今日は若干まじめな話。
平成25年3月11日(月)はあの東日本大震災からちょうど2年目。
月曜日ということもあるのでしょうが、特番なども下図(転載:テレビ王国 2013/03/11 13:00~の番組表)のように去年よりも確実に放送する局はなくなっているといえましょう(もちろんテレ東は除きます)。
まだ2年しか経っていないというのに、これからも復興を続くというのに、各メディアは徐々にではありますが、しかし確実に報道しなくなります(その前日などに特番やドラマなどが放送されていたのはもちろん知っているのですが)。
ボクも普段は平日仕事をしている関係で昼間にTVを見る機会は少ないのですが、このように年を重ねるにしたがって徐々に「知る(思い出す)機会」を逸していくことで、人々の記憶からあの悲惨な出来事が風化していく。
これは避けられないのでしょうか。
18年前の阪神淡路大震災(平成17年1月17日 午前5時46分に阪神・淡路一帯を襲った大地震。詳細はWikipediaを参照されたし)のときも追悼式典などの中止などで風化してしまうのではないか、といった心配がありました。いまでも遺族にとっては決して忘れられることのない、あの出来事。
ボクもまだペーペーの新入社員でしたし同僚に尼崎出身の方もいました。(その会社はもうないのですが)数年後に実家を訪ねた際に家の壁に残るひび割れをみせてもらい、「あぁ、まだ終わってないのだな」と思いました。
復興しようとしたときに一番大事で忘れてはならないこと。それが「記憶を失う(または薄れてしまう)」ことだと思うのです。
ただ、あまりに私たちは日常を過ごすときに自分のことで手一杯になりがちですし、ときとして処理しきれないほどの問題を抱えたりします(阪神淡路大震災のあとオウム事件もあっただけに、より早く人々の関心が移ってしまったということもありましょう)。
では、どうしたらいいでしょう。ここにひとつの答えがあるのかもしれません。
リンクの先では「風化とは知ることを辞めること」と書かれています。ボクもまさにそのことがいいたいのです。震災に限らず、風化してしまう、記憶から薄れるということはそういうことなんだと思います。
できるだけ心にとどめておくというのは無理でしょう。ならば、ことあるごとに思い出す。振り返ってみる。そうすることで、日常を送るには少々おいてしまうかも知れないが忘れない。
たとえばクラウド技術を使うという手はないでしょうか?
これを読んでいる方の中には、DropboxやSkyDriveなどのクラウドストレージを使われている方もいるでしょう。その中に当時のPDFなどをクリップする。
そうすると、日常で使っていくときにふと「振り返るときの助け」になるはずです。そんなに大量じゃなくてもいいんです。ストレージを圧迫するほどの量も必要ありません。
思い出すための助けになれば。
そんなことを思いながら、本日は公式生放送のミラーをさせていただきました。
じゃあね。ばっはは~い。(<d>)ノシ