「うるせえな、夢の内容なんか信じられっかよ」

もはや投げやりになっている。普段なら夢だとわかったタイミングで目覚めることができるのに、今回は何度やってもうまくいかない。

喋るネコが、説教めいた口調で話しかけてくるのだ。

「そう言われましても、あなたが『信じる』と言うまで、私は消えることができないのですよ」

ほとほと困った表情をつくり、嘆くようにネコは言う。

嘆きたいのはどう考えてもこっちだった。

「いいですか。このネクタイを首に巻くと、あなたは運命の人と再会できるのです。信じてみてください。どうせ夢の中のネコの戯れ言なのですから、うまくいけば儲けものじゃないですか」

ネコは、俺が折れるまで本当に消えそうになかった。

「いいよ、わかった。本心は別にして、とにかく『信じる』って言えばいいんだろ? わかった。信じる。信じるよ」
「おお、ありがとうございます! では、きっとこのネクタイが、あなたの運命の人との再会を導くはずです。応援していますよ」

その台詞を聞くとスッと体が軽くなり、ようやく目が覚めた。

手の上には、真っ黒なネクタイが頼りなく置かれていた。


――そんなことがあったとする。この世界に、ひとつだけ恋を手助けする未来のテクノロジーが存在したとする。それを貴方が手にしたら、どんな恋をするだろう。

この連載では、ライター・カツセマサヒコが、ひたすらありもしない「もしも」を考えていく。

Chapter 1 「『運命の人』なんて、俺にはいない」

もう35歳である。結婚なんてしないほうがよっぽど自由で気楽であることは、離婚していった友人たちが身をもって教えてくれた。

気ままに遊んで暮らしたほうが圧倒的にしあわせだとわかっている。

そんな俺に「運命の人」なんているとは思えないし、いたとしたって、いまさら俺の人生には関係ない。

そう思ってはいたものの、あのネコの発言のとおり、起きたら手元にネクタイがあったことには少し戸惑った。

そして、僅かながら気分が高揚したのも事実で、俺にとっての「運命の人」は誰なのかを、少し考えてみたりもした。

「いつまでたっても、子どもだねー」

そのセリフを言われたのはたしか、会社を衝動的に辞めたその足で海へ行った25歳の夏だった。

一緒にいた女は21歳かそこらで、社会のしがらみなんてこれっぽっちも経験したことのない、眩さと危うさを持ち合わせている人だった。

そんな女から「子どもだ」と言われたことに腹を立てたフリをしたが、本心では、悪い気分はしなかった。

あいつはいつだって無遠慮で、生意気で、それをルックスと若さでまるっとカバーしたような女だったのだ。いまだって思い返せるのは、白のワンピースの裾を波で濡らしてはしゃぐ、あの笑顔だけだ。

「アイツでは、ねーだろうなあ」

アイロンをかけるほどの気力はない。よれたシャツに袖を通して、ネクタイを首に巻きつけ、ジャケットを羽織る。どこに向かうべきかもわからないが、とりあえず家を出た。

Chapter 2「こんなとこで、なにしてんの?」

別にネクタイが体を引っ張ってくれるわけではない。だがなんとなく、進む方向を導かれていく感覚がある。

頭のなかで直接ナビが響くイメージで、道を進み、電車を乗り継ぎ、行ったことのない埠頭に降り立った。

波は穏やかで、船着き場には大きなタンカーが停まっていた。

時折、海鳥の鳴き声がするがまわりに人気はなく、さびれた雰囲気の埠頭にただ静かな時間が流れている。

沈みかけた夕日が高層ビルに反射し、直視できないほどの光が解放されていた。

誰も、いねーじゃん。

頭のなかのナビはたしかにここを目的地にしていたようで、到着してからはまったく誘導する気配がない。

どういう仕組みかわからなかったが、自分でもここがゴール地点であることは腑に落ちていたため、とりあえずタバコをふかして誰かが来るまで待ってみることにした。

「え、もしかして」

4本目のタバコを捨てたところで、声をかけられた。

やっぱりあのネコに騙されたかと思い、諦めかけたタイミングだったため、驚いてライターを落としてしまう。

10年前の会社を辞めたあの日、年上の俺に向かって「子ども」だと言ったあの女が、目の前に立っていた。

「おお...ひさしぶり」
「すごい。こんなとこで、何してんの?」
「え、何してるって...散歩だよ」
「散歩? こんなところまで?」

なんとも形容しがたい空気が流れた。

クスクスと笑うその顔は10年の時を経て少し老けたように見えるが、それがまた別の魅力を生んでいた。ただ、それ以上に目がいってしまうのは、その右手をしっかりと掴んでいる小さな左手の存在だった。

「...子ども?」
「うん、もう3歳だよーって」

なんだよ。「運命の人」じゃなかったのかよ。

危うく出かかった言葉を、慌てて飲みこむ。

女とは似ても似つかない顔をした子どもは、神経が通っているのが不思議なくらい小さな指をゆっくりと2本立てると、恐る恐るこちらを見つめながら「2歳」と言った。

「そうか、2歳か。おじさんはもう35歳だよ」

覗きこむように顔を見ながらそう言うと、母親となった彼女は笑いながら言った。

「あははは。そっかー、もう35かあ」

彼女は28の年に、飲み会で出会った同い年の男と結婚していた。

出会ったころは特定の男なんてつくらずに遊び呆けていたアイツが、まさかきちんと母親になっているとは思わなかった。

「あのとき行った海、たのしかったな。あんな日、あれから一度もなかった」

陽が落ち切った海と夜景を見つめながら、女はそう呟く。

「そうか? あんなの、いつだって同じことができるだろ」
「違うよ。あのとき、あの年齢で、あの関係で、あの白いワンピースだったからこそ、あんなにキラキラしてたんだよ。もうあんな服、着れないよ」

少し寂しそうに笑った彼女を見て、わかった。

「運命の人」だからと言って、必ず結ばれるわけではないのだ。あのとき、あのタイミングで別の行動を取っていれば、この女は自分のものになっていたかもしれないが、それはもしもの話であり、現実ではすれ違ったり、思い違いがあったりして、「運命の人」を過去の人にしてしまうことがあるのだと。

バカヤロウ。そうならそうと先に言え。あのバカネコ、次に出てきたらタダじゃおかねえぞ。

「俺、そろそろ行くわ」
「ん、わかった」
「元気でな。子ども、大事にしろよ」
「そっちこそ、いい奥さん見つけなね」
「うるせーよ。じゃあな」

タンカーが大きく出発の音を鳴らす。最後の一本のタバコに火を付けると、大きく煙を吸いこんで、吐きだした。


――「運命論は、結果論」とわかってはいるんですけど、それでも「この人はきっと、運命の人だったんだろうな」と思える相手がいるのが、人生ではないかと思うことがあります。

約束していないのにやたらと遭遇したり、電波がなくても探し出せたり、連絡してみたら全く同じタイミングで向こうも送っていたり。

そういう些細なところから運命を感じてしまうものの、でも結果、そこから一緒になることはなく離れていってしまう。

そういう恋はきっと生涯忘れられないものになるだろうし、無理に忘れる必要もなく、ただ胸の奥にしまっておけばいいのかなと、最近は思っています。

写真/Shutterstock,PIXTA 文/カツセマサヒコ



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