裏・かぐや姫の物語
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裏・かぐや姫の物語

2018-07-04 15:18

     地方の閑静な住宅街。今ではきれいに治水整備された川を背に、その川がまだ人の手を加えられずに流れていた頃から通りすがる人々を見守っていただろう、いくつかの地蔵の列があった。

     比較的に新しい地蔵、風化して表情も読みにくい地蔵、かろうじてこけしのような形をとどめていて「これはお地蔵様です」という名札のように赤いよだれ掛けの掛けられた地蔵。

     それらの地蔵に並んでどう見ても地蔵とは言い難い、尻に潰された饅頭のような平べったいのっぺりとした石が、地蔵といっしょにひとつの社に祀られてた。

     この石、川の治水工事の際に他の地蔵とともに掘り出されたもので、なんの所縁もわからないがとにかく地蔵と一緒に出てきたのだから、とりあえず地蔵といっしょに祀っておこうと並べられたのであった。

     まったく。この場に最初に居座ったのはこのワシじゃ。となりの石こけしなんかは、通りすがるもんなんかがワシに手を合わせおるもんだから、どこぞの石工が後から掘って置いたもんだ。と、この潰れた饅頭のような石に意識があったのなら文句を言うかもしれない。

     意識があるならたずねたい。なんでこんなところに居座っているのか


     むかしむかしあるところに、芳川の月見じじいと呼ばれる翁がおりました。この翁、川で泥鰌や小魚、時には芳を刈って暮らしていたのですが、毎夜のこと月を見上げてながめていたことから辺りの住民からはそう呼ばれていました。

     この翁がいつからそうしているのかは誰も存知ません。ある童が親御に聞くと、その親御が子供のころには既に翁だったとも言われます。

     噂されるままには翁には月が人の女に見え、恋焦がれているのだとも言われていました。

    正気を失った哀れな者か、それとも仙人かもののけの類か。ある者は嘲笑い、ある者は怖れましたが、いずれにしても人畜無害な好々爺でしたので誰も余計に関わらずにほうって置かれていました。


     それは翁がまだ川でとれるもので生業を立てはじめて間もない、年を数えても十をいくつも過ぎない頃のことでした。

     その頃は泥鰌取りの泥丸と呼ばれていました。川辺のあばら屋を寝床としていましたが、その夜は雲もかすかな空に満月が照り輝き、提灯も要らないほどに明るうございましたので、泥丸は寝付けずに床を持て余していたそうです。

     そうしていると、満月も天頂を下り始めた丑の刻頃にございましょうか、にわかに月明かりが増したように思えたので、泥丸は何事かと外に出て夜空を見上げたそうです。するとどうしたことか、見上げた空には月とは別にもう一つ光り輝くものがあるのを泥丸は見たそうです。

     泥丸はまやかしかと思い目を手でこすったのですが、それでもそれはあいかわらず輝き、しかもどうやら地に向かって降っているようでした。その光が近くの竹林に吸い込まれるように落ちていくのを見届けると、思わずその竹林へ向かって駆け出していました。

     竹林を闇雲に突き進んでいくうちに、泥丸は次第に我にかえって悔いました。整然と並んだ竹林の奥深くに踏み入っては右も左もわかりません。

     自分がいまどこにいるのか、そもそもなんのために竹林に踏み入ったのかと途方にくれはじめました。

     せめてあの光がなんだったのか確かめたい、確かめないと帰るにも帰れないと思ってさまよっていると、竹林の枯れ葉の地面の一点がほのかに明るいのが見えました。

     まるでなにかがその下に、いや……さっきのあれに違いないと泥丸は信じて、駆け寄って枯れ葉をかき分けました。

     すると、確かに光る何かが枯れ葉の下に埋まっているようでした。しかしそれは昼のお天道様のようにあまりにも眩しくて直に見ることができません。なので泥丸は手探りでその形を確かめました。地面から生えかけた筍の先っぽのような手触りだったようです。

     これはいったいどういうことなのかと目をつぶったまままさぐっていると、それが動きました。驚いて目を開くとそこには、黄金色に輝いてさえいなければちょうど食べごろの程の大きさの筍がありました。

     しかしそんな大きさであったのも束の間のことです、黄金に輝く筍は天を突き抜け月まで届かんとばかりに伸びてあっという間に竹になるではございませんか。

     泥丸はあまりのできごとに腰を抜かし、あたふたと竹が伸びきる前に逃げ出しました。

     竹藪の奥深くから抜けた腰でどのようにしてあばら家まで帰ったのか、そのことは泥丸の記憶も定かではないそうです。目がさめて気がつくと泥丸は寝床のあばら屋にいて、日の高い頃でした。

     夢であったかとも思ったそうですが、手や足の擦り傷や身体に付いた竹の葉は少なくとも昨晩に自分が竹林をさまよい歩いたのは夢ではないと悟ったそうです。


     しばらくしてある泥丸はある噂を耳にしました。聞くには、まるで筍のように早く育つ娘がいるという不思議な話です。その娘、半年ほど前に竹取の翁が竹林で拾った赤子であると。

     それを聞いた泥丸はすぐにあの夢か現か定かではないあの晩のことを思い出しました。あの晩以来、満月の度に思い出していました泥丸のことです、次の満月は六度目だと数えていました。

     川で取った泥鰌や小魚を売り歩く際、泥丸は噂の娘を目にしました。目が眩むほどに美しく、あの晩の筍と重なったようです。

     竹取の翁は泥丸の泥鰌をよく買うようになりました。筍の娘が泥鰌の汁が好物になってよく食べるのだと竹取の翁は言うのです。代わりに泥丸は翁から筍と一緒に炊き込んだ飯の握りをもらいました。歯ごたえのある筍に泥鰌の出汁が染み込んでいてとても美味しかったそうです。

     筍の娘は川で泥鰌を取る泥丸を見かけると手を振り、翁に代わって泥鰌を買いにくることもありました。

     筍があれよと言う間に竹へと成るように。筍のようだと言われた不思議な娘もまた、数年と経たぬうちに年頃のような姿と成長しました。

     竹取であった翁と媼は娘を連れて都へと居を移しました。娘には高貴な家へと嫁ぐのが相応しいと考えてのことだと翁は考えてのことだったそうです。

     それからまた、泥丸は娘を見かけなくなったこと、翁が泥鰌を買いに来なくなったことを寂しみ、月を見るたびにあの筍のことを思い出しました。


     ある日、泥丸は辺りを治める長に呼ばれました。

     何事かと長の屋敷に出向いてみると、都からの遣いの者が泥丸にたずねたいことがあるとのことでした。そのこととは、以前にこの辺りに住んでいた竹取の翁に泥鰌を売っていたことがるかとのことでした。

     いかにもと泥丸は応えたそうです。泥丸の応えにうなずくと、遣いの者はにべもなく頷きその日に捕れた泥鰌を買い取ると泥丸が見たこともない銭を差し出して帰りました。

     泥丸が訝しんでその銭を見るそばで、長は目を丸くしていました。長は言うにはその銭はそれひとつで米俵ひとつは買えるほど価値があるものだとのことでした。

     そんな価値のあるものは自分には手に余ると言って、泥丸は長にその銭を預けました。

     都から遣いは度々、長の屋敷に泥鰌を買い付けに参り、泥丸は屋敷に泥鰌を届けました。長の屋敷は立派な白壁になり、やがては倉まで建ったそうです。

     

     いつものように泥鰌を買い付けに参った遣いの前に、泥丸は大きな水瓶を背負って表れ、生きたままの泥鰌を届けに自ら運ぶと申し出ました。

     こんな郷までわざわざ遣いを出して自分の泥鰌を買い付けるのはあの筍の娘に違いないと泥丸は疑わなかったそうです。

     遣いの者が馬に乗って都へ帰る道を、泥丸は重い瓶を背負って付き従いました。

     都に着き、あるお屋敷の炊事場に近いところでしょうか、長い塀の正門ではない小さな門の前まできて、ここまででよいと遣いに言われて泥丸は瓶を下ろしました。

     遣いが門番に声を掛けると下女が数人がかりで瓶を塀の中へと運び入れました。泥丸は下女の顔をよく見ようとしましたが、その中にあの筍の娘がいようはずありません。

     月明かりのない新月の夜を見上げ、天の川をたどるようにして泥丸は郷へと帰ったそうです。


     それからも都から泥丸へ泥鰌の買い付けは続いたそうですが、それもしばらくしてそれもぴたりと止まりました。

     ある満月の晩、いつものように泥丸が見上げていると、またあの光が今度から地から天へと昇り月へと向かって行くのが見えたことがありました。

     都からの泥鰌の買い付けがなくなったのはそれを境にしてのことだったそうです。


     それから何十、何百と、ともすると千にも届くかも知れぬほどに泥丸は満月が夜空を廻るのを臨みました。

     もはや翁と成った泥丸はそれを数えるのも忘れて、毎夜のことただ月を拝んだそうです。

     泥丸は月を拝みながらこう思いました。この先、千年万年と月を臨んでいたい。もしもこの身が亀ならば、千年でも万年でもこうして月を臨んでいられるのではないかと。


     川辺の里の住人たちはふと気が付きました、近頃あの月見じじいが姿を見ないと。

     しかし身寄りのない老いぼれのこと、月に見惚れてとうとう川に流されたか、どこかで野垂れ死にしたかと多少は心配したが、亡骸が見つかるでもないのできっとどこかに行ってしまったのだろうと、思い出して寂しく思う人こそいても悲しむものはいませんでした。

     しかしながら姿を消した月見じじいに代わるかのように、大きなスッポンが夜な夜な川辺で月を見上げる姿が見られるようになったので、やっぱりあのじじいは仙人であのスッポンに化けたんだなどと言うものもいました。


     それから満月が何千万回と廻った後、川辺のかつて泥丸が月を見上げていた場所には平べったい大きなスッポンのような石が鎮座していた。辺りには泥丸のことは、百年月を臨んでスッポンとなり、万年月を臨んで石となった仙人の話として今に伝えられています。

     付け加えましては、この言い伝えを知ってか知らずか、当世ではあまりにも有様が違うものを見比べると人々はこう言うのです「まるで月とスッポンだ」と。


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