俺たち一言も口を利かなかった。
     しばらくすると立ち入り禁止の立て札と標識ロープが
    入り口に張られた巨大な建物が見えてきた。
     赤褐色に錆び切ったトタン板の屋根には、苔に根を下ろした雑草が生い茂り、
    コンクリートで出来た壁は、所々鉄筋が剝き出しになっている。
     建物全体としては正面の長さが短く、奥行きがあり、
    あり君の背丈ほどある草が、我が物顔ではびこっていて、
    (まるでニコニコのノンケ向け動画のコメント欄みたいだ)
    廃墟らしい廃墟だと感じた。
     ロープをまたぎ、草を押し倒しながら二人でドアを探す。
    「あったよ」
     彼がみつけたドアは長い間雨風にさらされ、ボロボロなっていた。
    (まるでゲイポルノ男優とネット声優の名誉みたいだ)。
    「ギ―ッ」
     鍵は掛かっておらず、ドアは不快な音を立て、
    ネジが緩み切った蝶番は今にも外れそうになりながらも、
    その仕事を全うした。
     中は左右に小動物のケージのようなものと、何か物を受け取るような
    鉄の受け口も並行して、いくつかの部屋分けがされているらしく、
    さらに奥に続く扉まで、ズラッと続いている。
     入った瞬間、かなりパンチの効いた獣の匂いが鼻をついた。
    「養鶏場だね、かなり古い型のだ」
     ジロジロと周りの様子を眺めながら、あり君が呟いた。
    「荒れ具合から察するに、十年以上は放置された場所だろうね、ボロボロだ」
     俺はかつてここで、毎日卵を産ませられ、身動き一つとれず、
    日の光さえまとも浴びず、ひしめき合っていたであろう鶏たちを、
    愚図な左官屋が塗りたくったようなモルタル仕上げの床に
    染みついた鶏糞の匂いを嗅ぎながら想像した。
    「ここにしよう」
     彼も了承したらしく、いそいそと荷物を漁り始めた。
     俺たち先日、ある計画を立てた。それは……
     
     東方のコスプレをしてセックスする様子を
    撮影し、ネットにあげるというものだ。

     これは二人で話し合い、出した結論だ。
    なぜそんなことをしようとしていたかと思った理由は忘れてしまった。
    だが、これが俺たちには必要なことがということは、直感的に理解していた。
     俺はレミリア、かれはこいしのコスプレをし、お互いを見つめた。
    「似合ってるよ」
     彼は少し照れ、苦笑いをした。
    「くどいようで悪いけど、本当にするのかい?」
     キッと顔を引き締め、俺の目を見据える。
    「俺はしたい。君はしたくないのかい?」
     「公開セックスには昔から興味はあったんだよ。けどデジタルタトゥーが
    怖くて誰もしてくれなかったんだ。君もなんだか他の人と
    同じように途中で嫌がってしまうんじゃないかと…… 不安なんだ」
     暗い表情になり、自分の衣装を見つめながら、今にも消えりそうな声で呟く。
    「大丈夫、俺は君と同じくらいこの計画を全うしたいと思っているし、
    第一俺たちは愛し合ってるだろ?」
     ギザな表現だが、率直に自分の考えを伝える。
     下半身をさらし、愛を育む準備を終え、挿入を試みようと
    したその瞬間、
    「カラン! カラン!」
    と甲高い金属音が響き渡った。扉の奥からだ。
     コンドームを外し、ラブオイルをティッシュで拭き、衣装を整える。
    「誰かいる」
    あり君と声がそろう。セックスは一旦中止だ。
     扉の前まで音を殺して移動する。彼に目線で合図を出し、
    扉をゆっくりと開けた。
     ここの部屋と同じような造りの部屋の中央に、
    宇佐見蓮子とメリーのコスプレをした中年二人が、
    結合していた。

    「お二人も青姦をしに来たんですね」
     宇佐見蓮子のコスプレをした中年が穏やかな声で言う。
    「申し遅れました、私自己矛盾と申します」
    「自己矛盾さん?!」
     あり君は興奮した様子で聞き返す。
    (言うほどアンパンマンか……?)
    「その声は、もしかしてあり兄貴ですか?」
    「はい、そうです。でこっちがふるたか君です」
     親しく話す二人の様子を見ていて、俺の中に嫉妬の
    感情が湧き出てきた。
    「そちらのメリーのコスプレをしているお方は?」
    「不明です」
     その声の可憐さに少し驚き、しばらくその綺麗に整っている
    顔を舐めるようにジロジロと眺める。
    「不明兄貴とは時たまこうやって誰もいない廃墟のような場所で
    愛を育み、その様子を撮り、ネットにアップすることによって、
    新たな表現を模索しているんですよ」
    と彼は言った。
    「魔理沙とアリスの自己矛盾☆もそうやって思いついたんですか?」
    とあり君。
    「直接的ではありませんが、この活動がなければ、
    あの作品は出来得なかったと私自身は思っています」
    「ただの公開セックスであんなのが出来上がるもんなんですかね?」
     あり君はこの男が持っている魔物のような魅力に
    心を鷲掴みにされ、俺の下から去って行ってしまうのではないか、
    という懸念が湧きたって仕方がなく、つい語気を強めて言ってしまった。
     彼は俺の顔を覗き込み、十数秒の後、
    「ふるたか君はAVを観ますか?」
    という質問をしてきた。
     俺は一瞬、何のことだかさっぱりわからず、ポカンと間の抜けた顔をしながら、
    その質問の意図を汲むことが出来ないまま、
    「週に一回は」
    となんの考えもなしに、馬鹿正直に答える。
     彼は微笑み、頷く。
    「AVというのはただ濡れ場を撮ればよいというわけではなく、
    監督や演者、カメラマンの意図がなければ成立し得ないのです。
    本当にエロティシズムを求めている形相、それは映画監督や音楽家、
    小説家、俳優、そして淫ク☆投稿者の表現欲となんら変わりなく、
    決して軽んじてよいものではありません。
     私はAVに携わっている全ての方々に敬意を抱き、
    少しでもエロティシズムを表現しようと、この活動をしているのです。
    それはあらゆる表現に通づりますからね」
     女装をした中年が語るにはあまりにも金言であるため、
    俺は何とも言えない気分になった。
    それと同時にこの人物が生粋の表現者であり、あの映画を作れた理由も
    ほんの少しだが、理解できたような気がした。
    「そこでどうでしょう、私たちと一緒に撮影をしませんか?
    お二人の本来の目的もそれでしょうし、なにより人数は
    多い方が楽しいですよ」
     あり君と俺は目を合わせ、
    「やりますねぇ!」
    と即答する。断る理由なんて一切無かった。
     カメラの前にあり君と立ち、自己矛盾兄貴はカメラの設定をいじり、
    不明兄貴はその様子を上から覗き込むような形で眺めている。
    「顔は編集でモザイクをかけます。そちらの方が素人らしさが出て、
    エロいですからね。お好きですよね、素人?」
    「もちろん。嫌いじゃないし、好きですよ」
     この界隈にいるのだから何を今更。
     あり君は長年の夢が叶うということに、ワクワクしているようで、
    耳を赤らめ、息を荒くしている。
    「それでは始めましょう」
     自己矛盾兄貴が神託を下す神父のように言う。
    セッティングは済まされ、後は録画スイッチを押せば全てが始まる。
     録画開始ボタンが押され、カメラのレンズがある種の生き物
    (爬虫類や昆虫の複眼といった淡々と物事を映し出すだけ)
    の瞳のように感じられた。
     俺たちは絡みも入れず、これから行う一連の運動に期待を込め、
    厳かに挿入した。
    「ああ……」
    それと同時に二匹のネコがそれぞれ異なった声色で、
    甘ったるい吐息を吐き出しながら、鳴く。
     あり君は壁に手を付け、錆のひどい釘が打たれた木目を優しく撫でる。
    「ズッ…… ズッ……」
     自己矛盾兄貴の用意したラブオイルは俺たちが普段使うような
    安物ではもちろんなく、かなりの高級品であることが伺える滑り具合だった。
    そのおかげで俺たちはお互いの性器をより理解し合い、愛せることが出来ている。
    これからはそういった物にもっとお金を使うべきだと思った。
     隣のお二方は横目で見ていてもめちゃくちゃに興奮する位、
    獣のようなセックスを楽しんでいた。
     なるほど、慣れているな。それにしてもマジエロ。
    「そうですね」
     不明兄貴の声は誰もがマエリ―ベリー・ハーンの声と
    認識するらしいが、当の本人は自覚していない様子……。
     今、俺たちの目の前には壁があり、カメラに背を向けながら、
    事を成しているため、カメラには俺たちのケツが映っているのだろう。
    そして、その光景は未来永劫、電子の海を漂い続け、多くの人間の目に触れ、
    海馬に焼き印のように染みつくのだろう。
    あり君の人工的な色合いのウィッグが、
    ピストン運動と共に揺れる様子を見ながら、
    そんなことを考えていた。
     俺たちは体位を騎乗位に変え、セックスを続けた
    (さながらテキサスカウボーイだ)。
     自己ふめの方は正常位に変え、熱い熱いキスを交わし、
    唇が離れる時、いやらしく糸を引いている。
     彼の腰遣いは、コンマ一秒単位で計算されたかのような、
    美しい動きで、上等なポルノ映画を鑑賞しているかのようだった。
     自己矛盾兄貴は腰を振りながら、こちらの方を見据え、
    ほんの少しだけ頷く。
    「最高でも十五分程度が抜ける動画としての限度でしょう。
    それ以上は蛇足です。かと言ってカット編集で短くするのは
    非常に良くないです。素人らしさが失われてしまいますからね」
    事中に適当な合図をするので察して下さい、と付け加える。
    彼は撮影が始まる前にそんなことを俺たちに
    言って聞かせた。とどのつまり、このセックスはフィナーレを迎えよう
    としている訳だ。
     あり君の腰の速度が速まり、徐々に射精感が込み上げてくる。
    必死に腰を振る彼のその表情は、普段の彼からは想像もつかないほど、
    歪んでおり、この一瞬一瞬から得られる快楽を余さず頬張ろうという気概が、
    溢れ出ているであった。
     俺は試しに衣服越しに彼の乳首を両手でつまんでみる。
    「あっ、それダメ」
     絹糸のようにか細く呟いたその声は、
    ますます俺の白濁液の発射を煽るのだった。
    「ヤバいその締め付けヤバい」
     自己矛盾兄貴が心底たまらないといった具合に言う。
    「そうですね」
     お相手である不明兄貴はその様子をいやらしく口角を上げ、
    もだえる自己矛盾を眺めている。
     受けの攻めほど興奮するものはない。
     横目にその様子を見ていたが、俺の方も限界だ。
    あり君の小麦色にほどよく焼けた綺麗な手を握り締め、見つめ合う。
     俺たち四人はほぼ同時に果てた。
     撮影が終了し、俺たちは二人の車に相乗りさせてもらい、下山した。

     駅の近くにある二十四時間営業のドーナツショップに四人で入店する。
    もちろん、車の中で普通の恰好に着替えてから、町に繰り出している。
    おっさんの女装を大っぴらにするなんて、あまりにも公共の福祉に反している。
     いやホンマ。
     俺たちはしばらくクッキー☆について語り合い、楽しい時間を過ごした。
     夜も更け、客もまばらになってきた頃、彼は懇ろに訊ねてきた。
    「長年の夢が、それも尊敬している人と最愛の人といっしょに
    叶えられて、僕は大満足です」
     ホクホク顔であり君は答える。
    「俺も確かに普段よりも興奮しましたし、なにより楽しかったです。
    あの非日常的な時間は」
    「貴方たちはバーチャルでの表現だけでは飽き足らず、
    現実の世界でも表現をしたいと常日頃から考えていたん
    じゃないでしょうか? まあ、片割れの方は結構現実も
    ヤンチャされてらっしゃいますが」
    と言いながらあり君を見る。
    「そんな方々がまず最初に思いつくのは公開セックスですよ。
    最も原始的な自己表現を他者の目に触れるようにする、
    それはシンプルでありながら、大変力強い表現です」
     彼は一呼吸おき、俺たち二人の目を改めて見据える。
    「貴方たちは立派な表現者ですよ。ですよね不明兄貴?」
     不明兄貴はおじちゃんのものすごくつまらなくて、
    ありえないほど長い話に耐え切れず、うつらうつらとしていた。

    「またどこかでご縁があれば」
     眠たげの不明兄貴を肩で支えながら、別れ際にそんなことを言ってきた。
    「予感なのですが、意外と早くまた出会えるような気がしますよ」
    「是非ともそうなることを願っていますよ」
     あり君は屈託のない笑顔で言う。
     全員がそれぞれの帰路に就き、俺は一人きりになった。
     周りの景色を見渡し、あることに気が付く。
     何かがいつもと違うのだ。何かが。
    言語化が難しく、様々な例えを心の中で浮かび上がらせようと努力を
    払ってみるが、適切な例えは全く思いつかず、唯一それらしいと
    思ったものは、近所の家の屋根に新しい色のペンキが塗られるという例えだ。
    色の抜けた赤色から、太陽の光をよく反射する青色に塗られた屋根を見て、
    いつもの景色と微妙に違う、といったような感じだ。
     何時もよりも色が濃くみえ、何時もより匂いを強く嗅げ、
    何時もより音が鋭く聞こえた。
     ふと、あのタクシー運転手は俺たちが自殺をしているんじゃないかと、
    二人の人間の死を止められなかったことを
    後悔しているのではないかと思うと、申し訳ない気持ちになった。
     名刺に書かれている番号に電話をして、安否だけでも伝えようかと思い、
    名刺を探したが、どこかで落として(十中八九あの鶏舎のなかだ)
    しまったらしい。
     彼に存在しない罪の意識を持たせてしまったことを、
    俺は心の中で強く謝罪し、俺たち二人の架空の死を乗り越えられることを、
    強く、強く祈った。

     あれから一週間がたち、俺たちは青春十八切符を切り、
    海沿いを走る電車に揺られている。
     貯金を全て下ろし、携帯も解約し、生きるために必要な書類を
    トランクに全て詰め込み、旅に出かけたのだ。
     彼と共に順当に生きることも考えてみた。両親に紹介し、
    自分と彼との関係を理解してもらう。
     二人暮らしを始める時に不動産、大家、隣人、
    それぞれからの偏見の眼差しを受けながら話し合い、
    誤解を解くための努力をするが、大方、偏見の目は変わらず、
    腫れ物のように扱われる。
     貯金を貯め、ほどよい広さの家を郊外に買い、
    毎日ローン返済のため、仕事に向かう。
     たまの休日は部屋の掃除、日用品の買い出し、洗車、
    庭いじり、隣人との毒にも薬にもならない会話、
    クイズ番組の答えをいっしょに考える。
     こんなことを幸せだと思い込んでみるのも、
    案外幸せなのかもしれない。
     あり君が車窓を開けた。窓から吹き込んできた潮風で、
    彼の髪が大きくなびき始めた。
     俺たちの少ない持ち金では、最もオッズの低い一番人気の馬に、
    ちまちまと賭けて、得られるのは雀の涙ほどだ。
    俺たちが本当の幸せを勝ち取るためには、もう大穴を狙うしかない。
     電車が次の駅に着いたが、盆休みのこの時期の平日に、
    こんな辺ぴな場所にまで来る物好きはおらず、
     車両には俺とあり君以外誰もいなかった。
     電車が再び動き出し、俺は鞄の中から缶ビールを二本取り出し、
    あり君に渡して二人で吞み始めた。
    「どこで降りようか」
     あり君はビールを飲み終わった後、訊ねてきた。
    「どこで降りようか」
     俺は行き先も告げず、あり君を連れだした。しかし、
    彼もこの旅の意味を理解している。あの日、
    俺たちは気付いた。俺たちの持ち金の少なさに。
    「とりあえず終点まで行ってみるのはどうかな」
    そんなことを言ってみた。
    「いいね、そうしようか」
     彼は再び窓の外を眺め始めた。
     俺たちはこの先どうなるかは全くわからない。
     この先俺たちはさまざまな障害を乗り越えなくてはいけない。
    それは俺たちの想像の枠外から、大敗を喫しかけたボクサーの
    思いがけない逆転劇の布石として放たれるカウンターのように、
    俺たちに降りかかるのだ。
     だが、決して後悔はしない。俺たちはもう決して後悔はしない。
    公開セックスはするが後悔セックスはしない。
     缶ビールをもう一本開け、窓の外の大きな入道雲を見ながら、
    一気に煽る。
     一息つく、自分がどうしようもないほど、
    ワクワクしている事に気が付いた。これはただの躁なのかもしれない。
    だが、それでも良い。大勝負に挑んだギャンブラーが
    ルーレットの回し始めに味わう、あの血走った目で味わう感情でも、良い。
     俺は灰色になるのはごめんだ。
     大風が吹き込み、黒い髪が大きく揺れる。
     あり君をはまだあ海を眺めていた。
     今は終点に着くその時まで、少し休もうじゃないか。
     これから死地へと向かう戦士たちが、火を囲み、薪をくべながら、
    パチパチと弾ける音に耳澄ますように。
     俺は大きく息を吸い込み、あの日の事を思い出しながら、
    自分の哀れで、下等で、不可解な何の面白みもない人生の軌跡と、
    これからを想像し、目を閉じた。


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