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ワールド・イズ・マイン

2017-02-14 00:10

     仮に「世界は僕のもの」だとして、問題は「僕のもの」だと誇るほど「世界」は素敵じゃないということだろうか。
     そして自分達が生きる、世界の破綻そのものな大騒音に「愛なき世界」というロマンティックな名前を与えたマイ・ブラッディ・バレンタインというバンドがかつていたように、素敵ではない世界を描写すること、それは「表現」に自覚的な人間にとっては当たり前の「呼吸」だ。
     それどころか、かつては「I Love You Baby…」でOKだったポップソングも、今や「愛なき世界」のムードを取り繕う事が漠然たる「共感」を得る最短距離だったりもする。
    それ程までに僕達は、世界に、日常に、傍らのあなたに、不満気な態度で生きている。


     1994年の1月、中学1年生の僕は冬休みを満喫していた。
    相変わらず、つつがない日々に聴くポップ・ミュージックが死ぬほど好きだった。
    僕の脳を炸裂していく音楽達。
    ギャング・オブ・フォー、ワイヤー、ポップグループ、マリアンヌ・フェイスフル、ザ・ラーズにティーンエイジ・ファンクラブ、プライマル・スクリーム。
    僕の目の前にあったものだけを信じる。それが全ての日常で、問題がなかった。
    パーフェクトに興奮できて、つつがない日々だった。
    あとは、「証拠」が欲しいだけだった。
    要は、マイ・ブラッディ・バレンタインと出会うのを待つだけだった。


     カート・コバーンが影響を受けたというバンドリストの中にジーザス&メリーチェインというバンドがあった。
    僕はその人達のレコードを持っていなかったが気軽に聴く事が出来た。
    近所に住んでいるマミちゃんという色白でガリガリの女の子がレコードを持っていたからだ。
    マミちゃんの家は気品があって、マミちゃんのお母さんが作るパンケーキはとても美味しかった。
    パンケーキ目当てに遊びに行ってはそのレコードを聴き、そのレコードを聴きに遊びに行ってはパンケーキをご馳走になっていた。
    マミちゃんは「カート・コバーンの声は好きじゃない。感情をめちゃくちゃに揺さぶられたくないの。」とよく言っていた。

     ジーザス&メリーチェインの『サイコ・キャンディ』というアルバムをよく2人で聴いていた。「このノイズが心地良いわ。」とマミちゃんは漏らすように言った。
    僕が「ダイナソーとかソニックユースのノイズも心地良いよ、マミちゃんも気に入ると思うよ。」と話すと「『サイコ・キャンディ』だけあれば私には満足だから。」と言った。

    「でも何でノイズを鳴らさなきゃいけないんだろうね?」
    「そんなの知らない。私にとって心地良いんだから意味なんか考えたくもない。」
    痩せた身体から出てくる言葉と声は、ジーザス&メリーチェインの音楽のように、ほっといていたら消えてなくなってしまう程、か細かった。

    「ねぇ、『ジャスト・ライク・ハニー』って曲ってさ、本当にセクシーだと思わない?それにしても何で私の気持ちがわかるんだろう?」
    「良い曲だと思うし、胸が締め付けられる青っぽさも感じるけど、セクシーだと感じた事はないなぁ…。」
    「そう?すごく満ち溢れているじゃない。」
    「ごめん、僕にはわからないな、その感覚。」
    「………」
    「………」
    「そうだ、この冬が終わったらさ、2人で海に行かない?」
    「まぁ、良いけど2人っきりなの?」
    「うん、2人っきり。」
    「…あぁ、良いねぇ…。」


     つつがない日々が続いている最中、ポップミュージックが人生の全てだと勘違いしていた日々に、「その通りだ!」と背中を押してくる作品に出会った。
    マイ・ブラッディ・バレンタインの『ラブレス』だった。
    触れることが出来ず、ただ眺めていることしか出来ない、絶望的な美しさだった。
    ラブ「レス」の「欠如」の意味を考える事を放棄してしまうほど圧倒された。
    ぼんやりしながら、愛がないわけではなく、あまりに不可侵な愛がそこでは鳴ってしまっているように思えた。
    そして当時の僕には意味を見出せなかったノイズだらけの音楽だった。


     「2人っきり」という言葉をマミちゃんに言われてから、変に意識をするようになり僕はマミちゃんの家に遊びに行かなくなった。
    それでも家で『ラブレス』を聴いている時も、マミちゃんにこの音楽を教えようかな?
    マミちゃんはこの音を聴いた時に何て言うのかな?…なんて事を考えていた。

     僕はグズグズしている日々を過ごしていた。
    そんなある日、マミちゃんが僕の家に遊びに来て、「親が離婚をするからこの街を出なくちゃいけない。」と言った。
    僕は「そうなんだ…。とても残念だ。」としか言えなかった。
    その後、自然な会話を装い過ぎて不自然になってしまったコミュニケーションを繰り返し、マミちゃんと一緒に『ラブレス』を聴いた。
    僕が曲の感想を求めると、「曲の率直な感想になるかどうかはわからないけど、このまま消えて、この世界からいなくなってしまいたいわ。」と言った。
    そして、「なんとなくって気持ちで良いからギィーってなるぐらい思いっきり抱き締めて。」と言ったのでマミちゃんの痩せた身体を抱き締めた。


     言葉やアティチュードではなく、純粋に「音」。
    ただそれだけの力によって信じさせてくれたバンドはマイ・ブラッディ・バレンタイン以外に存在しなかった。「愛なき世界」なんて子供だましのレトリックにしか過ぎなくて「お前に世界なんか、何ひとつ見えてないよ。」と周りの大人に思われているなと思った。
    そんな事をフラフラと考えているとジーザス&メリーチェインのギターノイズは、自らの弱さを誰よりも自覚していた彼らがその傷跡を覆い隠し、結果、より大きな傷跡を自分らに刻み付ける決死のロックンロールなんだなと発見できた。
    では、マイ・ブラッディ・バレンタインのギターノイズは何の為に鳴らされたんだろう?


     「音」への信頼、「音楽」への信頼。それ以上のことがわからない。
    何ひとつ、確実なものを手に出来ない連続性の中で生きていることは辛い。
    そんな気分を鳴らしている「音」。
    僕にとっては「音楽」そのものが、世界の不幸やマミちゃんの転校によって貶められることのない「世界」であり、「僕のもの」なんだ。
    …と僕のつつがない日々は過激にオーバードライブしていた。

     マイ・ブラッディ・バレンタインのギターノイズの意味を、考えれば考えるほど心が空白になる。僕の中学1年間は「否定」が覆っていた。
    マイ・ブラッディ・バレンタインはその「否」の対象すら持たない絶対値だった。
    また、僕は「個性」を求められる年頃でもあった。
    その「個」すらマイ・ブラッディ・バレンタインは顧みなかった。
    結果、彼らは「無」になった。
    マミちゃんは彼らの音楽を聴いて「でも『ジャスト・ライク・ハニー』の方がセクシーね。」と言った。
    僕は彼らの事を考えると心が空白になる。
    誰も彼らの事を知らない。
    本人達も知らない。
    ただ、その美しい音楽だけが永遠になった。

     マミちゃんとはそれ以来、会っていない。中2になったら、一緒に海に行く約束をしていたのに…。
    今日も僕は、日常を不満気な態度で生きている。

                                         THE END.
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