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【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン・ケリー・猪木、その半生を激白!(1)「ハルク・ホーガンと見た、第1回IWGP決勝戦」
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【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン・ケリー・猪木、その半生を激白!(1)「ハルク・ホーガンと見た、第1回IWGP決勝戦」

2016-10-11 12:01

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    【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン・ケリー・猪木、その半生を激白!(1)「ハルク・ホーガンと見た、第1回IWGP決勝戦」


     アントニオ猪木の娘婿にして、元・新日本プロレス社長と現IGF取締役の肩書きを持つ男。それが
    サイモン・ケリー・猪木である。その肩書きが示す通り、サイモンの人生は常に激動の中にあった。
     そんなサイモンがついにこれまでの人生を振り返る! いったいどんな話が飛び出すのか! 迷わず読めよ。読めばわかるさ!(聞き手◉“Show”大谷泰顕

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    (⬆︎これは2010年春、猪木がWWEの殿堂入りを果たした際、米国で撮られたもの)

    〈前回までの内容はこちら⬇︎〉
    【連載】猪木とは何か?〈親族編〉サイモン猪木、半生を語る!
    (素顔のA猪木とその愛娘・猪木寛子、そして倍賞美津子…、親族のみが知る真実!)



    ▪︎サイモン猪木の基礎知識

    ――今回はサイモンさんの半生を振り返ってもらおうと思いまして。

    サイモン いろいろあるのはあったんですけど、どれをどう表に出していいのかわからないですよね(笑)。 

    ――全部お願いします(笑)。まず、素朴な疑問から聞いていきますけど、サイモンさんはどこで生まれたんですか?

    サイモン 日本ですね。

    ――あ、アメリカだと思っていました。

    サイモン 川崎市。

    ――あ、そうなんですね。初歩的な疑問として、父親・母親のどちらが、もしくは両方とも外国人?

    サイモン あ、その話はマル秘というか。

    ――秘密?

    サイモン いや、今回が初公開になりますね。別に隠していたわけじゃないけど。

    ――では、初出しお願いします!

    サイモン お父さんがアルゼンチン人で、お母さんが日本人ですね。

    ――あー、アメリカの血は入っていなかったんですね。

    サイモン ただ、自分が生まれてすぐ、小さい時に両親が離婚しちゃったんですよ。それでお母さんが再婚した方がアメリカ人で、その人が「ケリー」という名前だったんです。

    ――それでサイモン・ケリーという名前になったと。

    サイモン 生まれた時はアルゼンチンの名前だったけど、両親の離婚ですぐに名前が変わっているし、その後も含め、名前はコロコロ変わっているんです。 

    ――そうなんですね。サイモンさんの兄弟は何人いるんですか?

    サイモン 男3人の一番上です。

    ――長男なんですね。日本で生まれたってことは、日本語で生活していたんですか?

    サイモン そうですね。お母さんが日本人だと言いましたけど、(日本人の)おじいちゃんとおばあちゃんもいましたから、(アメリカ人の)お父さんと話す時以外は日本語。お父さんと話す時は英語でしたね。

    ――小さい頃からバイリンガルですか。凄いなー。

    サイモン だから未だにグチャグチャですよ(笑)。一番話しやすいのは、日本語と英語をグチャグチャに入り交ぜながら話すことですね。

    ――長嶋茂雄さんみたいな(笑)。そこからどうやって猪木さんやらプロレスと関わっていくわけですか?

    サイモン 幼稚園の時にインターナショナルスクールの幼稚園に行っていたんです。

    ――幼稚園の時に。

    サイモン そこに猪木寛子(アントニオ猪木&倍賞美津子が夫妻だった時の愛娘)も通っていて、クラスメイトになったんですね。

    ――早くも運命の出会いがあったと。

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    (⬆︎『週プロ』57号/84年9月4日号より。この年のパキスタン遠征に猪木は、倍賞美津子夫人を同伴させていた)

    サイモン 
    そうですかね(笑)。その頃はよくスクールの親御さんたちがパーティーとかしていたから、寛子はもちろん、自然と猪木さんや美津子さんとも距離が近くなっていきましたね。だからどっちかっていうと、寛子のパパがたまたま猪木さんだった、という雰囲気。イントロはそんな感じです。

    ――そのインターナショナルスクールの幼稚園ていうのは、猪木さんが作った幼稚園なんですかね?

    サイモン 幼稚園は違いますね。そこを卒業してから行った、インターナショナルスクールのほうはそうでした。

    ――当時、新日本のパンフレットにそのスクールの広告が載っていましたもんね。

    サイモン 理事長だったのかな。今はインターナショナルスクールもたくさんあるみたいですけど、その当時は4つか5つくらい、大きなスクールがある感じでしたよ。


    ――1学年に何人いる感じなんですか?

    サイモン 一つのクラスが20~30人くらいだったかな。それが3、4クラスくらいだから1学年で100人くらい。ただ、その当時のインターナショナルスクールって国際関係の転勤族の子どもが多いから、1、2年ですぐに転校しちゃうんですよね。早い子だと1、2カ月でいなくなっちゃうし。

    ――宇多田ヒカルが通っていたのもそういうインターナショナルスクールなんですかね?

    サイモン あれは自分が通っていたスクールの姉妹校のアメリカンスクールのインターナショナルスクールだと思いますね。寛子は途中でそっちのスクールに転校したんですよ。それと、たぶん幼稚園の時の話だと思うけど、ウチの弟は宇多田ヒカルさんのクラスメイトだったみたいですよ。

    ――あ、そうだったんですね。

    サイモン 後から聞いたんですけどね。関根(勤)さんの愛娘(麻里)もそうだったみたいだし。


    〔以下、次回へ続く〕

    以下、その内容の一部を紹介

    • ベビーシッターは高田延彦
    • ハルク・ホーガンと見た、第1回IWGP決勝戦
    • 未来の伴侶・猪木寛子との再会
     
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