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【Neria幸福論第4回】毎日永遠に幸福になれる。絶対的幸福認識の考え方
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【Neria幸福論第4回】毎日永遠に幸福になれる。絶対的幸福認識の考え方

2019-03-09 19:25
  • 1

どうもこんにちは。哲学家のNeriaです。
動画と違ってぶっ続けで書き続けられるのでブログは凄くやりやすいです。

楽ですねwwwwww

まぁ楽ばっかしてるのはよくないですから
また動画作成にいつか戻ります。
いつかとは? いつかである。我々がその気になr(ry

今回の内容は前回の「相対的幸福認識」の逆の「絶対的幸福認識」になります。

キーワード「絶対的幸福認識」の説明ですけど、
人と比べて幸福か不幸かを判断する「相対的幸福認識」の逆で、
人と比べず自分の中の価値観だけで判断するのが「絶対的幸福認識」です。

今回はですね、こちらの「絶対的幸福認識」を推奨するお話になります。
前回の「相対的幸福認識」は人と比べるのは、実際の現実とは独立した
幻想の幸福感を植え付けられて、思い込みの世界で不幸になる原因になりますよ
というお話をしました。

こちらの「絶対的幸福認識」もまぁはっきり言えば思い込みです。
というか人間は脳に情報を入れて独自に処理して判断することしか出来ないので、
人間が認識する世界は全部思い込みの世界と言っても過言ではないんですけど、
こちらは思い込み、にしても実に現実的で建設的な思い込みなので全然OKです。

今回この「絶対的幸福認識」を推奨するお話になるんですけど、
具体的に「絶対的幸福認識」とは何かを説明するお話になります。
それは、「絶対的幸福認識」を知った方がいいからなんです。
では何故「絶対的幸福認識」を知った方がいいかというと、
つまりこれを知ることは「自分が幸せになる方法」を知ることと同義だからです。
タイトルで毎日永遠に幸福になれると謳ってますが、
自分が幸せになる方法を知っていればいつでも好きな時に幸せになれるねって話しなんです。
ということで、小難しい話ですが解説していこうと思います。

前回の例を引用してきましょうか。
①「自分は5万もらって、もう一人は10万もらった」
②「自分は5万払って、もう一人は10万払った」
①では5万もらって幸せ、②では5万払って不幸だ。
という結論で終わります。もう一人は~の文面によって
その幸福、不幸の判断が逆転することはありません。
自分が5万もらったり払ったりして、現実に自分のアイテム(金)が
増減していて、それしか自分の現在のステータスやそこから可能となる
未来の行動選択肢を変化させる要素がないのでそこで幸福不幸判断して終わりです。
もう1人がどうであっても自分の現実的現状ステータスは何も変わらないわけです。
前回と比較しますと、いかに「相対的幸福認識」が幻想的な判断をしているかが分かりますよね。
この「絶対的幸福認識」の出来る人は、物事の判断を正常に行うことができて、
「相対的幸福認識」に惑わされてる人より選択を誤らない傾向にあると言えます。

「相対的幸福認識」とは他人と比較して決める幸福判断のことを言うんですが、
この「絶対的幸福認識」についてはちょっと崩して説明する必要があります。
実はこの「絶対的幸福認識」はとある2つの要素によって成り立っています。

それは
①「主観的幸福観」と
②「客観的価値観」です。
②が「幸福観」ではないのは、「幸福」というのは自分の中から
湧き上がってくるものなので、ただの「他人の持つ参考の情報」としての属性である
②は「幸福観」と表現するにはちょっと無機質すぎると思ったので
あえてこうしています。まぁでも①と②は対応関係にあると思っていただければよいです。

「絶対的幸福認識」を説明するにこの2つの説明は欠かせないものです。
しかし、説明すると物凄く長くなってしまうので、
次回と次々回に個別に説明したいと思います・・・・と思ったのですが、
動画だと長くなると色々マズいですが、ブログなら一気に書いても大丈夫説ありますよね。

・・・・試験的に一回でまとめてしまおうwww
文章なんだから長くて上等!まとめて書いちゃいます。
またなんか不都合が生じたら分けます・・・・。

ということで、まず図があるのでこちらをご覧ください。

※図1


最初にざっと図の説明ですけど、
主に「相対的幸福認識」と「絶対的幸福認識」によって幸福判断は行われ、
「絶対的幸福認識」は更に「主観的幸福観」と「客観的価値観」に分解されます。
そして、その2つも更に細分化されるという形になっています。

「主観的幸福観」を一言で言えば、自分の内側から勝手に発生する無意識的幸福観です。
「客観的価値観」は、自分の内側では判断できないので外部の一般的価値観や
第三者の個人的な価値観を参考にして、幸福か不幸か判断する意識的幸福観です。
他人を参考にするという点は「相対的幸福認識」と似通ってますが、
大きな違いは比べているわけではなく、大本となるデータを知るために
人の意見を聞いたり、一般的価値観を参考にするという点です。

もう一つ図(にする必要あるかわからないですけど)を用意したのでご覧ください。

※図2

要するに、幸福認識は「絶対的幸福認識」によって幸福か不幸か判断してから
その結果を「相対的幸福認識」によって上書きするというプロセスになっています。
「客観的価値観」は人と比べる前の0の知識を1にする段階と言えます。
わかっていることを人と比べて上書きするのが「相対的幸福認識」であり、
わからないことを人や一般的価値観を参考にして調べるのが「客観的価値観」になります。

では、早速「主観的幸福観」の説明に入りますが、
図1の通りこの子も更に4分割されます。
①「基礎的欲求」②「パーソナル」③「自動化」④「目標」の4つです。
1つずつ解説していきます。

①「基礎的欲求」
これは、「主観的」と極めて個人的である「主観的幸福観」の中でも、
多くの人間に共通する人間の持つ生物的本能を由来にした幸福観です。
空腹が満たされたから幸せ、よく眠れたから幸せなどですね。

②「パーソナル」
これは、①とは逆で個人の持つ、際めて個人的な幸福観です。
例えば多くの人に共通するもので言えば「読書が好き」「スポーツが好き」、
細かく言えば「推理小説を読むのが好き」「マリンスポーツが好き」など、
全員には当てはまらない個人差のあるものです。
「梱包材のぷちぷちを潰すのが好き」「鳥居の写真を撮るのが好き」など
極めて特殊な嗜好も含まれます。

③「自動化」
これは、「客観的価値観」が当人の中で「普遍化」したものです。
要するに「客観的価値観」が自分の中で常識化して、それが該当した場合
自動的に「主観的幸福観」としてパッと幸福判定できるようになったものです。
例えば、今みなさんがダイアモンドを手に入れたら一瞬で喜びますよね。
ダイアモンドが価値のあるものだと知らなかった頃はこうはならないわけです。

④「目標」
これは事前に目標を設定していた場合、それを達成した時に発生するものです。
①~③のどれとも違いますが、目標というのは何に対しても立てられるので、
無から幸福を生み出すことができる最強の幸福観だったりします。

ということで、「主観的価値観」の要素4つの個別の簡単な説明は終わるんですけど、
この中で、①と③についてはあまり話すことはないです。
①については、規則正しい生活と良質な食習慣の徹底など生活科学の中で
よく言われてることに気をつけていれば問題ありません。
(まぁそれが崩れているのが多くの現代の人々の問題点であったりするわけですが)
③については、「客観的価値観」の項目に片足突っ込んでるのでそちらで補足します。

そしてこの「主観的価値観」の項目において最もお話したいのはこの②と④についてです。
②「パーソナル」と④「目標」これが具体的に皆さんが幸福感を感じたい時に、
行うべき行動なんですね。要するに①に気をつけて②と④だけしてれば
毎日幸せに暮らせるというわけです。

②「パーソナル」はおおまかに言ってしまうと趣味ですね。
なので、趣味の時間を多く取れるように趣味に積極的になりましょうね、ということです。
一日の時間の使い方となると、大きく分けて
生活、セカンドプレイス(職場や学校)、趣味、その他、となると思います。
このうち、このその他の使い方というのが非常に重要で、見ていただけたら
わかる通り、生活、つまり食事だとかお風呂だとか睡眠ですね、こういった時間と
セカンドプレイス(職場や学校)は固定で使われる時間だとして、
(ファーストプレイスが家で、サードプレイスがよくいくそれ以外の場所です。)
その他の時間によって趣味の時間が決まってしまうんですね。
つまり、この生活でもセカンドプレイスでも趣味でもない時間を多く使っている人は
趣味に当てられる時間が少なくなり、「パーソナル」の幸福を逃しているわけです。
わかりやすく言えば一日で「無駄に使っている時間」のことです。

この「パーソナル」の趣味についてどんなものがいいかとか解説したいんですけど、
まぁ「パーソナル」といっても僕が皆さんのそれを推測できるものと、
全く出来ないものに分かれてくると思います、まず。
推測できるものの1つ、つまり多くの人に共通するであろう「基礎的欲求」と
も取れるような「友人との会話」や「テレビ、スマホ」など。
これって、何か心なしか「無駄に使っている時間」にかかっている気がしませんか?
勿論これは「パーソナル」に所属します。厳密に言えば「基礎的欲求」とも取れるんですが。
この無駄かどうかっていうのは、感覚的にそれが建設的であるかどうか、
何かを生み出しているか、何かに繋がっているか、という判断基準があります。
要はこれのどれにも該当しないけど何か楽しい、「パーソナル」が
「無駄な時間」を使っているように思えるわけです。
しかし、まぁ先ほども言いましたけどこれは一応は「パーソナル」
(もしくは「基礎的欲求」)の区分です。
何も生み出してなくても一応「幸福感」を得ているので。
要するに、「無駄な時間」というのは「幸福感」も得てないような、
ない方がいいとさえ思えてしまう時間のことです。
ともすれば、先ほどの「友人との会話」、「テレビ、スマホ」でも該当するケースはあるわけです。
例えば友人と飲みにいっても何も話さない、何をするわけでもなくぐだぐだしている、楽しくない。
興味もないテレビを暇だから見ている、見る必要のない情報をスマホで見ている。等。
「友人と会話」することも「テレビ、スマホ」を見ることもそれ自体は
悪いことではなく、「パーソナル」区分なんですけど、その目的が明瞭でなかったり、
質の薄いようなことをしていると「無駄な時間」が判定勝ちしちゃうんですね。
やることはきっちりと目的を持って。ということですね。

そして、そういう曖昧で非建設的だとか言ってしまえば失礼極まりない
話ですけど、主に何かを作り出すわけでもない受動的な趣味というのは、
実はあまりお勧めはできません。まぁそれもどちらかと言えばの話ですけど。

何かを作る趣味の方が、幸福感を得るのにてっとり早いからです。
これは④の目標も関わってくるんですけど、何かを作ると大抵その時点で
ちょっとした目標なんかを小さなことに無意識で立てたりします。
例えばDIYなんかで言えば、木材1つ切断するにも綺麗に切ろうという
目標を作るわけです。そうした小さな目標を1つ1つクリアしていく
達成感も地味にあるわけで、受動的な趣味よりも多くの幸福感を得られます。
しかし、受動的な趣味というのは自分でコントロールできないので
成すがままにされてしまって、何かを乗り越えようという気にもならないし、
ちょっと辛辣な言い方になってしまいますが、脳みそを一切働かせず、
自分で何かを手に入れるという喜びを得ることができないんですね。
勿論、手間もかからずいつでも自由に見ることができるので楽ではあるんですけど、
同じ時間を使うのであれば、能動的な趣味をした方が効率はいいわけです。

まぁどんな「パーソナル」を選択して、一日の時間に当てるかは人それぞれでは
ありますけど、ちょっと今回は「質の高い」「パーソナル」とは何なのかということを
ちょっと提案させていただく都合上、一応要素を見て優劣をつけさせていただきます。

まず「パーソナル」、意訳すれば「趣味」ですね。これは、「幸福感」を得るため
のものと仮定します。「時間を潰すもの」ではないです。
潰すとか文字通り本当に人生という時間を無駄にしちゃうだけなので。
「幸福感」というのは「楽しさ」や「成長感」、「充足感」ですね。
「パーソナル」はこれは極めて個人的な嗜好で、誰しもに共通するものではないです。
なので、1人がスポーツを好み、「パーソナル」として有用だと主張しても
読書好きの人にとっては「パーソナル」となりえないわけです。
そのため、おすすめの「パーソナル」といっても具体的に何かを提案するわけではなく、
ある要素を持ったものが「パーソナル」として「質が高い」というお話をします。

①時間を忘れることができる。
②日常的にしたい時に自由にすることができる。
③成長感や達成感を感じることができる。
④人を巻き込んですることができる。
⑤金銭的な問題が発生しない。
⑥マイナスの感情が勝らない。
⑦お金になる。
⑧日常生活に支障をきたさない。

まず①の「時間を忘れる」ですが、これはフロー体験と呼ばれるものです。
恐らく短期的な観点で見た場合これが一番重要な指標になると思います。
それをしている時に、楽しいか楽しくないかというよりかは、
時間が過ぎるのを早く感じるかどうかが「幸福感」を得ているかどうか
判断するのにてっとり早いです。人間は楽しい時間はあっという間に感じ、
苦痛の時間は長く感じるようにできているので、もし、皆さんが
時間が経つのを忘れるぐらい没頭できるものを見つけたらそれが、
皆さんにとっての良質な「パーソナル」と言えます。

次に②の「いつでもできる」ですが、これは、「幸福感」を得たいときに
能動的に得ることができれば、「幸福感」のコントロールができるので、
比較的恒常的に「幸福」でいられるので極めて重要です。
多くの条件を要し、特定の場合にのみ成り立つ「パーソナル」は
主体として持つのはあまりお勧めできません。
しかし、例えばキャンプが「パーソナル」だとして、キャンプ動画を見る、
雑誌を見たり、器具を揃える、準備をするなどもそれに該当するので、
特定の場合にのみ成り立つ場合でも、比較的容易に行える行動が付随する場合には
この②の条件を満たしていると言えます。

次に③の「成長感」ですが、これは完全にあるものとないものに区分されると思います。
しかし、上にも述べた通りあった方が得られる「幸福感」が多いので、
毎回同じ結果にならず、少しでも成果が上がるような「パーソナル」をお勧めします。

④の「人と一緒に」ということですが、これは非常に重要と言えます。
1人でやるよりも複数人でやった方が得られる「幸福感」は多かったりします。
1人の方が好きな場合でも、1人でそれを行った結果を他の人とシェアすることで
「幸福感」を得られることもありますので、1人で完結せず他の人を
巻き込めるような「パーソナル」が理想的です。

⑤の「金銭的問題が発生しない」ということですが、これは
「パーソナル」のせいで日常生活に必要な金銭が不足してしまうと
結果的に不幸になってしまうので、あくまでも余裕が持てる支出量の
「パーソナル」を選択する必要があります。ご飯を我慢してまで
それに執着していてもそれは幸福とは言い難いです。
むしろ、その「パーソナル」に依存しているせいでご飯が食べられない不幸に陥っています。
依存を解消して、自分が無理なくできる「パーソナル」を選択することが必要になります。

⑥の「マイナスの感情が勝らない」ですが、例えば
ギャンブルが「パーソナル」な人も多く見かけますが、
ギャンブルはマイナスの結果にも多く成りえますので不幸な結果を受け入れる羽目になります。
恐らく皆一様にそこがいいんだ!とおっしゃられると思いますし、
人間の心理的にそういった揺さぶりにおける興奮の魅力もわかります。
というより、まぁどのパーソナルにも「失敗」や「停滞」などの
マイナスの感情を作る要素はあるんですが、そこを自分の力で
乗り超えられる能動的な属性があるか、ただ待つだけで神の采配によってのみ
決められる受動的な属性かどうかというところが問題です。
第2回でも言ってたんですけど、ギャンブルなどの受動的な試みは
再現性がないので、一度成功しても続けて同じことを二度成功させることはできないんですね。
なので、永遠に神様に振り回され続けるという図が出来上がるんですね。
そんなものは傍から見ても幸福には見えません。自分の時間やリソースは
誰かに振り回される為にあるわけではなく、自分でコントロールするためにあります。

⑦の「お金になる」ですが、幸福度合いとはおそらく関係はないですが、
自分の「パーソナル」自体に金銭的価値が生じるというのは
良質な「パーソナル」の1つの要素であると言えます。
なんだかんだ金銭というものは幸福に直結する1つの個人リソースでありますので、
それらが増加するのは好ましいことと言えます。

⑧「日常生活に支障をきたさない」まぁ、依存性がない、とも取れますかね。
例えば一番の例で言えば「ギャンブル」ですが、「お酒」なんかもそうですね。
金銭的な問題や、身体の問題、時間の問題、要するに上にも述べた
生活とセカンドプレイス(学校、職場)の領域を脅かさないもの。ですね。
これら2つを疎かにすると一気に人生の難易度は跳ね上がっていき、不幸になりやすいです。
あくまで、「パーソナル」は余った時間のみで完結するものがいいです。

ということで「パーソナル」についての説明は終わります。
自分にとっての「パーソナル」って何なんだろうというように、
自分が好きなこと、過去に好きだったこと、これからやってみたいことを書き出してみて、
その中で上記の項目に該当する良質な「パーソナル」を選択してみてください。

次に前項④の「目標」についてですが、こちらも非常に大事です。
第2回でやった通り幸福の正体とは「成長」である、ということから、
「達成感」を得る前段階の「目標設定」というものが比較的簡単に「幸福感」を
得られる手段としてありますが、これは本当に最強です。0から1を生み出します。
「目標」というのはあらゆることに自由自在に設定できるので、
極端なことを言えば、行動の全てに「目標」を設定すれば、
ずっと一日中幸せでいられるというわけです。
なので、どんどん「目標」設定してみましょう!というお話です。

ここでその「目標」設定するコツなんですが、2つあります。1つ目は、
自分ができそうだな、と思える範囲内で少し頑張らないと達成できないものにすることです。
「達成感」というのは「成長感」なので、自分が簡単にできてしまうものでは
感じることができません。自分がまだできていない領域で、尚且つ
不可能ではない、無理のないところで設定することによって、
その「目標」を達成した時に「成長感」、「達成感」を感じることができます。
2つ目は、最終的にどうなりたいかを漠然と捉えておくことです。

これはマクロ的(大局的)な目標と、ミクロ的(局所的)な目標の2つを立てようという話です。
基本的に「目標」設定がうまくいかず、失敗してしまう人の理由に
このどっちかしか設定しない、というものが1つあります。
「目標」設定する時はこの2つをしなければ駄目です。
駄目です!って言い切るほどのことでもないんですがw
まぁ、「目標」にも今達成する目標と最終的に達成する「目標」の2つがあるよ、
ということを理解していただけたらと思います。

まず、マクロ的(大局的)目標ですが、最終的にどんなようになりたいか、
道のゴールを漠然と想像して、そこに思いを馳せるようになります。
そうすることによって、自分がこれからしていく「努力」に対する
受け皿を用意することができます。受け皿というか目盛りのついた
ビーカーのようなものを想像していただけたら分かりやすいんですけど、
最終的にこうなりたいというビーカーを作って、そこにちょっとずつ水を
入れていくという形になりますかね。「目標」の体系化って奴ですね。
自分が何をしたいのか分からない状態で小さな「目標」を作っても、
行き先を見失ってしまいますからね。このビーカーを水で埋めてるんだという
自覚があった方が、自分の行動に意味を見出しやすいです。

次にミクロ的(局所的)な「目標」ですが、先ほど用意したビーカーに
今日はどこの目盛りまで水をいれようかというのがこちらになります。
先ほど説明しちゃったんですけど、自分がまだできていないことで、
今頑張れば出来そうな1歩先を「目標」にするといいです。
そしてこれを達成することによってその日に即座に「達成感」を感じることができます。
そしてミクロ的(局所的)目標を達成した「達成感」と、
マクロ的(大局的)目標を進めた「達成感」と両方得ることができます。
ちなみに、ビーカーの目盛りの例えを出しましたけど、基本的にこうした
「目標」の達成状況や進捗状況を目で確認できたりすると「達成感」を味わいやすいです。
なので、それらをスコア化したり、記録していつでも見られるようにしておくことを
お勧めします。
それからミクロ的(局所的)目標を達成した時に、多少大げさに喜ぶといいです。
いぶし銀に小さくガッツポーズでもいいですが、やったー!なんて手を上げて
喜んでみても、達成感は増し、目標設定した利益を最大限に受け取ることができるので、
できるならやってみた方がいいです。

大きな「目標」を立ててしまって達成できずに失敗する人は
「目標」には2種類あるということを知っていない人です。
大きな「目標」はあくまでも最終的なマクロ的(大局的)目標であって、
今すべきはミクロ的(局所的)目標であるということを理解しておく必要があります。
また、ミクロ的(局所的)目標は現時点の1歩先の簡単すぎず難しすぎない「目標」で
ある必要があるということです。


次に、「客観的価値観」についてお話します。
(この辺で分割すればよかったと本気で後悔してます。
最初「ブログ楽ですねwwwww」→今「瀕死」 「目標」設定下手男でした。)

「客観的価値観」とは、自分の無意識から沸き起こるものではなく、
自分が知らないことについて何かを参考にして意識的に判定する幸福認識の方法をいいます。
「客観的価値観」には図2の通り二種類あります。
1つは「社会的、一般的価値観」です。
これは例えていうなら金銭的にほぼ統一されたダイアモンドなどの共通の価値を持つものや、
「幸福」という言葉の代名詞となりうる結婚やホワイト企業への就職などを言います。
要するに、自分がそれを知らなければそれを「幸福」と認識することはないですが、
知っていれば「幸福」であると認識できる事柄を言います。
一般的に普通に生きていれば多くは自動的に皆さんのもとに情報として入ってきます。
しかし、特殊な事例である場合はその幸福判断をするために自分からその情報を
調べたりして、自分の幸福度を測ります。

例えば色のおみくじがあったとします。緑や桃、白、青など様々な色があり、
開くとその色だけが認識できる状態だとします。すると、皆さんはこの結果の意味を、
具体的にもっと言えば自分が幸福な当たりを引いたのか不幸な外れを引いたのか、
この色の持つ意味を積極的に調べようとします。多くは同封された別紙に書いてあるか、
社務所の窓口に張り紙がしてあると思いますが、それ無くして結果への意味づけは難しい状態です。
こうした、幸福か不幸かという結果に導かれそうな性質を持つ状況になった時に、
この「社会的、一般的価値観」という指標を使います。
ただし、「主観的幸福観」と違って「価値観」という言葉を使用したのは、
これらは本人のパーソナリティーからは極めて離れた無機質な情報としての
属性を持っているからなのです。そのため、その自分以外の納得できない
「価値観」を是とする必要はなく、自分はそうは思わないと思えばそれでもよいのです。
色占いの結果、灰が不幸の象徴だったとしても好きな色が引けたから幸せだと思えば
それは幸せなのです。まぁ、こちらは極めて珍しい事例ともいえますが、
例えばダイアモンドを手に入れたとしても自分にとってはただの綺麗な石ころだ、と
全く感情が揺さぶられない方ももしかしたらいるかもしれません。
ということで、自分の内から自然に発生せず、価値観をあくまでも参考情報として、
尚且つ納得できなければ拒否することもできるという特質上、「幸福」の枠組みの中では
少し特殊な部類に入るものなのです。

2つ目の「第三者の個人的な価値観」と言いますが、上記が社会上、人間が
ある程度共通の認識を持っている常識的な価値観だとすれば、こちらは
第三者個人の極めて個人的な価値観です。要するにこの第三者次第では、
一般的な価値観とは大きく離れた特殊な価値観である可能性もあります。
ただし、即座に一般的な価値観を参考にすることができず、近くに
意見を求めることができる信頼できる第三者がいた場合はこちらが優先されたりします。
一般的な価値観から離れているため、一般的な価値観よりかは信頼度が劣る性質があります。
例えば、この石綺麗だけど宝石かな?という疑問に対し、一般的価値観では
高値がつく宝石であり、第三者の個人的な意見では綺麗だから価値がありそうというようになります。この時、相談者は前者であれば有無を言わさず喜んで持ち帰り、
後者であれば少し悩んでから一応持ち帰ります。そうした幸福判定における信頼度には
差があるという違いがあります。

そして、「主観的幸福観」の方で紹介した3つ目の要素「自動化」ですが、
人から聞いて知った「客観的価値観」が自分の中で普遍化することによって、
他人や社会がそういうのなら、という判断ではなくそのプロセスをもはや介することなく、
自動的に湧き上がるようになる、という変遷をする特徴を示したものです。
「偏差値の高い大学に行くことは幸せなことである」という、
もしこれを知り得なくても大学期に得られる所属の幸福観はあったとしても、
これを知っていたがゆえにそうならなかったことに若干の「不幸」を感じたり
するようになります。所謂「学歴コンプレックス」というものですね。
こうして、「客観的価値観」が深いレベルまで刷り込まれると
それはもはや個人の「主観的幸福観」になりえるということです。
この「刷り込まれた客観的価値観」がもしかして自分にとって「毒」になっているのでは?
と感じ、気づく方が現代には多くいますし、恐らくそれは間違っていません。
その為に後からこの「毒抜き」をしようと努力なさる方が多くいらっしゃるわけなんですね。

僕のこの活動もそんな方への小さな支援が目的であったりもしますが、

この「刷り込まれた客観的価値観」というのは多くの場合、
本人が元々持ち合わせていなかった「本能(基礎的欲求)」「本能(パーソナル)」外のもので、
人間として、生物として本能的に不調和を起こしかねないです。
源泉が自分の本能でないが故に、知識としては正しくても本能的に体が拒否しちゃうんですね。その為、この「自動化」された「客観的価値観」については、
それを「主観的幸福観」として、自分に強制するのはあまりお勧めはしません。
あくまでも無機質な参考資料として使うことをお勧めします。それが本来の色です。
そう考えれば、図2のこの子だけ色を変えてもよかったかもしれませんねw

まぁ「幸福」、「不幸」には源泉が個人由来の極めて本人に近いものと、
本人からは離れた他人由来のものがありますよ、それを分けて考えないと、
「幸福」や「不幸」についてよくわからないで、本当に自分がしたいことも
わからなくなっちゃいますよ、という注意点も「絶対的幸福認識」にはあります。


ということで、「絶対的幸福認識」を構成する「主観的幸福観」と「客観的価値観」
についての説明も終わったことなので、これら2つの内容を交えて総括していきます。

「絶対的幸福認識」とは、本来の人間個々人の「幸福」のあり方について、
最も重視すべきものです。その内約から引っ張って具体的にいうなら、
「主観的幸福観」の「基礎的欲求」「パーソナル」「目標」を満たす努力を
することこそが、個々人が「幸福」になる為の具体性を伴った手段です。
「基礎的欲求」は睡眠や食事、健康など人間を「生物」として認識した場合、
「健やかな生命活動」を行えるある一定を保証しなければならないという、
基盤づくりがそのまま「幸福認識」に直結します、そのため、「幸福」のために
「生活リズムをしっかり整えて食生活や運動には気を配りましょう」
ということで、
「パーソナル」は個々人にとって趣味とは「幸福」へ直結する要素なので、
食事睡眠等の生活やセカンドプレイス(職場、学校)を除いた
趣味以外の無駄な時間を削って、極力趣味に時間を当てましょうね、
その中でも、良質な趣味とは、時間を忘れることができる「フロー体験」の
起こること、他人を巻き込めたり、成長が実感できるものですよ。
ということで、
「目標」は目標達成こそ簡単に日常的に「幸福」を感じる手段なので
あらゆるものに目標設定してみましょう。そして、
マクロ的(大局的)目標という長期的に見たときの最終的な目標と、
今からやること、というミクロ的(局所的)目標という両者を設定して、
ミクロ的(局所的)目標は今の自分よりも1歩先の場所に設定しましょうね、
というお話でした。
そして、「客観的価値観」は鵜呑みにせずに情報として利用する程度にしましょうね、
その中で自分と折り合いをつけて自分の目指す人生を生きていけばいいです。
決して自分の本意ではない「客観的価値観」に踊らされて自分の本当に
やりたいことを見失わないようにしましょう。ということです。

最後になんですけど、実際自分の「幸福」のみを追い求めている場合、
傍から見たらお花畑の妖精や自分勝手のように見えてしまうことがあると思います。
要するに、自分のことばっかり考えてちゃ駄目なのでは?って話なんですけど、
こちらについては、また新しい図を用意したので、
こちらの規則(ルール)に関する図をご覧ください。

※図3



この図はこの先やるであろう「Neria自由論」、「Neria社会論」的な項目で何度か出てくると
思うんですけど、
結構個人寄りの意見になって風刺的な図になってしまってるので作り直し必須ですねw
実際は社会方面のルールを守ることの重要性も同時に唱えるための図です。
一応図3の解説をすると、「法律」ってのは犯せば社会的に罰則が存在する
明文化されたものです。「常識」というのは守らなければ人間性を疑われる
明文化はされていないけど、多くの人が守る(べきと言われている)マナーのことです。
「コモンセンス」というのは「良識」というものです。
多くの人はやらないかもしれないけどやったらいい人と思われることですかね。
本来ならやらなければならないと思われている「常識」に近いものなんですけど、
まぁやらない人が多いこと的なイメージで大丈夫です。「常識」との境界は曖昧ですね。
最後の「私的知性」というのは、そのまま崩せば「自分はこう思う」という、
その個人の生活環境や性格や状況に鑑みた極めて質の高い個人の信念のことです。
図にも書いてあるんですけど左にいけば行くほど社会に得があって、
個人に得はないルール、右に行けば行くほど個人に得があって社会に得がないルールです。
後は左の社会寄りになればなるほど、拘束力は強く(法的であったり、他人の白い目線であったり)、破れば罰則や不利益を蒙るレベルも強くなり、
右に行けば行くほど軽視されがちですが、破っても個人がしょんぼりするだけです。
度合いをしっかりつけようと思えばつけられるんですけど、一応
この図で伝えたいのは全部大切なことだよー。だから左も右も両方
認められる社会になるのがベストだよねーと言いたい図なんですけど。
一応今回はちょっと違う目的で使用します。

つまり、今回のトピックである「絶対的幸福認識」とは、
一番右端の「私的知性」のことを指してるんですね。
そして、今回一応「私的知性」を大切にしましょうね!という話の流れだったんですけど、
この図からもわかるとおり、「私的知性」だけを大切にすると
他が疎かになります。そして他が疎かになる不利益を蒙るのは当人なんですね。
なので、この図になぞらっていうならば、
法律は絶対に犯さないように、常識もできるだけ守って、人に迷惑かからないような
ある程度の社会的な良心(マナー)、道徳心(モラル)を持った上で、「絶対的幸福認識」による
「自己の幸福感」を高めていきましょうね、
なぜならば、「私的知性」たる「絶対的幸福認識」だけを重視していたら、
「法律」、「常識」、「コモンセンス」に反し、それに順ずるだけの社会的制裁
(投獄、罰金、無視、陰口、嫌悪等)が待っているから、というお話でした。
左ばかり重視するあまり、個人の生活を犠牲にしてしまっていたり、
自分のやりたい事やするべき事がよくわかってないために
左にエネルギーの配分してますけど、そのせいであんま「幸福」になれない
人って結構多いと思うんですね、そんな方が「私的知性」たる
「絶対的幸福認識」に目を向けることによって丁度いいバランスになるのでは、
というのが本トピックの狙いです。

ということで、物凄く長くなったんで、どこかでまた
「Neria幸福論」の体系をまとめる時は分割します!
読んでくださった方、本当にありがとうございました。

ヘロヘロになりながら書いてたので
文章おかしいかもしれません、一応確認はしたんですが。
文章量については課題と見せかけて、カットすればそれだけ伝わらない
動画と同じジレンマを抱えてしまうので、暫くこのまま行きますw

次回は、一応「今までやった第1回~4回までのまとめ」をざっと簡単にします。
その次に「個人の幸福」についてばっかやってきたので「自分以外の幸福」、
つまり「他人の幸福」「他人との共有の幸福」「人類の幸福」「地球の幸福」
「物質の幸福」とか他にも「幸福観」ってありますよ的なお話をします。
全部しっかりやるわけじゃないです、ただの紹介みたいな感じで
恐らく「他人の幸福」「他人との共有の幸福」「人類の幸福」なんてのは
大分後になりそうですが、どっかで個別で詳しくやると思いますけど、
次々回は紹介だけで軽く終わらせる(軽く終わらせるとは言っていない)はずです。

興味がある方はフォローして頂いて、是非とも次回もご覧ください。


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実践します!
ありがとうございます


15ヶ月前
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