• ドワンゴの業績はどう推移してる?

    2018-11-21 17:17




    この記事では、ドワンゴのここ数年の業績の推移をまとめてみました。カドカワのではなくて、ドワンゴの業績推移です。


    ニコニコ動画で有名な「株式会社ドワンゴ」は、ライトノベル等の出版とアニメ・映画で有名な「株式会社KADOKAWA」 (かつての角川書店)と合併して、2014年に「株式会社KADOKAWA・DWANGO」になりました。合併といっても、新たに設立された親会社の下で両社とも営業し続けています。KADOKAWA・DWANGOはその後間もなく改名されて「株式会社カドカワ」になりました。カタカナのカドカワは親会社で、アルファベットの KADOKAWA は子会社。ややこしいですね。ちなみに、英語の社名は今も「KADOKAWA DWANGO CORPORATION」のままです。


    親会社のカドカワは何をしているのかというと、ペーパーカンパニー、というと言い過ぎですが、そこで事業をしているわけではなく、子会社すべてを管理する本社機能だけの法人です。容れ物みたいなものですね。


    さて、 親会社カドカワは東京証券取引所に上場されています。ですから、四半期ごとに発表される決算書類 を読めば、それなりにきちんと業績推移を把握できます。でも、ドワンゴ単独ではどういう経営状態なのかは読み取りにくい。


    しかし実は、ドワンゴの電子公告のページ には、一年ごとにですが、ドワンゴ単独の決算が掲載されています。あと、親会社カドカワのIRページには バックナンバー もあります。ドワンゴの業績推移を確認したいなら、親会社カドカワの四半期ごとの決算と、ドワンゴの一年ごとの決算を突き合わせて読み解くのがよいということになります。


    前置きが長くなりましたが、ドワンゴの近年の業績推移をみてゆきましょう。


    まずは、KADOKAWA と合併する直前、2013年の業績です。
    ドワンゴ 平成25年9月期 決算短信(2013年11月14日発表)

    売上高が359億円で、営業利益が21億円(純利益23億円)。日本の上場会社が3600社くらいあるなかで、これは売上も利益も真ん中よりやや下の規模です。ドワンゴはニコニコ動画を持っているのですごい存在感がありますが、会社としては(比較対象によりますが)決して大きいわけではなく、意外と小粒です。


    では、その一年後です。
    ドワンゴ 平成26年9月期 決算短信(2014年11月13日発表)

    売上高が415億円で、営業利益が32億円(純利益22億円)。一年前と比べて、売上も営業利益も大きく伸びています。いいですね! 純利益の減少は気にする必要はありません(営業利益の方が大事です)。


    その次の決算は、2014年10月に KADOKAWA と合併した関係で翌年6月(親会社カドカワとの決算と同日)、つまり18ヶ月後に発表されました。
    ドワンゴ 第20期 決算公告(2016年6月24日発表)

    売上高が323億円で、営業利益が11億円(純利益2億円)。
    売上がガクンと落ちているし、営業利益はたったの11億円になってしまいました。前年が良すぎただけかもしれませんが、ちょっと嫌な感じですね…


    さらに一年後。
    ドワンゴ 第21期 決算公告(2017年7月3日発表)

    売上高が307億円で、営業損失が2億円(純損失11億円)。
    損失…? そうです、損失です。売上がさらに減って、少額とはいえ損失が出ています。たまにはこんな年もありますよね。ま、まだ慌てるような時間じゃない…


    さらに一年後。これが最新の決算、つまり、去年度(2017年4月1日~2018年3月31日)の経営成績です。
    第22期 決算公告(2018年7月3日発表)

    売上高が280億円で、営業損失が29億円(純損失29億円)。
    なんじゃこりゃあああああ!!! こ、この規模の会社で29億の赤字はやばい。売上も大きく減り続けています。
    この勢いで損失を出し続けたら、この時点のドワンゴの純資産は106億円ですから、あと4年経たないうちに会社が消滅します。…というのは過度の単純化ですが、それくらいの危機。売上か利益率をただちに改善するか、何かのコストを削るか、とにかく出血を止めなくてはなりません。売上や利益率を急に上げるなんて普通は無理ですから、要するにコストカットしかない。リストラ待ったなしということです。


    次にドワンゴの決算が公表されるのは2019年7月なので、いま現在(2018年11月)のドワンゴの経営状態はわかりません。傷口はふさがったのか、それとも血を流し続けているのか?

    先々週に、親会社カドカワの中間決算が発表されましたから、そこから多少は読み取れるかもしれません。見てみましょう。
    カドカワ 第2四半期決算短信(2018年11月8日発表)

    「Webサービス事業」の項目に、「セグメント損失(営業損失)は1億円」と書いてあります。これは、ニコニコ動画とその周辺事業の収支が、今年度の前半(4月~9月)はほぼトントンまで持ち直したことを意味します(…といっても、去年もこのセグメントは中間決算の段階では黒字で、通期の段階になって大赤字を計上したので、今年もそのパターンかもしれません)。

    去年、ドワンゴが29億円の大赤字を出したときは、この「Webサービス事業」というセグメントはどれくらいの赤字だったのでしょうか? 見てみましょう。
    カドカワ 平成30年3月期 決算短信

    「Webサービス事業」は「セグメント損失(営業損失)は10億67百万」と書いてあります。ドワンゴの去年の赤字29億円のうち、約11億円はここ(ニコニコ動画とその周辺)であったようです(カドカワの決算は子会社を横断してセグメント分けされているので、正確なところはよくわからないのですが)。このセグメントはその前の年は28億円の営業利益が出ていたのに、どうしてこれほどの損失が出てしまったのでしょうか。プレミアム会員数が減少に転じたところに「けもフレ騒動」が追い打ちをかけたとはいえ、プラス28億円からマイナス11億円への転落はひどすぎる。よくわからないですね。新たに他社と合弁で設立したバーチャルキャスト社への出資(二桁億円を費やしたらしい)とか、ニコニコの新プレイヤー開発費用とかが、すべてこのセグメントの赤字として計上されたのでしょうか。


    他にもよくわからないのは、ドワンゴの大赤字29億円のうち、約11億円がwebサービス事業だったとして、あとの18億はどこで出たのかということです。先ほどのカドカワの決算を見ると、「その他事業」で約14億円の損失が出ていますから、ここかもしれません。しかしこの「その他事業」はその前年も約16億円の損失を出しているので、やっぱりよくわからない。そして、ドワンゴで大きなリストラがあったという噂は特に聞かないのに、どうしてニコニコ動画の出血は止まってしまったのでしょうか。そこも謎です。もしかしたら、ニコニコ動画でも、他の何かの事業でも、たまたま大きな支出があっただけで、29億の赤字といっても大したことはなかったのでしょうか? 教育事業への大規模投資が赤字として計上された、とかかなあ? よくわかりませんね…



    さて、結論です。去年は29億円の赤字というひどい決算だったドワンゴですが、今年に関しては、中間決算の段階でニコニコ動画の出血が止まっているので、去年ほどの赤字は考えづらい。しかし、期末に計上される支出があるかもしれないし、他の事業でも損するかもしれない。結局は、来年7月に発表される決算を見るまではわかりません。でもまあ、あてずっぽうですが、2年連続で大赤字というのはとても格好が悪いので、がんばってトントンに近い決算を出すのではないかと私は予想します。しかし、たとえ赤字を止めたとしても、売上高の減少は止められないのではないか。心配です。

    しかしその一方で、売上げ規模はまだ小さいとはいえ教育事業(N高など)はとんでもない勢いで拡大していますし、株式会社バーチャルキャストも非常に元気です。ですから、たとえニコニコ動画が縮小しても、ドワンゴ全体(あるいは、カドカワ全体)ではそれほど悲壮感はないかもしれません。それにしても、せめてドワンゴ全体としての売上げ高が再上昇を始めてくれないと、「おっ今は儲かってなくても事業が成長してるんだな」という感じになりません。新事業の成否が正念場にさしかかっていると言ってよいと思います。

    私のまとめは以上です。「よくわからない」を連発して申し訳ありませんでしたが、これはカドカワも悪い。投資家から「もっと利益の出る経営をしろ!」と叩かれるのが嫌で、わざと大雑把なセグメント分けをしているのではないか? とはいえ、私の読解力ではこれくらいしかわからなかっただけで、決算書を読むのが得意な人はもっと色々なことがわかるはずです。

    ドワンゴの経営というと、ニコニコのプレミアム会員数の推移が一般的には最も注目されますが、これにかんしては他の方々の書いた記事があるので私はあえて触れませんでした。でも一言だけいわせていただくと、プレミアム会員数の減少はもはや決定的であり、ここから盛り返すのは厳しい。運営の新責任者・栗田氏はがんばっていると思いますが、ニコニコはまだまだ信じられないくらい使い勝手が悪いです(たとえばこのブロマガもiPadでは書けない。PCでしか記事を書いたり修正したりできないというのは一体どんな罰ゲームですか!?)。古参ユーザーは残ってくれても、新規のライトユーザーを再び獲得することは非常な難題です。

    (追記)
    うかつにもいま気が付きましたが、カドカワが「決算説明会概要」という資料を公開していますね(2018年11月8日発表)。これは今までになかったことです! 川上量生社長(自ら創業したドワンゴのトップを退きましたが、親会社カドカワの社長はしています)ら経営幹部が口頭で経営状況を説明していて、質疑応答もあり、とても読みやすい。
    しかしこれは逆にいうと、アナリストや機関投資家向けに丁寧な説明をしないと資金調達面で窮地に陥る局面があるかもしれない、と意識せざるを得ないくらいの経営危機ということかもしれません。だって川上社長は、「株価を気にする経営はぬるい」とまで言っていた人ですからね。投資家たちに気を使い始めたというのは相当のことだと思います。もちろん、新規事業への大規模投資のための布石という面もあるかもしれませんが。

    今回の私の記事は資料をあまり読み込まずに書いてしまいましたので、この「説明会概要」などを精読したら、もう一度記事を書きたいと思います。



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  • わたしは釣り人になりたい

    2018-08-25 15:36



    私の前職の会社の社長は、経理からトラックの運転から現場の作業まですべて自分でできてしまう「一身具現性」の塊のような人であった。そして、ポケットのいっぱいついたメッシュのベストをよく羽織っていた。そう、釣り人のための「フィッシングベスト」である。電卓や領収書やハンコやメガネやスマホやUSBメモリや十徳ナイフといったもの、つまり、自分で何でもやってしまう小企業の社長が必要とする小物をすべて身にまとっていた。

    大事な相手とのそれなりに高級なレストランでの会食でも、なんならそのまま行っていたかもしれない。ちょっと特殊な業界(もちろん海とは関係ない。むしろ非常にインドアな現場を点々とする仕事だ)だったからかもしれないが、それを問題にする人はいなかった。

    社長に影響されてか、その会社での私の同僚の何人かも同様のフィッシングベストを来ていた。そしてそのままレストランとかにも行っていた。

    「スマホで今はなんでもできるだろ、なんでそんな小物がいっぱい必要なんだよ?」と思う人もいるかもしれない。ちげーよ! それは純粋なオフィスワークの世界だろ? モノを作ったり直したり移動させたり準備したり片付けたりする現場系の世界ではとにかくいろんな道具が必要なんだよ。


    たしかにフィッシングベストは最強に便利である。「あれはどこだっけ」とものを探す時間も、「あれが手元にあればなあ」と悔しがることも限りなくゼロに近づく。しかし最恐にダサい。せめてレストランとか、周りの人が着飾っている場所にはそのまま行かないでほしい。いややっぱり職場の中であってもダサい。どうみても愕然とするほどかっこ悪い。無理無理無理。

    私は彼らのことを、嫉妬と侮蔑を込めて心の中で「釣り人」と呼んでいた。本当は私だってすべての小道具を身にまとっていたい。フィッシングベストを着たい。私もそれなりに多種多様な作業をこなさなくてはならなかったから、すぐに取り出せたら便利なのにという小道具はたくさんあった。しかし私の美意識がそれを断固として拒絶する。いや、誰のファッションセンスからいってもそれは許されない。いやだいやだ、私は絶対に釣り人にならないぞ! 私はジャケットスタイルと質のいい布地の服にこだわりオールデンの靴を履いて職場に行くようなおしゃれさんなのだ(職場についたらすぐ作業着に着替えなくてはならなかったけど…)。

    フィッシングベストではなくガジェット用バッグや腰袋でいいではないか、と思うかもしれないが、それは絶対に違う。バッグや腰袋は私も使っていたし、いろいろなものを試行した。

    しかし、ちょっとした休憩中や、(一日に一、二回、瞬間的にしか顔を合わせない同僚と)「あの人にあったらあれをしなきゃ」みたいなときや、現場の中や周囲を駆け回っているときに、とつぜん手元にちょっとしたものが必要になる。そういうときに限ってバッグや腰袋をどこかに置いてきている。やはりフィッシングベストには敵わない。



    そしていま、私はその仕事を離れて、(一時的なバイトだが)もっとふつうのオフィスワークをしている。フィッシングベストを着るという選択肢はゼロになってしまった。都会のオフィス街で典型的なオフィスワークをしている量産型オフィスワーカーのなかに、フィッシングベストを着て仕事をしている人なんてたぶんいないだろう。違和感がありすぎるし、上司だって許さないはずだ。

    前の職場とは違って純粋なオフィスワークの世界だから、基本的にはパソコン一台ですべての仕事が済むし、そのパソコンも職場に完備されている。周囲のみんなも軽装で出社している。私がコロコロのついたバッグを転がしていると「おや、このあとご旅行ですか?」と聞かれてしまうくらいだ(私は常に多くの本を持ち歩いているのでコロコロのついたバッグが手放せない)。

    だから実は、もうフィッシングベストの必要性は薄い。でも今だって、スマホ、モバイルwifiルータ、ACアダブタ、文房具類、ポストイットなど、身にまとっていたい小物はたくさんある。

    ほんとうは今でも釣り人になりたい。









  • 明晰なる曖昧さの恐怖 ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』

    2018-08-12 16:26

    十数年前にこの小説を読んだとき(土屋政雄訳だったか、行方昭夫訳だったか…?)にはこう思ったのだった――




    以下、重大なネタバレ注意!






    「幽霊はいなくて実は家庭教師の妄想にすぎない、と思いながら読んでいると、そうではなかったことが判明して愕然とする(実際に子供が幽霊に殺される)。かといって、幽霊が本当にいるとは言い切れない(グロース婦人の眼には見えていない)。しかし、家庭教師の幻視ではない証拠もある(家庭教師が見た幽霊の外見が生前のクイントに一致する)。ただし、家庭教師の精神がなにがしか病んでいることの証拠もある(怪しい男を見たのに何故かしばらく誰にも相談しない。子供と幽霊が結託しているという奇妙な思い込み)。どの解釈を選んでもどこかで辻褄が合わなくなる。この曖昧なる明晰さのなかに宙吊りにされる恐怖!」

    なるほど名作であるというふうに納得したのであった。



    今回は、新潮文庫の新訳(小川高義訳)で読み返してみた。
    そして、ググって見つけたこの論文
    “The Turn of the Screw”: 「序文」と『創作ノート』を手がかりに 名本達也
    (この作品の様々な解釈について、きわめて簡潔によくまとめられている。)
    で、今までなされてきたいろいろな解釈を知ってから読んだ。
    すると、最後に子供が幽霊に殺されるのは、実は家庭教師が絞め殺しているだけである、という解釈が紹介されている。私はその可能性は思いつきもしなかった。

    そういう目でこの小説を再読してみると、すべては精神を病んだ女家庭教師の幻視であり、子供を締め殺したのもこの女であるというふうにしか読めなくなってしまった。家庭教師が見た幽霊の外見と生前のクイントの外見が一致していたのは、グロース婦人が調子を合わせていただけなのだろう。

    仄聞するところ、この新訳は「すべては女家庭教師の妄想だった」という説に沿って読みやすい訳文になっているとも聞く(たしかに、土屋政雄訳をパラパラと読んでみたら、芝居を見ているような迫力に満ちていて、幽霊がいないなどとはとても思えない)。けれども、なんだか急につまらなくなってしまった。



    この解釈でも、物語のいたるところに曖昧で怪しげで未解決な点は残る。

    ・子供の叔父の紳士は何かを知っている(以前はよく屋敷を訪れていたのに、今では報告を受けることさえ拒否する。いったい何があったのか?)。
    ・男児は、他の児童に悪影響があるという理由で放校となった(自慰あるいは同性愛?)。
    ・クイントの死には他殺を匂わせる点がある(他殺だとすると犯人は誰か?)。
    ・ジョセルの死とクイントの死はどちらが先なのか? この二人の死は関連しているのか?
    ・叔父の紳士はクイントとどういう関係だったのか?(これも同性愛?もしかしてクイントやジョセルを殺したのはこの叔父?)

    この他にも、幽霊はいたのかいなかったのか?子供はなぜ死んだのか?という点に比べれば小さな点であろうとはいえ、未解決で曖昧なところがいくらでもある。なにしろ、全編のあらゆる台詞が曖昧模糊としているのだ。さらに、この物語の語りの構造のレベルにも多くの謎がある。

    ・ダグラス自身はこの話のことをどう思っているのか? 「凄惨」とか「容易にわかるさ」などとむにゃむにゃ言っていてさっぱりわからない。
    ・「私」が女家庭教師の手記を「書写した」のはなぜなのか? そこで何らかの改竄が行われたと疑わざるを得ないではないか!
    ・ダグラスと「私」はどういう関係なのか? 相当に親しい友人であること以外には何もわからない。
    ・そもそも「私」は誰なのか? 小説家ジェイムズと同一とみなせる存在なのか? 性別すらわからない。
    ・「私」が思いついたタイトルとは何なのか?「ねじの回転 The Turn of the Screw」であるはずがない。それは誰か他の人が言った、〈それなら二回転になるよ that they give two turns!〉というセリフと大して変わらないからだ。つまり、「私」はこの怪談にぴったりのタイトルを思いついたと叫んでいるのに、それが何なのかがさっぱり作品から読み取れないのである。私としては、この謎がいちばん許せない。なんなんだよもう。

    ヘンリー・ジェイムズはたぶん、いたずらに読者を煙に巻くことを目的とした小説を書いてしまったのだろう。あらゆるところを思わせぶりにぼかして書いただけであって、こんなのは名作でもなんでもない…。

    という気がしてくる。なんかもうやだ、この小説。



    先程の 名木論文 に戻ろう。この小説の発端は、ヘンリー・ジェイムズの「創作ノート」にその記録があるのだという。そこに記されているのは、ジェイムズがカンタベリー大主教から聞いた怪談が元ネタなのだということだ。

    カンタベリー大主教!

    我らが哲学者A・N・ホワイトヘッドの幼少期に影響を与えた、英国国教会の総本山のトップではないか!

    …といっても、我らがホワイトヘッドの家族と親交があったのはアーチボルド・キャンベル・テート(在位1868-1882)であって、ジェイムズがこの怪談を聞いたのはその直後の後継者、エドワード・ホワイト・ベンソン(在位1883-1896)である。

    哲学者ホワイトヘッドは英国人であり、その父は、カンタベリー大聖堂から16マイルしか離れていない教区の聖職者であり小学校校長という名士であった。カンタベリー大主教と家族ぐるみのつきあいがあってもなんら不思議ではない。

    しかし、アメリカ生まれアメリカ育ちのジェイムズが(ロンドンにも居を持つ名士文人であったとはいえ)、なぜ、カンタベリー大主教から怪談を聞くなどという機会に恵まれたのか?

    『ねじの回転』の曖昧さというのは、「創作ノート」に記された、大主教ベンソンの怪談が曖昧であったことと対応している。つまり必ずしも、ジェイムズが悪意をもって読者を惑わすために曖昧な話を書いたわけではなく、もとからひどく曖昧な怪談であったのだ。そしてこのカンタベリー大主教ベンソンは、奥さんは首相グラッドストンに「ヨーロッパ一の賢女」と呼ばれ11人の恋人遍歴のあるレズビアンで、二人の間に生まれた子供六人のうち夭折した息子一人を除く息子三人はみな作家や詩人になりみなホモセクシャルでそのうちの一人はホラー作家としても有名になり娘一人は芸術家でレズビアン残りの娘一人も作家というなんだかすごい一家(このへんはうろ覚えなので間違いがあるかも)の人でありたぶん本人もなんかすごい人なのだろう(?)。だとすると、その人が曖昧でつまらない怪談を語ったなどとはとうてい考えがたい。カンタベリー大主教ベンソンが語った曖昧でありながらその曖昧さに特異な面白さのある怪談を聞いたという体験をジェイムズが小説の形で可能な限り再現したと考えるべきではないのか?


    さらに、こう考えてみることができるのではないか?

    ジェイムズの『ねじの回転』に様々な解釈を施したり、それが傑作であるかどうかに頭を悩ませることよりも、カンタベリー大主教ベンソンはどういう人であったかを調べたり、この人が語ったその怪談とはどんなものであったのかを想像したりするほうが、もしかしたら楽しいのではないか? ジェイムズの『ねじの回転』は、実は元ネタであるベンソンの怪談の妙味を伝えきれていない可能性さえあるのではないか?

    …しかしこれについては、ヘンリー・ジェイムズやカンタベリー大主教ベンソンの伝記を読んでみたり、英語で調べ物をしたりしなくてはならないだろうから、私がそれをするにはちょっと時間がかかりそうだ。

    〔おわり〕