こころおぼえ
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こころおぼえ

2015-06-02 13:29

     これは、二○一五年五月二十六日火曜日の出来事を振り返った記録である。
     
     渋谷という街に八年ぶりにゆくことにした。
     というのも、私の携帯メールにK女史という友人からこんな文面が来たからだ。
    『お元気ですかー! 26日か27日に相談にのってもらいたいです』
     互いの近況報告を兼ねて食事でもしようという事になったのだ。

     
     第一章 K女史

     さて、K女史という人のことを書くのは初めてだ。K女史は今年で二十七になる社会人で、その身はとても細く、笑顔が印象的な人物だ。
    彼女と知り合ったのは六年前、ネットのストリーミング配信サイトを通じての事だ。知り合った当初、私も同じストリーミング配信者だった。しかし、私が彼女に感じた存在感と、彼女が私に感じた存在感は大きく違っていたであろうと思う。
     人が集まり何かを行う場には評価が存在する。評価は、自然とできる物差しと言える。ストリーミング配信も例外ではなく、評価や物差しを借りれば私のストリーミング配信は彼女のそれよりはるかに大きく、高評価であった。
     ネットで知り合うと言っても、音声だけというのが慣わしだ。顔や素性を明かす事なく互いの意見や楽しみを共有するという事が、ネットでの知り合い方なのだ。彼女と初めて通話した時、私が彼女に抱いた印象というのは、絵本の中に出てきそうな栗鼠である。
     K女史と互いに通話のやりとりであるとか、文章でのやりとりであるとかは二年ほど続いた。しかし、突如として現実世界で会う事になる。
     ――異性との邂逅が、性交渉のみを目的とするものだけだとは私は思っていない。性差があるゆえに、高き所より低き所へ水が流れていく現象のようなものが起こって、互いに流れる情熱が交換されるという事がある。――
     K女史は上京するのであった。当時西日本に住んでいた彼女は、東京に住む恋人との距離を縮めるために上京するのだと言う。そのような目的をもったK女史が、東京在住の長い私を頼ってくれた。この現実を実感した時、私の内側に在ったはずの好奇と義侠が露出してきた。少女という印象の拭えないK女史が、アルバイト生活で精一杯貯めたわずかな金を握りしめて、結実するかわからぬ恋への挑戦をしようとする物語がそこにあった。K女史の印象が、いつのまにか変化していた。それは私の中にある――甲冑に身を包んだ少女、ある人々にとっては世界と自身に革命を起こそうとする聖女であり、ある人々にとっては人心を惑わす魔女である――ジャンヌ・ダルクだった。
     人様より、波乱万丈な人生を歩んできたと自負がある私でも、到底手に入りそうに無い物語の主人公にK女子はなるのだと思った。ややもすると演歌調になりそうな、女の情念というものを間近で観察したいという好奇が私にあって。また、悲劇的な結末を迎えそうなヒロインに頼られている自分というものが、偉く快感だったのは義侠であろう。
     彼女は二回ほど東京に来て、二度会った。実際に会ってみたK女史の印象は、貧相なジャンヌ・ダルクで、泥の落ちきっていない牛蒡みたいだった。頼りなさげではあったものの、彼女は着実に生活拠点を探し、家具や家電を手に入れていった。
     それに対して私がした事というのは、飯を奢るとか、家電を買うのに付き合うとか、彼氏とうまくいかないといって涙を流す彼女をなだめるくらいがせいぜいだった。
     そういった事を異性にできるというのは、恋愛感情があったせいだろうとか、若い女性への下心があったのだろうと思われると、いささか癪だ。
     K女史が上京した頃の私は、先述したネットストリーミング配信が全てといった日常を送っていて、それで得られる刺激が少なくなっていた。この先、新たな刺激を模索したいと思えていた私は限界というものを予感していた。また、妙齢の女性と性交渉無しに親密な関係を築ける事が、己の徳なのだと思い違いしていた。

     現在、K女史の上京物語は三年の月日を数えており、尚進行中である。どんな物語であったかは、彼女のみが語るべきだろう。およそ、今日の相談というものはその物語の一章を整理する役割がある。K女史は上京してからというもの、四ヶ月から半年という期間毎に連絡をよこし、その度に顔を合わせていた。そういう中で、彼女の上京物語は章だてられていったように思える。私の方から連絡をすることは稀だった。昨年の年末に気の置けない仲間との年越しパーティーも混じってくれていたが、これは私からの数少ない連絡に起因したものだ。――この時に、彼女からの近況報告などというものが無かったのは、二○一四年の年忘れが、彼女の物語でなく、私の物語としての章立てに重要な意味があったからに他ならない――
     思い立ったが吉日といった具合の行動力であるとか、次々問題を抱えつつもそれを必死に乗り越えようとする彼女は、見るたびにジャンヌ・ダルクさを増してゆくのだった。そして、東京の水に慣れていく度、健康と溌剌を獲得していく様子は眩しかった。その眩しさを感じる度に、K女史への情が強く象をなしていった。


     第二章 出発

     私は寝ていなかった。睡眠と起床のタイミングが狂いに狂ったせいで、寝ずに出発の時刻を迎える事を余儀なくされた。それほど、私にとって渋谷へいくことは重要な事なのだと気づかされた。それは、輝かしい予感であるとか美しい啓示の隠された在りかを探る事なのだと思い、その心境を出発前に書きとめた。
     前日に三島由紀夫の仮面の告白を読了した事が、大きな影響を与えていたかもしれないとも思った。私の中に、三島的でありたいと思う気持ちがなかったとは言えない。仮面の告白という本の中にあった、ちょっと日常の日本語では聞きなれない横文字であるとか、宗教的モチーフの絵画に何かを見出す感覚が、芸術的な感性として美しく思えて、そういった大人のアンテナともいうべきものを欲していたのだ。それは、身支度する中で渋谷へゆくのだという決意の中に織り交ぜられてどこかへ追いやってしまった。追いやってしまう事は、どこか恣意的であったかもしれない。私は大好きな梶井基次郎をオレンヂ色のブックカバーに包んで出かける事にした。
     寝不足に起因しない、微小な頭痛や身体に篭る熱、体の表層に突然現れてきた腫れ物が私を悩ませていた。この病魔のせいであろうか、電車を待つ間も乗車した後も、手にしたブックカバーに包まれた小説への感情が一向に沸かない。次の行、次の文字、次の言葉に眼を走らせても、心が行かない。小説に限らない私の感受性というものをどこかへ置いてきてしまったかのようだった。
     不安の種ばかりが見つかって、電車の切符が見つからないとか、今乗っている電車で果たして目的地につくか等の妄想的不安が、現実の意識を次第に侵食してゆくようで恐ろしくなった。理性の面では、電車に乗る際に切符なんて買っておらず、電子マネーを兼ねたカードによって乗車したのだし、この電車に乗っていればいずれ渋谷駅に着くのだという事は瞭然としている。けれど、感情としての不安を打ち消すことは出来ないでいた。地下鉄の音、車窓の黒、周囲の人が持っている幸福、見えない粉塵の臭い、それらが折重なって心に傷をつけてくるようだった。
     ああ、だからか。だから私はそうしていたのだ。電車に揺られてわかった事がある。それは、渋谷に行くという事を決めてから、ボッティチェリの絵画を見に行こうとか、昼飯はとりかつへ行こうとか、シガーも手にいれられたらいいなとか、美味なるスイーツも食べて帰ろうとか、ヴィロンのパンを土産にしようとか、旅行みたいな楽しみをすっかり用意している自分がいた事だ。そうでもしなければ、私は渋谷なんてところへ行く選択もしていなかったはずなんだ。いつもだったら、K女史の住まいに近い池袋や、交通の便が良い新宿がせいぜいだ。――自殺してしまった彼女と過ごした池袋という土地への訪問を忌避しなければ、私が崩壊してしまうような気持ちもしていた――二十歳の頃に働いていた渋谷という街を選んだ理由は、楽しみを見出したくて仕方がなかったからなのだ。
     事前に楽しみを見出し、若かった頃の自分に近づく事が出来る。そうすることで、私は今侵されている病魔のようなものを祓うことができるのだ。解放されたかった。本を閉じ、眼を閉じ、僅かな時間であるが、心の奥底にある感覚を聞く。電車の微細な揺れと音が、見えない私の心情を静かに、でも雄弁に説いてくれている。そうして、この電車が禊の切欠になるのだ。次は渋谷駅。次の停車は渋谷駅。


     第三章 渋谷

     そうして時刻は十時五十分、待合せはハチ公前に午前十一時。指定の時刻は、混雑した昼飯を避ける予防接種だ。地下鉄の改札口を出れば、電車の中で覚えた不安は消えた。苦しまされているはずのモノも少し失せている。ああ、確かに収まってきている。さきほどまでは鬱蒼とした大樹があったが、今は枯れそうな肌をし根すら露出している。私はこれらの事で安心して地上に出られる担保を得たのだった。
     すっかり様相を変えていた地下街で私は迷う事を覚悟した。けれど、体に刻まれていた記憶が私をハチ公のところまで、自然と運んだ。
     若い頃懇意にしていた地下街の煙草屋を過ぎて階段を上がれば、明るく健康的な陽射しが降っていた。空の青はとても低く迫ってくるようで、背がぐいぐいと伸ばされていくような錯覚があった。ハチ公像の周囲の日陰には、腰掛けてスマホをいじる人々が散見された。きっと、私と同じように待ち合わせをしている人々だ。その場を被うように木々が植えられている。五月に茂る生命力に彩られた緑は、太陽の光を透かして、葉の一枚一枚に清廉さの輪郭を燃やして勇ましい。
     私が働きはじめた十五年前の渋谷には、サーカスや夜祭りの空気が溶け込んで、無機質な建物でさえも脈打つ生き物のように感じられた。五月の緑な風が、あたり一面に初夏を連れてきて、昔に抱いたこの街の誘惑や恐ろしさを吹き散らしてしまったようだ。街には、予感の在り処があると思えた。
     私のポケットが僅かに震えた。
    『出口、遠いの忘れてたので、JRで向かいます……
    十一時五分に渋谷に着きます! すみませーん! 』
     腕時計を見ると、彼女が指定する時間までの僅かな余裕があった。――そうだ、思う通りにしてみようじゃないか――いま上ったばかりの地下街に続く階段を、駆け降りた。
     その先には、上等なシガーを用意している煙草屋があった。温度と湿度が管理されたケースのプレミアムシガー達は、静かに佇んでお行儀良く迎えてくれた。
    ――好みのを三つ連れてゆく事に決め、彼らのためにギロチンも求めた。あの頃には一瞥くれるでもなかったシガー達の誰もが私の袖を引っ張って、ボク達も連れていってくれよとせがんでくる。今日は時間が無いんだ、また今度ね――
    誰にでも気さくなマスターと奥さんが例え私を覚えていてくれなくたって良かった。古き良き煙草屋に並ぶ滲みた品々の煌びやかな反射、挨拶と冗談と笑顔の混じった接客と会話、品物をレジで打たず電卓で計算する有様が嬉しかった。まだここには、私の知るあの頃の渋谷が息づいていたからだ。
     肩下げのバックに、愉しみを入れた私は一往復おえた階段を再び駆け上がった。いよいよ、勢いがついていた。反復された同じ行動が、バネ仕掛けのようにエネルギーを増幅させてくれた。
     K女史は細い身に女らしさをパッケージして、健康と溌剌を備えて現れた。渋谷の駅前を闊歩する、洒落た女性達と比べてみても、これだけ細い人はそういないものだと感心してしまう。もし、彼女が笑顔を絶やさない人でなければ、病人だと思ってもおかしくないだろう。人間には、醸成された抗えない身体的コンプレックスに応じて精神が形成していくという現象がある。それはK女史にとってはその細さを病的に見せまいとする健康と溌剌であったし、私にとっては肥満を木偶や愚図に見せまいとする果断と豪気であったろう。――今では豪気と引き換えにした蛮勇を経て、教養を身につけて賢明であろうとする努力にかわりつつある――
    私たちは互いの存在を認めて、笑顔を交換していた。しかし、同じ笑顔であっても、トランプのツーペアみたいな違いを発しているように感じられた。
    「お久しぶりですー。お元気でした?」
    「久しぶり!だいぶ良くなったよ」
    「そうでしたかぁ。うん。それでよかった」
    「わからないだろうけど、少しやせてね」
    「どれくらいです?」
    「十キロくらいかな」
    「ま、それで体調が良くなるなら、いい事じゃないですかね」
    「そうだね。早速、何か食べにいこう。特別なリクエストあるかい?」
    「相変わらず、量は食べれません」
    「渋谷には八年ぶりだからな」
    「そんなにー! 私も渋谷って用事ないから。連れて行ってくださいね」
    「自信はあんまりないけどね」
    こうして、いつも通りの挨拶を装ってみても、私には彼女の纏った服から立ち上る色、肌が反射する萌しくらいをとらえることしかできないでいた。
     K女史が私を異性らしからぬ存在だと思っているのは、最初からだ。本人がかつて放った言葉を借りれば、親戚くらいの扱いなのだろう。
     しかし、上京ジャンヌ・ダルクは不思議な敏さで、互いの体温に触れてしまうくらいの距離につめてきた。本来なら私の物語の距離に彼女はいないはずの人だった。彼女は私の物語の観察者であり、私も彼女の物語の観察者でしかなかったはずだ。でも、こうして互いの距離が食い込んでしまったら、物語が交錯してしまうんじゃあないのか。こんなに近くちゃあイケナイ、私がK女史に寄せた好奇と義侠は訂正されなければいけなくなる。けれど、K女史という人はいつもこういう事を理屈抜きに直感的に、やってのけてしまう人だった。これは、私が彼女の幸福を願っても良いという許容なのだと思えた。



     第四章 懺悔

     とりかつで昼飯にありつくことにした。あの頃の、もう殆ど快楽だけに憑かれていた時代に何回か足を運んだ店だ。人間の欲が掃き溜めになっているような百軒店の、呑み屋が肩を寄せ合った雑居ビルの二階。十一時半前だというのに、店内には先客が四人も居て、四十代に手がかかりそうな人たちだ。そのうちの二人は渋谷で働くサラリーマンといった風で、話言葉や仕草のあたりに洒落っ気と自信を湛えているようだった。席に着いて定食を頼む。歯車のような店主と店員の連携で、注文は次々と皿に仕上げられていく。
     木目を基調とした店構え、焼けた張り紙、セルフでいれる麦茶、重厚な揚げ油、漂うパン粉の香ばしさ、忙しい昼時にありながら、店の空気は悠然としていた。店の奥に大きな窓が見える。その硝子だけは油の汚れがひとつとして見てとれず美しくあって、その硝子が輝かしい光を奏でていた。ここに通ってきた男性客が欲する活力は、懐古の品であるに違いない。なぜなら、客の誰もが遠い景色を感じているような、復活を信じている眼をしていたからだ。
     私と彼女に注文した定食が現れた。白い飯と温かい味噌汁にありついた。そして、肉を食んだ。その間にも客は押し寄せていて、カウンター席しかない店内は満員になっていった。
     私たちは定食を口に運んでは、返す箸に言葉を乗せて会話していた。飲み込みの早い私と、ゆっくり咀嚼してゆく彼女では、隣にいてもスピードがズレていく。私は早々と完食し、彼女は二口を残して店をでた。
     少し歩いてカフェへと向かった。食後の一服をするのは、共通する習慣だ。その習慣への親しさにはそれぞれ距離があって、K女史にはあればあったでいいというもので、私には無ければならないというものだ。
     タリーズのコーヒーショップが目に付き、紅茶だか珈琲だかを凍らせ上にクリームを乗せた飲み物をそれぞれ買い求めた。どの席も木製の椅子とテーブルが配されている。彼女が気を利かせて灰皿をさっと手にとり、喫煙席へ向かう。
     私たちは思い思いに火を着けた。二つの白い筋が天井へと上る。
    果たして、K女史の近況報告を私が一方的に聞く順番がはじまった。彼女の物語は、ここから大きな波乱が待ち構えているようだった。そんな話をしている間も、彼女から笑顔と溌剌が消える事は無かった。
    「そうなんですよ、色々これから悩まないといけないンです」
    「いろんな人と相談すればいいよ。その最中にいちゃあ、人間誰しもどうしたらいいかなんて、わからないものだよ」
    「そうですよね」
     そう答えたK女史から、笑顔と溌剌が消えている事に気づいてしまった。と、同時に私が備えていたはずの、果断や豪気あるいは賢明も閉じてしまっている。
    私には彼女に申し述べなければいけない、イヤ懺悔しなければいけない事があった。私には、K女史に秘匿していた事があり、その事のあらましとどうして隠していたのかという経緯と想いを伝えた。親しい友人には、二○一四年の時点で伝えていた事だ。けれど、彼女にそれを伝える事になったのが二○一五年になってからというのが問題だった。私は、その事を申し訳なく思っていたのだと思う。まるで、K女史を軽んじてしまったような私の行動は軽蔑され、ともすれば絶縁されてもおかしくないことだからだ。実際、この人にならと思って真実を告白した人の中には、私との交際を絶ってゆく人たちがいた。
     いつの間にか、私は彼女に正対するように座り、汗ばむ両手を膝の上で握りこむ。テーブルの上に置かれた小さな灰皿。只その一点に私の視線は注がれた。恐ろしさだけが胸の内にあって、借金を返すように私は少しずつ話した。
    「ほぉ。そうだったのですね」
    「うん」
    「そういうのってありますよ」
    「……」
    「苦しいことがあってもですよ?わたしにとっては変わらないんですよ。変わらないで欲しい」
    「うん。変わらない、そこは変わらないよ」
    「とにかく、元気でいてくれなくちゃ。必要なら、わたしでいいなら言ってください、ね」
    「ごめん、心配させちゃったね」
    「わたし、説明下手だから。うまく言えないけど、仕方の無いことだったんですよ」
    「ありがとう、そう言ってもらえたら助かるよ」
     K女史の言葉を心の中でなぞるように唱えていた。彼女は、私の彼女に対する不信心さを咎めなかった。
     二人ともほぼ同時に煙草に火をつけていた。テーブルに置かれた、今日の陽気にピッタリの冷たく凍った飲み物は溶けながら、器に汗をかきはじめ、載っていたクリームが少しずつ滲んでいった。ふたすじの白い煙は、天井へと登りゆらゆらと広がって混ざりあっていった。二つの煙草は一つの灰皿に押し付けられた。そうして、二人は席を立つことにした。



     第五章 切欠

     コーヒーショップの真向かいには、東急があってそこにはボッティチェリという巨匠の展覧会が催されていた。私の楽しみにK女史は付き合わされることになった。当日券を買って入った絵画鑑賞は思っていたより、荘厳であり形式があった。
    およそ五百年前の金貨であるとか、経済の解説が書かれた掲示板やら、絵画の説明書きがあって、高まった期待の高揚に追随してくるかのように絵画が迫ってくる。
    宗教的意義の解説だけでなく、当時の経済のあり方などを知ると、どういった経緯で制作されたのか、どのようにしてその絵が存在しているのか、ありありと見えてくる。
    しかし、展示されている殆どの絵は聖母マリアとキリストをモチーフにした絵ばかりだ。
    ――もう、わかっている。ここには啓示があるってことを――
    こんな絵ばかりなら、私はここに来るべきではなかった。でもな、観念しなきゃならないときがきたんだよ。
     隣に居て寄り添ってくれるK女史が、眩暈を起こしている私の腕を支えてくれているようだった。その安心感のせいで、目の前に展示されている絵と自分が重なっている錯覚を得たのだ。ああ、それは悪くなかった。その錯覚自体は、良い。子供染みた甘えじゃないんだから。でも眩暈の正体が良くなかった。こんな事に気づいたらイケナイ。眩暈の正体は反省じゃない、後悔だ。過去の自分に対する後悔だった。あれほど後悔しないで生きていくと誓ったはずの自分が、今後悔というものをしている。過去の自分を裏切る事だけはしないように理論武装してきたはずじゃあなかったのか。後悔をしないのだから、放蕩を良しとして生きてきたんじゃあなかったのか。それらを背負う覚悟すら、私には無かったんだ。生まれ直そうとする今、これらは私の生まれながらの罪であるように感じられている。
     私とK女史は、いつの間にかマリアがキリストをそっと抱きかかえてくれているような絵の構図とよく似てしまっていた。ボッティチェリの描くキリストは聖母マリアの方に視線はゆかず、天の方を見ているのだ。
     それが解ってしまうと、もうこれは後戻りできないし、修正ができない事なんだと自覚できた。目の前に繰り返し展示されてゆく絵の啓示に、身を洗われてしまった。もう一度、立ち上がれるという確信が、喜びとなってそこにあった。
    はるか遠くの国に秘宝と呼ばれるものがある。実物を目にする事は金では買えない優良な価値がある。たかだか二時間くらい働いたくらいの金でその価値を手に入れられるのは、恐ろしい事だ。けれど、芸術は作品の中にも、鑑賞するために支払った対価の中にもあるんじゃないと思えた。
    「すごい絵でしたね」
    「あぁ、強烈だった」
    「呼ばれているって思えました」
    「何に?」
    「わかりませんよ」
    「でも報せになるんだろうな」
    「何かに呼ばれるんですか?」
    「なんか、わかっているんだけど、それに気づけていないだけのことってあるじゃない」
    「確かに。そういえばあるかもしれないですね、そういう事」
    時計を見ればもう三時前をさしていた。過ごした時間の早さに、驚かされる。
    「この上の階に松涛カフェってのがあってね、そこのパンケーキがウマイってんだ。行ってみよう?」
    「おぉ。パンケーキ!いいですね」
     松涛カフェは、午後に傾いた陽射しが心地よく差し込むテラスがあり、そこに数人の客が過ぎる時を愉しんでいた。ここなら大丈夫だ。濡れた髪が自然に乾燥されていくような時間を過ごせるはずだ。
     K女史も私も、パンケーキを注文した。いわゆるホットケーキとは違って、スポンジケーキのようなものだった。当たり前のようにメニューには写真が在る。その大きさから、ちょっと食べきれないかな?とも思った。
     K女史は、そのパンケーキにもりもり生クリームと、キャラメルソースというトッピングを、私はそのパンケーキにバタートースト、チョコレートソース、バナナといったトッピングをお願いした。飲み物は、マンゴークラッシュサイダーと、アールグレイだ。
    飲み物の後に、二つの皿が運ばれてきた。顔のまわりを豊かな甘い香りで拭われたような、皿から放たれる香気に驚き、感激した。
    「ごほうび、ですよ。これは」
    K女史は、一口食べてその美味しさに喜んだ。
    「思ったよりウマいじゃないか! 」
    その美味しさ、軽やかさ、口どけの良さは何度も何度も舌の上を往復した。
     パンケーキそのものの味わいも十分に優しく美味しい。添えられたバターの香りと焼かれた熱はクリームとアイスを溶かし混ざり、チョコソースの重厚な味わいの上に、バナナの凛とした甘みと香りが弾んでいく。
     私たちの会話も弾んだ。他愛も無い笑顔と他愛もない会話が、皿の上から消え行くパンケーキと反比例して、テーブルにあふれていった。
     この店を選びこの品を食している感想と感激を、身の内にある感想と感激としてとらえ重ねていった。


     第六章 夕陽

     勿論、夕飯までだってK女史は付き合ってくれるだろう。でも、私の楽しみはそこまで用意がなかった。だから、ヴィロンのパンを土産にして帰る事にした。
     真っ赤な情熱で焼かれた小麦の色達や、上品に作られたケーキが並べられており、真実を含んだような説得力が見た目にあった。
    「パン、嫌いなんだけどね。ここのは別格」
    「そうなんですか?」
    「土産にバケット三本持っていくかい?」
    「いいんですか! 」
     K女史にこの店のパンを食べてもらいたいと思った。これは、何事にも符丁をつけたがる私の性格らしさだ。だって、そのパンは同居する友人へひとつ、世話になっている母へふたつ、K女史にみっつ土産にするのだから。
    これで、清算できるような思いがあった。私が過去に迷惑をかけ、心配させた人々へのお詫びの完結だと思う。
     真っ赤な紙袋を互いに提げて、私達は駅へと向かった。
    ゆく道には多くの人々がいた。真っ白な太腿を露わにして歩く若い女性や、にこやかに談笑しながら歩く大学生達や、真剣な表情でスマートフォンを耳にあてている外国人が只行き交っていく。香水屋の煌びやかな壜が並ぶショーケースの美しさも、道路を被うような大衆居酒屋の看板の威圧も、巨大なスクランブル交差点の律動も、只そこにあるだけだ。渋谷にある存在は標しでしかない。それらの全てが、斜めになりつつある太陽の光の下、等しく平らに感じられた。
     K女史は不意に用事を済ませたいと思い立ち、たまさか私と同じ電車に乗りあうことにしたようだ。元来た時と同じ地下鉄に、K女史を伴い乗り込む。混雑していない車内だったので、じきに座席が空き自然と並んで座った。
    「九段下で降りますね」
    「少し、東西線の乗り換えはわかりにくいけど、大丈夫?」
    「はい。これから慣れていかないとなんで」
    「そうだなあ。そういう不器用でもなんとかしようってのは尊敬するよ」
    「そうですか?あたし、結構器用な面ありますよ」
    「いっぱい食べて、いっぱい育ってけ」
    「フフフ。食べて育ちますよ」
     九段下に電車は停まった。K女史と別れの挨拶をし、隣は空いた。
     そこへ、どこそこかの私立中学に通っていそうな、まだ産毛も剃っていない女の子がパッと座った。目の端にうつる女の子は、数学の小テストの答案を開きはじめた。その態度に、私は感心しきりだった。素直で清廉な少女の雰囲気を感じられたせいだろうか、狂いに狂った睡眠のリズムというものが突然襲ってきた。
     私は眠ってしまった。目を覚ましたのは、右側から押し寄せる柔らかな圧のせいだった。隣に座った女子中学生も、睡魔の虜になってその細い身を私に預けてきていた。
     さきほど開いていたはずの小テストには、赤字で小さくレ点のようなものがつけられている。真っ白な小テストに、それは小さく記されていた。理想と現実の狭間に揺らぐ、微睡む少女を支える自分を感じた。――これこそ、報せだ――
     地下鉄だった電車が途中から乗り入れの線にうつると、地上へ出る。私の座席の正面から、オレンヂ色した夕陽が直線的に差し込んで私を貫いた。一日が終わりかける瞬間の儚さ全てを一身に受けて、太陽は沈んでいく。そして、いつか日はまた昇るのだ。
     つい先ほどまで、私が暖めていた座席には中年の女性が座ってくれた。寝入った女子中学生の相手がそういう人で良かったな、と想いながら改札を出て家へと帰る。
    誰もいない暗い部屋に帰っても、ただ部屋の中には陰鬱な臭いが漂っている事に気づかされるばかりだ。同時にそれが、私の内側にある何かの新鮮を理解する手立てとなった。
     衣服を脱ぎ捨て風呂場へゆき、青い方の蛇口をひねる。足からかけてゆく冷水は、上へ上へとあがっていく度、体の火照りをよりはっきりと強く感じさせてくれた。――このままじゃあ、イケナイ。一旦区切りをつけるんだ――体の内より発せられた声に私は従った。
    このごろ新たにはじめたストリーミング配信をしたり、土産のヴィロンを食べたり、食後にシガーとチョコレート、コニャックを嗜んだりと、彩り豊かに一日の区切りをつけた。ヴィロンのクロワッサンの危うさや、バケットの風味、シガーの重厚な煙の向こうで、今日という日を何度か反芻した。
     疲労から来る眠気が、寝室に誘う。布団にようやく辿りつけた。眼鏡を外し、眠気が強いから寝しなにする読書を放棄して、横になって目をつぶった頭の奥、ほの暗い何かのスペースの端に、赤くぼんやりと照らす月の明かりがあった。それは、気づけば私を照らしてくれていてあたたかい。――生き直す事を選んだ私に与えられた、僅かながらのエネルギーなのだ! ――唐突に強くそう迫られた感じがして、胸が締め付けられた私は思わず目をあけた。
     おそらく、夢ではない。境界から呼び戻された安堵と沈静が精神に在って、危機に瀕して感じられる不安と焦燥が肉体にあった。視界に入ったのは、枕元にある携帯だ。メールのメッセージが寄せられている。気づかぬ内に、K女史からこんな言葉が送られてきていた。

    『今日はありがとうございました! おいしかったですね! またいましょーう♪ 
    相談事、進展が無くってもまたお話きいてください。私もお話も聞かせてください! 
    重い話もありましたが、聞けてうれしかったです! 
    バケット! もりもり食べます! w
    今日はご馳走さまでしたー。
    あと、本当に元気が出たみたいで安心しました。
    お友達も、お母さまも生きて欲しいって言っているから生きているって言ってましたけど、私も生きて欲しいと思ってますし、良かったと思いました。
    色々たべにいきましょー! でわでわ』

     以上が、二○一五年五月二十六日火曜日の出来事を振り返った記録である。



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