• 【Neria幸福論第7回】幸せになるための生活設計。行動哲学【前編】

    2019-03-17 21:36

    どうもこんにちは、哲学家のNeriaです。
    本日の第7回の「幸せになるための行動哲学」を以って
    一先ず【Neria幸福論】個人編は終わりにしたいと思います。

    本日の内容は要するに、第6回までの【Neria幸福論】をまとめた
    上で具体的にそれらの知識を活かしていく方法についてのお話になります。
    個別の記事は下記リンクからどうぞ。

    ~~~~~~

    【第1回:人生を生きる意味は「幸せになるため」である。】

    【第2回:「幸福」と「不幸」の「実態」】

    【第3回:自分と他人を比べると不幸になる。「相対的幸福認識」の考え方】

    【第4回:知ってれば永遠に毎日幸せ。「絶対的幸福認識」の考え方】


    ~~~~~~

    まず、軽く今までのまとめをします。

    【第1回:人生を生きる意味は幸福になるためである。】
    から、「生きる為のエネルギーが幸福で、死ぬ為のエネルギーが不幸である」
    というものを抜き出します。人間の使命は天寿を全うするまで生きていくことなので、
    毎日「生きるためのエネルギーである幸福」を集めていきましょう、というお話でした。

    そして、【第2回:幸福と不幸の正体とは?】から
    「幸福」とは「今の自分より一歩進んだ成長」と「足りないものを補う補足」であり、
    両者は「努力」することによってのみ手に入る。その為、日常的に「努力」をしましょう、
    というお話をしました。

    【第3回:人と比べることで不幸になる相対的幸福認識】から
    人と比べることで「幸福」か「不幸」か判断する「相対的幸福認識」は、
    自分の上の人か下の人か比べる対象を自分で選ぶことによって、
    「幸福」にも「不幸」にも自分で自在に操ることができるが、
    これは客観性に乏しく非現実的で不安定な「幻想的な幸福認識」のため、
    人と比べて「幸福」か「不幸」か決めていると本当の「幸福」を逃したり、
    「不幸」からの正しい脱却の仕方がわからなくなるので危険ですというお話でした。

    【第4回:知っていれば毎日幸せな絶対的幸福認識】からは、
    自分を「幸福」にするのは食欲などの人間の基礎的な欲求をきちんと満たし、
    自分の好きな趣味や嗜好に全力投球し、日々の事柄に目標を作って、
    それに努力、邁進していくことです。というお話しました。
    【第2回】の努力の対象は、仕事への目標であったり、趣味や嗜好である
    ということがここで判明しました。

    【第5回】はここまでの小まとめなので飛ばして、【第6回】
    【Neria幸福論2】に片足を突っ込んでいるのでその時にご紹介します。

    ということで、第4回までが実質上【Neria幸福論】の枠組みになるのですが、
    これらの知識をまとめて、今回は具体的に日常生活に代入してみましょう。
    という回です。

    まず、日常生活を語る上で欠かせないあるキーワードを出させていただきます。
    ①ファーストプレイス
    ②セカンドプレイス
    ③サードプレイス  です。
    プレイス(場所)に序数がついてるだけなんですけど、これは、皆さんの日常の中で
    行く場所の重要順に並んでいるものです。
    ①ファーストプレイスは家のことです。②セカンドプレイスは職場、学校などの
    家の次に日常的によく行く場所です。③はサードプレイス、①でも②でもない
    よく行く場所です。行きつけの居酒屋さんだとか、フットサルクラブとかもそうですね。
    概してこの②は皆さんの職業を示し、③はパーソナリティー、アイデンティティを示しているようなものです。

    日常生活のスケジュールを円グラフにして埋める時、大抵この3つの場所は
    未来のことでも埋められちゃったりします。固めに決まっていることなので。
    それに加えて起こる必然性の高いイベント。つまり、友人と休日に遊ぶ
    習慣があれば、③サードプレイスと定義せずとも、その友人と共にする時間が
    スケジュールの中に比較的高い確率で書き込めるでしょう。
    そうした、予想できる①、②、③以外のイベント、又は予想はできないけれど
    起こる可能性が現在の自分の生活において一定数普遍的に点在しているイベントも
    今回は考慮していくこととします。

    まず、「幸福」になるために手っ取り早い【第4回:絶対的幸福認識】から
    「主観的幸福観」、更にそれを3つに分解して、
    「基礎的欲求」、「パーソナル(趣味・嗜好)」、「目標達成」を材料に見ていきます。

    つまり、日常における「基礎的欲求の埋め方」、「パーソナル(趣味・思考)の選択、取り組み方」、
    「各々のイベントにおける目標設定」を弄くることで日常生活における
    「幸福度」を高めることができるということです。

    まず第1に「基礎的欲求の埋め方」ですが、これは人間の本能にある基礎的欲求です。
    わかりやすいのが心理学者マズローの5段階欲求という金字塔階層順になった人間の基礎欲求ですが、
    下から「生理的欲求」→「安心欲求」→「所属欲求」→「承認欲求」→「自己実現欲求」
    となっております。

    ※図1(マズローの5段階欲求説)

    サイケデリックな図になっちゃいましたが、一番下の欲求が満たされれば、
    1つ階層が上がって、元の欲求は発生しなくなり、次の欲求が表出します。
    それを一番上の自己実現欲求まで繰り返していきますという図です。
    一番上に行くと超・自己実現欲求という6層目まで行きますが、
    まぁこれは考慮しなくていいです。

    Minecraftで例えると生理的欲求はライフポイントと空腹ゲージです。
    安心欲求は敵の湧き潰しと家とベッドですね。
    所属欲求は他プレイヤーとの交流、または村人の誘致ですね。
    承認欲求は建造物や作った街が他プレイヤーに評価されることです。
    自己実現欲求は高度な仕組みのギミックを作ったり、高度な建築物を作ることです。
    超・自己実現欲求はスキンだとかMODを他人のためでなく作ることですかね・・・これは
    ちょっと分からないんですがw
    どうでもいいんですが、Minecraftって一種の人生生活のシミュレーションであると
    同時に、結構実際の人生にも通ずる面白いところがあります。
    「人生はMinecraftである」なんてことを言ってしまっても過言でないぐらいには
    人生とは何たるかを指し示しているゲームですので、度々これからも例えで使わせていただきます。

    話を戻しますね、これは諸説あるとは思うんですが、一応ここでは
    第4階層の承認欲求までが人間の「基礎的欲求」であると定義づけておきます。
    承認欲求は生命維持に関わる問題ではないんですけど、犬や猫ならまだしも
    人間は承認欲求が欠乏するとそれを渇望する生き物なので、ここまで
    「基礎的欲求」にいれておきます。
    さて、日常生活における「基礎的欲求の埋め方」ですが、

    まず、「生理的欲求」を生めることから考えを始めたいです。
    つまり、「食事」、「睡眠」、「性」、「運動」、「休息」などがそうですね。
    これらが欠乏すると、人間のステータスは「不幸状態」になります。(【第2回】参照)
    なので、ここに関しては1つ1つの質を高めていきましょう、というお話になります。
    まず、「食事」。最近の研究では一日2食、もっといけば1食でいいなんて
    お話も出てますが、まぁ2、3食ということにしておきましょうか。
    「食事」とは本来どの様な行為であるのか、ということを考えると、
    理想的な食事は「おいしく」「健康によく」「満たされる」ことですね。
    この「おいしく」は自分の好きなものであり、尚且つ「健康によく」、
    「量も申し分ない」この3つの要素を兼ね備えた食事を用意していきたいところです。
    ここではどの食材がよいのかという話は省きますが
    (いつかやるかもしれませんが今のところ僕にその知識はほぼないです・・・)
    この3つのうち1つでも欠けると途端に質の悪い食事になるので、
    極力3つの要素を併せ持った食事を研究して日々に取り入れていきましょう。
    (具体的に示せるように一生懸命勉強します!その後、補完していきます。)
    ちなみに「おいしい」が何故大切かというと、「おいしい」と思うことによって
    人は「幸福感」を得ることができます。なので、嫌いなものよりも「好きなもの」の
    方がメンタル的にはよかったりしますのでこれも意外と重要なんですね。

    次に「睡眠」ですが、理想は夜の10時に寝ることです。
    そもそも人間は元々夜に活動する生き物ではなかったので、
    現代の夜更かしをすることに体は完全に適応できていません。
    夜更かしを続けている人間には当然、フィジカル的にもメンタル的にも
    問題が発生し始めます。年頃になり多くのフィジカル、メンタルの問題を
    抱える若者がいますが、多くのそういった若者はきちんとした時間に
    睡眠をとっていないという共通点があります。これを改善すれば
    すっかり直ってしまうケースもありますので、メンタルやばめの人は
    夜10時を目安に睡眠をとってください。それでも駄目なら再考の必要がありますが、
    問題を抱えている多くの方の就寝時間は決して理想的ではないので、
    まずここを改善してみる試みから始めなくてはなりません。
    とは言っても夜10時は早すぎる、という方が多くいらっしゃると思います。
    そういう方は夜10時に寝て朝4時5時に起きてやることをやるといいです。
    心理的抵抗感はあるとは思うんですが、恐らくどっちにやっても変わらないです。
    寝る3時間前ほどまでには本来はスマホやパソコンなどの強い光はカットしておきたいところなので、
    これらも寝て起きてから触るといいと思います。
    僕も本当に忙しかった時、帰ってきたらすぐに寝て起きてからお風呂に入る。
    なんて生活スタイルになったこともあって、どっちに入っても変わらないということを
    知ったときは感動しましたね。時間の使い方の新境地を見出した気分でした。

    ちなみに、最近では4つのクロノタイプという人によって就寝起床の
    適正時間が違うんですよ。という研究結果が発表されています。
    確かに午前中は疲れていて午後からバイタリティが上がる人はいますよね。
    「夜更かし」に対して体にダメージがいかない抗体を持っているNew人類であれば、
    遅寝遅起きでも問題ないとは思うのですが、どうなんでしょうかね。

    次に「性」なんですけど、まぁ余り生々しい表現は避けたいのですが、
    科学的に「性生活」が充実していない人は「不幸」と言われています。
    「パートナー」がいない人はいる人に比べて「不幸」と言うことですね。
    これに関しましては「幸福度」を上げるために「パートナー」を確保しましょう、
    また、諸々の相性がよければよいほど「幸福度」は上がりますので、
    「適切なパートナー」を見つけましょうというお話です。
    ちなみに1人の場合はどうなんですか、という話なんですけど、
    これにはいつかやりたい【Neria認識論】の「代替」という項目で、
    アイドルや二次元を恋人の「代替」にすることは可能ですよ、という話で、
    これも【第3回:相対的幸福認識】【第4回:絶対的幸福認識】が関係するんですけど、
    他人と比べなきゃ本人が空想の世界で「幸福」になることは何ら現実で
    それを手に入れていることとは違いはないですよ、という話なんですね。
    つまり、「パートナー」がいなくても「架空のパートナー」を作り上げれば
    「性生活」を充実させているように自分を騙すことができてしまうんですね。
    また、【Neria精神論】でやろうと思っている、自分の精神を対象に宿す行為によって
    愛情や好意を持つというお話で、その精神を宿す対象は別に人間相手である
    必要性はなかったりします、なんていうちょっと人間の単純さというかひょうきんさ
    みたいなところに触れていくところでも、「架空」に依存することの一種の
    有益さみたいなものが垣間見えたりします。

    次は「運動」ですね。これはもうしていない方がマジョリティですね、恐らく。
    あまり「運動」の有益性について語ってしまうと長くなってしまうので、
    簡単に、「散歩をしない犬は病みます」ということで、人間も同じ状態に
    えてして陥るということをご理解していただければと思います。
    「食事」にも「睡眠」にも「性生活」にも困っていないのに何だか
    不足感を覚えるなぁという方は、「運動」をしていなかったりしませんか?
    体を思いっきり動かすことは「よい事ではなく」「必要なこと」なんです。
    オーバーワークをしなければ何でもかまいませんのでしていない方は
    始めてみましょう。

    最後に「休息」ですね。普通の人は足りているので余り
    考慮する必要はないのですが、日頃から「休みたい」というのが口癖に
    なっている方は注意です。「休息」と一言に言っても、
    身体的な「休息」と精神的な「休息」の2つが出来ていなければ、
    その「休息」は不完全なものであると言わざるを得ません。
    体も休ませ、心も落ち着かせ、仕事に気を煩わせられないように
    ゆったりとした時の流れを楽しめる時間を作ってみましょう。
    そうした癒し系空間を作り上げるための雑貨も
    昨今では充実していますので、積極的に取り入れてみることをお勧めします。

    また、それぞれのお勧めを個別記事で作った方が良さそうな気がしてきました。
    ので、良質な「生理的欲求」を満たす方法をまた個別にまとめようと思います。

    次にですが「安心欲求」ですね、家やお金とかですかね。
    これに関しては非常に難しく、特に現代では「安心」は「買うもの」である
    からして、主にこの問題を解決するためには「お金」が必要になります。
    「お金を稼ぐ方法」をここで紹介するのはちょっと筋違いだと思うので、それは
    一旦置かせてもらいます。ここで紹介するのに適切なのは「無駄遣い」しない、
    「浪費癖」を無くすことなんですけど、これは【Neria認識論】から引っ張ってきます、
    「代替」を使うことで容易に無駄を無くすことができます。
    この「浪費の対象」には2つの特徴があります。1つは「いらないもの」であること、
    2つ目は「物であること」という特徴です。

    Minecraftで例出してもいいですかねw
    装飾品が「浪費の対象」です。装備品やステータスが「浪費ではないもの」ですね。
    要するに見栄えや所有欲を満たすだけが目的になっている役に立ってないものということです。
    「浪費癖」のある人は役に立っていない、もしくは無くても困らないものを
    買っているのでお金がなくなるペースが早いです。
    買うのを我慢したら何か問題が生じるものではないです。
    その存在を忘れてさえいれば買わなくて済んで得をしているパターンが多いものです。
    こうしたものを欲しがらなくて済む方法は、自己投資に関心を向けることです。
    実は自己投資に関する物であれば、多くは無駄にならなくて済むものです。
    仮によくあるギターを始めたいから買いました、挫折しましたやりませんでした。
    では無駄に買い物をしてしまった、という決着がついてしまいますが、
    ギターを続けていたら決して無駄な買い物ではありませんし、ギターを練習する時間があれば、
    ネットショッピングや情報サイトをグルグル回って無駄な所有欲求を刺激しなくて済みます。
    なので、購入することで自分を高めることができるものを買いましょうというお話です。
    出来れば一度お金を払ってしまえば、継続的に無料で使用できるものが好ましいです。

    例えばこれに全く該当しないものの代表として「飲食物」があります。
    必要のない「飲食物」を購入するのはもう日本人の10割が行っていることと思います。
    が、はっきり言ってこれは「我慢」したところでその日一日は悪い方に変化しません。
    つまり「無駄」なのです。
    昔は僕もジュースやらお酒やらたーくさん買っていましたが、今は水とお茶だけです。
    それによって自分が「不幸」だとは思ったことはないですし、ただ支出が減っただけなんですね。
    「お菓子」や「おつまみ」も高いですよねー、でも買って食べた日と食べなかった日、
    別に明確に違いがあるわけでもなく、「お菓子」を食べることに時間を使ったか、
    記事の為のリサーチに時間を使ったかで自分の精神状態が変わることは一切ないです。
    ただ記事のネタが1つ増えて得をしているか「お菓子」の代金を無駄にしたかの違いです。
    読書、勉強中に小腹が空いたら龍角散ののど飴1つ舐めるだけですね笑

    つまり、今現在皆さんが購入している「無駄なもの」の代わりに、
    それをネットショッピングのせいで買ってしまう、情報サイトのせいで買ってしまうのであればその習慣を、
    お菓子を買って食べてしまう、ゲームを買ってしまう、のであればその時間を、
    「自分を高めることに」使用してみませんか?ということです。
    例えばなんですけど、ピアノで音楽を自在に優雅に奏でられたら気持ちがよいとは思いませんか?
    新しいダイニングテーブルを1からオリジナルで自分で作れたら気分がいいですよね。
    ネットショッピングやお菓子を食べる時間をそういったものに「代替」して、
    間接的に我慢せず無駄金を減らしていこうという魂胆です。
    「パーソナル(趣味・嗜好)」を変えて、お金の出てくものを変えていきましょうということです。
    こうした自己投資は場合によってはお金になって自分に帰ってきます。
    ネットショッピングやお菓子をお金に変えることも可能ではありますが、
    概してやはり、消費者という受け手としての色合いが強い習慣ですので、
    「浪費」に繋がってしまう「パーソナル(趣味・嗜好)」と言えるでしょう。
    お金は使わなければ本当に減りません。

    お金の「浪費癖」を無くす方法は「自分の技術的な自己投資」にお金や
    時間を使っていくことです。
    (服や装飾品は目的以外のただの所有欲求に任せてしまえば自己投資といえど、
    リターンが少なくなってしまうので最低限に。←イケてる人間がイケてる服を
    何着も買っても数着目からはあんまし費用対効果量は期待できない)
    お金は自分の本当に欲しいものと交換できる「貴重なリソース」なので、
    明らかに必要がなさそうなものに使うのは控えた方がよいですね。

    次に「所属欲求」なんですが、これは学校でも職場でもまた、
    友人などの小さなコミュニティにおいても、自分が他人と関われる
    居場所を用意する、ということです。
    簡単に言ってしまえば、「社会的な貢献もなく、孤独でいると不幸」になるということです。
    この階層での問題を抱えている人の多くは
    「社会から逃げ、対人関係からも逃げて孤独を選んだ人」なんですけど、
    結局楽をするためにそっちに逃げたつもりでも不幸になっちゃってるんですね。
    その状態は安心できる状況かもしれませんが真の幸福とは言い難いです。
    得てして誰かの庇護なくしてでは崩れ去ってしまう砂のお城なんですね。
    だからこそ、幸福になるためには
    「社会に貢献し、対人関係を積極的に行う」ことが大切なんです。
    ということで、質の高い所属欲求というのは、多くの場所に所属するということです。
    一箇所でも別にいいんですけど、多ければ多いほど(とはいっても限度はあると思いますが)
    深ければ深いほどより「幸福度」が上がりますので、
    自分の参加が許されていてその機会を得たなら積極的に所属してみるとよいです。

    次の承認欲求ですね、これを満たすのは結構難しいです。
    「承認欲求」は「所属欲求」よりも更にハードルが高い他人由来の欲求です。
    6人の中の1人になるのではなく、瞬間的にも6人の中の1番にならなければならないのです。
    結論から言えば誰しもにその機会や可能性はあるのですけれど、
    概してその5人を認めさせるためにはその5人以上に特定のことに打ち込み秀でる必要があるわけです。
    ということでまたここで出てくるのが「努力」ですね。(※【第2回】参照)
    この「承認欲求」は瞬間的に満たせる「所属欲求」と違って極めて長期的なものである、
    という特徴があります。なので、欠乏したからといってすぐに手に入るものでもなく、
    「承認されない」ことにヤキモキしている人も多いのではないのでしょうか。
    中々に厄介なものです。なので、元も子もないですけど、「承認欲求」を持たない。
    ようにするというのがベストだと思います。
    長期間に渡るもので、尚且つ他人由来のものであるので、これを飛ばして
    「自己実現欲求」を見て優先した方がよいです。「承認欲求」はその後に
    ついてくるものだと思います。
    実は【Neria幸福論】の次にやる【Neria自由論】のそのまた次にやろうとしている
    【Neria操作論】において、他人に何かを求める、行動を促す行為は死へと向かう。
    というとんでもない恐ろしい話をするんですけれど、「承認欲求」とはつまり
    他人に「自分を認めろ!」と無理難題を要求しているのと同じ状態なので、
    可能なら所属欲求からスキップした方がいいですね、自分は自分、他人は他人です。
    ちなみに【Neria操作論】の「操作」って何かというと、「自己コントロール」、
    「他者コントロール」の「コントロール」って意味です。
    この論はメチャメチャ面白いんで是非見てほしいと思うんですけど、
    「人が自殺する理由」と「人が無気力になる理由」、「怒る理由」とか
    そういうのを解明していくお話になります。「人が怒る理由」って皆さん
    何でか知ってますかね?たぶん知ってれば「一切怒らない」ようになると思うんですけど、
    僕もこれに気づいた後は「怒ることって超恥ずかしいことなんだ」とか、
    「怒ってる人」を見るたびに可哀想な気持ちになるようになりました。
    このままのペースでいけば2週間後ぐらいには入ってますかね、気になった方はチェックしてみてください。

    最後の自己実現欲求なんですけど、これはもう「基礎的欲求」ではないですね。
    別に叶わなくても生命維持の上では全く問題ない領域の欲求です。
    ですが、【Neria幸福論】ではこの自己実現欲求をとても「重視」しています。
    大分上に書いてあることですが、【第2回】の「成長」と「補足」についてのお話で、
    「補足」関連が「生理的欲求」、「安心欲求」、「所属欲求」、「承認欲求」で、
    「成長」関連がこの「自己実現欲求」というわけです。
    つまり、理想の自分を実現させる「自己実現」に対する努力こそが「幸福」への近道、もといアンサーと言えます。

    この「自己実現欲求」は「主観的幸福観」の残り項目の「パーソナル(趣味・嗜好)」、
    「目標」と大きく関連性があり、この領域に入っていきます。

    というところで、長くなりすぎてしまったので一旦切ります。

    次回は今回の簡単なおさらいと続きの「パーソナル(趣味)」、「目標達成」を日常の中にどう埋め込んでいくか、
    というお話と、できたら「幸福因子」を得る方法について"考える"ところまで
    やっていきたいと思います。
    それでは、次回に続きます。

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  • 【Neria幸福論第6回】他人の幸せを願い共に幸せになる。自分以外の幸福観について

    2019-03-17 04:20

    どうもこんにちは哲学家のNeriaです。

    前回までの幸福論第5回までは、個人の幸せについてやってきました。
    参考記事は以下にありますので、気になる方はご覧ください。
    ~~~~~~

    【第1回:人生を生きる意味は「幸せになるため」である。】

    【第2回:「幸福」と「不幸」の「実態」】

    【第3回:自分と他人を比べると不幸になる。「相対的幸福認識」の考え方】

    【第4回:知ってれば永遠に毎日幸せ。「絶対的幸福認識」の考え方】

    【第5回:幸福になるための知識、第1回~4回まとめ】

    ~~~~~~

    今回は第6回ということで、一先ず個人の幸福観については締めまして、
    個人以外の幸福について簡単なご紹介だけしていこうと思います。
    また、それら個々の説明については、【Neria幸福論2】ぐらいでやっていきます。
    次々回ぐらいから【Neria自由論】という自由の概念であったり、
    比較的束縛や拘束の多い現代社会で如何に自由を掴んでいくか、
    自由って何の為にあって何の役に立つのかなんて話に移行していくので、
    【Neria幸福論】は今回の自分以外の幸せ、次回の今までを総括した上での
    幸福になるための行動哲学を以って終わりたいと思います。

    ということで、本題に入っていきますが、
    今までは「個人の幸福」という「自分だけ」の幸福についてやってきました。
    簡単にまとめてしまえば、「自分が幸せだと感じるものだけを信じて、
    他人に惑わされないようにしましょう」ということでした。
    その中で人間が幸せだと感じるものって何なの?とか多くの現代人が
    不幸になっている理由を述べさせていただいて、個人が幸せになる為の
    必要な知識を各回の記事にてご説明させていただきました。

    ~~~~~~~

    【第1回:人生を生きる意味は「幸せになるため」である。】

    【第2回:「幸福」と「不幸」の「実態」】

    【第3回:自分と他人を比べると不幸になる。「相対的幸福認識」の考え方】

    【第4回:知ってれば永遠に毎日幸せ。「絶対的幸福認識」の考え方】

    【第5回:幸福になるための知識、第1回~4回まとめ】

    ~~~~~~~

    しかし、当然「幸福の概念」というのは「自分一人」で完結するものではなく、
    「自分以外」の、例えていうなら「他人」、「人類」、「動物」、「地球」、
    「宇宙」などがあり、また、更に言ってしまえば「他人」でも「赤の他人」と「仲間」、「敵」にも分類は可能で、多くの「幸福観」が存在することがわかります。
    これらの「幸福観」を重視する人も多くいますが、最も多くの人の
    関心が抱かれるのは「他人との共有の幸福観」です。自分以外の誰かとの間にある、
    「共に作り上げる幸福」のようなものです。友達とか夫婦とかが例にありますね。
    (犬や猫でもいいんですが人間とは色々異なっているので幸福観のアプローチの
    方法も変わってきてしまいます。そのため、人間前提で話を進めます。)

    これを解説すると、
    「個人の生活スタイルのメイキング」を推奨していた「個人の幸福論」とは一歩進んだ、
    人間関係についてという「社会的生活スタイルのメイキング」的なお話に発展していきます。
    「他人との幸福の共有」とは「個人の幸福」に付随するだけの副次的なもののように、
    捉えられるんですけど、説明項目としては恐らく多大なものになると思います。
    簡単に例を挙げるだけでも、
    ・人と仲良くなる方法 ・初対面の人と話す話題 ・どんな話が人に好まれるか
    ・あなたにとってのよい友達とは? ・うまくいく恋愛 ・理想の上司
    とかこんなざっくりとした所にまで足が浸かってしまうんですね。
    非常に多くの人が関心を抱く項目ではあるんですけどこれらの説明は
    【Neria幸福論2】にて解説していく予定なので今回は省いていきます。

    この「他人との共有の幸福観」の「逆」である2人いたら片方しか幸せになれない
    「他人との排他的な幸福観」なんてのもありますね。
    今ニコニコ動画でも絶賛配信中の『五等分の花嫁』という五つ子の女子高生が、
    彼女らの家庭教師のアルバイトをしている同学年男子の主人公を取り合う(?)
    恋愛漫画原作のアニメがありますがまさしくそれですね。
    選ばれなかった他の4人は、主人公以上に
    魅力的な男性と出会わけなければ、望んでいた幸福を手に入れられません。
    残酷で現実的で不条理な設定になんだかもやもやしますね。
    この「排他的幸福観」は「共有の幸福観」が相手を「仲間」と見なすのならば、
    逆に相手を「敵」と認識してしまうので、『五等分の花嫁』はその恋愛の
    道筋を正統に描いてしまうのならば「姉妹のギスギス展開」待ったなしですね。

    ということで、
    上記と重複することもありますが1つ1つ説明していきます。

    ①「他人の幸福」
    これは自分以外の幸福で上でも述べた通り、
    「仲間」、「敵」、「赤の他人」の3種類の他人がいます。
    「仲間の幸福」は「自分の幸福」のように喜べる人の幸福で、
    「敵の幸福」は「自分の不幸」のように許せない幸福で、
    「赤の他人」の幸福は「無反応」か、「人類」を「仲間」だと思っているか
    「敵」だと思っているかで、また、その「赤の他人」を瞬時に「仲間」か「敵」か
    見た目や仕草から分類して上のような反応を示します。

    この「他人の幸福」という考え方で最も大事なのは、
    「人類」を「仲間」だと思っているか「敵」だと思っているか、
    判別できることです。
    勿論、「人間全員」が「仲間」だなんて思うのはそれは一種の考え足らずでは
    あるとは思うんですけど、
    「敵」認識していると、結構人間の精神はそれだけで破滅するので、
    「他人の幸福」を喜べない人は「自分のために!」要注意という警告サインの
    役割も果たしてくれるわけです。
    「他人の幸福」を喜べないなぁという人は「絶賛不幸状態」です。
    まずは、「自分の幸福」を正当な手段で「確立」させることを優先したいところです。

    ~~~~~~~

    【第1回:人生を生きる意味は「幸せになるため」である。】

    【第2回:「幸福」と「不幸」の「実態」】

    【第3回:自分と他人を比べると不幸になる。「相対的幸福認識」の考え方】

    【第4回:知ってれば永遠に毎日幸せ。「絶対的幸福認識」の考え方】

    【第5回:幸福になるための知識、第1回~4回まとめ】

    ~~~~~~~

    ②「他人との共有の幸福」
    人と一緒にいて楽しくなることってありますよね。いや、なきゃヤバいんですけど、
    それの正体がコイツです。この「他人との共有の幸福」って①の「他人の幸福」
    みたいなもんじゃないの?っていう疑問を持つ人がいるかもしれませんが、
    実はこれ、まったくの別物なんです。「他人の幸福」と、
    この「他人との共有の幸福」は別物と、僕は定義しています。
    その理由は下記図をご覧ください。

    ※図1

    すごいざっくりした図なんですけど、要するにこれ、
    「共有の幸福」は「個人の幸福」とは別で、複数人で作り上げるもの
    という特徴を表しているんですね。一箇所の受け皿に「幸福因子」を
    複数人で送りあって、で、そこに「幸福因子」を「プール」するんですね。
    これが、その対人間、グループにおける「幸福度」を示しています。
    この場合「刹那的な幸福度」と言った方が適切ですかね。
    つまり、「自分の幸福」と「他人の幸福」が合致した場合ではなく、

    ※図2

    「自分たちの個別の幸福」とは別に作り上げる「共同の第三の幸福」と
    見た方が正しいからなんですね。まぁ、実際は下図2とは似たようなもの
    なんですけど、こう解釈してしまえば「自分の幸福」と「他人の幸福」が
    完全合致していないと「幸福を共有できる相手」ではない、だとか、
    「幸福を共有するため」にどちらかを優先してしまいバランスが崩れるだとか、
    調整が難しくなってしまうんですね、完全合致なんてほぼあり得ないので。
    なので、自分と相手でちょっとずつ「幸福因子」を出し合って、
    「共同の第三の幸福」を作り上げるイメージの方が「やりやすい」と思います。
    ということで「共有の幸福」は「他人の幸福」とは別と定義しています。
    「他人の幸福」を叶えようとするよりも「一緒に幸福を作る」方がうまくいきます。
    ちなみに「個人の幸福」よりも「幻想的」であるという特徴があります。
    (1人では正確な判断ができても集団ではめちゃめちゃな意見が是になることなど)

    ③「他人との排他的な幸福」
    これは、先ほども説明しました通り②「共有の幸福」とは逆の
    母体数より少ない数の人間しか享受できない「幸福」のことですね。
    要するに、集団の中で「幸福」を享受できる人間と、
    享受できない人間の両者が生まれてしまうような「幸福観」のことです。
    実際には物理的に、現象的にそうなってしまうケースが多いですが、
    あくまでも「幸福観」なので、実際に集団の母体数に分子が足りていても、
    一部の人間の意向で実質的に「排他的」にすることは可能ということです。
    「5人いるがケーキは3つしかない為、2人ケーキを食べることができない。」
    「5人いてケーキも5つある。しかしある2人が他の3人には譲らなかった。」
    という両者がこの③の「排他的な幸福」に含まれます。
    アイドルのファン同士だったり転売屋さんとかがこの関係になったりしますかね。
    ちなみに資本主義社会では
    「5人いるがケーキは3つしかない、しかし1人が全てを独占してしまった。」
    ですね。とかいったら怒られますかね、ゴホンゴホン。
    まぁ資本は民衆自身の意思から集まりますからね、それもまた民意の1つの形なのでしょうw
    ②「共有の幸福」の幻想的な「幸福観」と比べてこちらの方がより現実に近いですかね。
    映画だと②「共有の幸福」を共に育んだ「仲間」が唐突に裏切って
    ③「排他的な幸福」の関係性になることってよくありますよね。
    それって「幻想」から「現実」を見据える方にシフトしたってことなんですよね。
    余裕がなくなってパニくってるキャラにありがちですけど、もはや余裕がないので
    「幻想のお仲間ごっこ」ができなくなってるんですね。嘗ての「仲間」を自分が生きるための
    「枷」、「敵」認定してこの③「排他的な幸福」の関係に変化させるわけです。
    まぁ大抵そういうキャラは20分後ぐらいに死体のカットで再登場するわけなんですけど、
    映画の世界を飛び出せば割と正当な判断だったりします。
    生死に関わらずとも金銭的な問題が発生してもこの変化は見られますけど、
    お金は数字がはっきりと損得を示しますから、多くの人間の現実シフトが見られますね。
    そんな視点でヒューマンドラマを見てみるのも面白いです。
    人間とは醜いというより現実主義が醜いんですね、理想的なお仲間ごっこしてた方が
    よっぽど美しく見えるんですよ、皮肉なことに。

    ④「人類の幸福」
    こっから先はちょっと名状しがたい領域の「幸福観」になるんですが、
    この④「人類の幸福」が「個人の幸福」と分かれる理由は、
    「人類の幸福」のために個人を犠牲にするという美徳的な「幸福観」でも
    あるからなんですね。一番分かりやすいのが
    「未来の人類のために」ですね。ゴミ拾いとかCO2削減とかが該当しますかね。
    そういった因果性のある行動から音楽を流しながら紫煙を燻らすのもこれに該当します。
    「人類の幸福」は「個人の幸福」と違って概念でしかないので、
    理由なく湧き上がってくる理屈ではないものではなく、「定義」が必要になります。
    そして、この「定義」とは無論、人によって異なるのでそれぞれの人々の中に、
    別々の「人類の幸福」があるのです。こうしたマクロ的(大局的)な「人類の幸福」の
    説明も出来ますが、これはもう人の数、もしくはそれを超える星の数だけ
    存在するとも言えるので考える必要はありません。
    どの「人類の幸福」が正しいかどうかというのは考えるのが非常に難しいです。
    人類の中では「多数決論」が最強なので、強いて言うならば多くの人の支持を得る
    「人類の幸福」ですが最も正しいと言えますね。
    僕が哲学家として提案するとすれば「自由で知的で発展的な環境が個々人にある」という
    未来ですかね。結論人類単位で見れば「知的進化」こそが最も
    「個人の幸福」を豊かにするものだと思うので、遺伝子単位でも人間1人単位でも
    「成長」、「進化」、「発展」できる環境が整っていることが大事だと思います。
    その上で本当に僕1人の意見でしかないんですけど、人類の「進化の足を引っ張る」
    考えや、「間違った考えの横行」などは概して「人を不幸たらしめる」ことでしか
    ないと思うので、そういったものが極力減っていけばいいかな、と思います。
    【Neria幸福論】では「個人の幸せ」を大きく推奨しています、
    そして、「自分に余裕ができたら他人に分け与える」そんな相互的な
    「幸福の増幅」を理想としていますので、是非とも自分が幸せになる
    努力を自分(他人への協力要請)でして、他人や自分の足を引っ張ることでそれを叶えないような人が増えてほしいと願っています。

    ⑤「動物の幸福」
    さて、「人類の幸福」を離れて「動物の幸福」になります。
    これは③「排他的な幸福」に極めて近い形になります。
    「動物」は「人間の都合」を考えません。そして多くの「動物」は「人間の存在」を疎ましく思っているでしょう。
    そんな中で「動物の幸福」を願えば気持ちは人間の「一方通行」になりがちです。
    どれだけ熊を愛していても、熊の機嫌が悪ければ望んでいない結末にも辿りつきえます。
    なので、「動物」という括りでの「幸福」は「自己、または人類の犠牲」を
    伴いうるということになりますので、この場合この⑤「動物の幸福」は、
    2パターンに分けるのがよいでしょう。
    1つは、「愛玩動物の幸福」とすること、もう1つは「動物と人類の共存」です。
    「愛玩動物の幸福」は自分が飼っている「ペット」を限りなく幸せにしてあげる
    努力を精一杯することで達成できるでしょう。飼い主に正しい知識と
    その努力への気持ちがあれば、そう難しいことではないと思います。
    ただし、この「愛玩動物の幸福」というのは「家族」としての自分の「ペット」
    だけでなく、「保健所」、「ペットショップ」、「虐待・ネグレクト」といった多くの人が
    目を逸らしたい「愛玩動物の不幸」、特に「人間がもたらす愛玩動物の不幸」が
    重要な観点になってきます。なまじ人間に近い感情感覚を持っているだけに、
    犬や猫などの知的生物がこのような境遇に晒されることは、僕たちの共感能力も是としません。
    こうした「負の部分」を考慮することは「愛玩動物の幸福観」に必要不可欠なことだと思います。
    「動物と人間の共存」なんですが、これは「人間側」が少し我慢して
    「動物」に自然リソース、地球のリソースを還元しようという試みですね。
    これは「地球の可能性」だったり「生物の多様性」が面白いので、
    そういった関心の面からも有効だと思いますし、
    「観光ビジネス」や「医療」、はたまた「生物の進化や歴史」なんかを解明するのにも、
    役に立っている人間の利益にも十分なりえていることだと思います。
    しかし、当の人間の保全もままならない中、動物を優先するのは如何なものか
    という考えもあります。今はそこまでの必要はなくなりましたが
    「生きるために」魚を乱獲できていたものも今では不可能になりました。
    そうしたことは「人間優先」であってはならないのかという疑問点もありますね。

    ⑥「地球の幸福」
    えてしてこの場合、人類の未来保全の意味合いがあると思うのですが、
    「地球の幸福概念」の1つには「地球を擬人化」したものもあります。
    それがこの⑥「地球の幸福」です。ここまで長くしすぎてしまったので、
    ここからは簡単にしますが、「地球は生物や環境を持った1つの評価対象」であり、
    それらの要素が(特に人間によって)欠けていくと、それは「地球が不幸になった」、
    またはその状況にあることに「地球は不幸である」として、
    保全に努めようとする働きなんですけど、どちらかと言えば人間が野蛮であることへの
    風刺や皮肉的な意味合いが強いようにも感じます。
    ⑤「動物の幸福」と同じで③「排他的な幸福」を「地球」と「人間」で
    例えて、「地球の持ち物である資源」を「人間」が獲りすぎるな!という美徳による戒めの制約ですね。

    ⑦「宇宙の幸福」
    これは一見よくわからないですが、唯物主義的な感じですね。
    「宇宙意思」なるものが指し示す先を「人間が汲み取って叶える」ことですが、
    ここまでくると④「人類の幸福」③「他人の幸福」などとはかけ離れた
    ものになるので、現実味がありませんね。
    紹介する意味もなかったのですが、人間への興味を失ってしまったあまり、
    物質に傾倒する人はいるのもあり、一応「人類」「地球」ときたので「宇宙」も出しました。
    「人間の小さな問題」から逃げるために「宇宙」を持ち出しているパターンもありますが、
    心の底から「宇宙意思の幸福」を希求している人も少なからずいるとは思います。
    どうでもいいですが【Neria宇宙論】も遠い未来にやりたいと思っています。
    ガチガチの理系なので勉強も詰めないといけないので大分先になると思いますが、
    その中で触れようと思っている「宇宙には意思がある」という話がこれに近いですね。
    「宇宙の銀河の集まり」と「人間の脳細胞」は形が同じらしいんですね。
    それって「宇宙ってでっかい脳みそ」なんじゃないの。みたいなトンデモ話なんですけど、
    そうしたらあながちこの⑦「宇宙の幸福」も的外れではないのかもしれないですね。

    ⑧「物の幸福」
    これも物を擬人化して愛着を持って幸福を推し量る人間の感情的な思想の1つですね。
    「物が可哀想」なんてよく言いますが、日本人は特に付喪神であったり、
    アニミズム精神によって物を大切にする文化がありますので、理解しやすい概念だと
    思いますし、多くの人間が共感できることだと思います。
    最近では物を粗末にしたり破壊する動画が人気らしいですが、僕は未だに
    物を捨てたり買い換えたりすることにかなり抵抗のある人間でして、
    知らずのうちに自分の所有物にも神を宿してしまっていますね。
    そんな物に愛着を持つ僕だから言いますけど、ただの物なんで捨てたところで、
    何もないんですけど、どうしても捨てられる物が可哀想に思えてしまうんですね、不思議と。
    こんなことは誰に教えられたわけでもないので、遺伝なんですかね。
    念の為言っておくとゴミ屋敷ではないです。さすがにゴミに愛着は持ちませんw


    とまぁ、⑧つ並べてみましたが結構どれも人類や個人とは③「排他的な幸福」の
    特徴を持っていますね。
    1人が幸せになるために1人が不幸にならなければならないなんて話もありますけど、
    ただ幸いなことに現状全員が本気で幸福になろうとしてはいないので、
    取り合いみたいな構図にはなっていませんね、実際そうなってしまったら、
    どのようなことになるのかは分かりませんが、現段階では
    「個人が幸福」になるために一生懸命になればそれは叶えられますので、
    【Neria幸福論】見てくださった方は是非、幸福を掴んでいってほしいと思います。

    そして暫く間が開きますが【Neria幸福論2】では上にあげた、
    主に対人関係における「幸福論」を分解して説明していきたいと思います。
    自分で楽しくなることを見つけたら、次は人と楽しくなる番です。

    次回は、【Neria幸福論】個人編の総括として、今までやってきたことを踏まえて
    具体的にどのような行動をしていけばいいのかということをまとめて括りたいと思います。


  • 【Neria幸福論第5回】幸福になるための知識、第1回~4回まとめ

    2019-03-10 22:40

    どうもこんにちは、哲学家のNeriaです。

    今回は【Neria幸福論】の第1回~4回までの内容を踏まえて
    ここまでの【Neria幸福論】の体系をまとめておこうと思います。

    ~~~~~~~

    【第1回:人生を生きる意味は「幸せになるため」である。】

    【第2回:「幸福」と「不幸」の「実態」】

    【第3回:自分と他人を比べると不幸になる。「相対的幸福認識」の考え方】

    【第4回:知ってれば永遠に毎日幸せ。「絶対的幸福認識」の考え方】

    ~~~~~~~~

    【第1回:人生を生きる意味は「幸せになるため」である。】

    ということで、まずこの【Neria幸福論】の発端として、
    人間が人生を生きる意味とはなんなのか、という大きな哲学的な
    命題の答えとして、「幸せになるため」である。という結論が出たことがあります。

    その理由は、病気、貧乏、孤独、不自由などの「不幸」の要素は
    「死」へと向かうエネルギーであり、逆に、健康、裕福、仲間、自由などの
    「幸福」の要素は「生」へと向かうエネルギーであり、
    天寿を全うすることを目標として生まれてきた我々人間にとって、
    生き永らえることこそが、人生における日々の命題であって、
    その為に、「幸福」という「生存」に向けたエネルギー源を集めていく
    必要があるからである、という内容でした。

    そのために、まず人間が生きるのに重要な【幸福論】を最初に
    取り扱いたいというところから導入されたという感じですね。

    この【Neria幸福論】では、ふわふわした言葉でよくわからない
    「幸福」と「不幸」の「実態」を解き明かし、判明したそれを日々の生活の中で
    「幸福」であれば積極的に取り入れるようにし、
    「不幸」であれば極力排除していこう。という
    生活のスタイルのリメイクといったところを最終的な目標としています。

    要するに「生存エネルギー」の集め方を知って、質の高い人生にしましょう。
    ということなのですが、現代の人々はやはり多くの「不幸因子」に
    振り回されて生きにくさを感じている人が多いので、実質的には、
    冷静な哲学の結果から得た知識で、まずはそういった煩わしさから解放されて自由に
    生き生きとした人生にシフトしていくとこから始めて頂けたらと思います。



    【第2回:「幸福」と「不幸」の「実態」】

    そうして始まった【Neria幸福論】。論調からもまず、
    「幸福」と「不幸」とは、もっとわかりやすい言葉で言えば、
    もっと具体的に行動と結びつくような言葉で言えばなんなのか、
    ということが最初に論じる第2回でのトピックとなっております。

    そこで出ている結論が「幸福」とは「成長」と「補足」であり、
    「不幸」とは「劣化」と「不足」である。という答えです。
    ここでいう「成長」とは今行っている何かしらのイベントについて、
    (イベントとは行動や何かしらの行動を促す出来事のことを指します)
    過去や現在の自分よりも一歩先へ進めているかどうかを感じることを言います。
    「補足」とは足りていない「不足」状態にあると「不幸」になる
    「食事」や「睡眠」などの人間の「生命」に基づいた欲求であったり、
    「社会生活」、「所属意識」などの「生存」に基づいた欲求などを、
    自身や他人の行動の結果、必要な分量まで「補う」ことを言います。
    マズローの5(6)段階欲求の階層構造を参考にすればわかりやすいですが、
    第2回の記事ではこちらに準えて解説しているので、詳しくはそちらをご覧ください。

    そして、これらの「幸福」の実態である「成長」と「補足」を
    手に入れる方法に「努力」を「努力エネルギー」と表現して、挙げさせて頂きました。
    基本的には「努力」をすることによってのみ、「成長」と「補足」を
    可能にし、「幸福感」を得ることができるという結論です。
    つまり、逆に言えば「努力」を怠れば「成長」もせず「停滞」か「後退」をしてしまい、
    「補足」を必要としたものが「不足」して常時「不幸」な状態になってしまうということです。
    なので、日常的な、且つ継続的な「成長」は自身が「幸福」になるために
    必要なことですよ、という重要な事実を表しています。
    ちなみに、この「努力エネルギー」は「努力後」に「能力エネルギー」に
    変換される性質を持ち、この「能力エネルギー」は該当する
    「努力エネルギー」の対象であったイベントについて関連性や互換性がある
    イベントについて「成長」や「補足」を補助する役割があります。
    そのため、関連性のあるイベントについての「必要努力量」を「下げる」ことができます。
    該当するイベントに関連した「能力」を手に入れることによって、本来の
    「必要努力量」よりも少ない「努力」によって「成長」、「補足」することができます。

    また、「成長」、「補足」を感じるためには「努力」、またはそれによって獲得した
    「能力」が必要だといいましたが、更にこれを「補助」することができる
    「人間」、「道具」、「社会環境」といった要素も存在し、これらを活用することによっても
    「必要努力量」を減らすことができます。

    ただ注意すべきこととして、これらの「補助アイテム」を「楽をする」ために
    使用してはいけません、「努力エネルギー」からしか「能力エネルギー」は
    得られないので、「補助アイテム」に頼るほど関連性のあるイベントに対しての
    「必要努力量」の「能力エネルギー」を差し引いた「実質的必要努力量」を
    下げることが出来なくなるので、毎回「補助アイテム」を利用せざるを得なくなったり、
    前回よりも必要以上の努力量を要求されるようになってしまいます。
    あくまでも「補助アイテム」は「効率よく」「合理的」な使用が好ましいです。
    「補助アイテム」を使用したとしても、1日における「努力量」を激しく低下させず、
    「多くのこと」をできるようにするための手段として使用しましょうというお話でした。


    【第3回:自分と他人を比べると不幸になる。「相対的幸福認識」の考え方】

    第3回からは、「幸福観」について考えていきます。
    「幸福」の正体は「成長」と「補足」であるというように
    解き明かしましたが、この「成長」と「補足」というのも、厳密に
    何かに定義されているわけではなく、実質「成長感」「補足感」というように、
    当人がそれらのイベントを「どう捉えているか」、ということが本質なので、
    要するにその捉え方を出来るだけ、歪曲した幻想的なネガティブなものではなく
    事実に近いポジティブなものにしましょう、
    という試みが「幸福観」についての説明の出発点です。

    そこで出てくるキーワードが2つ。
    「相対的幸福認識」と「絶対的幸福認識」という特定のイベントを
    「幸福」や「不幸」だと判定するための指標の種類を出しました。
    これらのキーワードは読んで字の如く
    「相対:人と比べて特定イベントにおける自分が幸福か不幸か判定する」
    「絶対:自分の考えだけで自分が幸福か不幸か判定する」
    といった意味合いを持っています。

    そこで第3回では「相対的幸福認識」についてまず説明させて頂いたのですが、
    結論から言えばこの考え方は非常に危険だという答えになりました。
    要するに「他人と自分を比べて幸福判定」することはよくないことなんですね。
    その理由として特に主立って挙げられるのが、
    「人と比べるというのは、比べる人が変われば幸福か不幸かの判定も
    その都度変わってしまう、現実とはかけ離れた幻想的で空想的な結果である」
    というものでした。
    これは要するに人と比べてその人と張り合っても、小さな世界での戦いであって、
    その勝敗は「幸福」か「不幸」かを正しく正確に安定して示さないよ、ということです。
    1つの結果が「幸福」か「不幸」か判定して仮に「幸福」だとある人と比べて判断しても、
    他の優れた人と比べた瞬間に「不幸」に落下します。
    つまり、その特定イベントにおける自分が「幸福」か「不幸」かという事実は分からず、
    自分が比べる相手を選ぶことによって「幸福」にも「不幸」にも変えられてしまう、
    という幻想的で空想的な現実世界を生きる我々としては、危うい考えになってしまうということです。

    そして、多くの人は自分よりも下の人を比べる対象として選び、特定イベントにおいて
    今の自分が本当は「不幸」であるのにも関わらず「幸福」だと幻想的に判断したり、
    自分よりも上の人を比べる対象として選び、特定イベントにおいて
    本当は「幸福」であるのにも関わらず自身を「不幸」に見立てたりするのです。

    こうした誤った判断は、自身が「幸福」に向かう際に、どんなことをどの程度すれば
    いいのかという判断をも誤らせる原因になります。
    そのため、本当は打ち込みたいことなのに、気取って自分は
    満たされてるから別にそんなことをしなくてもいい等言うようになったり、
    自分は現状に満足しているからお金もいらないし恋人もいらないと、
    自分に嘘をつくようになってしまいます。
    自分や他人に素直じゃなくなってしまいます。「こじらせる」と言うのですが。
    こうした人々は「幸福」になる機会を悉(ことごと)く逃してしまうのでどんどん
    「不幸」な方に足を進めてしまうという特徴があります。
    僕個人の意見ですが現代でよく言われる「本音」と「建前」。
    本当に大事にすべきはどっちなのだろうと哲学家として思う今日この頃です(←どうでもいい)

    こうして自分の実状の判断を誤らせ、自分に素直じゃなくなったり、
    幻想の個人の空想上の評価に踊らされてしまう(自分が優れていないという思い込み)
    原因であるこの「相対的幸福認識」は、しない方がいいですという結論が出ていますが、
    こと「他人と比べることでしか成しえないこと」においては例外を示します。
    例えば「入試」であったり「この人を追い抜かしたい!という野望」等は、
    この「相対的幸福認識」を利用しなければ逆に現実を見失ってしまう原因になります。
    この2つや、他のそういった例外には概して共通点があります。
    それは、必ずそれは「他人と比べた先」に「努力」を必要とするということです。
    つまり、「努力」をして追い抜かすつもりがあるならばこの
    「相対的幸福認識」をしてもよい、又はこれを必要とするものに臨んでもよいわけです。
    「相対的幸福認識」による「比べた結果」だけを見て「一喜一憂」して終わるだけならば、
    決してしてはならない、ということです。
    「努力する理由」にしてはよいけれど、「やらない理由」にするのは駄目ということですね。

    この「相対的幸福認識」と「絶対的幸福認識」。
    双方は「相対」⇔「絶対」といったように言葉の上では対応関係にありますが
    幸福判定のシステムプロセスの上では
    「絶対的幸福認識」→(のち)「相対的幸福認識」(を行う)
    という一方通行の関係にあります。
    つまり、「絶対的幸福認識」をした後に「相対的幸福認識」、
    要は幸福判定をした後にいちいち人と比べなければOKということです。
    そして更に、つまりはこの「絶対的幸福認識」によって
    「幸福判定」を出して、「人と比べなければOK」ということになります。

    なので、「絶対的幸福認識」の説明をしていきますよという流れになります。



    【第4回:知ってれば永遠に毎日幸せ。「絶対的幸福認識」の考え方】

    ここからは元記事ではとんでもない文章量になっていたので、
    こちらではスマートにしたいという気持ちを持って書いていきます。

    この「絶対的幸福認識」というのは
    「他人と比べない自分で判断する幸福観」
    のことを言い、これは2つに分かれます。
    「主観的幸福観」と「客観的価値観」の2つです。
    後者が「価値観」となっているのは、所詮は他人のいう客観的な情報に
    過ぎないので、あまり鵜呑みにして自分が適用していく必要はないよ、という
    無機質な属性を持たせたいのでこう表現していますが、両者は対応関係にあります。

    まず「主観的幸福観」ですが、これは
    「自分の内側から自然に、無意識に沸き起こる幸福観」のことを言います。
    これも更に4つに分かれます。

    ①基礎的欲求
    ②パーソナル
    ③自動化
    ④目標
    (⑤思い込み)←元ページの方では書いてないです。

    まず①の基礎的欲求は人間の生物由来の本能的なことです。
    食事や睡眠に幸福感を覚える、ということで、
    この①に関してはほぼ全ての人間に共通して言えることです。
    この①の項目で「幸福」になるためにすべきことは生活科学でよく言われる
    「良質な睡眠と良質な食事と適度な運動、生活リズムを整える」ことです。

    次に②の「パーソナル」ですがこれは「趣味や嗜好」を表しています。
    ①と違って個人によって内容が違います。運動を好むか読書を好むか
    はたまた運動でもマリンスポーツを好むか、ランニングを好むか、
    人によって違います。それから梱包材のぷちぷちを潰すのが好きだとか
    生物の中では蟻が一番好きなどの特殊なものもここに属します。
    要するに自分が好んでいる「趣味や嗜好」が満たされれば「楽しい」だとか
    「幸せ」だとか感じる要素がこれです。
    この項目については質の高いパーソナルと質の低いパーソナルがあって、
    出来るだけ質の高いパーソナルによって一度に「大量の幸福感」を
    手に入れましょうというお話を展開しました。
    その条件として主要なものを取り出します。(全部は第4回の記事にて)

    ①フロー体験「没頭して時間を忘れる」
    ②他人との共有「人と一緒に出来たり、結果を話し合ったりできる」
    ③自由「自分がやりたい時にできる」
    (キャンプが趣味でもキャンプ動画、雑誌を見たり、道具を買ったり揃えたり
    するという、いつでもできるものが付随するものは該当)
    ④成長感や達成感を感じることができる(何か作ったり、スコアが可視化されている等)
    ⑤受動的ではなく能動的
    という5つを満たしていると得られる「幸福度」はとても高いです。

    もし、自分のパーソナルがこれらを満たしていなければ、
    他に自分のパーソナルを新しく見つけてみたり、そのパーソナルを
    これら5つを満たせるように延長、拡張させてみるのもいいかもしれません。

    そして前項③の「自動化」というのは「客観的価値観」である「社会、一般的な価値観」や
    「第三者個人の価値観」が自分の思考領域に刷り込まれて、
    もう人に言われたり何かを参考にしなくても自動的にそのイベントが発生した
    瞬間に幸福判定が行われるようになる現象のことを言います。
    例えば、今ダイアモンドを手にすれば皆さんは恐らく大喜びすると思います。
    しかし、このダイアモンドの価値を知らなければ今とは反応は全く違うでしょう。
    これが「自動化」に該当する「主観的幸福観」の一例です。

    ④の「目標」はあるイベントに対し「目標」を立て、それを
    達成することによって得られる「達成感」です。
    この④は他の3つと比べてかなり重要なもので、
    「目標」というのはあらゆる事に自在に設定できるので
    0から1を生み出すように無から「幸福」を生み出すことができます。
    その為、日々可能な限り「目標」を設定し、それに挑戦していくことが推奨されます。
    目標設定のコツはマクロ的(大局的)目標とミクロ的(局所的)目標を分けて
    設定することです。前者は最終的な目標、つまり全体像で、
    後者は今からやる分の小さな目標のことです。小さな目標は、現在の自分の1歩先の
    難しすぎず簡単すぎないものを設定する事がコツです。
    また、目標を達成した時は「多少大げさに喜ぶ」と得られる「幸福度」が上がります。

    ⑤については元記事の方では説明していなかったんですけど、
    「思い込み」というのは、自分にとってこれが幸せなんだと
    特定のイベントの結果に対して思い込むことです。
    理論体系完成後に思いついたものなので、組み込まれておらず、
    ここでは説明を省かせて頂きます。


    そして、「客観的価値観」というのは
    「自分が知らないことやわからないことについて、何かを参考にする意識的な幸福観」のことを言います。
    これには「社会、一般的価値観」と「第三者の個人的な価値観」の2つがあります。
    「幸福観」について「知識」をもってして判別するものがこれに当たります。
    それは社会で定められるような宝石の「金銭的価値」であったり、
    高偏差値の大学への進学などといった「概念的価値」であったりがあります。
    それについて知らなければ幸福不幸の判断はなかったり変わったりしたかもしれませんが、
    知っていることによって、そのどちらかに明確に判断が下される「知識」を言います。

    ただし、この価値観は「主観的幸福観」とは違い、本人が本能的に
    納得することができない価値観もありますので、あくまでも参考程度にする必要があります。
    例えば後者の例でいう高偏差値の大学への進学こそが「幸福」で
    それ以外が「不幸」だという価値観を妄信していれば、そうならなかった現実に対して
    自分は「不幸」だと思い込んでしまう原因になります。
    俗に言う「学歴コンプレックス」というものですが、その結果の有利性に関わらず、
    自分は現在の自分でしかいられないし、そこからいかに「幸福」を掴むかということのみが、
    自身の明るい未来を作りうることなので、嘆くよりかは嘆かない方がよいのです。

    こうした、自分が納得できない価値観が「主観的幸福観」でいう「自動化」として
    自身の「幸福観」に刷り込まれてしまうとそれによって苦しむ羽目に陥ってしまいます。
    そして、それに勘付いた人々は、積極的にその価値観を自身の中からどうにか排除しようと
    努力をします。
    ここでは、そうした強制された、もしくは自分の「主観的幸福観」に変わってしまった、
    所詮は1つの価値観を、本来は決して自分の「幸福」には関係がないものである、
    という事実を提示し、それに囚われる必要などまるでないということをお伝えしたいです。


    ということで、第1回から第5回の「絶対的幸福認識」の重要性についてまで、
    お話しました。ところでここまでの総括をします。

    要するに、(↓クリックで元記事に飛びます)
    ①人生を生きる意味は「幸福」になるためである。
    ②「幸福」の実態とは「成長」と「補足」である。
     それを手に入れるために日々「努力」をしましょう。

    ③他人と比べることで「不幸」になるので絶対にやめましょう。
    ④自分の感じる「幸福」は生まれつき決まっている、そのためそれを知りましょう、
    探しましょう、思い出しましょう。そして積極的に生活に取り込みましょう。


    という話の流れです。
    ひとまずここで、第1~4回までのまとめを終わります。
    元記事では図も使って詳しく解説しているので、興味がある方は
    そちらをご覧になってください。


    ついでどうして現代には「不幸」が溢れていて
    中々「幸福」に踏み出せないのかというお話もしておきますが、

    原因としてやはり当てはまるのが「他人」の存在です。

    これは幼子を考えればわかりやすく、生まれてから自己を確立させるために、
    自分のことに精一杯な幼子はとても「不幸」には見えません。
    本人も恐らく「自身」のことについて悩んでいるそぶりも見せないでしょう。
    我々大人の「悩み」の形態からはかけ離れた存在です。
    眉間に手を当て悩んでいる幼子はいません。
    また、第二次性徴の時期では恐らく全ての少年少女は独自の「悩み」を抱え、
    「悩み」を持たない人の方が珍しくなるでしょう。
    恐らくここから幼子との明確な違いが生まれてきますが、これは一体何なのかという
    お話です。
    先に述べた通り、この「悩み」を産んでいるのは100%「他人」の存在です。
    もし、人が1人で生まれ1人で生き続ける、もしくは存在する「他人」が
    全員あなたを肯定するだけの味方であればあなたは「悩む」ということを知らないまま
    一生を遂げるでしょう。
    しかし、現実は違います。多くの人はあなたに無関心であなたに敵意を持っていて、
    あなたを縛りつけ、あなたの自由を奪う存在です。
    そんな敵と敵になりうる存在に囲まれて生活していればこれについて
    頭を抱えずにはいられないでしょう。
    何故、他人を敵だと思うのか、というお話は【Neria社会論】あたりで
    解明していく予定でいるのでここでは省きますが、
    実質内的(頭の中)にも、外的(現実)にも他人が敵であるというのは変えられない事実です。

    ですが、この「他人」という「敵」は、攻撃しなければ反撃してこない性質を持っているので、
    自分から加害しない限りは基本的に無害なわけです。
    なので、はっきりいって「敵」だと認識していても「敵」に囲まれている!
    と身を縮めるよりかは「加害しない」選択を取って、
    後は自分の自由にやればよいのです。
    「自分の自由=加害」であると拡大解釈をしていると、自分が自由にできなくなるわけです。
    そうした結果、「幸福」を手に入れる機会を失い、「不幸」に見舞われる可能性が高くなるわけです。

    面白いことにと言ったら大変失礼ではあるのですが、
    不思議なことに、多くの人は「自分の自由=他人への加害」であると捉え、
    「他人への加害→自分への敵意」というように、この拡大解釈をしていますし、
    この大勢がしている勘違いを他人に強要するようになるんですね。
    なので、「自分と他人の幸福を願う」のではなく「自分が進んで他人の為に
    不幸になっているのだから、他人も同じようにするべきだと彼らの不幸を願う」ように
    なっているんですね。「協力して繁栄、発展、進化」していくのではなく、
    「足の引っ張り合い」をしてしまうという、何とも非合理的な選択がまかり通っている現代なんです。

    そこでいかに「加害しない自由」を選択できるかが「幸福」になるキーとも言えます。
    ですが、「法律、規則、規律、常識、良識、倫理」などが日に日に増えていっています。
    これに抵触することがいわゆる「加害」に当たりますので、現代ではどんどん
    他人への「加害条件」が厳しくなっていっているんですね。
    なので、現代ではどんどん上に上げた「自分の自由」を押えつけ
    「不幸」に向かう人々が増えていく傾向にあるのではと僕は少し心配です。

    そのため、この【Neria幸福論】も本当は多くの人に見てもらいたいのですが・・・。
    まぁ今はいつか多くの人の目に触れるようになるだろうと信じて、書き続けていきます。

    ちなみにですね、上の「自由になれないせいで不幸になる」ということに関して、
    【Neria幸福論】の次にやる【Neria自由論】で解説する予定でいます。
    【Neria自由論】とは「自由の概念」についてお話する論になるんですけど、
    よくいう「自由」ってそもそもなんぞやみたいな、加減を間違えると
    他人への迷惑行為だとか非常識な行動になるだろうし、どこまでやっていいの?
    ってそういうのがたぶん曖昧ではっきりしないから、本当は許される
    自由についても足がすくんで「幸福」な選択が出来なくなる人が多いと思うんですね。
    後ですね、その常識とか良識とかそういうのも結果的に個人が「不幸」になる
    ルールにしちゃったら意味ないじゃん!ってことで、その常識や良識とされることについても
    ある程度、個人のために反抗していく姿勢って必要だよねなんて話もしたいです。
    皆が皆ルールだからって「自分の首を絞めるような守ることでしか意味を成さないルール」
    を守ってたらそれは人類の破滅への誘いに他ならないので、それをぶっ壊してやる誰かが必要になってきたりするんですよね、的な話もします。

    と、無駄話が過ぎてしまいましたが、
    今回はあくまでも今までの流れを書いたに過ぎないので、
    詳しくは元ページをご覧ください、ということで次回は
    今までやってきた「個人の幸福」以外の「他の幸福」についてやっていきます。