ホワイトヘッド『科学における一つの革命』(1919年)
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ホワイトヘッド『科学における一つの革命』(1919年)

2017-05-25 18:56

    ホワイトヘッドの1919年の雑誌記事、「科学における一つの革命」です。未邦訳だと思います。

    アインシュタインの一般相対性理論を検証する好機となった皆既日食が5月29日。
    その観測結果の公式発表が11月6日。
    そしてこの記事は、当時のイギリスの週刊誌『ネイション』11月15日号への寄稿です。
    このドラマチックな観測実験と、アインシュタインの理論の意義について、一般向け〔本当に一般向けになっているかは別として〕の解説をできる数少ない科学者として、ホワイトヘッドに白羽の矢が立ったのではないかと想像されます。

    原文は ここ で読めます(pp.148-153)。

    ================================

    科学における一つの革命

    A REVOLUTION IN SCIENCE


    11月6日木曜日、英国学士院(ロイヤル・ソサエティ)の会合で、王室天文官が公式に告げました。科学のさまざまな予言のなかでも飛び抜けて斬新奇抜な、ある一つの予言が立証された、と。

      〔王室天文官 Astronomer Royal 英国の優れた天文学者が任命される王室直属の上級職。ここではフランク・ダイソン卿を指す〕

    この機会にふさわしい舞台が整っていました。講堂を埋めつくす科学思想の指導者たち。英国学士院会長のジョセフ・トムソン卿。ほの暗い背景には、「見知らぬ思考の海を孤独に進む」者たちを長年にわたり迎え入れてきたニュートンの肖像画。

      〔ジョセフ・トムソン卿 Sir Joseph Thomson 1856-1940 ノーベル物理学賞(1906)〕
      〔「見知らぬ思考の海を孤独に進む」 ワーズワースが詩『序曲』でニュートンの知性を讃えた句〕
      〔ホワイトヘッド自身もこの日の会合に出席していた。『科学と近代世界』第一章参照〕

    公表される事実と、それによって左右される途方もなく広大な争点。この著しい対比が、ロマン的な雰囲気を高めました。


    公表されたのは、子供じみて単純といえるような、一つの事実にすぎません。  

    アインシュタイン教授は、〈太陽の背後の星々から発して、太陽の近くを通ってくる光線は、太陽の重力に引き寄せられるせいで、ほとんど知覚できないくらい僅かにだけれども、進路が逸らされているはずである〉という予測をしていました。

    光の進路がそれているならば、その結果はこうなります。見かけ上は太陽の近くに位置している星々(もちろん本当は、我々からはほとんど無限の彼方にあります)は、本来の位置〔太陽がないときに見える位置〕よりも、太陽の中心から僅かに遠ざかった位置に見えるはずである、と。

    〔しかし、〕一般に、そういう星々は観察することができません。太陽の光に圧倒されてしまうからです。

    したがって私たちは、太陽のすぐ周囲の空を遠くまで見ることのできる機会を待たねばなりません。

    そして、日蝕がそうした機会となる場合があるのです。月が太陽の光を遮断して、しかも都合のよいことに、ちょうど必要な大きさを超えず、したがって、太陽のすぐ周りの空を私たちが調べられるようにしてくれるという、そんな日蝕が起きるときです。

    観察の方法は写真です。月が太陽を背後に隠して塗りつぶしたときに、感光板の中心あたりに月がくるようにして、かつ、できるだけ多くの星々が写ることができるような具合に空を収めます。そうすることによって、天文学に必要とされる精密さで測定のできる写真にするのです。

    すると、その感光板のなかに写された星の配置は、既知の配置と比較できることになります。既知の配置というのは、太陽が上空にないとき、すなわち夜空に観察される配置です。

    繊細な観察をするため、そして、小さな誤差の除去と推計を行うために、ほとんど想像を超えるほど巧みな手段が行使されたのです。このような仕方でなら、太陽の存在に起因する微細な食い違いを(もし食い違いがあるならば)検出することができます。


    今年の夏、この実験にとって、滅多にないほど好都合な日蝕が起きました。そこで英国から、二つの遠征隊が派遣されました。一つはブラジル北岸のソブラルへ。もう一つはアフリカ西岸沖のプリンシペ島へ。

    アフリカ遠征隊は運に恵まれませんでした。

    ちっぽけな人間の好奇心に対して、自然は堂々たる無関心を示すのみです。肝心な瞬間に空の一部が薄雲で覆われてしまいました。そのため、感光板には二つの星が写っただけでした。

    ブラジル遠征隊はそれよりも成功して、最大八つの星が写った七枚の素晴らしい感光板を得ることができました。

    宇宙の理論は一体どうなるのかという大問題が、このほんの僅かな枚数の写真の検査結果に左右されることになったのです。

    この写真を調べる前には、三通りの結果のうち、どれになってもおかしくないと考えられていました。

    〈星の位置のずれは、まったく見られない〉という結果も考えらました。

    これは正統派の科学理論から出てくる結果です。

    〈平均で0.75秒角のずれが見られる〉という結果も考えられました。

      〔秒角は角度の単位。1秒角=3600分の1度〕

    この場合は、光に対して重力が、ある興味深い作用を及ぼしていることの証拠になります。これは、ニュートン本人が一つの可能性として示していた理論から導き出すことのできる作用です。

    そして最後に、アインシュタインの、〈ぶれは平均で1.75秒角のはずである〉という予測がありました。


    王室天文官はこう告げました。彼の判定によると、〈必要とされる全ての修正や許容差を考慮した結果、観察された偏差の平均値は、一定の不確実性の限界を伴いつつも、約1.9秒角である〉と。

    ソブラルで撮った感光板だけだと 1.98秒角、プリンシペ島の感光板だけだと 1.62秒角でした。


    この勝利は、アインシュタインの理論〔一般相対性理論〕にとって、唯一の勝利であったわけではありません。

    これ以前にもアインシュタインは、水星の軌道にまつわる、それまでの研究者たちが説明しようとしても歯の立たなかった、ある種の特異性を、同じこの理論によって解明していました。

      〔アインシュタインの1915年の論文『水星の近日点の移動に対する一般相対性理論による説明』〕

    他方で、失敗していることも一つあります。

    アインシュタインの理論によれば、一定の状況下では、太陽光のスペクトル線には、微小ではあるけれども観察可能なズレが生じるはずです。

    この結果は探されてはいるのですが、まだ観測されたことはありません。

    しかし、難しい観察ですから、さらなる確認が望まれます。

      〔重力赤方偏移が十分な精度で観測されたのは、ようやく1960年代に入ってからである〕


    アインシュタインの理論は、要約してしまえば、〈ニュートンの重力法則に一つの修正を加えたものであり、その修正というのは、量としては極めて微小である。〉と述べることができます。

    また、この理論は、光に対して重力がどれくらい作用するのか、ということにもかかわっています。

    さて、もしアインシュタインの理論が、ただこれだけのことであったとしたら、それはたしかに、科学にとって最高の重要性があることにはなります。ですが、まさに革命的である、ということには全然ならなかったでしょう。

    ニュートン本人が、みずから発見した法則を修正するものとして、この二つの条項のどちらもがありうると予想していたのですから。


    アインシュタインの様々な研究が興味の尽きないものである理由は、次のような事実にあります。すなわち、〈アインシュタインの研究は、重力の法則を調整して、相対性についての現代の学説――アインシュタイン自身が主な創始者の一人です――と折り合いのつくものにしたことに依拠している〉という事実です。

    相対性についての現代の学説を正しいと信じさせる実験的根拠は、アインシュタインがこの学説から演繹した重力法則を別にしても、なお他にもいくつかあります。そして、この学説〔相対性についての現代の学説〕を受け入れた多くの人も、これまでは、この特定の演繹〔アインシュタインの重力法則〕については信じようとしなかったのです。

    いま言ったような、さらなる実験的根拠というのは、〈光学的方法によっても、他の電磁気的方法によっても、地球がエーテル内を運動しているという証拠を見つけることに失敗した〉ということに関連しています。

      〔エーテル 空間内に充満し、光を伝えるために必要と考えられていた媒体。その存在は実験的に証明されず、また、特殊相対性理論などがこの概念に頼らずに確立されたため、現在は不要な概念とみなされている〕

    相対性理論というのは、電気に関係したデータについて研究をした数学者たちが作り出した理論です。ほとんどの物理学者は、従来は、この相対性理論を白眼視していたのです。

    しかし相対性理論は、実験による実証が、度肝を抜かれるほどの幸運続きとなりましたから、真面目に受け止めなければいけないものになったのです。


    相対性理論をよく知っている人であれば誰でも、物理学者がこれをなかなか受け入れようとしなかったことを、咎めようなどという気持ちにはならないはずです。

    この理論からは、突拍子もなく不思議な、いろいろな結論が湧き出てくるのです。そしてそれは、科学についての伝統的な哲学――その主要部分は、アリストテレスの教えが支配的であった中世の遺産です――と辻褄が合わないのです。

    その時代〔中世時代〕、人々は混乱した世界から逃避して、一定のこぎれいに整頓された思想のなかに安らぎを求めていました。

    したがって、近代の科学が17世紀にその歩みを始めたときも、〈一つの空間と一つの時間のなかを冒険してゆく一つの物質的宇宙〉という〔中世哲学的・アリストテレス的な〕概念を踏襲したのです。そのさい、この空間と時間は、この物質的宇宙の冒険というものがなければ、空っぽで何の出来事も起きないものとして捉えられています。

    科学は、観察されるいかなる出来事をも、〈一定の時に一定の物質は一つの場所にあり、その物質はどこか別の場所へ行きつつある〉という事実に基づいて説明しようと、うまずたゆまず努力を重ねてきました。

    偉大なる数学的哲学者、デカルトとライプニッツは、空間〔という概念〕については警鐘を鳴らしていましたし、そして科学は、ずっと昔から、名目上は、空間の相対性の学説を哲学から借りてきてはいました。

    これは次のことを意味します。〈物質が空間のなかにある〉と言われるのは名目上のことであり、空間とは、物質どうしの結びつきを表現する一つの方法にすぎない、と。

    したがって、〈まず最初に空間というものがあり、しかるのちにその中へさまざまな物事が置かれる〉ということはあり得ないのです。それは、〈まず最初に猫のにやにや笑いがあり、しかるのちに当の猫が現れる〉ということがあり得ないのと全く同じです。〔『不思議の国のアリス』の引用〕

    空間は相対的であるという、この学説は、空間中の物質の布置や運動についてのあらゆる言明を、ものの様々なかけらどうしの関係や、その関係の変化についての言明へと還元するものです。

    ところが、科学がこの結論を本当に真剣に取り上げたことは一度もないのです。そして科学は、〈実践上は絶対的運動を検出することは不可能なのだから、科学の推論と観察に入ってくるのは相対的運動のみである〉という事実に基礎を置くことで満足してきたのです。


    現代の相対性理論は、〔ものごとが〕相対的であるという学説を、時間へも拡張するものです。

    なぜなら、現代の相対性理論にとっての時間とは、さまざまな出来事どうしの、ある一定の結びつき方にほかならないからです――それらの出来事は、〈時間の中にある〉と、〔名目上は〕言われているのですけれども。

    しかしこの学説は、さらに遠くまで進んでゆきます。

    アインシュタインは、〈時間の測定が成し遂げられるのは、宇宙のなかの何らかの認識可能な存在――たとえば地球といったもの――の生活史 life-history を追跡することによってのみである〉という原理を主張しました。

    したがって、そうした存在のそれぞれは、おのおのが私的な時間を有していることになります。地球時間を採用している地球の住人たちが、宇宙全体の公共的時間を手に入れるとするならば、それは、宇宙の他のすべての部分との相互連絡の体系に基づいた判断によってのみである、ということになります。

    さらに言うと、地球住民にとってのその公共的時間というのは、さまざまな状況下にある他の天体にいる諸存在にとっての公共的時間とは違ってしまうはずなのです。


    実験から得られた証拠は、次のことを示しています。ある人にとっての時間を根本的に規定している天体がどう振る舞っていようとも、その人にとって、光の速度は、つねに同一のものとして現れる、と。

    光の推定速度というのは、量的な作用についてどんな議論をするときでも、重大な前提となるべきものです。なぜなら、その測定については自然界のすべての存在が一致することを期待できるという、まさに根本的な測定だからです。

    この仮定から、〈空間の測定と、時間の測定は、相互に結びついている〉ということが出てきます。

    さらには、〈宇宙のすべての存在は、同時性についての各自の判断すら一致しない〉ということも出てくるのです。

    〔たとえば、〕地球にいる人たちにとっては、出来事Aが出来事Bの前に起きている。ところが、とあるほうき星に棲む妖精アリエルにとっては、BがAよりも前に起きている。

      〔アリエル シェイクスピア『あらし』に登場する空気の妖精〕

    そうした食い違いは小さなものでしょうし、通常の観察ではまったく感知できないはずです。

    しかし、どんなに小さくたって同じことです。それでもこの食い違いは、ものごとについての何らかの理論――広く認められている科学哲学を破壊するような理論――を必要たらしめるのです。


    常識的感覚を公然と侮辱するような、この衝撃的な特徴がどこから生じているのかといいますと、それは本稿の筆者の意見では、革命家たちが十分に過激になり損ねたことからきているのです。

    たとえば、重力作用にかんするアインシュタインの結論の一部は、空間の〈歪み〉や〈曲率〉といった、逆説的な特性をもちいて表現されています。

    これは数学者たちにとっては、きわめて便利な表現様式です。

    しかし、相対主義的な理論に基づくのであれば、〈唯一無二のものとして存在する三次元的空間 a unique three-dimensional space 〉という、まさにその概念を放棄しなくてはならないのです。

    あなたが波の静かな日に蒸気船の一室にいると想像してみてください。

    床の一点を観察します。

    あなたにとって、これは動かない点です。

    この蒸気船が、錨を下ろした灯台船とすれ違ったとします。灯台船に乗っている人は、あなたのことを、〈多くの点からなる軌跡に沿った連続的な出来事を観察している〉と判断することでしょう。月にいる人は、あなたが観察している場所 locus はどこなのかについて、もっと複雑な判断をすることでしょう。

    相対性を受け入れるならば、無時間的な空間の一点というのは、単純に、〈特定の諸状況のもとで観察されるであろう理想的に小さな出来事の連なりからなる集合体〉なのです。

    したがって、ひとが空間について語るとき、その空間の意味とは、観察をしている状況が決めるのでなくてはならないのです。

    自らの理論のこうした帰結を無視するならば、〔常識的感覚を〕公然と侮辱するような逆説が不可避的に生じてしまうのです。


    この場合もやはり、物質主義的なエーテル説――ビクトリア時代には偉大な理論だった the eminent Victorian のですが――は捨てなくてはならないことが明瞭に見てとれます。

      〔ストレイチー『ビクトリア朝偉人伝 The Eminent Victorians』(1918)の引用?〕

    しかし、ふつうに理解されているような物質〔の概念〕もまた、それと一緒に捨てなくてはならない。

    エーテルに対する異議申し立てとは、それと同時に、物質についての現行の概念に対する異議申し立てでもあるのです。

    この状況は、自然についての知識の諸原理が、徹底的に再構築されることを要求しています。

    〔その再構築において、〕どんな条件が満たされるべきなのかと申しますと、一方では、〈この新たな見地を承認するということ〉であり、もう一方では、〈十分な検証を経た諸概念――自然のさまざまな事実を表現するさいに価値があると証明されてきた諸概念――に対して、その意味を保存するような解釈を施すこと〉です。

    要約するとこうなります――バークリーは汚名を雪がれ、革命家たちがアリストテレス的スコラ哲学の最後の砦を強襲した。

      〔ジョージ・バークリー 1685-1753 哲学者・聖職者。ニュートン的な時空や物質の概念を批判した〕



    アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド

    A. N. Whitehead



    =================================
    【訳者より】

    ホワイトヘッドが、アインシュタインの相対性理論を本格的に吟味批判しつつ自らの理論を積極的に対置するのは、1920年の論文「アインシュタインの理論:代替的提案」や、1922年の著書『相対性理論』においてです。

    しかし、はじめは単にアインシュタインの相対性理論の解説のように見える本記事も、終わりにかけては、アインシュタインですら不徹底であることを指摘し、相対主義〔アインシュタインの相対性理論ではなく、より広い意味での相対主義(関係主義)の立場〕に基づいて科学の時空概念や物質概念を全面的に再構築することが必要であるという宣言にまで踏み込んでいます。
    「科学における一つの革命」というタイトルにも、「一つの革命ではあるが、全面革命ではない!」との想いが込められているのかもしれません。
    一般向けの記事を依頼されたのであろうと想像しますが、前半のわかりやすさと、終わりにかけての難解さのあいだに、おそろしいほどの落差があります。

    ・底本は これ と同じ Educational Review, Vol. 59 (Jan-May) 1920, pp.148-153 です。
    〔四角いカッコの中〕は訳者による補足です。
    ・原文の段落分けは一行空けで表現しました。
    ・『The Nation』というタイトルの定期刊行物は歴史的に様々なときとところで発行されているのですが、本記事のそれはマシンガム(Henry William Massingham)を主筆として1907年にロンドンで創刊された週刊誌の『The Nation』と思われます。これは1921年に文芸誌『Athenaeum』と合併して週刊新聞『The Nation and Athenaeum』になり、さらに1931年には『New Statesman』へと吸収され1964年まで続いたとのことです。
    ・私自身は物理学を理解していないので、誤訳等あるかもしれません。諸兄姉の叱責を待ちます。


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