占いに対する態度で人間の器がみえるか
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

占いに対する態度で人間の器がみえるか

2013-10-18 22:52
  • 1

最近もっぱら私の研究テーマのひとつになってございますのが、人のマユツバモノに対する態度、でございまして。

宗教的物事の寛容さ、儀式的行為への傾倒、オカルトをどのように生活に取り入れるか、といいます指針によりまして、人生の豊かさなんぞを考えていたりするわけでございます。

まあ、世代による偏りは社会学的な統計によっても、あるいは文学現象類型によっても、おそらく推定が可能かと思うのでございますね。

ちょっと単純にやりますと
・サザエさん世代…家族的つながりを重視するため、葬式仏教や重厚な易学に重きがある
・ドラえもん世代…物質主義が強化されるため、科学への信仰が顕著、反動で霊能がはやる
・エヴァンゲリオン世代…物質と精神の境界線が重視され、新興宗教が幅を広げる
・ワンピース世代(?)…比喩的神話、寓話を通して他者との絆を深めることを主軸におきやすくなる
といったところでございましょうか。

はてさて。
もっと個別な感じに考えてまいりまして、さらに、あっしが占い師でもございますので。

古来から占い師と道化師というのは、権力者の側にいるものにございます。

これはなぜかと申せば、権力者というのは、
1、人間の世をなんとか、自分にとって都合のよいようにしたい
2、あまり他者に弱みを見せられないため、相談できる人がとぼしい
3、迷いが生じたときに、いわゆる運命的な力を味方につけて決断したい
というような作用がございましょう。

まあ、こういう時代の占い師は、外せば首が飛びますでね。
あっしも占いは命がけでやりたいもんだとかうそぶくわけでございますけれど。

一方で、占い師側が権力者に寄り添わねばならなかったのは、生産的活動をできなかったか、したくなかったか、そういった感じでありましょうか。
生産的活動なんざぁ、学力のないやつにやらせとけよ、的な。現代病理にも通ずるものがございますが、大雑把な歴史認識をすれば、飢えのない時代がくれば、

働かないでもなんとかなる

文化的なものごとにパトロンがつく

文化的なものごとを生業にできる文化人発生

(学問、精神、芸術、などなど、サブカルチャーだったものが一部メインカルチャーになる)

というようなことが起こりうるわけでございましてね。
このとき、占い師なんてものは、権力者にとっても都合がいいわけでございますから、ちょいちょい豊かな時代になるたびに、権力者に寄生していくことになるわけでございます。

と、こう見てまいりますと、現代でも、いやはや、あっしのお客様に限って、なのかしれませんが、

「占いを真っ向否定する人間は、大物にはならない」
という傾向が顕著に思えます。

ま、もっとも
「占いに心酔・妄信してしまう人間は、人間としてあやうい」
ともいえます。

なにが言いたいかといえば
「占いを『利用する方法を見極めた』人間は、かなり成功しやすい」

あたりまえの話ですけどね。

一個ずつ解釈いたしますと、

『占いを真っ向否定する人間』
自分の本性があばかれるのが怖い、自分の運命は自分でつくりだすものと知っている、自分の幸せを腐されたくない、現状満足。
と、言い張る人が多いわけでございますが、小心の傾向や、他者に自分の評価を委ねたくない、という心理が働いてございましょうね。
猜疑心の強さ、遊び心の希薄さ。
自分をさらけ出したくない、だまされたくない、という心理的な余裕のなさゆえに、まあ、その人生に占いは実質的に必要がありませんです。
大成功もしませんが、大失敗もあまりしないですね。
もっとも、悪い占い師やらオカルティズムにはまって搾取されたために「真っ向否定」という人は、高い授業料をすでに支払っていることになりますが。
プロファイルすると、順調に出世しやすく、学歴やら実績やらを誇張する傾向、プライドが高い傾向、評論家気質があると考えられます。

『占いに心酔・妄信する人間』
生きるために生きましょう……、と、いってあげたくなりますな。
本当に占いが必要なのか?という、自己への問いかけなしに、あれもこれもとにかく不安で、些細なことでも、とりあえず占わなければ落ち着かない。
一部の占い師にとっては思う壺、うまうまな鴨ではございますけれど。
誰かの言うがままに運命、あるいは人生を構築するとして、確かに楽チンな生き方にはなるかもしれませんよ?
将来的になにがあって、どういう行動をとればいいか、おおむね分かっているという自信のもとに
「占い師に言われたとおりにしてよかった」
という結果になれば、ハマってしまうのはよくわかる。
ええ、まあね、その心理はよくわかりますけれど、
「占い師にいわれたとおりにしないでよかった」
ということもありえたわけでありましょう。
もっと遡れば、
「自分が思うとおりにしてよかった」
ということも当然にありえたわけでございます。
論理的には。
占いに従うも、従わないも、「自分が選択している」ということなのでありますゆえに、必ずしもいつも占うなど、必要がない。
もともと、思うとおりにやれば、いろんな手間がはぶけましょうに。
ガイドブックがある旅行と、全く情報皆無の旅行、面白さはそれぞれでありますからね、どうしてもガイドブックにかじりついていないといけない、という人は、占いを頼るのではなく、もはや、自分で占い師になってしまったほうがいいでしょう。

『占いを利用する人間』
友達にも家族にも相談できない、ここぞ、というときに占いを使うタイプですね。
実際、こういう人を占うと「なぜ占いにきた?」と思うような、すさまじく良いめぐりを持っている人が多いのでございます。
そして、この人たちは共通して「参考にしたい」とおっしゃる。
根っから、占いだけを頼るつもりはないです、最終的な行動とその行動の責任は自分でやります、ただ、こういう事案はどう対処するべきか、調べてください。
という、占い甲斐がございます仕事をもってきてくださるかたでございましてなあ。
信用できるかどうか、というのを、まず見極めてくださるので占いもやりやすいのでございますけれど。
そうやって、
目の前にひとつの情報が提示される

自己の経験的判断に基づき一意見として参照する

踏まえて自己意識と行動を決定する
ということを、日常的に行っているひとなわけでございまして。
日常的にそういうことをやっている人というのは、まあ、どんな行動でも順調に行きやすいものでございます。
占い師の言葉を、軽んじすぎるでもなく、重んじすぎるでもなく、他者に行動を精査されるのをもいとわず、見直すべきところを見直す度量があり、ということでございますからね。
もうね、占い師を専門家と言っていいのかどうか怪しいですけど、そういうお客様にはもう、専門家としてできる限りの「意見」を提示したくなってしまうのでございます。



いつもいつでもうまくいくなんで保障はどこにもございませんゆえに、だからこそ、斜めからの目線、他者の後押し、ちょっとしたきっかけ、なんてものが必要なこともありましょう。

斜め72度の仰角で、そういう方々にめぐり合うのは、なんとも楽しみなことにございますね。
広告
×
そうですね、占いにしろ宗教にしろ生きるための参考にするもので、頼るものじゃあないですよね。って、私は生きるのに失敗してますけど・・・
83ヶ月前
コメントを書く
コメントをするには、
ログインして下さい。