jetだよの坂めぐりだよ1 赤坂編
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jetだよの坂めぐりだよ1 赤坂編

2014-06-17 21:18
    突然ですが私は坂が好きです。できれば名前が付いてると良いですね。
    そんな訳で都内を中心に坂めぐりをしていますが折角なので記録してみた。
    誰得な感じですが一応基本認識としてここでは「名前がある」ことを前提としています。
    名前を確認できる物として、コンビニ等で買える市販の地図又は公道に設置されている周辺案内図を使用しています。なので過去文献や専門地図は参照してません。趣味レベルとご理解ください。

    では以下、坂の写真と『由来や経緯』、個人的な感想を書いていきたいと思います。
    写真は基本的に坂の上→坂の下→標識の順です。

    赤坂通り

    最初に紹介するのはじゃない。ただの通りだ。
    この通りは赤坂駅と赤坂サカスがあるだけで「赤坂」という坂は無い。
    単純に土壌が赤くて坂が多いため地名として赤坂と呼ばれていたのだ。なので坂の固有名詞としては不適格
    こんな感じでザックリと紹介していきます。

    乃木坂

    乃木坂 由来乃木大将の殉死された大正元年九月以来幽霊坂が乃木坂と改名された』
    乃木坂46のおかげでかなり有名になった坂。赤坂通りに繋がっていて緩やかな坂だ。
    幽霊坂は幽霊が出た or 出そうなほど不気味な坂につけられる名前であるが、乃木希典の縁の地であるため改名された。

    丹後坂

    たんござか 元禄(一六八八~)初年に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。』
    もはや坂ではなく階段になっちゃった道。付近の武家屋敷が坂名になることはよくある。

    牛鳴坂

    うしなきざか 赤坂から青山へ抜ける厚木通で、路面が悪く車をひく牛が苦しんだために名づけられた。さいかち坂ともいう。』
    厚木通ってなんだろう?ちょっと調べても厚木市ばかりでよくわかりません。裏道とか近道という意味だと思います。
    今は勾配もほぼ無く誰も苦しまない軽やかな道になってます。

    弾正坂

    だんじょうざか 西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた。』
    この坂は青山通りに分断されていて、全体を直進できない坂です。
    ゆるやかで坂っぽくない坂です。

    薬研坂

    やげんざか 中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近住民の名で、何右衛門坂とも呼んだ。』
    なんでこんな凸凹な土地が栄えたのかと考えると夜もぐっすりです。というか何右衛門は何モンなんだ。すごい気になる。

    円通寺坂

    えんつうじざか 元禄八年(一六九五)に付近から坂上南側に移転した寺院の名称をとった。それ以前に同名の別寺があったともいう。』
    出ました!寺坂!寺はなぜか山や丘の上に建てられて参道がそのまま坂名になる事が多い。
    赤坂サカスの裏道になるのでタクシーが多い。

    新坂

    しんざか できた当時は新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く元禄十二年(一六九九)である。しんさかとも発音する。』
    この坂の西側は名前のついた坂が無く、東側は赤坂御用地へつづくため赤坂は東側から発展していったと思われる。全く関係ないが私が坂好きになった原因の坂である。

    三分坂

    さんぷんざか 急坂のため通る車賃を銀三分(さんぷん:百円余)増したためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説もある。さんぶでは四分の三両になるので誤り。』
    短い坂だが都内有数の急な坂だ。

    稲荷坂

    いなりざか 坂下北側に円通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上に江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう。』
    細長い坂で勾配も結構ある。周辺は民家で自転車を使用する人が多いためか◎ではなく赤砂の滑り止めになっている。

    転坂

    ころびざか 江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった』
    今は整備されて転ぶ人はほぼいないと思われる。下に記載してある本氷川坂のほうが多分転びやすい。

    氷川坂

    ひかわざか 八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当たる坂である。』
    スーーーッと伸びた緩やかな坂で車の通りも多い。工事をあって良い写真が取れなかったので後日補完したいッス。

    本氷川坂

    もとひかわざか 坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。』
    曲がりくねっているし隣にある氷川坂の使い勝手がいいため、あまり使われてなさそうな印象。

    南部坂

    なんぶざか 江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。』
    下に行くほど勾配がきつくなる坂だが特筆すべきは坂下の標識というか石碑である。ここまで立派なものは他に見たことがない。『昭和四十五年 十一月八日 永昌大道建立』と彫られている。
    Wikipediaに詳細があったりする→こちら

    檜坂

    ひのきざか 江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(旧防衛庁・檜町公園)に添う坂であった。』
    六本木ミッドタウン裏の公園に添う。写真ではよくわからないが結構急勾配。

    以上15本でした!
    一部欠けている所もありますが後日補完します。多分。
    坂の位置データはこちら
    ここまでご覧いただきありがとうございます!
    次があるかはわかりませんが次は六本木麻布周辺を予定してます。
    赤坂、麻布、六本木、渋谷近辺は坂の宝庫なのでまだまだ楽しめそう!!

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