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保毛尾田保毛男は今日も生きている、多分あなたの隣で
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保毛尾田保毛男は今日も生きている、多分あなたの隣で

2017-10-12 06:00
    彼女と出かけるときは、手をつなぐか腕を組んで歩く。

    人ゴミのなかはもちろん、その辺を適当にぶらぶらするとき、スーパーで買い物をするときも、体のどこかは触れ合っている。

    道を歩いててキスしたくなったらキスするし、そのあと誰かにものすごい顔で見られていてもあんまり気にしない。
    カフェに入ってソファ席があったら隣に座っちゃうね。だって正面より隣のほうが距離が近いから。
    女性と女性が手をつないだりキスをしているのが珍しい人も、世のなかにはまだまだたくさんいる。人それぞれ、見えている世界が違う。

    
どちらかの手を相手に預けてコーヒーを飲んだりパンをかじったりする休日の朝が最高に好きだし、それは私にとってはただ当たり前の、ごく普通の人生の一場面。
    ある日の休日の朝、ただそれだけ。

    いま、私は2017年の日本に生きていて、幸いにも面と向かった「同性愛差別」に遭遇したことがない。
    友人や知人は多様性に理解があって、温かく祝福してくれている。決して「話してはいけないこと」のように私と私のパートナーのことを扱ったりはしない。
    自分のことも、愛する人のことも隠さずありのまま生きていられることが、本当にしあわせだと思う。
    でも、もし私が30年早く生まれていたら、こんな「異性愛者には当たり前のしあわせ」は享受できなかったかもしれない。

    私が道端で彼女とキスしようが手をつなごうがカフェでイチャつきながらコーヒーを飲もうが、誰かに罵声を浴びせられたり石を投げられたりしないのは、私より先に生まれた人たちが声をあげ表に出てくれていたからだ。

    私たちはここに存在しているし、毎日飯を食って普通に生きている、ただそれだけ。
    何も特別なことはなく、ただいわゆるLGBTやマイノリティがどんな存在か、どんな風に生きているか広く知られていないことで不便がある。
    だから、私たちがただ「生きて」「ここにいて」「暮らしている」ということを知ってほしい。

    フジテレビ「とんねるずのみなさんのおかげでした」という番組のなかで、タレントの石橋貴明氏が同性愛者のキャラクター、保毛尾田保毛男(ほもおだ・ほもお)を演じた。

    そして、それがネットを中心に「同性愛者を笑い者にしていて、差別的だ」と批判の声が上がり、炎上している。

    これはもはや「LGBT」の問題じゃないと私は思っている。
    人の心のなかにある無意識のマウンティングや、カテゴリーで序列をつけたい気持ちの表れではないだろうか。

    いま世のなかで、もしくはあなたの心のなかで、


    「こういう人はバカにしてもいい」

    「こういう人は笑ってもいい」

    「見下してもいい」
    
「嘲笑に値する」

    「卑下されて当然」

    と思う特徴、性別、見た目、を持ち合わせている人がいたとする。

    でも、 その人だって日々をただ生きてるし、家族もいる。
恋人やパートナーがいるかもしれない。

    
ご飯を食べて美味しいと思ったり、辛いことがあって泣いたり、笑ったり、バカにされて悲しくなったり、それで自ら死を選んだり、やっぱり思いとどまったりしているかもしれない。

    映画を見て感動したり、公園に行って寝転んだり、お酒を飲んだり仕事をしたり、ひとりきりで寂しい思いをしたりしているかもしれない。


    
ほかの人の、ただごく普通の人生に、石を投げつける権利を一体この世のなかの誰が持ち合わせているのか。

    人と違うことを理由にマイノリティをバカにしたり、嘲笑するための材料にしたり、好奇心を満たすための燃料にしないでほしい。

    冗談だなんて思えない、傷ついたことを否定されることや、それをまわりが笑っているのを見ることがどれだけ辛いか。
ずっと心に本当の気持ちをしまい続けることが、どれだけ苦しいか。

    日本では、声高に怒っていることを伝えることや、やめてくれ! と声を上げることがみっともないと思われたりする。大人じゃない、冷静であれとたしなめられたりする。
    けれど、「バカにしないで」と声をあげたとき、ネタにマジレスすんなよ、と言われても困ってしまう。
    それをネタ、冗談と捉えられるかどうかは、揶揄された側が決めることだ。
    黙ったままでいたら、何も変わらない。声を上げることはただ怒りを伝えるためだけでなく、前向きな変化のための第一歩だと思う。

    ほんの少し想像してくれたらいいなあと思う。誰かの人生のごく普通の一場面を。

    顔をしかめてしまうことがあるかもしれない、心のなかで悪口を言ってしまうかもしれない。気持ち悪いとか、バカみたいとか、口に出さずに思ってしまっても仕方ない。それはあなたの心のなかのことだから。
    だけどそれを理由に誰かの尊厳を傷つけてもいいことにはならない。
    たとえ、それがあなたの自尊心を回復させるためだったとしても。

    どのような見た目、性別、性的指向、その他もろもろ人をカテゴライズする何かがあろうとも、休日の朝をカフェでゆっくりとひとりで過ごしたり、恋人と手をつなぎながら朝食を食べたり、家族でのんびり過ごす権利も自由もあるはずです。
ないはずがない。

    バカにされたり笑われたり他人から卑下されていい人なんて、この世にはひとりもいない。

    そのなかにはもちろん、あなた自身も含まれている。

    他人を卑下することのないように、自分のことも卑下したりせず、当たり前に愛してほしい。
    この世界に生きるすべての人が、自らを愛し愛されるべき尊い存在なのだから。

    写真/Shutterstock



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