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「こうでなければいけない」という先入観はもう古臭いって皆気づいてる #オカマと映画とマイノリティ
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「こうでなければいけない」という先入観はもう古臭いって皆気づいてる #オカマと映画とマイノリティ

2017-12-14 14:00
    マイノリティ──。

    「社会的少数派」の意。「社会的弱者」として言い換えられることもある。

    当連載では、自身もマイノリティの立場であるライター・おつねが、マイノリティを描く映画を通して、見解を語っていきます。

    ルーム』(2016年日本公開)

    5歳の男の子・ジャックは、母親・ジョイと一緒にある「部屋」で暮らしている。その「部屋」の入り口は閉じられていて、「部屋」のなかにあるものがジャックの知っているすべてだった。ジャックはジョイ以外の人間をひとりだけ知っていた。ジャックが寝ているときに、食料と日用品を渡しにやってくるニック老人である。7年前、ニック老人は19歳のジョイを自宅の裏庭の「部屋」に監禁した。それから2年後、妊娠してしまったジョイはジャックを出産したのだった。ある日、ニック老人との口論をきっかけに、ジョイはジャックとともに部屋から脱出することを決心する──。

    ポスターがとっても素敵で、なんとなく見に行った『ルーム』。

    じつはアカデミー賞にノミネートされるくらいすごい映画だったのは、あとで知ったこと。

    映画館でこの映画を観て、自然と涙が止まらなかった。ボロボロ号泣する感じじゃなくて、ほろほろと梅雨の雨みたいに止まらない。そんな感じ。

    自分に素直な生きかたができる人は少ないと思う

    本作において、母親であるジョイはふたつの顔を持ち、その間で葛藤しているように見えた。

    「お母さんとして息子を守らなければならない自分」と「7年間の監禁生活から早く解放されたい自分」。

    どっちも息子のジャックのことをもちろん考えているけど、すべてをジャックに注いでいるか、ジャックと同時に自分のことも考えているかの二択。

    これってきっと自分ごとに置き換えるのなら、「社会的にこうでなければならない外向けの自分」と「自由に自分らしく、ただただ素直に生きていきたい本音の自分」なんじゃないかなって見ていて思った。

    そして、ジョイの姿に、なんとなく自分の姿を重ねてしまって泣いちゃったんだと思う。

    ジョイはまだまだ若いひとりの女性なのに、「部屋」での生活のすべてを自分ではなく、ジャックに注いでいた。「部屋」という、ふたりと、時々ひとりだけの小さな小さな世界のなかで、彼女は母親であり続けた。

    これは彼女のなか、いや、人間的生活を送っている人ならおそらくみんなが持っている、「こうでなければならない」という先入観がそうさせているのかなって思った。

    私はいま、自分に素直に生きることを選択して、それを許してもらえる世界で生きていられているけど、きっとそういう生きかたをできる人は少ないと思う。

    どんなに心が「こういう自分になりたい!」と思っていても、どんなに頭では「まわりはそんな自分を受け入れてくれるはず!」とわかっていても、「こうでなければならない」という先入観が自分を制圧して、どんどんどんどん外向けの自分としての殻を厚くしていっちゃうんだろうな。

    「男でなければいけない」

    「女でなければいけない」

    「人に嫌われないようにしなければいけない」

    「コミュ力の高い人にならなければいけない」

    きっとこんな先入観というか、一種の強迫観念というか、昔からそびえ立つ高い壁はもう古臭い概念なんだってことは、なんとなくみんな気づいてる。

    気づいているのに、その壁を壊せないから苦しんでいるんだろうなって、いろいろな人の相談にのっていて強く思う。

    本当の自分として生きることはゴールじゃなくて、スタートだから

    みんなに気づいてほしいのは、この壁を乗り越えることがゴールじゃないんだよってこと。

    作中でも描かれているけど、「部屋」から解放されて、外の世界で生きることができるようになったジャックとジョイを待っていたのは、暖かいベッドでぬくぬくと寝て、きれいな草原を走り回る生活じゃなくて、多くの野次馬やマスコミたちに追われる毎日だった。

    どんな生活をしていたのか、どんな気持ちだったのか、これからは何がしたいかそんな当たり前のことを毎日質問されて、疲れていく日々が描かれている。

    これはとってもリアルで、私自身も自分に素直に生きるようになったあたりから、いろいろな人から同じような質問をされるようなことが増えた。

    「いつからそうなの?」

    「女の子になりたいの?」

    「これからどうなりたいの?」

    いつも同じようなことばかりを聞かれて疲れることもあるけど、同時にようやく自分らしく生きて、本当の自分を知ってもらうためのスタートラインに立てたような気もした。

    作中でも、自分たちの止まっていた7年間が急に動き出した親子の苦痛や困惑と、それでもこれからはなんでもやれる、前に進んでいくという静かな闘志をしっかりと感じることができて、自分のスタートラインと重ねて見ちゃった。

    もう1回言うけど、自分の殻を破ること、本当の自分として生きることはゴールじゃなくて、スタートだから、怖がっても大丈夫、勇気を出して一歩踏み出してみてほしい。

    そしたらきっと世界が少しずつ広くなっていくはず。

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