いじめによる自殺を考える
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いじめによる自殺を考える

2013-08-16 18:35

    難しい問題でございますけどな。

    すこし傾けて72度の角度から考えると、どうも、問題の根本というやつは、いわゆる「社会が悪い」に至言するような気もいたします。

    長らへば
    またこのごろや
    しのばれむ
    憂しとみし世も
    いまは恋しき

    なんて申しましてな、少し時間がたってからこの瞬間の気持ちを思い出してみれば、懐かしく思うんだろうな、くるしいと思っていたあの頃だって、いまにして思えば恋しいほどなのだから、みたいなね。

    そもそも、自殺の心理というやつは「長らえよう」という気持ちがないわけでございますな。むしろ「こんな日々が長らえるくらいだったら自分で死んでやる」というのが自殺でありますからねえ。
    また、そういう気持ちになっても「長らえ」ている人はいるでしょう。まあ、軽口をたたけば「自殺する勇気に至らなかった」ということでもありますが、同時に「生きる苦しみに耐える勇気を持ちえた」とも言えますわな。

    と、いうことは、です。
    「生きる苦しみに耐える勇気」さえあればいいわけでございましょう。「自殺する勇気」を持ちつつあるならば、それにすり替えるのは、そこまで難しいものごとでございましょうか。

    実は難しい。
    難しくしておりますのは「生きながらえても良いことなんかなにもない」をサブリミナル的に経験してしまっているからでございますし、同時に、この社会に、この将来に、希望や期待、高揚感といったものが持てない青少年が増えているからではございませんでしょうか。

    長らえたら懐かしく思い出せばいいのさ、と、楽観的に思えるのは、将来に何らかの希望があることが前提のような気がするのであります。微かな希望ですら、生きる苦しみに耐える勇気になったりするのをあっしは何度か目にしたことがございますし、身に覚えのあるかたもいらっしゃると思うのです。

    見渡す限り、優越感にひたる人間ばかりのなかに埋没して、誰が作ったともしれぬ価値観を押し付けられ、身近な大人たちは責任転化と自己愛にあふれ、とても自分は生きて行けそうもないと知ったときに、ひとはタナトスという希望をみつけ、その充足をはかる。

    つまるところ、社会が、彼または彼女に「死」以外の希望を与えなかったということにございますな。

    まあ、閉鎖社会であるところの学校であれば、生きるための希望などはすぐに奪われます。
    集団所属の欲求を断たれたとき、が、もっとも顕著かと思われますけれど。要は、仲間はずれでございますな。

    この仲間はずれ、というヤツも「自分は所属している」という自意識を高めるための犠牲の儀式なのではございますけれど。他者との線引きを熱心にやりたがる心理でございましょう。
    「自分は属している」という優越感をひけらかし、属さざるものを嘲笑するという、日本的な村八分政策に似通ったものがございますけれど、これを、いじめられる側にたつと、劣等感を助長させるものになる、という。

    いやはや、おかしなことでございましょ?
    他者との線引きを明確にしたいのであれば、もっとも属していない人間が、もっとも線を明確に引けている、ということになるはずなのに。

    「人間はひとりでは生きられない」
    とかいう教育がまずいんではございませんかねえ……。いや、集団所属の欲求は、教育でできあがるというよりも否応なしな欲求のような部分もありますけれど、別にぼっちだって生きられることは昨今のさまざまな人々が証明しているようにも思えます。
    だいたい、もっとも個性的に=自由に生きるには、集団に所属することは弊害になりがちなことも少なくない。まあ、所属することでできることが増えるというのも確かですけど。

    ひとりで生きて、何か問題でも?
    老後の心配?
    どうせ産まれおちるのはひとりずつ、死ぬときもひとりずつ。
    生きている間なんて、そのオマケのようなもの。
    人生なんて、死ぬまでの暇つぶし。

    なぜ、集団のなかで生きろ、と、人はいうのか。
    まあ、集団ができると経済が動く、まっしぐらに同じ価値観で行動させれば、ウハウハできる人間が少数いる、ということでございましょう。
    そして、死ぬときは、多くの人に見守られながら死ねる。

    いやはや、あっしはとことん友人に頼んだことがありますけれど「死んだら死体は犬に食わせてやってくれ」と。まあ、日本の法律じゃ無理なんですけどね。

    必ずしも、死の瞬間に多くのひとに送られるのが幸せな人生とも限らぬものと思われますぞ。


    どうせ人生なんて暇つぶしだ、と思ったら、暇つぶしを効率的にできるように生きればいい。自分が一番面白いとおもえること、情熱的になれること、我を忘れるくらい夢中になれること。

    クソな社会をぶっ壊す価値観を提示してみたり、自分で集団を作ったり、恋してみたり愛してみたり、何かをつくってみたり、そうこうしているうちに、死は勝手に訪れる。自分がやりたかったことにいま一歩およばずして、死がやってくる。




    やりたいことが死ぬことだけだなんて、アンパンマンマーチでも歌ってなさい。


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