【Neria幸福論第3回】 自分と他人を比べることで不幸になる。相対的幸福認識の考え方
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【Neria幸福論第3回】 自分と他人を比べることで不幸になる。相対的幸福認識の考え方

2019-03-06 00:10
    どうもこんにちは。哲学家のNeriaです。

    ひと月ほど時間を空けてしまいました(^^;)
    動画投稿をしてみて、色々と問題が見えてきましたので
    少し考え直す時間を作ろうと思い、ひと月お休みさせていただいたのですが
    結局考えがまとまることはありませんでした。

    とりあえず、下手でもやっていかないと先に進まないので
    一先ずこちら主体にして、動画の方はまたこちらでやった内容を追いかける形で
    後々作っていくことにします。
    ということで、補足ではなく100%に近い内容になっております。
    「自分と他人を比べるな!相対的幸福認識の考え方」ということで
    第3回をお届けしていこうと思います。

    まず、今回のキーワードになる「相対的幸福認識」について説明します。
    こちらと相対するのが「絶対的幸福認識」なんですけど、
    読んで字の如く、人と比べて感じる幸福と人と比べず勝手に自分で感じる幸福の
    2種類ありますよ、って話なんです。

    今回ご紹介する「相対的幸福認識」、つまり人と比べて
    自分が幸せかどうか判断する、という幸福の認識の仕方は
    結論から言っちゃうとあんまよくないよって話をこれからしていこうと思います。

    例を出しますけど
    ①「自分が5万もらって、もう一人は10万もらった」
    ②「自分が5万払って、もう一人は10万払った」
    というケースがあったとしますね。
    すると、①では不思議と不幸な気持ちになって
    ②では得をしたかのように安堵の気持ちになりますよね。

    つまり、何が言いたいかというと、この
    他人と比べて幸福かどうか判断する「相対的幸福認識」というのは
    実際の幸福不幸とは全く関係ない独立した、現実とは異なった
    幻想の幸福感を抱かせるので"危険"なんですよってことなんです。

    本来ならば喜ばなければならないところで悲しみ、
    悲しまなければならない時に喜んでしまうんですね。
    現実に起きることというのはそのまま次に現実に続けて起こっていくことと
    関連性があるわけですから、1つの認識を履き違えてしまうと
    その次の選択を誤ってしまう恐れがあるわけです。

    例えば先ほどの例で言えば、①のイベントが再度起こりうるとしますね。
    すると、自分が5万もらえてももう1人が10万もらうのが気に入らないので
    イベント自体を拒否してしまう、という選択をしてしまうわけです。
    これでは、本当はもらえたはずの5万がもらえず結果的に損をしてしまいます。

    こうして、現実的な正しい判断をし続けた人間と
    幻想の「相対的幸福認識」をし続けた人間とでは、
    現実で獲得できる多くの環境構成要素(お金、物など)
    に差が生じてしまうのは当然の結末と言えます。

    本来であれば幻想というのは現実を直視したくがないゆえに
    逃げる理想の世界であるのですが、
    この「相対的幸福認識」というのは恐ろしいことに
    幻想であるのにも関わらず、当人には極めて重要な現実だと
    認識されてしまうんですね。

    澄んで底がしっかり見える綺麗な川に幻想のワニを見出して
    恐れて泳ごうとしなくなったり、泳ぐことが相当難しいことのように思えてしまうんです。
    もし現実だけを直視していれば泳ぐことも川を渡ることも容易で、
    悩む必要もなければ、考える必要性もないのですが、
    視界にいもしないワニがずっと映っていれば、こんなに容易いことも
    途端に難易度が跳ね上がって、当人には過剰なストレスになったりするんですね。

    なので、ここで推奨したいのが。
    「人と自分を比べるな!」ってことなんですね。
    勿論比べること全てがいけないわけではないんですけど、
    比べることによってそこに「幻想」が発生してしまうんですね。
    この「幻想」をうまくコントロールしてやることができなければ、
    捉われるか踊らされるかして、現実とは乖離した思考の持ち主になってしまう
    恐れがあるんです。
    なので、自分の幸せや不幸については一々人と比べず
    自分が思っていることだけで判断していきましょうね、ということです。


    以上で「相対的幸福認識の考え方」について終わります。
    後は例のごとく長い補足をしていきます。

    実はですね、他人との比較、というのは言いえて妙で、
    比較対象というのは完全に他人だけというわけではなく、
    ここには「過去の自分」と「未来の自分」も含まれるんですね。
    結構心当たりのある人もいるとは思うんですが、
    栄光の過去を持っていたり、未来の自分の理想が高すぎる人は
    常にこの差に苛まれ、日常的に不幸を感じていることと思います。
    高い理想を掲げるのと、過去の自分と比べるのがよくないのは、
    この幻想的な幸福認識が根幹にあるからなんですね。

    当然なんですけど、人生には波があります。
    水戸黄門の歌にもありますけど、良いこともあれば悪いこともあるわけです。
    この良いことと悪いことを大げさにピックアップして比べれば
    そりゃそこに大きな差があるのは当たり前の話なんですね。
    でも、自分は過去がどうであれ未来がどうであれ、現在の地点で
    最良だと思える選択をしていくことしかできない訳ですから、
    いい時と比べて自分を不幸に貶める行為は現時点では何の役にも立たないわけです。
    ということで、未来も過去も思わず今だけを見据えて生きていきたいものです。

    話の筋とは一旦離れますけど
    未来の自分と過去の自分を今の自分と切り離す手段として「瞑想」があります。
    「瞑想」の極意とはただ自然に存在する自分の「在るがまま」を体言して
    体に植えつける行為なので、未来や過去の邪念や柵(しがらみ)を
    綺麗さっぱり取り去ってくれるんですね。
    未来も過去も言ってしまえばただの思い込みで「在るがまま」とは程遠いものなので、
    自分の「在るがまま」が体言されていくと綺麗さっぱり消えてしまうんです。
    色々余計な考えが頭を巡って落ち着かない、自分は人と比べて不幸だ、と思う人は
    一度「瞑想」をしてみるといいです。恐らく「瞑想」をしていると
    自分の素直な気持ちがひょっこり顔を出すと思います。
    それは自分が犯していた過ちへの贖罪の念であったり、本当は持っていたけれど
    思考の霧に阻まれて見えていなかった好奇心であったり。
    そういった「瞑想」によって気づいた自分の気持ちに素直になって、
    それを目的や目標にして次の行動に繋げてみるとよかったりします。
    ちなみに未来への希望や過去の思い出が消える心配はありません。
    人間のもつ「在るがまま」とは自己生存の前提になぞらっているので
    都合のいいことにプラスの感情は残り続けるんですね。
    「瞑想」は最初は一日15分座禅かあぐらをかいて壁に向かって
    半目でボケーっとしてるだけで大丈夫です。
    Youtubeには「瞑想」用のヒーリングミュージックなんかもありますから
    流しながらやることによってそれっぽい雰囲気を作ることもできます。
    一応姿勢と呼吸が大事と言われてるので背筋をしっかり伸ばして、
    呼吸は吸うのと吐くのとを丁寧に規則的にやってれば良いと思います。

    話を戻しますねw
    引き続き長い補足なんですけど、
    実はこの「相対的幸福認識」にもいいことが1つだけあるんです。
    そして、これはかなり重要なことです。
    上の本筋で紹介しなかったのは、これはえてして人が無意識にやってしまうことで、
    尚且つわざわざ自覚して伸ばしたり治す必要のあるものではないからです。
    上の幻想に捉われて実際の現実以上に不幸になってる人には
    「相対的幸福認識」を知って、「人と比べてるせいでそうなってる」という
    事実を理解する必要があるんですけど。
    こっちは知ってても知らなくてもどっちでもいいちょっとした補足ですね。

    それでですね、それは何かというと
    「ある特定の値を取りたい時の必要エネルギー指標&自分の現在の値」
    を知る為の手段ですね。「値」っていうのは「幸福値」のことです。
    自分が今一般的にどれだけ幸せなのかということを、
    その母体に属する他人の数値の中から比べて判断して、
    目指す値と今の自分がどれだけ差があり、そこに辿り着く、追い越すには
    どれだけの努力量やどのような方法が必要なのかを考える指標としては非常に有効ということですね。
    基本的には「他人と比べることでしか幸福になれない」イベントというのがあるので
    そういったものについては「他人と比べて現在値、必要努力値」などを調べて
    追い抜かす努力をしましょうね、という話です。
    調べて比べて、その差に「絶望」や「優越」して終わりでは駄目です。
    必ず、努力などの行動に繋げる必要があります。
    例えば入試テストの点数なんかそうですね。
    人と比べることでしかその点数に意味を見出せないような出来事です。
    模試等を受けるのもこうした「努力」の理由なんですね。
    決して、差を知って絶望して「諦める」理由にしてはいけません。
    「努力」に必ず繋げなければならないというわけです。

    というように語調を強めて言いましたけど、実際これに関しては
    知識上知らなくても、上達したい出来事に関しては皆さん勝手になると思うので
    説明しなくても大丈夫なことなんですが、一応補足に置いておきます。

    人と比べるっていうのは無自覚にやっちゃうことなんですけど、
    絶対にやめたほうがいいですね。
    「負けず嫌いの人」が他人と自分の結果を比べて幸福を感じるのって
    「努力家」だからなんですよ。他人と比べて勝つ努力を本気で一生懸命やってるから
    前回の話(1ヶ月前)ですけど「成長」して幸福感を得ることができるんですね。
    でも、多くの人はそんな必死に他人に勝とうとはしないわけじゃないですか。
    そういう競争意欲が少ない人が他人と自分を比べるとただ差に
    「絶望」して「諦めて」しまうだけなんですね。
    自分は別に「負けず嫌い」じゃないなぁとか思う人は他人の結果なんか気にせず
    自分の幸せをゆっくり自分ペースで成就させていく方がいいんですね。

    ということで、次回はその自分の幸福たる「絶対的幸福認識」についての
    お話となります。気になった方はフォロー、チェックよろしくお願いいたします。

    それではバイバイ!


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