第1回目は、「現代の魔法使い」として活躍中の落合陽一さん。2015年11月に発売された著書『魔法の世紀』が話題です。今回は書籍のなかで印象に残った「美意識の変化」をキーワードに「かわいい」の未来についてうかがってみました。
落合陽一(@ochyai)
1987年生まれ。メディアアーティスト、研究者。筑波大学図書館情報メディア系助教 デジタルネイチャー研究室主宰。筑波大でメディア芸術を学んだ後、東京大学を短縮終了(飛び級)して博士号を取得。総務省より異能vationに選ばれた。2015年World Technology AwardのIT Hardware部門を受賞。同部門、日本人個人としては青色発光ダイオードでノーベル賞受賞の中村修二以来二人目。
決められた美意識から自由になってきた
編集部:著書『魔法の世紀』のなかで気になったのが、美意識の変化についてなのですが、今起きている美意識の変化を具体的にどう感じていますか?
落合(以下敬称略):この間テレビ番組でローラと一緒になったときがあって。彼女のInstagramとかはとても象徴的なんですけど。SNSってSNSのキャラクターがあるじゃないですか。つまり、SNSにキャラクター(文脈)があるってことを把握していないと、美しくないんですよね。ローラのInstagarmは、SNS上の自分のキャラクターを理解してるうえで、230万人以上フォロワーがいる。それって、その文脈においておしゃれっぽくするために何をすべきかをちゃんとわっているな、ってことだと思うんですよ。
編集部:おしゃれっぽい、みたいな感覚はなんとなくわかります。
落合:そもそもInstagramって、昔iPhoneの画素数が低くて画像の写りも悪かったときに、どうやって工夫できるかってなってそこでトイカメラみたいなフィルターかけた文化だと思うんだけど、今ってわざわざフィルターかけなくてもきれいな写真は撮れるわけじゃないですか。だから、逆に言うとInstagramはおしゃれな人をどう集めるかがブランディングになってきてると思うんですよね。
編集部:きれいな写真そのものよりも、世界観の出し方に人気が関係してくるということですね。
落合:そうなってきたときに「魔法の世紀」の大きなテーマの「人間はコンテンツ消費ではなくコミュニケーション消費にになる」っていうのがあるんですけど。これは「人はそれぞれ何をやってもいい。なぜなら、コンピュータがそれを支えているからだ」っていうことで。典型的なのが、SNSとかバイラルメディア。つまり、個人個人に合ったメディアが少数規模で複数あっていい、ということ。印刷部数とか発行部数とか関係なくて、編集部は道楽者の数だけいればいい、と。
編集部:もう美意識やセンスが人の数だけあふれてきちゃう感じですか?
落合:そうですね。そして、個人の美意識やセンスが何によってアップデートされるのうかっていうと、自分がハマるメディアを探し求めるところと、そのメディアに自分が影響してフィットしていくところがすごい重要なんじゃないかな、と思うんですよ。SNSならコミュニケーションもできるし、バイラルメディアはいいね!やシェアできるし。
編集部:これまでは、一方的に与えられてきた美意識がこれからは自分で探して合わせていく時代になるっていう。
落合:つまり、昔はCanCamが全体の方向性を決めていくようなメディアならCanCamしか美的価値がなかったような、ひとつひとつのメディアの発言力が強かった時代があったけど、今はCanCam以外にもかわいい女の子は存在するじゃないですか。それぐらい我々は美意識から自由になってきているし、かつコミュニケーションもとれるようになった。これって、オリジナルの価値が相対的に上がってきているってこと。で、オリジナルな人とまったくオリジナルじゃない人がものすごい別れてくる。量産型の人と量産型じゃない人と。しかも、量産型でいることでコミュニケーション消費ができるから、量産型でいることもラクになってきてる。個性がない、とかは問題にならない時代。
編集部:人と同じであることも、違うこともコミュニケーション消費につながるって考えると、何でもアリの時代が本当にきたって感じがしますね。
落合:紋切り型は紋切り型で価値があるし、オリジナルな人は、それはそれで価値がある。そういう特殊な価値観になってきてる。例えば、昔は同じ服着てったら「かぶった!」って恥ずかしかったのに、今はすぐ一緒に写真に撮ってSNSにあげたり。これってペアルルックをいじれるから楽しい。ハロウィンだって、5つ子みたいな人たちたくさんいるじゃないですか。これって、洋服がコミュニケーション消費としての道具になってるっていうことなんですよ。だから、逆にコンテンツとしての服は他人と同じものは欲しくない。それでいうと、何の話題にもならない服が一番つまらないっていう。
編集部:コミュニケーション消費って、具体的にどういうことでしょう?
落合:コンテンツ消費の時代はコンテンツ消費に対比的な言葉です。たとえば20世紀はマスメディア・映像の時代と捉えることができて、21世紀・コンピュータによる魔法の世紀はそれとは異なったコミュニケーション消費の時代なんですよ、簡単にまとめますね。
もともとコミュニケーション消費の時代ってもとは19世紀の頃の話で。昔は全体的に不便な時代だったから、洗濯しながら井戸端会議をしていた。それが20世紀になって、洗濯機が発明されてあらゆるものがオートメーション化されて、余暇をコンテンツで楽しむようになって。そして現代は、全体的に便利になって、コンテンツすら過剰になって飽きてきた。そうなると、コミュニケーションくらいしかやることがなくなってきちゃったっていうのがいまの時代。モノでもコンテンツでもない時代です。
自分だけのファンタジーの世界を作ればいい
編集部: モノでもコンテンツでもなくて、オリジナルでも量産型でもよくて。もう価値観っていう言葉の意味すらいらないんじゃないか、って思えてきます。落合さんの言うファンタジーの世界は何でもアリな世界ってことですか?
落合:ファンタジーの世界って、みんなで共有できるファンタジーではなくて、一人ひとりがファンタジーのなかに生きてる、ということ。魔法の世紀って本来ディストピア的な意味で、ぜんぜんいい時代じゃない。人間は退化してるってことだから。嗅覚とか足の裏の皮の硬さとか、石器時代に比べたら失ってるものはたくさんあるでしょ。でも、退化してるから不幸なのではなく、人間はきっとしあわせにはなってるとは思う。しかも、もうインターネット以前に戻る可能性も少なくて。
編集部:たしかに、便利になってある程度しあわせだけど、社会全体でのしあわせ感は少ないような気もします。
落合:そうなってくるとファンタジーって極めてキーワードなんですけど。昔はみんなで共通のファンタジーを抱くことはできた。例えば、松田聖子のレコードが100万枚売れた、とかみたいなことが起きていたんだけど、いまは共通のファンタジーを描くことができなくなっちゃった。だから個人でファンタジーを見つけるしかない。全体でとかみんなでみたいな方向ではないよね。
編集部:個々で好きなモノが一致するときはあるけど、好きなモノがすべて一緒の人ってたしかにいないでかも。
落合:これはコンピュータの全体的利便性が助長しているんですけど。つまり、美意識とかファンタジーが画一的に与えられていた時代から、いまは個別の美意識になって、全体美意識が存在しなくなっちゃった。そして、残ったのは個別の問題だけ。で、本の中でもめっちゃほめてるんですけど、唯一、ファンタジーを現実にどう実装するかを本気で考えている企業がディズニーだと思っているんですよね。だって、スター・ウォーズの版権もいまはディズニーじゃないですか。
編集部:日本でいうとファンタジー感あるのってディズニー以外にもありますか?
落合:セカイノオワリもめっちゃファンタジーで。この間のLIVEでお手伝いしたんですけど、Zeppを洋館に改装したんですよ。あきらかにワケのわからない設備になった。で、そういうファンタジー感ってこれからすごい重要だなって思ってる。ディズニーのファンタジー感が、どんどん現実に実装されていくっていう。これは、個別の美意識に則したちっちゃなディズニーランドがいっぱいできていくイメージ。大きなディズニーランドには決してならないけどね。
編集部:ディズニーランドがいっぱい!
落合:ディズニーって本当すごくて。ディズニーのヴィジョンステイトメントって「この世の中に魔法を実現すること」っていうくらい言っちゃってるんですよ。でもこれってあながち間違ってなくて。個別のファンタジーをこの現実に還元していくってことで、ディズニーは徹底的にやってるなって感じます。これって、よりよい生活を、とか言ってる企業より断然グッとくるんですよ。だって、何よりも人間の内的性に関わってくるからって。
これからの「かわいい」は自分で決める
編集部:物質的なことではなく、人間の内的性に関わってくる?
落合:昔は不便だったから、より便利なものをとか、病気を治すことが大事だったんだけど、全体が便利になってくると金持ちの興味はもうヘルスケアのことばっかり。つまり、人間は便利になると生きる肉になっちゃうだけ。もう主体的に生きられなくなっていく。自分の物語がなくなっていくっていうこと。だから、個人が依拠できるような自分のファンタジーをどう現実に実装するかが、本当に重要になってくる。これからの生き方においては、これ超重要!
編集部:自分のファンタジーが現実になったら、楽しいばっかりですね。
落合:もうコンテンツを買ってもしょうがないから、消費するのはコミュニケーションに移ってきている。そして、いわゆるマスなコンテンツがどんどん消失していってるから、ちっちゃいディズニーランドだらけになっていく。「かわいい」も同じ。自分の好きなInstagramの世界を見ていれば、自分のかわいい世界で生きていける。で、人は個別の世界なら課金するから、産業はまわるっていうこと。2015年の1月1日のモンストの課金が55億円いったとか、そういうことでしょ。そうなると、マスメディアはどんどん厳しくなっていくよね。だから、メディアは分割してWEBメディアにしていけばいいと思うんだよね。ディズニーだって、ミッキーマウスだけじゃなくて、エルサもいる。で、多種多様な価値観をエレクトリカルパレードにぶち込んでるっていう。
編集部:かわいいだけじゃなくて、あらゆる美意識やセンスがもう個人に依るっていう世界ですね。
落合:かわいいは、もっと細分化されていって、個人毎に変わっていく。だから、一般的にかわいいっていう人のInstagramをフォローする理由なんてほぼゼロ。しかも、細分化されたかわいいをかわいいって思う男子もいるわけだから。もちろん出会いも存在するよね。だから、一般的なかわいいとか、本当に意味ないですよね。
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落合さんによると、もう「かわいい」は、自分の主観で決める時代がきている、ということ。誰かに依拠した「かわいい」ではなく、自分の感じた「かわいい」をもっと信じて突き進んでいっていいのです。それが、かわいいの未来!
「かわいい」の未来についてのインタビュー。落合さんのお話は予想をはるかに超えて、日本人の女性観やテクノロジーとの付き合い方の話にまで広がっていきました。その内容は、近日【後編】として公開予定。お楽しみに!
撮影/玉木知哉 取材・文/篠田慶子
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