「今年もありがとう。来年もよろしく」
この使い古された言葉を1年の最後に大切な人たちに伝えられることが、ほっとしてうれしいの。
派手な年越しイベントや旅行より、これからもこの恒例を続けていきたいと思ってる。
刺激的なことと、変わらない安定的なものって、どちらも大切でどちらかひとつには絞れない。
でもSNSが主流になり情報であふれ、日々目まぐるしく世のなかが変わっていることを目の当たりにしているから、変わらない安定的ものへのありがたみや安心感をより強く感じるんだと思う。
「いいね!」は、大人が思っている以上に大切なことなのかもしれないよね先日ね、たまたま隣に座った若い女の子が自分の写真の加工を始めたの。
みるみるうちに写真が変わっていきこんなに変わるのか! と、もはや関心するレベルでうまかった(笑)。(何のアプリを使っているのか聞けばよかった)
年齢は多分22歳くらいかな。デジタルネイティヴ世代だよね。
物心ついて電話を意識し始めたときには携帯があり、はじめての携帯はきっとiPhone。
インターネットで検索するのは当たり前で、「いいね!」の存在は早い子なら、TwitterやFacebookを通して思春期で触れているはず。
そんなデジタルネイティヴ世代の子たちからしたら、「いいね!」ってどんな存在なんだろう。
一心不乱に写真を加工し投稿してもらう「いいね!」は、もはや私たち大人が思っている以上に大切なことなのかもしれないよね。
SNSのフォロワーが少ないだけでイジメられるなんて話も聞いたことがある。
SNSで別人を装って、みんなに認めてもらうことで自尊心を保っている子もいるかもしれない。
そんな風に考えたら、写真の加工やネット人格の使い分け(別アカってやつ?)を頭ごなしに悪いとは言えない世のなかになってきた。
「SNSは虚構だ」という一部の事実を目の当たりにした瞬間だったけど、同時に「それがどうした」とも思った瞬間だった。
インターネットが普及して、SNSが当たり前になったいま、SNSは人と自分を比べるものではなく、「こんな人もいるんだ」と自分のせまい世界を広げるツールなんだと感じたの。
デジタルネイティヴ世代の人たちの感覚を聞いてみたいそれと同時に、これってデジタルリテラシーが低い41歳のわたしが感じたことでしかないと思って、デジタルネイティヴ世代の子たちはどう感じているかを知りたくなった!
みんなが「いろんな人がいる」ということを認め受け入れくれる、寛容な世界ならいいんだけど、現実はまだそんなことなくて。
加工した自分に「いいね!」してくれる人が、SNS上と実物との違いに気づいた途端に離れていく可能性があるということも想定内なのかな?
離れていくだけならまだいいけど、敵となって返ってくる可能性もあるよね。
昨日まで自分を好きだと言っていた人が今日は誹謗中傷の言葉を投げてくる悲しい現実もあると思うの。
それをどう思っているのか。
チャンスがあればデジタルネイティヴ世代の人たちの感覚を聞いてみたいな。
ふたりごとスピンオフ企画してくれないかな?(「#ふたりごと」ご担当者さま、よろしくお願いします)
ひーちゃんはデジタルネイティヴ世代についてどう思う?
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