ホワイトヘッド「ラドクリフ大学創立50周年記念祭演説」
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ホワイトヘッド「ラドクリフ大学創立50周年記念祭演説」

2018-05-07 10:49
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女子大学の創立50周年記念祭(1929年)における、教育および女性解放を主題としたホワイトヘッドの演説です。
原文は ここ で読めます。
その他の情報は最後に置きました。

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ラドクリフ大学設立50周年記念祭演説

An Address Delivered at the Celebration of the Fiftieth Anniversary of the Founding of Radcliffe College

〔ラドクリフ大学 米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市の女子大学。1879年にハーバード大学(男子学生しか受け入れていなかった)の教員たちによって設立された兄妹校。教員やカリキュラムを共有したが組織上は独立。1999年にハーバード大学に併合



アルフレッド・ノース・ホワイトヘッド

By AlFRED NORTH WHITEHEAD

ハーバード大学哲学教授

Professor of Philosophy in Harvard University



きょう、わたくしたちが祝っております五十周年祭は、ある革命の成功を記念するものです。

この革命は、女性の社会的な地位と、そして知的な地位を、すっかりと改めました。ラドクリフ大学の歴史は、この運動の性格をあらわす一つの挿話(エピソード)であります。

しかしながら、本大学の設立と成長の物語につきまして、さまざまな行為や人物たちからなるそのドラマを描き出しますことは、直接の知識を有しておられる方々にお任せしなくてはなりません。



この革命によるもろもろの変化が、深く浸透する性格のものであることを十全に理解するのは難しいことです。

この変化は、社会的諸関係の構造のあらゆる細部に作用しました。

始まりから終わりまで、この変化にかかった期間は、約七十年です。

しかし、目に見える着実な成長ということでは、そのほとんど全てが、ラドクリフ大学の年齢であるところの、この五十年に収まります。



文明のこのような内奥の変容――まさしく内奥の変容にほかならないのです――において、アメリカは、それを先導したのは自分であると、きっぱりと主張してよいのです。

女性の解放は、この国の社会的諸関係の発展と不可分に結びついています。

人間の生活に対するアメリカ共和国の偉大なる貢献の一つが、女性の解放なのです。

イングランドがそのすぐあとを追い、一人の偉大な思想家を供しました。この〔女性解放という〕運動の現代的諸局面の知的創始者と評価してもよいでしょう。

わたくしが申しておりますのは、ジョン・スチュワート・ミルのことであります。今日のような記念祭におきまして、この名は決して忘れられてはなりません。

〔ジョン・スチュワート・ミル 1806-1873 哲学者。『女性の解放』(1869)は女性参政権運動の理論的根拠となった 〕



わたくしたちのうちで、前世代からの口伝えによって、あるいは、関連文献を読むことによって、十九世紀前半のヨーロッパに一般的であった思想や習慣のあり方を思い起こすことのできる者は、今日わたくしたちが名誉をたたえている創始者たちに敬意を表さなくてはなりません。

かれらには勇気と洞察力がありました。

かれらは真に見抜いたのです。この大いなる解放の鍵は教育であることを。そして、なにものをも恐れることなく行動したのです。



この間に起きた変化は、女性の解放に限られてはいません。

わたくしたちは、変化がますます速くなっていく世界に生きております。

古代のある哲人〔ヘラクレイトス〕は、「同じ川を二度渡ることはできない」と言いました。この言葉を、わたくしたち自身に当てはめますと、「同じ生徒に二度講義することはできない」、そして、「同じ主題について二度講義することはできない」となりましょう。

世界の流転 the flux of the world は、人間の寿命や歳月の経過に対して、新しい関係を呈するようになったのです。



わたくしは、教育について話すことを依頼されております。

きょうという日は、教育の方法とか、教える主題について、細々と論じるべき機会ではありません。

わたくしは教育ということがらの、いちばん大きな輪郭について述べることにいたします。



我々は考える、ゆえに我々は生きる As we think, we live ―― これこそが、ラドクリフ大学、ハーバード大学、そしてすべての大学の存在の正当化です。

精神 mind とは、わたしたちのもろもろの目的をこしらえる坩堝(るつぼ)です。

大学のつとめは、思考の手引きをすること。思考の内容をなす知識の指導、思考による美の把握 aesthetic apprehensions の指導、そして思考が行う批判活動の指導をすることです。



人の精神のあり方 mentality は、内的な自己発展という私的な営みであると考えてはなりません。

文化のこうした私的な側面が、あまりに強調されてきました。

我々が生きているのは、我々が考えるからこそである As we think, we live ――この事実のなかにこそ、人類の歴史の鍵があります。



〈教養 culture とは、これまでに言われ、なされた、最良のものを知ることである〉。これは教養の定義として有名なものの一つです。

〔マシュー・アーノルド「教養とは、我々に最も大きくかかわる諸問題の全てについて、この世界でこれまでに考えられたり言われたりしたことのうち最良のものを知ることを通じて、おのれの余す所なき完成を追求することである」『教養と無秩序』1869年

しかし、教養というものをこのように捉えることは、なるほど十分に正しいとはいえ、やはり欠陥があります。

この捉え方は、ルネッサンス運動の欠陥をすっかり共有しています。そして過去四世紀間のさまざまな理想は、このルネッサンス運動に基づいていたのです。

ルネッサンス運動はみずからを、過去の一文明にあったもろもろのモデルを回復することであると捉えていました。

すなわち、〈模倣 imitation 〉という観念に基づいていたのです。



さて、教養をそのように捉えることには、大いなる真理があります。

教養には、言われ、為された最良のことの模倣ということが、つねに含まれている。

けれども、教養のそういう定義には、なにか本質的なものが省かれてしまっています。

その「なにか」が、〈世界の深甚なる流転 the profound flux of the world 〉なのです。



遠い過去の知識が今よりもぼやけていたり、変化のペースがもっと緩やかであったりした時代には、世界の流転は、諸原理の圧倒的な不変性 overpowering identity of principles のただなかで起きる細部のかきみだれ turbulence of details にすぎない、と考えても差し支えありませんでした。

変化 changes は従なるもの、恒常性 permanences が主たるものだったのです。



こんにちでは、変化と永遠性のバランスは、二つの点で決定的に変わりました。



第一に、わたくしたちの宇宙論 cosmology は、広大な規模で――星雲から恒星、恒星から惑星、無機的物質から有機体、そして生命から理性や道徳的責任にいたるまで――、圧倒的な変化のプロセスを明らかにしています。

存在するもの existence のことを、〈大海の永続的な深みと、その表面をかすかに揺らす束

の間のさざなみ〉という喩えで捉えることは、もはやできません。

もろもろの事物は、古来の諸条件を遥かに超えたところへ世界を動かしてゆく衝動 urge をはらんでいるのです。



第二に、個々の人間の生という小さな規模でいえば、社会的存在のあり方の変化は、ひとりの人間の生涯のなかで認識できますし、ほとんど一年間のうちに認識できるとさえ言えます。

ハーバード大学およびラドクリフ大学の構内でお話をしていますからには、ここで、〈ザナドゥに生きる〉というコールリッジの詩的意想に対するロウズ教授の分析が思い起こされるのは当然のことであります。

〔ザナドゥ Xanadu コールリッジの幻想詩「クブラ・カーン」にうたわれた桃源郷
〔ロウズ教授 John Livingston Lowes 1867-1945 英文学者。ハーバード大学教授(1918-1939)。『ザナドゥへの道 想像力の発露法の研究 The Road To Xanadu: A Study In The Ways Of the Imagination 』1927〕

ザナドゥなる桃源郷においては、希望も恐怖も行動も、「祖先たちの予言の声」に大いに影響されているように思われます。

さて、わたくしが思いますに、こんにちのアメリカにおいては、「祖先たちの予言の声」は、いささかお門違いなものではないでしょうか。

そして、その理由はこうです――ご先祖さまは何もわかっちゃいないから。

われらが誉れある祖先たちは、現代の諸条件については大部分無知であったというのが事実であります。かれらの予言は、真に迫っており、ばくぜんと心を騒がせるものであり、しかし、きわめて役に立たないのです。



わたくしはここまで、二つのあい反する真理を、するどい対比のなかに置いてまいりました。一方は、〈教養とは、過去の最良のものへの同化と模倣である〉という真理であり、他方は、〈諸条件の移ろいやすさのゆえに、過去の細部は現在に対して無関係となる〉という真理です。

現代の教育の問題は、この二つの対立命題〔アンチテーゼ〕のなかに収まります。



これが、「歴史」というものを、この言葉のもっとも大きな意味において理解することの問題です。

若者の教育にわたくしどもが失敗しているとすれば――もちろん失敗しているのですけれども――、それは、学生たちが過去から継承しているものと学生たちとが、どのように関係しているのかについて、わたくしどもが正しい捉え方を植え付けていないからであります。

知的な認識というものは、そのほとんど全てが過去に由来しています。わたくしたちの教養は「祖先たちの予言する声」から成り立っている。

知識を吟味するということは、過去を吟味するということ。

教える主題が何であるかを問わず、わたくしどもの任務は、受け入れるにせよ、批判するにせよ、どのように継承するかを繰り返し教え込むことです。

そして、学生たちが学ぶべきは、いかにして過去の助けを借りつつ未来に立ち向かうかということです。



知識とは、民族の経験を個人が想起することです。

しかし、想起というのは、決して単純な再現ではありません。

現在は過去に反作用します。

選択し、強調し、付加するのです。

付加されるのは、新たな観念 new ideas です。新たな観念を介して、現在の生活は自らを過去へと反射します。



したがいまして、教養とは、伝統を吟味することのみならず、新しいもの novelty を批判的に尊重することをも必要とします。

健全なる教養は、真か偽か、正か誤か、受諾か拒絶か、ということばかりにかかわりはしません。そういう粗暴な両極端というのは、世界の複雑性についての理解が乏しいことのしるしです。



新しい観念は、明確に意識されたということに起源があります。つまり、直接的な状況にかかわるものであったがゆえに、明確に意識されたのです。

最初の課題となるのは、この起源がもとづいている根拠をよく理解することです。

なにがその要因なのでしょうか。論理的要因でしょうか、感情的要因でしょうか、目的的要因でしょうか。それとも、その新しい観念を登場させ、普及させているのは、新しい直接的な知覚なのでしょうか?



次の作業は、その新しいものの適切な重要さを見極めること、思考の体系のなかでのその地位を確定すること、そして、行動という領域でのその応用と限界とを決めることです。

わたくしたちは、その観念を、真の寸法 true proportions へと切り詰めなくてはならないのと同時に、その寸法のなかでその重要性を表さなくてはならないのです。



新しさに対する反応ということになりますと、わたくしたちはいまだ、古き〈信仰の時代〉に生きています。

「あなた方は何を見るために荒野へ出て行ったのか。風に揺れる葦か?」

〔信仰の時代 the Ages of Faith ヨーロッパ中世時代の異称〕
〔電網聖書『マタイによる福音書 11:7



18世紀が骨折ってくれたおかげで、わたくしたちは、古い思想を批判することにかけては、効果的なシステムを受け継いでおります。

しかし、新しいものごと novelty については、それをわたくしたちが批判するための道具は、半ばしか編み出されていません。

いずれの世代も、子供じみた極端さへと走ります。

わたくしたちは、聖者の像を今日は崇めたかと思えば、明くる日にはそれを打ち据えます。あるいは少なくとも、それを祀った神社へはもう足を運びません。



わたくしたちの文化のこの欠陥は決して治りはしないでしょう。ものごとの理解のしかたのなかで、歴史の大いなる秘密をうまく活用するにはどうしたらよいのかを、わたくしたちが発見するまでは。

いまのところ、教える者であるわたくしどもは、それを見つけていないのです。

人類の歴史のこの秘密とは――〈あらゆる観念は、かつては新しいものであり、新しいがゆえに曖昧で、輪郭がはっきりせず、それでいて燦然たる可能性に満ちていたり、あるいは忌ましき運命の予兆であったりした〉。



「二たす二は四になる」というのは、かつては新しかった。そして、あまりに抽象的であったせいで、重要ではなかった。

「カエサルは弑されるべし」というのは、かつては密かな憶測にすぎず、「カエサルが殺された」というのは、かつては風聞にすぎなかった。

わたくしたちは過去を、たんに解剖の材料にすぎないもの、なにか決着済みのもの、明白なものとして扱います。その前進のためらいがちな歩みを、親密に感受してはいないのです。

「カエサルが殺された」ということが、たんに、抽象的な歴史の抽象的な分析のなかの一項目になってしまいます。

人類がみずからの歴史を〈未知なる未来への具体的な渡航 a concrete passage into an unknown future 〉として親密に理解するときがくるまでは、わたくしたちの教養は決して十全なものとはならないでしょう。

わたくしたちは今日の新しさを、あたかも、新しさがあるだなんて新しい事実だ、とでもいうかのように扱っているのです。



歴史とは、努力のドラマです。

このことを完全に理解するためには、人間が目標に向かって苦労するさまを洞察することが必要です。立派というに足る目標を共同的に目指すことがないのなら、歴史というものはあり得ない。

目標がないならば、そこに繰り広げられるのはたんなる混沌にすぎません。



歴史というドラマは、人間のさまざまな目的の進展から生じる幸福と絶望、失敗と勝利が混ざり合うところに成り立ちます。

そこには、悲劇も喜劇もあります。しかし、アテネ人がよく知っていたように、さまざまな情念が強烈な悲劇によって純化されるまでは、だれも喜劇の安堵を味わう構えは整わない。

喜劇とは悲劇からの強い揺り戻しであり、それが人生を耐えられるものにしてくれるのです。



歴史というドラマは、ユーモア以上のものです。

ものごとの本性にひそむ究極的性格を、歴史が顕わにするのです――人間の努力に分け隔てをもたらしつつ…。



この議論にまつわる話題の全てを、〈我々は未来に集中すべきであり、過去に拘るべきではない。前を向いて進んでゆく人々こそが望ましいのだ〉といった警句で片付けるのは、安易な詭弁です。

なるほどそれは真理です。

ですが、それほどあっさりと過去を追い払うことはできません。

なぜなら、もし過去が現在に関係ないのなら、現在は未来に関係ないことになります。現在というものも、現在についての理解も、ともに失われます。

健全な教育のつとめは、〈派生してくること derivations 〉や〈もたらされる結果 consequences 〉についての、こうした感性をみがき、そして理解を与えることなのです。



もろもろの教育方法には、一つの弱点があることに触れておきましょう。

わたくしたちは、歴史的な背景を欲します。ですが、歴史そのものでさえ、要求された通りにそれを与えてはくれないのです。

〈具体〉における事実、すなわち、直接的な生という重厚な背景とともにある事実を、わたくしたちは欲します。

歴史がわたくしたちに提示しがちなのは、〈抽象〉における事実、すなわち、互いに孤立した偶発的で珍奇なものごとです。

たとえば、合衆国大統領やローマ皇帝のたんなる一覧表というのは、抽象における事実です。



さて、勉学のあらゆる主題は、抽象においても具体においても提示されるべきです。

その両方の側面がほしい。

わたくしたちはその主題を、抽象において学び、具体において感じます。

あらゆる出来事 incident は、それ自身のどっしりとした直接的享受のために、世界の流転にいったんの停止を命じます。

またそれと同時に、過去から出てきて未来へとおもむく、形式の推移の一瞬間として捉えられるべきものです。



たとえば、わたくしたちがきょう祝っている、この五十周年祭を考えてみましょう。

五十年前は女性は大学へ行かず、いまは行く。

これは抽象における一つの事実であり、短い一文で明瞭に述べることができます。

しかし、この言明のなかにある、人々の生活の差異――いまと五十年前の違い――を理解すること。それが、この事実を具体において把握するということです。

さらにもっと具体的なのは、この移行が進展したさいの、頑迷さと不可避性の混ざり合いを把握することです。――不可避であったのに、それでもやはり中心的人物群が必要とされ、その人物たちをめぐってドラマは転回したのです。

わたくしたちが今日ここに集っている理由。今日のようなすべての祝祭の理由。それは、過去を生きているものにしたい、抽象的知識を具体的感受に変えたいという欲求です。



芸術の目的は、抽象を具体にすること、そして、具体を抽象にすることです。

具体という大理石から、抽象というかたちを引き出すのです。

勉学のあらゆる部門において、そして、あらゆる講義において、教育とは一つの芸術です。

抽象が重視されることもあれば、具体が重視されることもあるでしょう。

しかし、常に逃れがたく残るのは、形式と素材を結婚させるという問題です。



人生は短く、学芸は長い。

わたくしどもはみな、文化の精髄を学生に手渡すという努力において失敗します。

わたくしどもの失敗を成功に変えることは、生徒たちの才能にまかせるほかありません。



きょう、わたくしたちは過去を祝賀しております。

しかし、過去に向けられたわたくしどもの感謝の念のまさに実質をなしているのは、若い生命が脈打つ校舎という、過去からのこの贈り物に対する感謝です。

この集団が今日ここに存在しているという、そのこと自体が、明日のアメリカの気風を形作ることとなる若い学生たちについての、一つの問いを呈しています。

「夜回りよ、今は夜のなんどきですか? Watchman, what of the night?

〔イザヤ書。夜明けを切望する人々の叫び声〕



その答えとして、わたくしが申し上げたいことはたくさんございます。と申しますのも、こんにちの若者は、このうえなく魅力的な方々だからです。

しかしながら、この演説もあと数分を残すのみでありますから、この問いを、とりまわしのよい寸法へと刈り込んでもお許しいただけるものと思います。

わたくしは、際立った能力をもつ比較的少数の生徒について考察することにいたします。

チャンスを与えられましたなら、かれらは一時代を創り出す男女となるでありましょう。

全体としてみれば、人類は啓示 revelation に導かれています。

わたくしは今は、その啓示を修正する少数者――直観と、翻訳する力とを有している者――について話しております。

わたくしはまた、わたくし自身が有している直接の知識に限ることにいたします。



その範囲での証拠から申し上げますと、アメリカ思想の新たな一時代の到来のはっきりとしたきざしを、わたくしは目にしております。

こんにちの文学界においてあれほど顕著な偶像破壊的な衝動というのは、その仕事を終えました。

それは、拒絶されていません。

誰にも衝撃を与えていないのです。

それが熱中していたことは、三十歳以下の創造の才のある方々の興味を惹くものではなくなりました。二十五歳以下ならなおさらです。



老人の礼儀正しさと中年の破壊的な激烈さとが争い合うさまは、若者にとって面白いみものではあります。

しかしそれは、若者にとっては何のメッセージにもなっていません。若者を鼓舞するラッパの音とはなっていないのです。



若者の興味は、もっと直接に美的なものであり、建設的です。

職人の手並みの芸術的な仕上がりから派生した、スタイルのある、抑制の効いた、バランスのとれた美に、かれらは関心をもっています。

スレッジハンマー〔大槌〕の打撃よりも、レイピア〔細身の剣〕の剣さばきを求めているのです。



しかもそれは、批判が主眼なのですらない。

建設へと移りゆくなかで、その補助的な一局面として批判を行うのです。

スタイルを求める努力もまた、それと同様に補助的なものです。



かれらが打ち立てることを欲している思考の殿堂は、美の殿堂ともなるべきものです。

あらゆる種類の美が、若者の興味を惹いています。科学的思考の論理的な美、五感によって知覚される美、そして、行為の美。



一言で申しますと、すぐにお分りになりますように、こんにちの若者はアテネ人なのです。どういうことかと申しますと、イングランドでもアメリカでも、十九世紀に属する者は、誰もアテネ人ではなかった、という意味においてです。

このような性格描写において、わたくしはもちろん、少数者について述べているのであり、多数者について述べてはいません。

ひょっとしたら、この運動は、広く影響するものには決してならないのかもしれません。

傑出した力をもつ人物を一人か二人、生み出すという幸運には恵まれないかもしれない。

しかし、関心の趨勢は、たしかにそこにあるのです。

〔訳注 ホワイトヘッドは『観念の冒険』で「我々が為しうる最も非ギリシャ的なことは、ギリシャを模倣することである。なぜならギリシャ人は断固として模倣者ではなかったから」と記している。模倣者ではない今日の若者こそがアテネ人的である、の意か


みなさんはわたくしの申しましたことを誤解なされないことと思います。

わたくしが手短かに描写しましたような、多才なるアテネ人の理想に重なる人は、こんにちの若者のなかには一人もおりません。それに近い人すらいません。

しかし、思い返していいただけると思いますが、当のアテネにだって、模範的アテネ人という、その完全な理想を体現するに至った者は一人もいなかった。

プラトンは、ほこりまみれのこの世界においては、あるタイプの理想が顕現することは決してないということを、よく知っていました。

ここでもまた、わたくしたちは、より広い意味での「模倣」という概念と出会っています。

個々人がその模範とするところの完成を目指すことに対してプラトンがもちいたのが、この言葉です。

教養というもののアーノルドの捉え方のなかに、この概念が含まれていたことを、わたくしたちはすでに見ました。



ある意味では、確固たる決定論がこの世界を支配しています。

なぜなら、ひとつの時代の形成は、若者が模倣のためにみずから掲げた理想によってすでに決定されているのですから。

われわれが生きるのは、われわれが考えるとおりにである As we think, we live



この理想を形作るさいには、過去と未来がともに現在のなかで融合します。

過去は、逃れがたい事実としてそこにあり、その営みのあり方をひそかに押し付けてきます。

可能性の限界を推し測るためには、わたくしたちは過去をざっと見渡さなくてはなりません。



歴史のなかで人類がたどる道は、事実としても、寓話としても、わたくたしちが目の当たりに理解するところとなりました。生の限界を押し広げるという希望の魅力を追って、大洋を渡る船や、大平原を横切るほろ馬車に乗り込んだ、移民たちのとめどない流れ。

かれらは根気よく進みました。おのが持てる全ての能力を奮って、狩りつつ、耕しつつ、飢えつつ、乾きつつ、死につつ。

人類のこの最も偉大な物語のなかで、女性のヒロイズムは、このうえなき高みに達しました。

きょうの祝祭は、ほろ馬車のなかの女性のヒロイズムにその起源があります。

その苦しみがすべて語られることは決してありえません。

かれらが求めた理想は、苦闘したその何百万人もの人々にとっては、一度も実現されませんでした。

その点ではかれらは失敗しました。

しかしかれらは、アメリカ共和国を発見したのです。




〔おわり〕




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【訳者より】


ラドクリフ大学の創立50周年記念祭における、教育および女性解放を主題としたホワイトヘッドの演説です。
原文は ここ で読めます(The Radcliffe Quarterly, Vol. XIV., January, 1930, No.1)

未邦訳だと思います。…が、この演説の冒頭部と数箇所を省略したものが「歴史的変化」というエッセイになっていて、邦訳もあります(松籟社版ホワイトヘッド著作集『哲学・科学論集(上)』「歴史的変化」村形明子訳)


最初に読んだときは、冒頭では女性解放について話し始めたのに、すぐに教育論が主となり、最後に思い出したかのように女性の話題に戻っている印象を受けました。
しかし、よく読んでみると、ラドクリフ大学そしてその五十周年祭という具体的契機から、教育についての哲学的な思考が立ち上がり、歴史論や文明論へと広がり、そしてその全てがまた女性解放というテーマに、そして目の前にいる学生たちに溶け込んで終わっています。具体から抽象へ、そして抽象からまた具体へという、まさにホワイトヘッド的な往還運動であり、それによって観察と洞察が増すのです。すなわち、女性解放というのは孤立したテーマなのではなく、教育や歴史や文明と不可分であり、また逆に、それらの主題が女性解放というテーマを等閑視することはありえない、と。
(…というふうに解釈してみましたが、やはり話の流れがちょっとつかみにくい気はします。)

「現在は過去に反作用します」と言っているところで一瞬ぎょっとしますが、ホワイトヘッドの時間論においては、たしかにそうなのです。あらゆる存在はみずからを他者へと贈ることを予期しつつ生成を遂げます。そして、未来の存在はそれを受け取りつつみずからを生成します。そのような生成の連鎖は一種の相互作用であり、その相互作用のなかにしか過去も未来もありません。過去がなければ現在はないでしょう。しかし、現在がなければ過去はなく、未来がないのなら現在もないのです。

この演説において、女性解放論から教育論、歴史論、文明論、そして形而上学までが、途切れのない一枚の大きな布のように織りなされているさまは、まさホワイトヘッドの思考の真骨頂といえます。



● As we think, we live について

・この演説には、この言葉が三回登場します。
・デカルトの「我思う、ゆえに我在り I think, therefore I am 」のもじりだと思います。「我」を「我々」に代えることで、思考は私的で孤立した営みではなく、共同的な営みであることを強調し、「在る am」を「生きる live」に代えることで、人間の静的ではなく動的なあり方を強調しているのでしょう。
・つまり、「我々は考える、ゆえに我々は生きる」(思考こそが人間の生の本質である)。
・そして、「我々が生きているのは、我々が考えるからこそである」(多くの人の知的活動のおかげで人類の繁栄がある)。
・さらに、「我々が生きるのは、我々が考えるとおりにである」(思考は行動に先行つ。人間はみずからの理想に導かれて歩む)。
・以上の三つの意味が重ねられていると思います( We think, therefore we live ではなく、As we think, we live なのも、それゆえにかと思います)。
・As we think, we live. という一文は、『思考の諸様態』第一部第三章「理解」の最後にも使われています。


●ラドクリフ大学とホワイトヘッドについて

・エジンバラ版著作集(The Harvard Lectures of Alfred North Whitehead, 1924-1925)に、「ラドクリフ大学講義1924-1925」(学生が取ったノート)が収録されています(pp.409-522)
・ラドクリフ大学での教え子として、アメリカ初の著名な女性哲学者となった Susanne K. Langer (1895-1985) がいます。ホワイトヘッドは、このランガーの著書『哲学の実践 The practice of Philosophy (1930)に序文を寄せています〔ごく短いものです。これも近日中に訳そうと思います〕
・ホワイトヘッド夫妻と一時期、親交があったガートルード・スタイン(作家 1878-1846)はラドクリフ大学の卒業生です在学 1893-1897)。そして、この演説中の「こんにちの文学界においてあれほど顕著な偶像破壊的な衝動」というのは、スタインが念頭にあるのかもしれません。



〔おわり〕

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翻訳お疲れ様です!
ホワイトヘッドは大好きな哲学者です。
この文章は今ここで初めて読みましたが、とても感動させられました。
古典に物怖じせず、積極的に新しい挑戦をして欲しい、というアメリカの若者達への激励のメッセージなのでしょうか、
個人的にはこの前映画館で見たスターウォーズ8のジェダイの古文書を燃やしてしまうマスターヨーダの姿を彷彿とさせられました(笑)
貴重な翻訳、本当にありがとうございます!
8ヶ月前
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