チャールズ・ダーウィン(1809 - 1882)


スピリチュアリズム・ムーヴメントが最も大きな盛り上りを見せた1870年代。

死後の人間の霊が存在することを証明しようとしたミディアムたちの活躍は、ごく普通の一般の人だけでなく、多くの科学者たちにもアピールするものでした。

ミディアムたちが引き起こしている交霊会での様々な現象は本物なのか? それは霊の存在を証明するものなのか? こうした問題に対して、科学者の中にはスピリチュアリズムの単なる信奉者としてではなく、客観的な実験によって検証しようとする人たちもいました。



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■スピリチュアルズムが科学者たちに与えたインパクト

本コラムでも以前に紹介したロバート・ヘアウィリアム・クルックスヨハン・カール・フリドリッヒ・ツェルナーなどは、ミディアムと共に交霊会の実験を行い、少なくともそこで起こっている現象は、インチキではなく本物であるとの確信を持った科学者でした。

なかでもウィリアム・クルックスによって行われた1860年代最高のミディアム、ダニエル・ダングラス・との一連の実験は、スピリチュアリズムを嫌っていた科学者たちにすら、大きなインパクトを与えるものでした。

あのクルックスまでが、肯定的な実験結果を見出したということは、そこにはなにかあるのかもしれない......。19世紀、最も革命的な生物学思想である「進化論」の提唱者チャールズ・ダーウィンもそう考えた1人でした。

今回は、チャールズ・ダーウィンを中心とする1870年代の知的エリートたちが、スピリチュアリズムへどのように反応したのかを、ダーウィン家で実際に行われた交霊会を通して紹介してみたいと思います。


■科学者仲間がスピリチュアリズムに傾倒

チャールズ・ダーウィン晩年の肖像

1874年(日付不明)のレディ・ダービー宛ての手紙の中で、チャールズ・ダーウィンは次のように書いています。

「もしわたしがその記事を読んだ後に、あなたがここに立ち寄ったなら、あなたは非常に当惑した男を発見したことでしょう。わたしはクルックス氏の述べていることを信じないわけにはいかないけれども、彼の結果を信じることもできません

[Charles Darwin, More Letters of Charles Darwin Volume II (Middlesex, Echo Library, 2006), p. 691.]

本人が述べているように、クルックスの実験結果は、明らかにダーウィンを当惑させるものでした。しかしながら、ダーウィンがさらに不安を感じていたのは、ここ数年の間に彼の身近な人々の間にも、スピリチュアリズムの影響が及んできていた事実でした。

まずは自然淘汰による進化論という共通の学説で歩調を合わせていたはずのアルフレッド・ラッセル・ウォレスは、すでに1860年代の後半からどっぷりとスピリチュアリズムへとはまっていました。ウォレスは1869年の4月18日のダーウィンへの手紙の中で、彼がスピリチュアリズムへ確信を深めていきつつあることを次のように書いています。

「人間に関するわたしの『非科学的』な意見に関して、あなたがどう感じていらっしゃるかは非常に良く分かります。なぜなら数年前ならば、わたし自身もそれらをばかげていて話にならないものと思っていたでしょう。
〔中略〕
この主題についてのわたしの意見は、一連の驚くべき物理的、及び精神的現象の熟考によって、もっぱら修正されました。わたしはそれらを完璧にテストするあらゆる機会を持ってきました。そして、それらは科学によって未だ認識されていない力や影響力の存在を実証するものでした

わたしはあなたがそれをなんらかの精神の幻覚のようなものとして考えるのではないかと思っています。けれども、何年もの間、この主題を完全に調査してきたロバート・チェンバーズ、有名な生理学者であるバーミンガムのノリス博士、有名な電気技師であるC・F・バーリーとの個人的なやり取りから、わたしはあなたに断言します。

調査から導かれた事実やその主要な推論の両方において、彼らがわたしと同意していることを

[James Marchant, Alfred Russel Wallcae: Letters and Reminiscences, volume 1 (London, New York, Toronto and Melbourne: Cassell and Company, Ltd., 1916), pp. 243-244.]


■身近な人々のすすめでついにダーウィン自身も交霊会へ

さらにダーウィンの妻の兄で語源学者のヘンスリー・ウェッジウッドはウォレスと共に交霊会に参加し、ハクスビーという男性ミディアムが出現させた「アブドラ(Abdullah)」と名乗る東インド人の霊のマテリアリゼーションを目撃し、やはりスピリチュアリズムへと傾いていました。

また、ダーウィンの半いとこであり、アフリカの探検や遺伝学に関する著作で知られるフランシス・ゴルトンも、いくつかの交霊会に参加した挙句、そこにトリックが見つけられなかったことを何度もダーウィンへの手紙で報告しています。

たとえば、クルックスの家で行われたケイト・フォックスの実験にも参加したゴルトンは、1872年3月28日のダーウィンへの手紙の中で次のように感想をもらしています。

「今のところわたしが言えるのは、その結果に完全に当惑していること、そしてそれらを疑う気持ちにとてもなれないということです 」

さらに、同年の4月12日にクルックスの家で行われたダニエル・ダングラス・ホームとの実験で、定番のアコーディオンの演奏の「素晴らしく甘美」な調べに耳を傾けた後のゴルトンが書いたダーウィンへの手紙では、さらに確信を増した口調となっています。

ゴルトンいわく、ケイト・フォックスとホームの実験に挑むクルックスの態度は「完全に明らかに開放的」であり、「その手続きは最初から最後まで科学的」であり、そこで起こったことは「俗悪なごまかし」などではなかった。さらにゴルトンはダーウィンの交霊会への参加を促すように「わたしはできると確信していますが、わたしたち2人だけでホームと一緒に1ダースほどの交霊会を確保できるならば」とも述べています 。[Karl Pearson, The Life, Letters and Labours of Francis Galton, Volume II(Cambridge: Cambridge University Press, 1924), p. 63]

こうしたごく親しい知人たちのスピリチュアリズム擁護の動きを背景として、ついに1874年1月16日、ダーウィン自身も交霊会へと参加することになります

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(伊泉龍一)

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