• 「エヴァンゲリオン」も「まどか☆マギカ」も大人になりたくない話

    2014-05-28 09:00
    まどか☆マギカは何人もの友達に勧められていたので昨年、そしてエヴァンゲリオンはある人に強く推されてついこの前GWに見てみました。
    で、僕は別にまどマギのキャラクターでどれが好きとか綾波レイがどうとかっていうのんは全く興味がないので気になった構成の話に、、(笑)


    どちらのアニメをみていても強く感じたことは「大人になることへの拒絶」でした。
    まどかマギカでは、まどか達が戦う魔女か、主人公たち魔法少女が絶望に染まって闇に堕ちた存在として描かれています。
    「子供達が絶望を蓄積して魔女になる」っていうのは子供から大人になることのメタファーとしても読み取ることができます。
    魔法少女たちは心の穢れを断つために魔女を倒してグリーフシードと呼ばれる浄化装置を手に入れなければなりません。
    それがなければ心が濁っていき、いずれ魔女になる。
    これってまさに大人になることに抵抗する子どもの物語ということができると思います。



    そしてエヴァンゲリオン。
    綾波レイ、アスカ、碇シンジの三人の子供達はまるで相反する性格のように描かれていますが、それぞれが「子供らしさ」みたいな部分を象徴的に持っています。
    主人公の碇シンジは「僕のせいじゃない」「なんで僕が戦わなくちゃいけないんだ」と自分の責任から逃げる姿が書かれています。
    大人になればどうしても背中にかかってくる社会に対する責任感。
    そこから逃げようとするシンジの性格がかなり象徴的に描かれています。
    アスカは周りの大人に自分が認められたいためにエヴァンゲリオンに乗っています。
    これは大人に注目されたい駄々っ子の象徴です。
    そして最後に綾波レイ。
    僕にはレイというキャラクターが、大人に言われた通りにしか動けない子供に見えました。
    責任感から逃げる、周りの大人に認められたい、そして大人の言った通りに従う。
    この3つって、子どもの特徴だと思います。
    そして三者はこれらの気持ちを抱えてエヴァンゲリオンに乗り込み、様々な苦しみを味わう。
    僕には子供の気持ちを持ったまま大人になろうとして葛藤する子供達の物語に映りました。


    この手のマンガやアニメって、日本人の特性によく合っているのだと思います。
    ほかの多くの作品を見ても子供が大人になっていく物語よりも、子供が(内面的に)子供のままで世界を救って行くというものが多い。
    ここには社会の現実をみて悪い面も知ってしまった自分たちを、純粋な子供達の姿を借りて非難したいという大人の心情が滲んでいるように思います。
    だからこそ、まどかマギカもエヴァンゲリオンも大人に非常に人気がある。
    僕ら日本人にとってマンガやアニメって、キャラクターの姿を借りて今の社会に対する不満や疑問を代弁してもらうところに共感しているような気がします。
    その代表的な2作がまどかマギカとエヴァンゲリオン。

    エヴァンゲリオンをざっと見ていたときに、そんな風に思いました。

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  • お笑い論 ダウンタウンと紳助竜介の作った形

    2014-05-27 09:00
    お笑いの歴史について、昨日Twitterでつぶやいたものをまとめました。


    漫才の型っていうのんを分解していくと、ここ20年近くベースが変わっていないと思う。
    今の漫才ってナイツとスリムクラブを除き、ほかの全てがダウンタウンか紳助竜介を起源としている。
    比率でいけばダウンタウン:紳助竜介の比率が8:2くらい。
    ざっと30年くらいお笑いを追うとよく分かる。


    ひとつめの転機は80年代のお笑いブームに出てきたツービート、B&B、紳助竜介の3組の漫才。
    それまでの漫才は、話の筋がはっきりとしていて、テンポと絶妙な間で笑わせていた。
    先の3組が行った事はテンポの破壊。
    話の掛け合いを極限まで早くして、次々と笑い場を設けるネタを作った。


    B&Bはむちゃくちゃ高いスキルで漫才のテンポを押し上げたと思う。
    島田洋七さんの名人芸の様な早いテンポの中に作る緩急と、それに合わせた洋八さんのツッコミで、技巧的に無理やりテンポを上げた感じ。
    この結果、前の笑いが消えないうちに次のボケに笑うようになる。



    B&Bが技術でテンポを上げたのに対し、ツービートは知識でスピードを限界点まで引き上げた。
    ビートたけしの以上なキレと早口で、矢継ぎ早に言葉とボケを出し続けることで、多分これ以上ないってところまでテンポを引き上げている。
    普通の何倍も早いため、ネタがその分詰まったものになった。

    先の二組が自分たちの特徴を活かしてテンポを引き上げたのに対し、紳助竜介が決定的に違うのは、理論でテンポ早めたところ。
    紳竜の漫才はそれまでに存在していた「間」で笑わせる漫才を否定することで作られている。
    一切の間を排除して畳み掛ける紳助の言葉に竜介が返すという形でペースを上げた。

    この3組により、漫才のテンポが今までと比較にならないほど早くなる。
    特に、紳助竜介の作った「間を排除した漫才」が出てきたところで、テンポを引き上げる漫才という「型」が完成したのだと思う。
    ここら辺の影響を受けてるのがトータルテンボスやキングコング、ウーマンラッシュアワーあたり。

    漫才ブームのあとに、テンポ重視の漫才を完璧に崩してきたのがダウンタウン。
    紳助竜介、B&B、ツービートの笑いが間を取っ払うことで生み出された笑い、それ以前の漫才が間で笑わす笑いだったとしたら、ダウンタウンが生み出した笑いは間を外す事で生み出す笑といえる。


    ダウンタウンが生み出した最大の特徴は、アドリブのような漫才。
    それ以前の漫才は例えスピードを早くしようが、絶対に台本があることが分かるものだった。
    観客もよく練り込まれたネタであるということがわかるように作られていたのである。
    そうした完成されたパッケージを消したのが彼らの漫才。


    ダウンタウンは日常会話と変わらぬペースの喋りのテンポでネタを作っている。
    そして、さも松本のボケはその場で作られたかのようなおどけた反応を浜田がすることで成り立つ。
    予め組み立てられた台本らしさを無くすことで、見ている側が不意と笑いに襲われる。
    これが間を外した笑い。

    ダウンタウンが作った新しい漫才の型は「テンポを落とし、アドリブ感で笑わせる」というもの。
    サンドウィッチマンやおぎやはぎ、チュートリアルなんかがこの部類。
    「間を無くす笑い」と「アドリブの様な笑い」
    今の漫才のほぼ全てがこの2つの「型」をスタンダードにして作られている。

    僕が見ている限り、それ以降新しい漫才のスタンダードは生まれていないと思う。
    例外的にスリムクラブの間を限界まで伸ばした漫才の「型」や落語譲りの組み立てられたナイツの漫才の「型」などもあるが、あれらはいずれも彼らのキャラクター由来なもので、普遍的に漫才師に広がるとは考えにくい。

    今まで名人芸のように受け継がれてきた漫才に対して笑いの理論を残したという意味で、紳助竜介とダウンタウンは漫才の歴史の中でかなり大きな存在だと思う。
    そしてそれを壊す存在が未だ出てこないところに、笑の奥深さっていうものを感じる。
    (敬称は省略しています)


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  • 就活の自己PRで必要なのは「材料」でなく「調理の仕方」

    2014-05-26 09:0015
    「食材は一流だけど味は大した事のない料理」と「食材は大した事ない物だけど味付けがむちゃくちゃ上手い料理」なら、同じ金を払うとしてどちらが食べてみたいか。
    こう聞かれたら、おそらく殆どの人が後者を選ぶのではないかと思います。
    結局味が良ければ食材の質なんて気にしない。
    いや、味つけが良くなければ食材の質まで意識が向かないと言った方が正しいかもしれません。
    食材選びより調理の技術の方がまず先に求められるものなんですよね。
    手持ちの品を最大限に活かす調理法が大切。

    ピアノの場合も似たような事が言えます。
    「100%弾きこなしたエリーゼのために」と、「グダグダで音符を何とか追っているだけの幻想即興曲」を聞くのだったら、やっぱり殆どの人が前者を選ぶと思います。
    どれだけ難易度が幻想即興曲の方が高かったとしても、下手くそな演奏だったらみんなそんなもの聞きたくない。
    自分の技術で弾きこなせる楽譜を選ぶことが大切です。


    「食材は一流だけど不味い料理」と「弾きこなせない幻想即興曲」の共通点は自己満足であること。
    一流の食材も幻想即興曲も自分のこだわりであって、相手に対する思いからの選択ではありません。
    あくまで自分が満足できるだけで、相手には伝わらない。


    就職活動の自己PRも同じだと思うんですよね。
    凄いエピソードをそのまま語るだけだったら一流の食材を生で出すのと同じです。
    採れたてのウナギもってこられて「さあ食え」言われても困るじゃないですか。
    自分の背丈にあったエピソードを、自分の良さをアピールするように調理することが大切。


    人気Tweetとしてあがっていたつぶやきです。
    {53151742-5DB3-4246-B18B-1ED6562EF637:01}

    これなんて上手く調理した例だと思います。
    事実だけ抽出したら「学校の単位の殆どがC」ってだけです。
    それを「効率を追求した」ってエピソードとして調理している。
    まあ多分これ言った人が採用された一番の理由は起点の利かせ方だとは思いますが、本当に上手いなって思います。


    これに加えて自分の長所を「何事も前向きに考えて取り組めるところ」とか言っておいたら、さらにエピソードとの繋がりが出てくる。
    正直、何十人と見てきている面接官にとって、どんなエピソードを話したかなんて印象に残らないはずです。
    おっ!ってなるのは凄いエピソードを聞いた時ではなく、なるほど!って思える切り口の話を聴いた時。

    自分が昨日話した友達との内容を振り返ってみたらわかること。
    一番記憶に残っているのは思わずなるほどって唸った部分だと思うんですよね。
    逆に残っていないのは自慢話や事実をありのまま語っただけの部分。

    面接官だって、全く同じだと思います。
    エピソードをいろんな視点から調理すること。
    留学ってエピソードなら単に異文化を学んだとか言語が上達したではなく、「留学に行きたくて死ぬ気で金貯めた」でも「持って行った金じゃ足りないから友達とのコミュニティの中で生活費を安く抑える工夫をした」でも話すことはいくらでもあるはずです。
    留学ってエピソード一つとったって「海外に行く」「限られた資金で生活する」「終わりが決まっている」「慣れ親しんだコミュニティを離れる」みたいにいろんな切り口があります。
    料理で言えば煮るとか焼くとかを考える感じです。

    なんせ、自分のエピソードをどう調理するかっていうのを考えておくことは大切だと思いました。


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