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思想・哲学関連メモ
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思想・哲学関連メモ

2021-03-12 17:51





    「権利」概念に対する「義務」、「人格主義」に対する「非人格」

    「全体としての世界」の否定は、「それ以外のすべてのもの」の多様な存在を肯定する

    偶有性を必然性につなげる寓話は、この世界のあり方そのもの

    「何が普通なのか?」を、誰かが改めて決めなければならないような「限界状況」でこそ、「主権」の本質が明らかになる

    〈魂〉に対する態度とは、それに向かって態度をとることができないものに対する、愛や共感や理解を超えた態度

    「異なるもの(他者)が、同じもの(私)として再来する運動」にほかならぬ「愛」を、
    けっして相対化されえない純粋な差異=絶対の距離を抱えた体験としての「愛」をひたすらに追い求める

    自己とはもともとナビの矢印だった、矢印がないとナビは使えないが、矢印にほとんど実体はない

    問題と解答、原因と結果、意図と実現がすっきりつながる「かっこいい」に対して、それが一致しない「かっこワルイ」が天然知能
    外部に踏み込み、その外部を招き入れることで、物事の理解を実現する





    社会が壁にぶつかったとき、文科系の人は、人間性にもとづく、いい判断ができ、大切な、必要なはたらきをする。
    人間についての総合的な認識や感性をもつことが大切
    言葉を身体の中で作用させなければならないから、音楽では担えない

    今の人は、他人に興味がない。自己愛が強くなったのか、あるいは逆に、小さくなったのかもしれない
    本来の健全な自己愛の構造は、まず自分があって、そこから親の世代への興味、祖父母の世代の興味へと遡り、過去との繋がりに学んでいく

    もう二度と、文学の時代は戻ってこない。路地の奥のお店屋さんみたいな感じで、文学は消えずに存在しつづける。







    ネオコン(新保守主義)
     「小さな政府」や経済的・個人的自由の称揚、大企業優遇、自由貿易やグローバリゼーション(もちろん移民も)の推進
     海外への(軍事行動を含む)積極関与 世界に自由と民主主義を広めるという立場
     ブッシュ政権、共和党主流派、小泉純一郎、橋下徹

    ペイリオコン(旧保守主義)
     外交安全保障での孤立主義 グローバリゼーションにも反対で、移民にも反対 多文化共生を拒否
     伝統的な価値観、文化を重視 
     同性婚や妊娠中絶など個人の自由に関しては非常に保守的
     昔の自民党、日本会議、右翼団体

    リバタリアニズム(自由至上主義)
     経済的な自由も個人的・社会的な自由も最大限に重視する自由至上主義 
     国家や政府を自由の敵として、民営化を推進する
     同性婚もドラッグも自己責任なので、基本的になんでもOK
     ホリエモン、アメリカのセレブ

    オルタナ右翼
      反フェミニズム、反多文化主義、反ポリティカル・コレクトネス、リベラル勢力から迫害されているという被害者意識
     優生学的な能力差別、知能差別、レイシズム ミソジニー(女性嫌悪)
     エリート反対、大企業反対、グローバリゼーション反対
     伝統的道徳を重視しない LGBT、同性婚、妊娠中絶、ドラッグ合法化などを支持
     民主主義への懐疑 
     ホンネを剥き出しにすることを推奨
     日本のネトウヨ・在特会、米国のトランプ、英国のEU離脱、フランスの国民戦線

    アイデンティタリアニズム
     ヨーロッパで生まれた新しい思想
     アイデンティティを精神的、知的、政治的運動の中心に、そして中核的な問題に据える思想
     自由、正義、平和などすべての問題の根幹はアイデンティティにある アイデンティティ至上主義
     左翼/右翼として切り分けられてしなうエネルギーの統合
     異なる文化や価値観を持つ集団どうしの棲み分けを主張 人種が違ってもアイデンティティが同じならOK

    日本のリベラル
     憲法改正反対
     戦争反対で絶対平和主義
     平等主義 経済格差や差別を問題視
     コスモポリタニズム 将来的には国境がなくなり、世界中の国家は統合され、世界はひとつになるべき、という思想
     戦後的な反権力・反資本主義の革新・進歩派勢力が、冷戦終結後そのままリベラルと呼ばれるようになった
     自民党と官僚がリベラル的な分配政策も、リバタニアン的な自由経済の推進も、両方やっているので、うまく対立軸を打ち出せない
     単なる反権力で対案がない

    ポピュリズム(大衆迎合主義)
     代表制民主主義のの機能不全によって現れる現象
     価値観の多様化とグローバル化、堕落した既成政党や政治家・エリートへの不信感から、「既成の政治家や政党は自分を代表していない」という意識が根本原因
     かっこいい決断主義 パフォーマンス 争点の単純化 熟議の軽視 「友/敵」関係をつくるの対決的な政治スタイル 
     一般国民による下から草の根的運動に支えられている





    ヨーロッパの伝統においては、労働は道徳的な蔑視の対象、非人間的、低俗なもの
    「仕事」の美学も文化性も、「行為」の政治性・公共性も、労働的なものとして消費される 生産性の奴隷





    グローバル化で世界は今、史上最高の場所になっている(極度の貧困からの脱出、小児死亡率の減少、普遍的教育の浸透等)

    近代国民国家 常備軍と官僚制を備え領域内の人々は国籍を持ちその領域に排他的に帰属 標準的な政治単位になって400年 賞味期限切れ
    国家どうでもいいグローバル企業の言いなりで、規制緩和し、雇用は失われ、地域経済は崩壊、歳入は減り、国民国家解体
    対策として愛国主義教育や隣国との軍事的緊張関係を政府が意図的に仕掛ける
    相手が引けば自分が押すというのが、国際政治の常道

    世界の予測不可能化の原因
    1. デジタル・コミュニケーションの圧倒
    個人的・企業的・投機的・組織的な通信が爆発的に拡大、多様化
    2. 超国家的現象の氾濫
    超国家的運動、組織、言動が主権国家を明白に相対化していく
    労働、コミュニケーションと貿易、軍縮と平和、知的所有権、人権、環境など広範囲の政策が国際的な希求と規則にカバーされる
    3. 国家と対置される社会の強靱化
    国家に対置されてきた社会の比重を強く 欧米産の思想や制度は時代遅れ
    実物経済の過大視、主権国家的視点の狭窄化、そして文化的自己愛の誇大化が現実を見誤る

    ロールズの「正義の原理」
    (1) 個人の自由が全員平等に尊重されていること。
    (2) 機会の平等が全員平等に与えられていること。
    (3) 所得や生活水準を含め様々な格差がなるべく小さいこと。
     の3条件。そしてこの3条件は(1)、(2)、(3)の順に優先される

    右翼 理屈では割り切れない入れ替え不可能なパトリ 不完全で矛盾しているのが人間の本質
    ミメーシスならびにミメーシスを可能ならしめる社会的文脈の保全に、強くコミットメントするような、自分自身がミメーシスによって駆動される存在
    左翼 設計主義、進歩史観、個人の自由、科学主義、近代的価値観

    保守 死者の英知を活かした永遠の微調整
    立憲主義 民主主義の暴走から社会を守る
    日本の右派と左派は共依存 人間の理性は不完全だから多様性への寛容さが大事

    権力の拡散 マイクロパワーの時代 内と外がシームレスに
    (1)More豊かさ革命 (2)Mobility移動革命 (3)Mentality意識革命 で権力の鎖から自由に
    権力は上からやってくる所与の力としてではなく、さまざまなパワーの相互作用というようなものへと変質
    政府やグローバル企業はかつてのような上から支配する権力としてではなく、下から支えるインフラとしてのパワーとして成立






    対称性思考=「分類上違うものの間に深い共通性のあることを見出す能力」
    無意識的思考の基底にあるのは対称性思考であり、このうえなくパワフルな思考である
    ホモサピエンスとして誕生して以来この思考が働いており、いまでも強弱はあるが作動し続けている
    神話的思考を生み出してきた無意識は、芸術・哲学・科学的創造・経済生活などにおいて、いぜんとして大きな働きを行なっている

    無意識は数万年前ホモサピエンス(現生人類)の脳組織におこった革命的な変化をきっかけにして形成され、私たちの「心」の基体を形づくってきた
    このとき、分化された知性領域を横断する流動的知性が発生
    流動的知性は、脱領域性、高次元性、対称性などの特徴を持っている
    比喩、象徴表現などを使い、異なるものをつなぐ知性
    対称性思考の特徴=(全体把握、情緒性、矛盾をはらむ、多方向的、自在性)

    過去と未来がひとつに融合して、神話的思考における「ドリームタイム」(夢の時間)と同じ無時間的表現をつくりだしている
    個体同士をつなぐ同質的な「流れるもの」が発生して、個体を包摂する「種=クラス」の働きが前面にあらわれてくる
    「心」の基体では、部分と全体が一致し「心」は無限の広がりと深さをもつものと思考されるようになる


    人間の思考=非対称性思考(意識的・論理的思考)+対称性思考≡バイロジック(二重論理、2分心、複合ロジック)




    区別し、分離し、論理的につなげる非対称性思考 その働きの極限として「神の概念」「国家」「資本主義経済」等々が出現


    「一神教」と「国民国家」と「資本主義(グローバリゼーションもその延長)」と「科学」は形而上学の形態としては同型
    これらの「圧倒的な非対称」が支配する無意識が抑圧された時代(アンハッピー状態)が続いている
    対称性無意識の働きによってこの形而上学化された世界を「自然化」する
    「一神教の神」をふたたび「自然」に接合する





    言語:無意識の自律的な「みずからを構成しつつある秩序」と、すでに出来上がっている言語体系としての「すでに構成された秩序」とがお互いにせめぎあい具体的な言葉が語りだされる
    贈与と交換:対称性/非対称性からとらえ直される
    一神教:対称性の論理と非対称性の論理のバイロジックとしてつくられ、特異な一神教の形態を実現したこと。この「一」の原理が支配
    仏教:純粋贈与(=対称性思考)としての布施の実践。仏=無意識=智慧=純粋贈与(布施)。色即是空(色と空は対称(同じ)である)。華厳経の法界=無限集合としての無意識
    科学的アイデアの発想現場:対称性無意識の活動している思考の空間。
    アート:内奥の無意識からわきあがってくる悦楽に触れようとする





    神話は生と死、人間と自然などのバランス・対称性を維持することを目的としている
    王は自然の力を手に入れ、かつ人間世界の権力も手にする野蛮な存在である。王の登場によって「クニ」が誕生
    神話的思考は技術にストッパーをかけていた 人間は自然から力を手に入れることができるが(例えば鉄の入手)、その強力すぎる力は自然と人間との対称性を崩してしまう




    「交換」は、等価値の商品(モノ)の交換であり、関わる人の人格や感情は無関係。モノの価値は定まっている
    「贈与」はモノを媒介にした人格的なものの移動、信頼関係の構築である。モノの価値は不確定
    「純粋贈与」はモノの循環ではなく、見返りも求めないような力の贈与、富の源泉。例えば農業(自然からの富)、ポトラッチ、密教の儀式、出産、豊かな恵みをもたらす女神の賛美

    貨幣は、自然がもたらす純粋贈与の力を人間の側に移動させたものである(非対称化したもの)


    神以前にはスピリットなる存在があった 流動し、自然から出て人間世界にも登場する。日本の八百万の神や妖怪に近い
    スピリットを人間世界に持ち込むこと、つまり神の誕生に

    来訪神 メビウス縫合型(表裏一体のメビウスの輪を保つ)、スピリットのようにあの世とこの世(表と裏)を行き来する。対称性の神
    高神 トーラス型(ドーナツ型)、中心の穴にとどまり、常に見守り、人間のコミュニケーションすなわち言語体系を維持する。秩序の神
    高神が元になりユダヤ教やキリスト教などの唯一神が発生 人間と自然との間に非対称性が生じ、一神教とクニの支配が成立

    かつてのスピリットに代わり、商品が流動する。しかし商品はスピリットのように崇められる存在ではなく、人格もよろこびもない




    近代科学や過去の宗教が陥りがちであった、固定的な分割の態度を超えていこうとするところに人類文化の希望を見ようとする

    伝統的な宗教が自己から遠い超越者に向き合う事を求め、近代科学が自己の外部にある世界を分析し、支配していくことを目指したのに対し、
    新霊性運動は自己が自ら体験し、それを通して自己がより高次のあり方へと成長していく

    新霊性運動、自己は善悪の対立に引き裂かれたり、超越領域から切り離されたりした小さな「我」なのではなく、それらを包み込み、全宇宙の実体とも合致しうるような何か

    自由の否定を含まないで、自己の多面性、重層性に気づきつつ、悪を包み込み、抱かえ込んで高次の自己に融合すること、これが「自己変容」

    宗教を、「虚構の人格」を中心として社会を組織すること、そしてそれによって、生死を超えた人間同士の「つながり」を確保すること、と規定
    人間の社会は常に、こうした永続的な「虚構の人格」を中心に据えることによって成り立っている




    差別とは意識されなかったことが差別だと意識されるようになるのは、コスモロジーの貧困化せいだ、コミューナルなものの空洞化せいだ
    それまで鬱屈しないで良かったものに鬱屈するようになった背景に、「フラットな社会における感情の劣化」
    「男がいて、女がいる」んじゃなく「私は男でも女でもある」。同じく「私はLでもGでもBでもTでもある」

    「恋愛稼働率」つまり恋愛パートナーがいる割合は、どの世代でも女は男の2倍、男は女の2分の1

    今日の童貞とは、セクシズムを前提にした性的未経験者の男




    正しさという感覚のルーツは「仲間のための自己犠牲を肯んじる構え」。「小さな仲間集団を犠牲にして大きな仲間集団に貢献する構え」
    正しさとは「仲間への愛のために法を破る=正しさのために法を破る」
    「正しさ」は、交換ならぬ贈与、バランスならぬ過剰

    ヒトは、感情の働きを使って絆を作ることで集団的生存確率を上げ、そのことで個体的生存確率を上げてきた動物

    「正しさよりも損得」が専らな人間「クズ」、クズに傾くこと「感情の劣化」
    自分が犠牲になってもいいと思う仲間がいて、その仲間にリスペクトされていれば、その時点で「損得を超える力があり、それゆえに絆に満ちていること」
    仲間がいない孤独ゆえに妄想的に損得にこだわる
    不安を埋め合わせたくて、少しでも法を逸脱していた人を指差しては炎上



    「便所女」自己評価が低く自分の醜悪さを「見たくない」から、イケメンという「見たいもの」だけ見る。股を開く→自己評価もっと下がる
    自分はイケメンだから女はイチコロみたいなコントロール系の糞ナンパクラスタ男と、イケメン好きの便所女は、いつも対(つい)

    女の心や体に生じていることを、自分の心や体にを生じさせられれば、女の快楽は男の快楽になり、男の快楽は女の快楽になる
    相互浸透的なセックスを経験できるダイブ系は、ダイブを通じて「人が見かけによらないこと」を経験で知っている
    両親が愛し合っていると思う大学生は、そう思わない大学生より、恋人がいる率が高く、性愛経験人数が少ない

    劣化した人たちは、「絆の集団」を生きる人たちに比べて、社会がより劣化=損得化したものに見えて、それに適応してますます劣化
    感情的に劣化した連中も、何かのラッキーでそうした包摂的な仲間集団に加えてもらえば、気持ちに余裕ができて、ポジション取りや承認ゲットに右往左往する「損得厨」から逃れられる

    恋愛のために仕事をし、仕事のために恋愛をする。さもないと動機付けが続かない
    性愛で定住社会の軛から解放されて、人は幸せになれる
    言葉の奴隷や法の奴隷であることよりも、言葉の外や法の外でシンクロする=幸せになる能力


    損得の計算可能性をベースに回る大規模定住社会は3千年前の文字の誕生以降。ホモ属サピエンス種の遺伝的基板は過去20万年変わってない

    4万年前。遺伝子の変異で「ウタから言語へ」とシフトした(認知革命)ロゴスを用いる散文的思考ならぬ、隠喩と換喩を用いる神話的思考
    1万年前。既存の農耕技術を用いて定住が決断された(定住革命)。収穫物ストックを保全・継承すべく法が生まれる
    3千年前。宗教儀式から離れた文字使用が始まる(文明革命)。文脈自由なロゴス化が大規模定住化=文明化を
    音声言語は距離の近さが前提だから文脈拘束的。文字言語は距離の遠さが前提だから文脈自由。神話的思考から散文的思考に移行
    法や言語が自己目的化する頽落を退けるべくなされた祝祭で元の在り方=「法外・言語外のシンクロ」を取り戻す
    4百年前から近代化が始まる(近代革命)。近代化とは計算可能化をもたらす手続化・技術化。計算可能性が大規模定住社会を複雑化させる
    「崇高な仲間」と思い做すドイツ的民族ロマン主義と、平凡な男女を「あなたこそ世界の全て」と思い做すフランス的恋愛ロマン主義が19世紀に立ち上がる

    3千年前の文明革命(文字化)を一方で駆動したのが「セム族的なもの=一神教」
    大規模定住が仲間を超えるから神の言葉(の文字)が持ち出される「石つぶてを投げる者をこそ愛せ」

    「正しさのために法を破る営み」を厭わぬ者が「政治」を与える

    「交換&バランス&秩序&シラフ」を旨とする定住社会から祝祭が消え、性愛にだけ「贈与&過剰&渾沌&トランス」の時空が残った
    人はホモ属サピエンス種が分化した50万年の歴史から見てもごく最近まで、文字言語の散文を真に受ける「言葉の奴隷」でも、法の内側を損得で生きる「法の奴隷」でもなかった

    「セム族的」=「一神教的」=「近代哲学(形而上学)的」=「カント的」=ツリー(樹)
    「初期ギリシャ的」=「パンテオン的」=「現代哲学(形而上学批判)的」=「ニーチェ的」=リゾーム(根茎)


    「損得を越えた内発性」に駆動されず、「何か分からないけど凄い」から見放されれば、快楽の相対性を越えた享楽の絶対性に届かず、幸せになれない




    左派が今やいかなる意味でも「ユートピア」を語れなくなっている
    そのつどユートピアを携えてこそ、哲学は政治的なものに生成し、おのれの時代に対する批判をこのうえなく激しく遂行する
    ユートピアは《歴史》と対立する時でさえも、その歴史になお準拠しており、そのなかに理想あるいは動機として書き込まれている



    資本主義終焉論と相互補完的に、資本主義は永遠であるという言説が強力に主張されている

    市民主義的、社会民主主義的な力ない改良主義
    アナキズム的侵犯行為(一過的な暴動? 万引き?)
    近代以前的な「伝統」への回帰(アソシエーショニズム? 家族制度?)

    国民皆兵とともに、憲法の天皇条項も廃棄するのが、ブルジョワ革命の要諦



    人間の終わりには、三つの要素が絡み合っている
    (1)歴史的政治的「人間」――歴史の終わり。
    (2)経済的合理的プレーヤーとしての「人間」――疎外の終わり。
    (3)身体としての「人間」――科学による終わり




    人間は波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう
    構造主義以降は、本質とされる人間など虚構であり、物語の登場人物のようなものに格下げされた

    大文字の歴史ではなく、一人一人の身体に根ざした人間の解放こそが重要だという人間主義が世界史主義

    人間が、商品なしでは生きていけなくなり、分業のネットワークに委ねられ、骨の髄まで商品の滋養で生きている
    資本と人間の勝負にならない対立、無限と有限が戦うようなフェアでない関係
    資本の前では、人間は剥き出しになり、商品のネットワークにバラバラにちぎられて吸収される

    ネットワークからのパラドックス的な差異の中にこそ、人々は生きる場所を求めた
    神からも、その近代版である国家や「党」からも離脱するという絶対的な無政府主義


    人間が資本に付き従い得ないこと、すなわち「疎外」という深刻な事態を、資本こそがより深く理解し、その克服を生き残りの至上命題として捉え返した
    身体の制約を生物学・生理学的などのテクノロジーによって克服する課題として「疎外」を捉えた
    人間の疎外は、人間をアンドロイド化し、身体のリミットから解放することで、克服される

    中国共産党が展開する監視社会、情報化された電脳コントロール社会というディストピアは、人間を資本そのものとするための最先端実験場
    人工知能の現実化に至るデータ処理の飛躍的進歩、そしてiPS等の再生医療などを通路にしての、生命工学の進展つまりは生命と機械、動物、環境の技術的接合の進展
    国家から離脱する大衆の動きとデータ情報技術進展の奇妙な一致、それをめぐる人間と資本の壮大なドラマが、68年から政治空間に現れ、われわれをずっと絶えず運んでいっている


    革命的経験が世代から世代へと伝わるのは、敗北によってなのである




    自分自身の人生の「全体」を「悔恨」なく――取り換えのきくものとしてではなく――生きようとすれば、
    その外側に立って、それを分析的に眺める「知性」より以上に、その内側に立って、その流れを、つまり過去の全体を受け止めてみせる「直感」が必要

    「今、ここ」を生きる「この私」のなかに一つのメロディとリズムを聴くことができるようになるのなら、その必然感によって、他者との比較(空間的対比)を克服することができる

    「共通感覚」とは、「意味」の起源にある「自己配慮」を括弧に入れる力
    一つの〈意味=自己配慮=エゴイズム〉を超えて、自らの言葉を多様な文脈(他者)に開いていく力

    より深く「過去からの声」を聴くことのできる者が、より深く他者に「惚れる」(直感できる)ことができる
    「過去」を自覚すればするほど、他者に対して、より深く〈循環的―運動的〉になっていく
    「惚れ」と「解釈」とが「一つの事であって二つの事ではない」

    随処に主となれば、立処皆真なり

    自分の「歩き方」を信頼している人間のことを、“過去を共有する他者”、つまり家族、友人、師匠と呼ぶ

    醜いのは、失敗を「悔やむ」場合であり、また失敗を引きずって己の「欲望」を素直に表現できなくなる場合

    第一、自分と他者との資質(性格や感情の傾向)を直感する力
    第二、そのお互いの資質の違いに対して距離をもって眺めるだけの余裕(冷静さ)
    第三、他者との距離を埋めるためには何が必要なのかを考えるための「論理や知識」




    政治の世界では、大人であっても常に子供であることを強いられる

    資本主義は絶対に国家という不生産部門を必要とする。
    資本主義は必ずどこかに現実化し領土化しなければいけない。資本主義は相対的脱領土化にとどまる
    資本は、利潤があがるところにはどこにでも自由に動く絶対的脱領土化として自分自身を欲望している
    絶対的脱領土化を求めて相対的脱領土化に帰着する、この運動を無限に反復するのが資本主義

    現代思想の基本線は政治的には終わっているから、現代思想からは別のものをとりあげ直さなければいけない

    民族とか系譜とか血族とかのお話でもって現体制に叛逆する南朝正統論的な従属知

    アーレントは革命の「狂気」を肯定しつつ、それをあくまで「理性」的対話の空間の保持に結びつけようとした
    フーコーの方は、すべてを否定して、すべてをちゃぶ台返しする叛乱の神的暴力に、希望のかけらを見ていた

    ゼロの論理を駆使して、そもそも無いもの、あるいはもはや無くなってしまったものをわざわざ抑圧することで、その他のものをすべて生かしていく

    「一切のことを言う自由」と「無責任の主体」、この68年の祝祭はファシズムの祝祭とどれほど異なるのか
    国民の主権が空虚=誰も何も言えない

    構成的権力の構成された権力からの不断の「分離」 その「不可能な試み」が野放図な暴力行使とならない保障はあるか

    「主体の廃位」(ラカン)後にあえて主体が「『原因』になる力」に政治の根幹を求め、〈マルクス主義〉と〈哲学〉を結ぶ第三の環として〈精神分析〉を位置づける



    技術をあっさりと忘却し、抑圧し、無視し去ることなどできない相談である、そうではなくて技術の暴力、その強制的性格から解放されるためには、技術そのものの中をくぐり抜けて行かねばならない

    コンピュータが何かということを知る必要はありません、ただスイッチを入れさえすればよいのです。そうすれば後はマウスで勝手に動きますよ、と
    機械言語の何たるかを知り、バイナリーコードがわかり、LispやC言語といったコンピュータの高級言語の機能の仕方、あるいはインターフェースがどうデザインされているかを知っているという状態とは、天と地ほども違う

    ある思想がトランスミッションされる過程で重要な役割を果たすのは、上記のモデル図で示した「ネットワーク」のテクノロジー、つまり「メディウム(媒介項)」

    カトリック性とは、生まれながらのオーディオビジュアルである
    環境に智恵があるように、媒体にも精神が宿る。
    人間は自分が作る道具/技術によって、作られる
    社会がWebに液状化していく
    近代化とは、バーチャル化の過程であり、その延長線上にバーチャル・コミュニティが存在する
    モダン的なアプローチとしては、主体は「理性的/自律的」と規定されたが、ポスト・モダン的主体は「多元化/散乱化/脱中心化したアイデンティティ」

    マシンから獲得される情報は、入力された情報とは別のものになる
    情報の中から主体が任意に意味を組み合わせ、連結してそれを構成する自己言及性こそが、Webの本質的特性



    悟性は自然の中にある普遍的な法則を認識する能力
    理性は、普遍的な原理から「何をなすべきか」を導き出す能力
    自由とは、何かの手段ではなく自分自身が目的
    美とは目的なき合目的性
    美しいものは、何かの目的のために存在しているわけではないにもかかわらずその、あり方に、「ふさわしい」という心地よい印象をもつ
    世界に目的がある。人間こそその究極目的


    本質の「見つけ方」
    瞑想(めいそう)の果ての直観や悟りなど深層の意識の働きを通じて本質を見極めることができるとするもの(朱子学など)
    マンダラのようなイメージやシンボルを通じて本質を捉えられるとするもの(密教など)
    事物に正しい言葉=名前を与えれば、普通の表層の意識で本質を認識できるとするもの(儒教の名実論など)

    禅→無心(意識の究極的原点)に至り、事物の本質など存在しないと悟れ。本質と見えたものは、言葉による世界の区分け(分節)が生み出す錯覚
    カッバーラー→本質は神の言葉とともに無から創造される


    物のあわれが最も深くなるのは、触れようとしているそれに触れ損なったとき、触れることが不可能になったとき、触れようとしていた物が喪(うしな)われたとき
    物のあわれの中に、公的秩序をもたらす政治的なポテンシャルがある。よき政治の原点に、「真心」が、物に触れて深く動かされる心がある


    純粋経験とは、主観と客観が分化する以前の意識の統一状態。裸の自然の情景が喜びの感情を帯びてたち現れる
    「場所」とは現実がそれに対して与えられる「この私」のこと。現象が生ずる前提であって、それ自体は対象化されることがないので「無」
    行為的直観は、物への関わりには知的観想を超えた行為的側面があることを強調した概念


    信念を実行に移し、有効な結果がもたらされたとしたら、その信念は「真理であった」ということになる。これがプラグマティズムである。
    何が有用かという判断は価値観と切り離せないので、有用性によって真理を定義すると「事実と価値の区別」も捨てられる


    人生に意味を与え、安心感をもたらしてくれる歴史や物語による意味づけが崩壊するのは苦しい。しかし人間はその崩壊の場にたち戻らずにはいられない=反復強迫
    なぜなら意味づけ不可能な出来事は、人生や社会を物語化・歴史化したことの代償として、それらに必ず伴っているからだ


    まさにここと呼べるような固有の状況の中に投げ込まれている現存在=人間
    現存在とは、自分の存在、自分のよきあり方を気づかうという本性をもった存在者
    死への先駆によって現存在は自分の将来の(有限の)可能性にかかわらざるをえない。それは同時に、過去から与えられた自分の条件を引き受けることでもある
    死を受け入れた者だけが、「良心の呼び声」に応えることができる
    死がいつでも訪れうるという状況の中で初めて、今それをなすべきかが切迫した倫理的な選択になる


    対自存在(意識をもった存在、つまり人間)は「それがあるところのものではなく、あらぬところのものである」
    私は定まった意味や同一性もなくまず存在しており、自由な選択を通じて、未(いま)だあらぬ何者かになるほかない
    「実存は本質に先立つ」
    私たちは皆状況に巻き込まれているわけだが、「状況を受け入れた」ということをも含めて、私たちの自由な選択の所産である
    とすれば私たちは状況に責任があり、それに積極的に関与することができるし、すべきだ


    時代ごとに基本的な「認識枠組(エピステーメー)」がある。認識枠組は徐々にではなく、突然、不連続に変化する

    中世の認識枠組の中心にあるのは「類似」
    何かがある事物の記号になりうるための条件は類似で。たとえば紐(ひも)が蛇を表す記号になるのは、蛇に似ているから
    中世の特徴は、記号とそれが表す事物とが同じ水準に属していること。世界そのものが一種の書物

    近世の認識枠組を特徴づけているのは、事物を鏡のように映すこの(記号との)対応、「表象」
    近世においては、記号の秩序と事物の秩序は別の水準に分かれ、人は両者の間に対応を付けることで事物を認識する。記号は事物と似ている必要はない

    近代において初めて、事物の系列から記号の系列を分離し、同時に両者を関係づける蝶番(ちょうつがい)の働きを担うもの、認識し欲望し意志する「人間」が、認識の対象になる
    その人間も「波打ちぎわの砂の表情のように消滅するであろう」


    正しい(真なる)数学的命題は証明可能で、誤った命題は反証可能。
    証明か反証のどちらかができる命題のことを決定可能な命題と呼ぶ。
    すべての命題が決定可能なとき、そのシステムは完全だとされる
    数学には証明も反証もできない決定不能な――しかし真である――命題が必ず存在する
    数学のシステムは、自己の無矛盾性を証明できない
    無矛盾とは、証明可能であると同時に反証も可能であるような命題を含んでいないということ
    数学は真理の土台である数学の中に、証明できない真理、真理であると確証できない真理が含まれている=「理性の限界」


    出来事を時間の上に位置づける仕方は二種類ある。「より前、より後」と「過去、現在、未来」。後者がA系列、前者がB系列
    時間にとってより大事なのはA系列
    時間にとってA系列が不可欠なら、時間は実在しない

    知性が与えてくれるのは、世界の不可解さを直視する勇気

    言語は自他に共通の存在者の存在を起点として初めて成り立つ、世界が本質的に一枚の絵に描けることを前提にした世界把握の方法

    この今(という特殊なあり方をした時点)が実在することを語ろうとすれば、ある特定の時点の存在か、一般的な現在性(いかなる時点もその時点にとっては今であること)の存在か、どちらかを語ることしかできない
    この私(であるという特殊なあり方をしたやつ)が実在することを私が問おうとすれば、私は橋本宗大の存在を問うか、一般的な(超越論的)自我の存在を問うか、どちらかしかできない


    一般意志は、それぞれの個人の利益に関わる特殊意志を足し合わせた「全体の意志」とは違う
    多数決で決められる法は一般意志と合致している
    一般意志には客観的な「正解」がなければならない。正しい答えがある、という前提が必要
    人は、自分にとって得か損かではなく、どちらが正解か、つまり日本にとって何がよいのかという観点で投票しなくてはならない
    人々が賢明で、正解率は五割を超えていなくてはならない


    どんな人間社会にも贈与は見られる。しかも、繁殖と無関係に常に贈与する動物は人間だけ


    貧困(経済)の問題など動物的な必要を満たすことなど政治に値しない
    本来の政治の条件 「自由(フリーダム)の創設」
    自由は、好き勝手ができるという意味ではない。公的な空間に現れ、かけがえのない個人として尊重される中で討論し、政治的に活動できる、という意味


    基本的自由(言論・集会の自由、思想の自由等)に関して人々は平等でなくてはならない。
    機会均等の原理。性別や家柄等によって特定の地位に就けない、ということは許されない。
    格差原理。不平等な措置は、最も貧しい人に最大の便益をもたらすときだけ正当化される


    投資は、不安に抗して、あえて世界を信頼し、将来の不確定性に立ち向かうことである。
    貨幣への愛着は、不安からの逃避だ。貨幣の価値は債権と違って安定しており、貨幣を保有している限り、人は将来の不確定性を直視せずに済む
    資本主義は、不確定性に挑戦する積極的な投資がなされているときに安定する
    政府の公共投資によって有効需要を創出する等の政策は、投資を決断する勇気を与える効果をもつ



    現代人は哲学的思考や自己批判を回避して、自らの存在をまったき肯定の文脈に位置付けるという「力への欲動」を抱いている

    普遍を操る権力の恣意と、普遍を殺す知性の恣意。現代を支配する両者は同根である。力への深き欲動である

    三つの普遍概念
    配慮的正義 「力への意志(他者への配慮なきエゴの拡張、全能感希求)」を去勢するものとしての「普遍」
    包摂可能性 諸個人の「力への意志(全能感希求)」を何らかの装置によって、一つの全体へと包摂して飼いならす。集合的に表現する
    多元的な全能感の追求 包摂からの絶えざる逸脱や闘争を奨励し、善き生の複数性を集合目標としつつ、逸脱的な生それ自体を善き生の一部とみなし、マルティテュードの欲動を肯定しながら「多元的な善き生」を積極的に推進する

    後発国や保守化した先進国が、人権や公正といった普遍的理念を「歴史的文脈主義」の名の下に退ける
    普遍を再生するための実践的な企ては、外生的な普遍を内発的な普遍へと転換すべく、「人権」を「搾取」概念を経由して読みかえること。「解放」の理念が「普遍」の追求を先導する

    個人の自律、中間集団の文化的豊穣性と多元性の促進、国家の機能(安全保障と民主的熟議)の強化、グローバル社会の健全な運営(超大国の覇権を制約して小国やマイナーな文化の政治的地位を支援すること)、という四つの価値をいかにして調整するか

    多元性は人工的・作為的な制度的支援によって促進されるべきもの

    古典的なリベラリズムは、私的なものを非政治的なものとみなすかぎり、公私の間のボーダー領域における社会運動(善として掲げる可能性それ自体を政治的に表現するという社会問題化の実践)というものを、自らの思想の中に取り込んでいない

    内発的普遍主義とは、文脈内的な意味理解や正当化の可能性根拠・規制理念として、普遍への志向が不可欠であるとする視点のこと

    議論の普遍化可能性の追求は、新奇で多元的な議論の成長可能性という理念的目標のエコノミーに服さなければならない

    「普遍の再生」は、どの個人も一定の文脈から内生的に出発することを前提とする以上、特定の文脈に拘束されないで普遍を志向する個人、例えば、浮遊する知識人やコスモポリタンのような人々は、なんら社会的役割を与えられていない

    普遍を志向するためには、まず特定の文脈を引き受けなければならない

    諸文脈に感応しながら普遍化可能な論理を創造していく知の批判的営みこそ、規範原理の最適化に必要である


    天皇制にもとづく社会統合における内部的異質性の排除
    会社主義という閉じた共同性の社会病理
    利害調整的政治過程の言論的貧困
    以上の三つの貧困を克服するために、リベラリズムが要請される

    リベラリズムの三つのフェーズ 逞しき個人の賞揚 過剰な集団主義の抑制 弱き個人を鍛えるための教育理念

    「逞しき個人」にとって、リベラリズムは人生哲学たりうる。しかし「集団主義者」にとって、リベラリズムは、自らの善き生に対する制約条件(バランス感覚の規範)を意味する

    リベラリズムの根本概念は、異質で多様な自律的人格の共生。それは個人の自由を尊重するが、自由な個人の関係の対等化と自由の社会的条件の公平な保障を要請する平等の理念をも重視し、自由と平等とを、正義を基底にすえた共生理念によって統合する

    リベラリズムは、「多様な善き生が開花する社会」を目指しながら、その目標が多くの人々によって追求されていないような社会を許容してしまう

    諸々の善の要求が「よりよいもの」へと成長する可能性に開かれるように、またその可能性を追求することが社会的に奨励されるように、「成長」の理念を思想的コアにすえる

    天皇制と多元主義の結合 民営化された天皇が、会話共同体の主催者機能を引き受けるアクターとして機能する社会

    我々の共同性が充全に開花するのは、我々が人間の共同生活の多様な平面・領域に複合的に参加し、多様な責任を引き受け遂行する資質と能力を陶冶する場合のみである

    諸個人が自己の認識論的パラダイム(コスモロジー)を持っていて、その外部に「存在の大いなる野性」があることへの畏怖と承認が、パラダイム内の合意を超えるメタ合意への志向を促す

    真理は、諸パラダイムの相補性の認識を促すよりも、むしろ、一定の問題に対するよりよき応答の可能性(これまでの応答を捨てる可能性、したがって相補性の否定)を保持するという態度に相関している

    民主制における少数者保護というメタ合意に真理の機能を固定するのではなく、諸価値の闘争化と闘争的な討議を促す制度において、はじめて規制理念としての真理が有効に機能する

    民主主義は、合意の形成過程ではなく、人々の潜在的能力の活性化という意味での「民主」=民衆のエンパワメント

    「支配の流動化」と「存在論的志向に基づく闘争の原理」
    「闘争的な討議」「人間解放の可能性の政治的表現」「潜在的能力の実現主体」「代表者の闘争責任」「参加の本質としての全能性」「神々の闘争の表現」
    「標準統治制度の制限と標準化されない政治実践の活性化」「多元性の促進のための少数者保護」「政治過程における少数者問題の活性化」


    正義の普遍主義的要請が魅力的であるのは、現代社会においてはどの文脈も完全に閉じたものではありえず、判断の根拠を内部で充足することができない、という点を指摘しているから

    よりよき法の支配をあらゆるチャンネルから探求する社会こそが、すぐれた法の支配を実現している社会である

    ダイナミックな通時的平等を促進する場として市場競争を再定義する 動態的社会変化そのものを公正の基準に据える


    共同体論の側からの提出された「自己解釈的存在」の理念は、特定の共同体に従属するものではなく、その自省作用を通じて既成の共同体を分裂・分化させ、伝統を多元的に増殖させる力をもっている

    リベラリズムは、自己の絶対化衝動をはらむ自由を抑制する原理として、「自己を脱中心化する試練を与える師」としての他者を要請する



    リベラリズムとは,価値対立が生起させる正当性危機への応答の伝統
    階級対立に規定されたリベラリズム像より歴史的にも古く,産業革命が生み出した階級闘争よりむしろ,宗教改革が引き起こした宗教戦争に起源をもつ
    脱神学的妥当根拠をもつ規範を探求したグロティウスによる自然法の世俗化 ロックの寛容論


    ロールズの「正義原理」
    「善き生」の特殊構造―人生の意味・目的や人間の人格的卓越性を規定する様々な特殊構造―から独立した理由によって正当化されなければならず,またかく正当化された正義原理の要請が善の特殊構想の要請と衝突する場合は前者が優越する
    万人の自由の平等な「最大化」ではなく,平等な「最適化」


    社会的対立の単純化への偏執,社会的対立を一挙に止揚して,葛藤なき調和性を調和体を実現したいという母体回帰願望こそ問題

    アナルコ・キャピタリズムは、国家が解決する問題を解決できないか,あるいは,国家の機能的等価物を発生させることにより,それを解決する 富者の私兵による貧者の蹂躙,貧者の暴動,私兵団の間の恒常的闘争

    無政府社会は,共同体的な全員一致のコンセンサス原理-これは契約のように個人に拒否権を与えるのではなく,仲間への同調を要求する-と,強い同調願望を再生産する浸透的な社会規範とによって結合された,対面的社会的小集団においてのみ可能

    相対主義が価値対立の状況において民主制の公共性要求の基礎として広く受容されることはありえない

    人々を単なる私利追求者や欲望の奴隷としてではなく,価値志向的存在として尊重することと、民主制の両立を目指すリベラリズム

    ある価値観が正しいということと,それが強行されるのが正しいということとは,区別されなければならない

    すべての価値が「善く生きるとはどういうことか」という問いに対する解答に関わるだけではなく,このような問いを発し,自己の生をその探求に捧げることのできる道徳的人格としての人間存在の可能条件に関わる価値が存在する

    人格完成価値(善く生きるとはどういうことか)
    人格構成価値(善く生きると言うことを考えるための道徳的人格の可能条件)

    リベラリズムは正義原理を正当化する価値の次元で中立性を標榜しないだけでなく,善き生の諸構想に対する中立性も標榜しない

    真理や価値に関する我々の異論の余地のある見解を,法を使って他者に強要することを正統化する,公的に受容可能な論拠の同定を可能にし,それによってかかる法的強制の限界をも画するような原理を模索

    ある原則が力の行使を正当化できるのは,それが制約性をもつときのみであり,それが制約性をもつのは,それが競合する善き生の特殊構想から独立に正当化可能なときのみである

    道徳的人格を陶冶し保護する社会的結合形式を,会話をパラダイムとするところの異質な自律的人格の共生を可能にする社交体に求め,正義原理を社交体の構成規範として位置付けた上で,それを会話の作法の反省的析出と一般化を手掛かりに構想


    共同体論による批判
    正義の基底性は正義を善の特殊構造から切断することによって普遍化しようとするが,これは正義を無内容化・無力化してしまう
    個人の主体性の形成の社会依存性を無視する誤った原子論的人間観
    自己のアイデンティティを自己の選択能力のみに負う「負荷なき自我」
    「位置ある自我」こそが,強い人間的主体性を確立するために必要な倫理的脊椎をもつ
    社会の共通の善き生の理想を公共的に議論し執行することを政治の任務とする卓越主義的な「共通善の政治」を確立する必要

    共同体論(communitarianism)
    アトム的に孤立した個人の,無力化・恣意化された選択の自由から,一定の歴史と伝統に定位し,未来を共同形成してゆく共同体の中で陶冶された,個人の豊かな人間的主体性へ

    負荷なき自我にとって善とは,自己省察を通じて探求され発見さるべき何かではなく,正義の制約の枠内で,いかようにでも好きなように決定できる主観的選好の問題に過ぎない
    位置ある自我の構成的目的が単なる個人的特性ではなく,この自我が属する共同体の共通善の一部であることを強調する構成的共同体観

    共同体において異なった個人が異なった善き生の構想を追及するのを放置しておけば,彼らを構成的に結合する,共有された同一性の基盤が侵食され,結局,共同体が負荷なき自我の寄せ集まりへと解体してしまう


    社交体は「法則支配的(nomocratic)」な連合であり,
    これを結合させている伝統は,歴史的に発展してきた「公民としての品位ある振舞の規範」 いかなる目標を追求すべきかを規定するのではなく,目標の追及の仕方を規制するような諸規範に体現されている
    解釈的自律性と厚い自同性の故に,相互に質的に異ならしめられた自己解釈的存在が,互いの質的な異なりを尊重し,楽しみあうような「共生」を可能にする結合形式
    コミューニケイションではなく,目的地を異にしながらも偶々道連れとなった旅人同士のような,関心や目的を異にする人々の間での会話,共通の議事日程などに制約されずに,話題が予測不可能な形で多方向的に自己増殖してゆくような,open-endedな会話

    我々の善き生の諸構想の多様性に拘らず,我々は我々自身の限界についての自己理解を共有できる.なぜなら,我々は共通の人間的限界に服し,共通の人間的悲惨にさらされ,共通の人間悲劇に巻き込まれているからである


    リベラリズムは自律的人格としての個人の尊厳と共生の理念に立脚し,この理念を受肉させるために個人の諸権利の拡充に努めてきたが,この企ての成功自体が権利衝突の深刻化というディレンマを生んだ
    それを政治的に解決するために発展した利益集団民主主義が,個人を政治的に周辺化し無力化させることにより,個の尊厳の理念をかえって形骸化してしまうと同時に,
    公共性の衰退と特殊利益の分裂・抗争とによる社会の断片化を進行させ,公正な共生枠組を解体するという,より根源的なディレンマにリベラリズムを陥らせている


    自由を鍛える自己の流儀に固有のかたちを与えるために,自由の可能性と限界を認証する固有の刻印を押すために,自由以上の何かが必要
    それは、価値の多元的対立下における公共的な正統性原理の探求という思想的企て

    自由は自由を否定する欲動を内包する.それゆえ自由の優位は自由の廃位である
    正義の基底性は自由の優位を否定し,自由のリビドーに公共的節度を課すことにより,自由を鍛え直す

    自己と異質な主体としての他者の承認と尊重は,自由には内属していない.自由がこのような他者を認知できるのは,自己の限界を認知するときのみ

    他者の他性を真に尊重するためには,自己同一化と自他差異化の相互依存性の視点を超えて,「同」と「差異」の相関秩序そのものを突き崩す存在として他者を捉え直すことが必要

    まさに他者ゆえに尊厳をもつ他者の受容は自由に己の限界と責任を教え,そのことによって,虚勢や誇大妄想を超えた本当の強さと自己超越の可能性を自由に与える

    <自我>の容量を超えて<他者>を受容すること、世界を自己の内部に包摂し同化しようとする私の知の体系の「全体性」を突き破る「無限」として他者を受容すること
    自由が自由によって正当化されることはない.存在に根拠を与えること,それは正義をつうじて他者と出会うこと
    <他人>は<自同者>をその責任へといざなうことで<自同者>の自由を創設し,この自由に正当な根拠を与える
    自由の試練としての他者は自己の自由を圧服するもう一つの自由なのではなく,逆に,自己の自由に圧服される傷つき易さによってこの自由を審問し裁く道徳的試練

    私の視点に還元包摂されえない固有の視点から生の意味と価値を開示する他者との共生が,私の生の探求の地平を広げ,それが織り成す紋様を複雑にし,豊かにし,
    このような共生は善き生の構想を異にする自他の視点から受容しうべき共通の正統性基盤に政治実践を基づかしめない限り不可能

    リベラリズムは自由主義ではない




    「思弁的実在論」
    常識的な見方からかけ離れたモノのあり方を、思弁の力によって描き出そうという新しい哲学



    マルクス・ガブリエル「新しい実在論」
    物事の実在はそもそも、特定の「意味の場」と切り離せない
    「Aのパースペクティヴにおける富士山」と「Bのパースペクティヴにおける富士山」というのが「意味の場」の形成であり、富士山の実在性はそれに依存している
    富士山「自体」とは、諸々の実在的なパースペクティヴの交差のことなのである
    「世界は存在しない」
    「世界」とは、実在のすべてを包括する最大の集合であるが、そのような包括はいまやできない。実在的パースペクティヴは際限なく増加するからである。



    カント以降の「相関主義」
    思考とモノの相関関係だけであるとする立場。この立場に依拠すると、人間の思考から独立したモノそのものについて語ることができなくなってしまう



    クァンタン・メイヤスー「思弁的唯物論」
    相関主義を内部から打ち破り、そこからかいま見られた、偶然性につらぬかれたモノの世界
    相関主義の乗り越えの必要性を主張すると同時に、その不可能性を主張
    われわれは、思考とモノの相関関係の外部を思考することはできない。この相関関係という事実そのものは、ただ受け入れて記述することができるだけ
    思考は、この「偶然性の必然性」を把握する
    この偶然性が成り立つためには、偶然的なモノそのものが存在しなければならない
    世界は、そうした絶対的な偶然性につらぬかれている。モノたちはあらゆる法から解放され乱舞する



    グレアム・ハーマン「オブジェクト指向存在論」
    人間は認識主観として中心に位置を占めない。あらゆる存在者が、個体的なものとして平等にあつかわれ、なににも還元されない、そのものとしての個体性をもっている
    関係性に先立って、まず個体的な存在者が存在する。個体的存在者たちは、おたがいの直接的な関係から覆い隠されている
    個体的存在者は、それに触れようとする、こちら側のアクセスから、どこまでも退いて隠れてしまう。ただむこう側から発せられる表面的な性質を媒介にして、間接的に関係することしかできない
    世界は、本体がどこまでも退き、表面的な性質を媒介にして、ただ暗示的なしかたでのみかかわりあっている怪奇的なオブジェクトたちによって分断されている
    十全に汲みつくされることのない余剰を、背後に隠しもっている怪奇的なオブジェクトたちによって、どこまでも全体化をはばまれ、徹底的に断片化された世界


    対象はつねに互いに還元不能な実在的な対象と感覚的対象、実在的性質と感覚的性質の四つをくぐっており、合わせて十通りの組み合わせが可能
    対象も主体(主観)も同じフラットな平面で見ることが標榜され、人間の精神や心をかならずしも特権的なものと見なさない立場
    世界や宇宙における「人間でないもの」(非人間)の意義が重視
    対象は私秘的な空虚において包まれたダークな核心であり、「掘で囲われた孤島のようなもの」でもある。モノは互いの変形や歪曲を通してしか出会えない。




    マヌエル・デランダ「新しい集合体理論」
    合理的な個人、社会、あるいは国家といった形象を物象化された実体として把握することから脱却
    最終的な産物である実体から考察をはじめるのではなく、その産物が産出される歴史的な過程に着目
    経験の内容の只中で外在性の諸関係が確立されていくのにともない創発してくる主体
    集まる人間が固定化され会話が繰り返し行われると、長期的に持続する「社会的実在」が創発する
    社会運動は言語的な標識によって画される区分を揺り動かすことが目的


    集合体概念を二つの次元から規定する変数として次の四つ
    物質的な役割。これは例えば、対面的な会話や対人的なネットワーク、階層秩序的な組織があたる。
    表現的な役割。これは言語やシンボルに還元されず、人々のふるまいや行動、話題の選択なども含まれる。
    領土化の概念。領土化の過程は「実在の領土の空間境界を規定し明確にする過程」
    脱領土化の概念。脱領土化は「空間境界を不安定化させるか内的な異種混淆性を高める」過程




    ボリス・グロイス「アート・パワー」
    アートにおいては、人間存在は他者によって見られ、分析されうるイメージとなるのである
    アートの主要な目的は、まさに、生のモデルを見せ、明るみに出し、展示することである

    時空間における自らの実存の限界を知るためには他者の眼差しが必要
    私は自分の死を他者の目の中に読み取る ラカン「他者の目は常に邪悪な目である」 サルトル『地獄とは他人である』
    他者の俗悪な眼差しを通してのみ、私は自分が考えて感じるだけでなく、生まれて生きて死ぬことを知りうる
    生きることとは、生きている者として(したがって死んだ者としてではなく)他者の眼差しに曝されること
    啓蒙時代以前は、人間は神の眼差しの支配下にあった。それ以降の時代には、我々は批評理論の眼差しの支配下にある
    理論による統治の下では、生きているだけは不十分。人は、自らが生きていることをも行動で示さなければならない。自分が生存していることを演じて見せる必要がある

    ある理論を実行に移すことは何であれ、同時にこの理論への不信を実行に移すことである
    全体的な統一性といったものは虚偽であり、虚偽の中に真の生はない

    社会とは平等と類似の領域である。今日、我々は類似性の社会ではなく、むしろ差異の社会(市場経済)に生きている
    理論と理論を実行に移すアートは、市場が生じさせた差異を超える類似性を生産する
    理論とアートは、伝統的な共通性の不在を補う。
    我々は自らの実存の様式において相異なるが、自らの死すべき運命のために相似している

    新しいことは、差異があることと決して同じではない
    もし、それが真に新しいのだとしたら、差異として認識できない。認識するということは、常に思い出すことである。
    差異を再現する使命を持った制度は、既に存在している差異を超えて、差異をも生み出しうる

    差異を超えた差異とは、個々の物の余命の差異であり、歴史的な時間の中でそれが存在する時間の差異
    キリストとその時代の普通の人との差異は、美術や法によって再現可能な形における差異ではなく、普通の人の人生の短さと神の存在の永遠性との差異である
    普通の物の余命を変えたら、ある意味、何も変えずに、すべてを変えることになる
    現象としての特性や性質の違いによって浮かび上がる差異ではなく、「代替不可能な私であり、貴方であり、作品」として浮かび上がる差異
    「芸術」が「商品」と異なる理由は、この非-関係的な自律性をつくり出せているから
    新しさが出現しうる唯一の手段は、普通であること、差異のないこと、同じであること、他者ではなく同類であること



    第1章
    近代の大衆観光こそが観光
    グローバリズムでフラット化した世界への既存左翼とは違う視点
    ふわふわとして不必要性こそが観光客の限界であり、可能性でもある
    「真面目」と「不真面目」の境界を越えたところに新たな知的言説を立ち上げる
    すべての作品が二次創作をあらかじめ内面化している
    すべての地域が観光客の視線をあらかじめ内面化してテーマパーク化している
    他者の欲望を欲望することが全面化する社会に生きている
    本質が非本質に本質的に依存してしまう


    第2章
    人間は人間が嫌いなのに、社会をつくる
    公と私、全体主義と個人主義、政治と文学、真面目と不真面目を単純に切り分けようとするのが現代
    世界は正しい→この苦しみにも意味がある
    世界に正しさなどない→この苦しみに意味などない
    →個人の信念にゆだねるしかない
    観光は知識の拡張というより、想像力の拡張 世界には常に想像を超えた現実があるかもしれない
    観光客とは小さな人類学者であるべきだ
    カント 世界市民法=個人が国境を超えて自由に行き来できる権利=外国人との交際を試みる権利 が永遠平和の条件
    ヘーゲル 特殊な意志(家族) 普遍的な意志(市民社会) 普遍的な意志を特殊な意志として内面化(国家)することでヒトは成熟し「人間」になる
    シュミット 損益=経済、美醜=美学、善悪=道徳と区別された友敵関係=政治をもたない者は人間ではない
    コジェーヴ 誇りもなく、他者の承認も求めず、個人の関心と消費社会に自足する動物 ナポレオン戦争で歴史は終わっていた
    アーレント 顕名で公共のために活動する人間と匿名で自分のために労働・消費する動物


    第3章
    18世紀末~19世紀 ネーションが経済・文化・政治制度の基体となり、ナショナリズムが生まれた
    現代は二層構造の時代 2つの秩序原理が同時に存在する時代 愛を確認せずに肉体関係を結んでしまったようなもの
    グローバリズム=市民社会=経済=欲望 帝国=環境管理権力=匿名の群れ=統計データ
    ナショナリズム=国家=政治=思考 国民国家=規律訓練権力=顔のある個人
    リベラリズム 普遍的な正義
    コミュニタリアニズム 共同体の善
    リバタリアニズム 動物的な欲望 国家の民営化
    マルチチュード グローバル資本主義を拒否するのではなく、利用する 生政治の自己組織化 ネットと愛を信じろ!
    国境を超えたネットーワーク状のゲリラ的な連帯 私的な生を起点とする公共の政治
    根源的民主主義 共産主義が死んだ後、抵抗運動の連帯は否定神学的に 連帯が存在しないことによって存在する


    第4章
    否定神学 存在しないがゆえに存在する 存在しないという事実が反転して生み出す
    郵便 存在しえないものは端的に存在しないが、現実世界の様々な失敗の効果で存在してるかのように見えるし、その限りで存在しているかのような効果を及ぼす
    観光客は「帝国」と国民国家の隙間に生まれたノイズであり、私的な欲望で公的な空間をひそかに変貌させる
    観光客は連帯なしにコミュニケーションする 誤配によってつながる
    クラスター係数が大きい 友達と友達が互いに友達=仲間関係がたくさんある
    平均距離が小さい 70億人からランダムに選んだ個人と個人が六次の隔たり
    大きなクラスター係数+小さな平均距離=スモールワールド性(世間は狭い) ネットワーク理論=新しい史的唯物論
    スケールフリー 規模に関係なく同じように分布が偏る 人間社会の不平等性 新しい参加者はすでに多くから選択されている者を優先的に選ぶ
    スモールワールド-国民国家-ナショナリズム-規律訓練-コミュニタリアニズム-ツリー
    スケールフリー-「帝国」-グローバリズム-生権力-リバタリアニズム-リゾーム
    「動物」を思想の外部に放逐し続けたヘーゲルのパラダイムは、交通や情報の技術が未発達でスモールワールドの秩序しか見えなかった時代の社会思想
    原始的な共同体 格子グラフ
    ↓ 偶然の誤配 つなぎかえ
    市民社会 スモールワールドグラフ
    ↓優先的選択 分布の偏り 不平等
    資本主義・SNS スケールフリー
    誤配をスケールフリーから奪い返す
    「帝国」を外部から批判するのでもなく、内部から脱構築するのでもなく、誤配を演じなおす
    富と権力が一点に集中した現実は、最善の世界ではないことを常に思い起こさせる 再誤配の戦略=観光客の原理
    ローティ 普遍的な理念・言語・論理ではなく、共感・憐れみ
    たまたま目の前にいる人間に「苦しいですか?」と声をかける
    憐れみが社会をつくり、そして社会が不平等をつくる


    第2部

    第5章
    政治を動かすのは、お祭りではなく日常=アイデンティティ
    自由主義-個人 全体主義-国家 共産主義-階級 観光客の哲学-家族
    人は家族のために死ぬ 自由意志で入退出できない
    死の可能性のないところに政治はない
    家族の偶然性 散種の哲学 ひとはひとりで産まれてくることはできない
    家族は性や生殖によらなくとも、偶然の情愛によって拡張できる
    はじめから憐れみ=誤配が種を超えているからこそ、ひとは家族をつくれる



    第6章
    サイバースペースという誤った比喩が広まった
    米国のハッカー文化と日本のオタク文化はポストモダンの時代に現れた新しい若者文化
    サイバースペース独立宣言 サイバースペース=新大陸=フロンティア
    カリフォルニア・イデオロギー=技術的楽観主義+起業家精神+ヒッピー文化+アメリカ的愛国主義
    原始に抑圧された家族・贈与・アニミズムへの回帰→マルチチュードの連帯・シェアエコノミー・アニメやゲームの表現
    サイバースペース概念と多重人格の症例は同時期に北米で現れ、全世界に広まった 主体の分裂を夢見る時代
    不気味なもの=新生児=神の代弁者
    ラカン 主体化の理論 両親や教師をまねる(想像的同一化) 彼らがなぜそのようなふるまいをするのかメカニズムを理解する(象徴的同一化)
    サイバースペース概念はポストモダン社会において近代主義の残滓を受け取る機能をした
    ポストモダン世界では、現象とそれを生みだす原理が同時に並び立つ 主体はそのふたつに同時に同一化する 主体の二重化
    未来の政治は専門家の熟議と大衆の無意識を可視化したデータベースの組み合わせになるべき
    一般意志2.0とは熟議と大衆の無意識をつなぐ中央の壁 ニコ生の構造からヒント
    ニコ生のコメントは視聴者の空気を可視化したもの
    出演者に同一化しようとすると、シニカルなコメントに冷や水を浴びせられる
    仮想現実の虚構性を伝える情報と現実を仮構する情報とが同時に画面上にあらわれるニコ生
    いまやイデオロギーがあった場所はコンピュータに占められ、コンピュータはかつてのイデオロギー以上にわれわれを支配している


    第7章
    ドストエフスキー 父殺しに失敗し虚勢され、去勢そのものに快楽を感じる倒錯を病んでいる
    安っぽい幸福と高められた苦悩とでは、どっちを選ぶ?
    屈辱と嫉妬の頂点で自己犠牲へと反転するマゾヒズム いつかユートピアが訪れるとしても「今のこの」苦しみは償われない
    ユートピアの理想に隠された正しいことをすることへのエロティックな歓び、倒錯した快楽に、巻き込まれない権利
    世界を変える理想主義者→理想主義を罵るマゾヒスト(自我しかない)→世界に無関心なサディスト(超自我しかない)
    リベラル ユートピアの偽善 理想主義者
    ナショナリズム 神のないところにネーションを人工的につくるマゾヒズムの快楽 理想主義を呪詛するテロリスト
    グローバリズム ニヒリズム リバタリアンな起業家
    観光客 子供たちに囲まれた不能の主体
    ある子供が偶然生まれ、偶然死ぬ。そして新しい子供が偶然生まれ、必然の存在へ変わっていく。そうやって死が乗り越えられていく運動=家族
    人間を孤独に閉じ込める「この」性の重力からはなれ、運命を子供たちに委ねる時、ニヒリズムは乗り越えられる
    世界・他者に対して親が子に接するように接するべき
    子として死ぬだけでなく、親として生きろ




    カント 人間の道徳が成立するためには「①霊魂の不滅」「②神の存在」「③自由意志の存在」が必要だと主張 「実践理性の要請」

    スピノザ 自由とは,徳あるいは完全性であり,したがっ て,何事にせよ人間の無力を示す事柄は人間の自由に数えることができない。
    だから人間は,存在しないことも出来る,あるいは理性をもたないことも出来る,という理由で自由であるとは決して言われ得ない。



    人類は過去に何度も経済危機の要因は大きく5つ「天災」「戦争」「税制」「通貨」「金融」


    人類が経験してきた地球規模の経済危機は4つ

    「17世紀の全般的危機」
     洋の東西で多発した自然災害や戦争、革命などの総称。
     中国では自然災害が相次ぎ、反乱も頻発するなか、明王朝が反乱軍により滅ぼされ、北方の満州族が多民族を束ねる大帝国を築き
     ドイツでは「三十年戦争」で人口が約3分の1に減少。寒い世紀だったため作物のできも悪く、感染症も流行。魔女狩りやユダヤ人狩り

    「1873年恐慌」
     ウィーンに始まる大不況。西ヨーロッパ全体に波及し、自由貿易への流れを一時的に止めた
     不況から国民の目をそらすため、列強各国は植民地獲得競争を再開。
     フランスは東南アジアと北アフリカの植民地化。ドイツの宰相ビスマルクはベルリンで会議を主催

    「世界恐慌」
     1929年のアメリカ・ニューヨークの株価大暴落

    「リーマン・ショック」
     2008年。アメリカの低所得者向け住宅ローンの不良債権化に端を発した
     新興国BRICsも中国を除けば減速、中国が世界経済を支える不思議な現象がしばらく続いた
     中国も不動産バブルが弾けた途端、低成長に


    経済危機を救うには「流通」を止めてはならない


    国際的な経済活動で主導権を握るヘゲモニー国家は必ず柱となる産業を有していた
    オランダは海運、イギリスは多角貿易、アメリカはITや宇宙産業





    日本は「主題の国」ではなく「方法の国」である。多神で多仏、天皇と将軍、無常と伊達、仮名と漢字。
    日本は、互いに矛盾するものを保持したまま多様で多義的な社会・文化を築き上げてきた。
    「おもかげ」「うつろい」という特質

    目の前にない風景や人が、あたかもそこにあるかのように浮かんで見える。「思えば見える」、面影(俤)

    何もないウツ(空)から現実を意味するウツツ(現)におよぶプロセスが<ウツロイ>

    「日本は一途で多様な国」「天皇と万葉仮名と語り部」「和漢が並んでいる」「主と客と数寄の文化」

    「神は来るもの、帰るもの」、神は「客なる神」
    どこかにでんと居続けている主神的なるものではなく、何かの機会にやってくる来訪神
    「神」は身近な存在であり、寺院や神社や地蔵の祠を見ると、思わず手をあわす

    「天皇の統帥権」 武士が政治を行うようになって以降、常に「神威のカード」を持ち出して社会制覇のシンボル操作
    「異胎の国」 本来の日本と「別国」(本来を失っているときの日本)

    よく見れば薺花咲く垣根かな




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