床屋さんへ お題:怪しい私 必須要素:ゴルフボール 制限時間:1時間 
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床屋さんへ お題:怪しい私 必須要素:ゴルフボール 制限時間:1時間 

2015-06-14 13:53

     駅で分断された街っていうものには、文化的な壁みたいなものができることがあって、それが線路をはさんで東西か南北かなんてことは問わない。例えば、池袋なんていう駅は東口に西と名のつく百貨店が、西口には東と名のつく百貨店があるなんていう奇怪さを露呈したりしているのだし、それが容易に覆ることは無い。

     私が好んで利用している東京下町の駅も、やはり同じように壁が存在している。
     西口の方には学校と住宅街があって、文具屋やパン屋が並ぶ商店街はどこか人の温もりを感じさせてくれるようだ。自転車の前後につけたカゴにスーパーのビニール袋が積まれている風景すら、水彩で滲んだ絵のように感じられた。
     東口の方には飲み屋通りや、風俗店やカラオケなんかがトウモロコシの粒みたいに並んでいる。その当たりを昼に通ったとしても、酔客たちの吐き残した息とおしぼりの消毒臭さは絶える事がないように感じる。
     西口のほうはまだ良かった。歩いていても、ただただ牧歌的といえる算段だと思う。でも東口のほうは、昼間っから歩いていると普段は忘れているはずの自分の惨めさを思い出させられる感じがあった。酒を呑むでも、飯を食うでも、女に股を預けるでも無く、ただうろつくだけは避けたいという思いがあった。だから、私はこの景色に自分を馴染ませたいと思う必死さから汗をかいていた。まだ入梅前の陽気なら、汗をかく必要は無いとも思う。だけど、焼き鳥屋のすすけた窓ガラスに映る私の幼稚な童顔は、あまりに腑抜けていて嫌だった。
     私が、そんな自分自身の迷宮に迷いこんでしまった理由というのも、この駅に来た事に由来した。この駅東口の飲み屋街をぬけたところに床屋があったのだ。近道をしようとするとどうしてもココをとおらなきゃならない。
     あまり経済的な余裕の無い私であっても、床屋に行く金だけは工面ができた。二ヶ月に一度くらいだが、三十年以上通う馴染みの店がある。もう私の下の名前に「ちゃん」をつけて呼んでくれる人なんて床屋のおばさんと店主くらいのものだ。子供の頃からの私を知る人の前で、どこまでも素直に心が開かれていくことは大人になる度に楽しみに感じられた。
     あの、なんていうかわからない床屋を示す三色のポールが今日もクルクル回っている。店につくと、偶然にも父が店に入ってきたところだった。
    「お?あれ?おまえも来たのか?」
    父は珍しい犬でも見たように私を見た。
    「あ、ああ」
    私は引きつっていたと思う。普段と調子が狂って、私は私を怪しんだ。そして、いつも通りに平常心でいこうと心につぶやいた。

     私と父は、三席ある床屋の椅子に並んで腰かける事になった。互いに首にタオルを巻かれて、シャンプーの準備をする。父を接客するおばさんが、あら珍しいわね、二人そろっていいじゃない、なんて無責任な声をかけてきた。鏡にうつされた私と父は、表情をそろえて照れていた。
     他にお客さんがいないせいだろう。父に幼い頃からずっと不思議に思っていた事を聞いてみた。そもそも、この店に来たのはなんでだったんだ?と。それは、先代の奥さんであるおばさんが答えた。
    「あら、そりゃウチのお姑さんが、かっちゃんトコのおばあさん。おとうさんのお母さんと同郷で同級生だったからよー」
    その言葉に、思わず驚いた。アカの他人でたいした縁が無いじゃないかとも思った。でも、もっと驚いたのはわが父が、感嘆した声をあげて
    「へぇえええー。そうだったのー」
    と言ったことだ。
    「お父さんも知らなかったの?」
    「だって、兄貴にアソコ行って来いって言われてきたんだもの」
    「ああ、オジさんが店開いてそこに勤めた時から通っているんだ」
    「そう」
    「そうなのよ、かっちゃんも長いけど、お父さんなんて五十年、いや六十年近く通ってるのよ」
    「うわぁ。そりゃ計算すればそうなるよねぇ」
    私はすっかり、かっちゃんになっていておとなしく髪にバリカンを当てられながら笑っていた。父も昔の父のように頭をピカピカ禿げ上がらせながら、艶のある笑顔で笑っていた。おばさんは、昔からかわらない色気のある声で笑っていた。おばさんの息子の店主も、ニコやかに「俺もトシだよな」って言ってた。
    「昔はさ、イイ子で終わると先代のオジさんがお菓子くれてね」
    私は思い出していた。分厚い眼鏡をかけた先代のオジさんが、ビカッと光るハサミやカミソリを片手に睨めつけられた、怖い時間を。それでも、お菓子を渡される時は、先代のオジさんも私もニッコりと笑顔だったっけ。
    「よく覚えてるじゃない。いまでも欲しけりゃ、あげるわよ。このへんも子供が減っちゃって、お菓子あまってるのよ」
    「いつまでたっても、食べ物のことばっかり言って。おまえは恥ずかしいなぁ」
    また、四人で笑っていた。その笑い声の中に混じって、シャクシャクと小気味良いハサミの音、モワモワと蒸しタオルの蒸気が部屋に舞った。
     私は、汗っかきなので仕上げにベビーパウダーをはたかれた。父は、もう父の匂いと同一であると言ってもいい愛用のポマードをなけなしの髪につけられていた。もう仕上げだ。ほかに客がいないから、といって肩と首のマッサージをたっぷりしてくれた。大人用の散髪をしてもらうようになると、やってもらえる時間は混みようによるけど、必ずやってくれるサービスだ。ゴルフボールを握って、肩にグリグリと当てられていく。最初にやられた時は、いらないと思っていたこのゴルフボールマッサージも、いまは無いとしまらない。
     ちょっと先に父の散髪が終わった。私も続けて終わったが、父が代金を払ってくれたようだった。
    「お父さんありがとう。悪いね」
    「……いいよ」
    とても小さい声だった。父はいつも私とどこか出かけては、私に払いをさせたためしが無かった。稼ぎの多い時も少ない時も、私はいつだって父におごられた事しかないし、父もおごったことしかなかった。もうこの年齢になると、父に甘えることに対する罪悪感だけしかない。それでも、父のほうはそれで当然であるかのように、あたり前だと表情ひとつかえないでいる。
     かつでは、素直に父に甘えられた私というものがもうここに居ない。どれだけ顏が童顔で、どれだけ自分に無責任で幼稚であっても、もう父がかつて父になった年齢に私は達しているのだった。父に会うたびに私は父の全うしてきた責任の重さに、頭が下がってしまう。
     父は、先に終わっていたので一服つけていた。その一服をキュゥッと一気に吸い込んで、灰皿に押し付けると、ヒザをパンと叩いた。店を出る、立ち上がるぞといういつもの合図だ。
    「それじゃ……」
    と父がいいかけた時、店の奥からおばさんが声をかけた。
    「まって。ホラ、かっちゃんコレ」
    おばさんの手には、小さな袋のスナック菓子があった。それを私に投げるように渡してきた。あの頃何度ももらって、嬉しくなった緑色したポテトチップスじゃあないスナック菓子。これの味なんて覚えてないけれど、床屋を終わった時の清清しい気持ちと共にあったあのあたたかい気持ちが蘇ってきた。
     私は、父と店主とおばさんにお礼を言って。スナック菓子を両手にとった。

    ※以上の文章は即興小説トレーニングにて即興小説したものを即興時のママ転載しました
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