崇める布の教団2~宗教の儀式・行事
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崇める布の教団2~宗教の儀式・行事

2013-08-26 20:00

    【儀式】
    1、冠婚葬祭
    ・そめの儀(離乳食を祝う儀式)
    ・くりやの儀(満13歳を祝う儀式)
    ・かむりの儀(満18歳を祝う儀式)
    ・ふくろの儀(婚姻を祝う儀式)
    ・くさりの儀(修道専願を祝う儀式)
    ・ひかるの儀(満60歳を祝う儀式)
    ・すましの儀(とむらいの儀式)

    2、日常祈祷
    ・宵拝
    ・浴拝

    3、年中儀式
    ・年祭(1月)
    ・嘗祭(2月)
    ・やまいり祭(3月)
    ・あやべ祭り(4月)
    ・ちんこん祭(5月)
    ・萌え葉の祭り(6月)
    ・奉祭(7月)
    ・不眠祈祷祭(8月)
    ・絶食祈祷祭(9月)
    ・煮祭(10月)
    ・演舞祭(11月)
    ・星祭り(12月)

    【信仰装飾】
    1、白き衣
       導師は左肩から垂らす長い白布。
       信徒はえりを白とすれば足りる。
       外衣のみならず、内着も可とする。
       ただし、全身に白をまとうことを禁止する。
    2、星の印
       三円ベン図、五芒星、六芒星、八芒星、九芒星、十二芒星、二十一芒星。
       素材は問わず。
    3、特殊事象。
       ①青き衣
         導師は白布の上に重ねる青帯。
         なお特定の儀式の際、行者が、作業着として青ツナギ、青の飛行着を用いる。
       ②赤の冠、赤の下衣
         演舞祭、星祭りに儀式進行者が着用。
         そめの儀、くりやの儀、かむりの儀、ひかるの儀に儀式を受ける者が着用。
         
    【第四教義】
    「旅人よ、苦しみのいやはてに白の衣をまとうべし。
     知恵は聖域の鳥居をぬけしより、汝が身体にやどれり。」(原経典)

    (釈)教団の信徒を「旅人」として叙述する部分である。
    聖域とは「閃」を先頭に、「努」を通り、「愉」をすぎた先にある神の住処とされる。聖域の鳥居とは、外典によれば「愉」の守るM字型のアーチであり、白い衣をまとった旅人は、最終的にそのアーチから湧き出す知恵がもたらされる。
    人間の出産に関する逆述でもあり、M字アーチを抜けでた赤子が、すでに聖域の知恵を持っていることをも象徴している。

    【第五教義】
    「巡る星たちへささやきを捧げよ。
     閃なるかな、閃なるかな。
     長き旅に、閃なるを抱きては、
     努なるかな、努なるかな。」(原経典)

    (釈)教団の儀式事項の根拠である。
    まず「巡る」は、旅人つまり信徒に、演舞と参拝巡礼を勧めているものである。
    「星」は、星祭りや宵拝、不眠祈祷祭の根拠とされ、装飾の星の印もこれがもとである。
    「ささやきを捧げ」るのは、孤独な神への配慮で、そのささやきは、6月に葉が萌えるように静かに行うこととされる。またこの「ささやき」によって、言葉を用いることを重要視することから、あやべの祭りとなる。
    あやべの祭りは、学問の入り口に立つものを喜ぶ祝いであり、その部分から、「閃」は学問を司る性質も持つ。
    旅は夜に行うものであり、星は、その旅の道しるべである。それを継続させようとする「努」は、人生という旅の守護を司る性質ももち、特に冠婚葬祭に影響を与えている。

    【第六教義】
    「世は毒蟲がごとし、杖もちて、山に目をあぐ。
     食むは実、煮るは根、飲むは沈。
     二柱を拝す山姥の勧めにあいて沐浴せば、
     努はもたらされり。」(原経典)

    (釈)教団の儀式事項の根拠である。
    日々、あくせくと生活する世の中を毒虫と喩えて、旅人が山を目指そうとしている。
    「杖」は巡礼とそれによる成長の象徴である。「努」の持ち物である「子種袋」との関わりから、この「杖」を男性性器、「山」を女性性、特に乳房の象徴としてとらえることもできるが、曲解を含むため疑問視されている。
    一行目によって、やまいり祭の根拠となる。やまいり祭は「星の形の菓子(閃)」「貝類のすまし汁(努)」「層をもった餅菓子(愉)」を食す祭りであり、二行目ともあいまって「努」は食物を司っている。
    「やまいり」は「山に入る」のほか、「山で炒る」、「病に至る」の義をもち、これらから薬事の意味をももっている。
    「煮るは根、飲むは沈」によって、ちんこん祭と煮祭、すましの儀に多大な影響をおよぼし、「食むは実」によって絶食祈祷祭、嘗祭もここに根拠がある。
    毒虫のでる夜の旅であるから、暗鬱の旅であって、この暗さをはらうため医食同源から、弁別的には「実」はチョコレート、「根」はウコン、「沈」はコーヒーのことであると解釈されている。
    嘗祭に「実」を贈りあう風習、宵拝に「沈」を喫する風習などはこれを根拠にする。
    ただし、煮祭にふるまわれる食は「カレー」「肉じゃが」「豚汁」などを指し、「根」がウコンだけを意味するとは言えず、根菜、きのこ類への傾倒が大きいと考えられている。
    ちんこん祭にいたっては「根」、「沈」とも、ウコン、コーヒーを意味してはおらず、むしろ「実」だけを象徴する「柏もち」「草団子」「ちまき」へと姿を変えている。同時にこれらは「努」の「子種袋」の象徴をも含んでいると解される。
    絶食祈祷祭においての「実」の役割は特に象徴的であり、「月見団子」あるいは「秋の果実」を夜に捧げるものとなる。また、その祭りの翌月に子どもに対し「実」ならびに「子種袋」の象徴となる丸い菓子を子どもにさずける不眠祈祷祭は、神から人間へ、人間から人へとリレーされる知恵の象徴である。ケモノの段階を脱するための人間と人との知恵比べであり、未開部族の長老が精液を未成人の顔に与える長生や霊験の儀式と同じ意義をもっている。



    ※編集後記
    お読み頂きありがとうございます。
    さて、宗教法人には「儀式・行事」がなくてはなりません。日本では風習として「祭り」を催したり、「講」をひらいたり、というのが通例です。
    こうした「儀式・行事」といいますのは、特定の集団員を集め、決起させ、結束させるものごとでございます。「祀り」が氏子や親族を集めるもっとも原始的な「祭り」でありますが、祈願や豊作でも、人が集まることが力なのでございますな。
    そして、集団があつまれば、その集団の統制をとるために「政り」となっていきましょう。集団の感情がもっとも昂ぶるとき、それは哀悼でも熱気でもいいのですが、そうした感情があるときに、団結しよう、団結できる、となるために「政治」の「政」も「まつり」と読むのでございます。

    さて、「儀式・行事」は、こうして現世の集団員の縁を結ぶものであると同時に、神仏との縁を結ぼうとするものでもございます。「お神酒」という日本文化がございますが、これはまず神前にそなえ、次に集団が呑みまわす。神と集団とが酒を酌み交わすという図式でございますな。キリスト教でも似たような部分がありますね。

    飲み食いと神との絆といいますのは、これからも食べていけますようにという人間の将来を案じる部分でもございます。

    さて、そこで、神話を構成しますときには、このようになります。

    ①先に文化がある
    ②後付で超越的存在がその文化にどう関わるか(もしくは神がそれを作ったこと)を叙述する。

    バレンタインやひな祭りなど、もはや形骸化して意味も分からぬような文化になってしまっているものを、無理やりこじつけてやるわけでございますね。このあたりは象徴的な食文化でもありますから、割と繋ぎやすいのでございます。動物である人間は、食べずには生きられないわけで、人間を生かそうとしている超越的存在が、なんとかしようとした、で説明できます。
    先に文化があるところにひょっこり超越的存在を紛れ込ませることによって、もともとそういう行動をしている集団を丸々と信者に迎える準備もできてしまうのです。

    は……っ! 「奪ってはならない」「騙してはならない」に反してるっ!!

    とまあ、いろいろと「ひっかけ問題」のような部分が出てくるので、そのあたりにも着目していただくと面白いかもしれません。





    ……つづく。
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