生きてきた年数や、経験、環境からくる、基準。
誰しも自分のなかに、自分だけのルールブックがなんとなーくあるたとえば単純なことでいうと、食べ物に対して。これは美味しいとか、これは食べられない、とか。服だったら、このタイプの服は自分に似合う、似合わない、とか。
もっと大きなことでいうと、人生の選択についてとか、物事の捉え方や見方。こういうことが得意だから、こっちの道を選択しよう、みたいな。
誰しも自分のなかに、自分だけのルールブックがなんとなーくあるわけじゃん。
ざっくりとしているけれど、その「基準」となる杭から半径何メートル以内が「許容範囲」で、それを越えることをみんな怖れていて、一歩踏み出すにはかなりの勇気がいる。
昔はよかった、とかよくいうけど、そこから「動けない」人にはなりたくないのね。
never young beachが歌う曲のなかに、「『昔はよかったよ』だなんて よかったことないね」って歌詞があるもちろん、よかったこともたくさんあるよ、きっと。
大好きなnever young beachが歌う曲のなかに、「『昔はよかったよ』だなんて よかったことないね」って歌詞があるんだけど、感動した、はじめて聴いたとき。
まだ私にとって自分の「昔」は昔ってほど昔じゃないし、昔話をするその誰かさんのいた時代に生きたこともない。想像するしかない、ぼんやりとしか浮かばないその「昔」を基準にしてしまったら、「今」は生きられないじゃん。その「昔」はもう二度とないんだから。
私はまだ、昔と今を比べる基準というものができていない。
作らないようにしているのか、飽き性で自由奔放(良い言い方すぎ?)だから作れないのか、わからないけれど。
そもそも基準なんて、これから何年も先に作っていけたらいいものだと思う。たくさん仕事していっぱい恋愛して、失敗してたまに成功して。基準を設けて、それにずっと従って歩めば良い結果が生まれるとは限らないし。
とかいいつつ、自分がもっと大人になったとき、若者に「昔はこうだった、あぁだった」って言うんだろうな(笑)。
そのときは言ってやりたいね、基準なんか忘れろ、いまもじゅうぶんおもしろいぞって。
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