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勉強したことメモ⑫
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勉強したことメモ⑫

2021-06-17 09:07



    相続税・贈与税は、所得税と二重課税の関係。
    二重課税の観点から、相続税・贈与税のない国も珍しくない



    国の2020年度の税収が60.8兆円程度と過去最高を更新する見通し
    所得税19.2兆円、法人税11.2兆円、消費税21.0兆円、その他9.4兆円で計60.8兆円
    大企業を中心として海外需要増を背景として企業業績が改善していることが主因



    当初は「優勢」とされた豊島区、青梅市、昭島市、小金井市、武蔵野市、千代田区といった本来なら自民党が強いと思われていた1人区で議席を落とした

    都民ファーストの会は、獲得議席数31議席で、現有の45議席から14議席減となったものの、6月の自民党調査では「12議席」という数字も出ていた

    立憲民主党は、改選前の8議席からほぼ倍増の15議席を獲得。前回の都議選で獲得した5議席と比較すれば、3倍も増やした
    立憲民主党が都政では全議席の12%弱を占める第5党に過ぎない

    第1党の自民党と第2党の都民ファーストの会を足したとしても、過半数に至らない



    小池氏はかつて豊島区を中心とし新宿区・中野区・練馬区の一部からなる東京10区で衆院議員をしていた
    もともと兵庫だったが、2005年の郵政選挙のときに「刺客」として東京に来た

    東京9区は、菅原一秀氏が2003年から議席を持っている。
    選挙区民の買収容疑があったため、6月、議員辞職した後、略式起訴され、「罰金40万円・公民権停止3年」の略式命令



    ファイザーのmRNAワクチンは永続的な効果があり、一旦接種が完了した後は、少なくとも数年間は新型コロナ感染症の発症を予防
    ――米ワシントン大学・医学大学院の研究チームが、英国の科学誌ネイチャーのオンライン版に最新の研究成果発表

    14名の被験者全員が初回ワクチン接種から15週間経過した後も、リンパ節の内部で「胚中心(germinal center)」と呼ばれる特殊な組織が活発に活動
    胚中心は、新型コロナ・ウイルスと戦うB細胞が、その免疫力や変異ウイルスへの適応力を育むための領域
    従来のワクチンでは接種後4~6週間が経過すると胚中心がほとんど消滅
    被験者全員で、初回ワクチン接種から15週間が経過しても、新型コロナ・ウイルスへの抗体を形成する「記憶B細胞(memory B cell)」の総数が減少していない



    セント・ジョージ大学で腫瘍学専科のアンガス・ダルグライシュ教授とノルウェーの製薬会社イミュノール社の会長で生物学者でもあるビルゲール・ソレンセン博士の二人が、
    研究の発端はイミュノール社で新型コロナウイルスのワクチンを開発するために、ウイルスを調べ始めたところ、ウイルスが人工的に改ざんされた痕跡(フィンガープリント)を発見

    2002年から2019まで武漢ウイルス研究所で行われた実験にかかわる研究論文やデータから、その根源を探る「レトロ・エンジニアリング」という手法で分析
    研究のほとんどは、米国では禁止されている遺伝子操作で性質の異なるウイルスを作り出すこと

    中国の洞窟で捕らえたコウモリからそのウイルスの「バックボーン」と呼ばれる部分を別のスパイクに接着させ、より致死性が高く感染力の強いウイルスを造った
    そのウイルスのスパイクからは4種のアミノ酸の列が見つかったが、こうした構造は自然界のウイルスには見られない


    20代の喫煙率は男女合わせると15%程度で6人に1人しかいません。BMI30以上の20代は4.4%、つまり22人に1人

    20代の若者が重症化するのは夏で0.03%。3333人に1人
    50歳以下なら重症になるのは333人に1人、亡くなるのは1666人に1人
    10歳未満の子供は0.09%。1111人に1人。10代は0人
    一番重症化しやすい90代以上が6人にひとり

    一番亡くなるのは90代以上でやはり6人にひとり、90代以上は重症化するとほぼ亡くなる。
    致死率16.64%
    肺炎球菌の17%と同じ。肺炎球菌では年間3万人くらいが死ぬのにそっちはワクチン接種率30%

    30代を1とすると50代はその10倍、70代では47倍も重症化しやすくなる


    コロナになった人は1年半かかって日本人のたった0.6%、166人にひとり


    都民ファーストは、2016年に知事に初当選した小池氏が立ち上げ、17年1月に地域政党としての活動を始めた。
    同年7月の前回都議選で大会派だった自民党と戦って大勝し、追加公認を含めて55議席を得た。
    その後、計8名が離党(うち石毛しげる氏は除名処分)

    地方議会の定数は地方自治法の規定に基づいて各自治体の条例で決められている。
    選挙区は市区等の行政区分を原則としているために人口差が大きく、人口が少ない選挙区よりも多い選挙区の方が定数が少ない「逆転現象」


    都議会の主な権限

    議決権(条例の制定・改廃、予算の議決、決算の認定など)
    選挙権(議長、副議長、選挙管理委員などの選挙)
    行政事務の検査・調査権(都の事務の管理、議決の執行及び出納についての検査)
    意見書の提出権(都の公益に関する事件について、国会や関係行政庁に意見書を提出)
    同意権(知事が副知事、監査委員、公安委員会委員等を選任・任命する時の同意)
    不信任議決権(議会と知事との間で意見の対立が生じた場合の知事に対する不信任議決)


    都議会は、年4回定期的に開かれる定例会と必要に応じて開かれる臨時会とがあり、いずれも知事が招集

    年4回の定例会は、あわせて80日ほどしかない。臨時会がある場合も多いが、年間で数日程度

    会議には全議員が出席して開かれる本会議と各委員会がある。
    都議会には文教委員会など9つの常任委員会があり、議員は、いずれか1つの委員会の委員となり、任期は1年


    小池氏が都知事になって知事給与を条例により半額の1448万円とした。
    それまでは、都議の年収は約1715万円にのぼり、議長には約2133万円
    これでは都議の年収が知事を上回ってしまうので、2017年に全会一致で2割削減し、年収は都議が1372万円、議長は1706万円

    「第2の報酬」ともいわれる政務活動費(政活費)、月50万円
    一人あたり年600万円の政活費が各会派に支払われる。

    政活費は調査・研究に使うのが本来の役割で、都議会を含め全国の地方議会で不適切な使用がたびたび問題


    都議会では(他の地方議会も同様)、知事が提案して制定される条例が多く、議員が提案する「議員提案条例」はほとんどない。

    地方自治法は、定数の12分の1以上の賛成で議員が提案できると定めるが、
    令和3年第1回定例会をみると、提出議案のうち、条例案は知事提出49件で、議員提出は7件
    知事提案議案もほとんどが原案どおり可決

    2000年以降の17年間で政策条例が成立したのは1本だけだったが、前回の都議選があった2017年7月以降は4本


    前回の選挙で選ばれた都議の3年半の期間(任期4年)中、平均質問回数は3.3回
    都議会議員は1年に1回質問するだけの簡単なお仕事

    任期中1度も質問していないオールゼロ議員13人は自民7名、都民ファースト4名、公明2名

    都庁職員が議員のために議会質問を作るなれあいの慣習

    地方議員には公設秘書の制度がなく、地元活動により議員本来の仕事が疎かになる


    官庁と同様に、自治体も政策決定や遂行にあたり審議会を設けている

    都の審議会の3割に都議が委員として就任。全国でみると13の県議会では原則禁止
    「もたれ合いが常態化」、都議「肩書と報酬もらえる」、都幹部「議案否決避ける保険」



    20代は増加傾向ですが、70~80代はまったくもって絶賛減少中。
    全国的にも重症者も死者も減るばかり

    高齢者の接種率が 1回目:56.47%、2回目:22.51%
    欧米でも接種率が15~20%あたりから急激に感染拡大が治まった

    20代の若者の重症化率は夏で0.03%、冬で0.8%。20代の罹患率は1.5%(これは1.5年間分)
    コロナに罹患して重症になるのは夏は全体の0.00045% つまり20代全体の20万人に1人くらい

    五輪の時期にはおそらくワクチン接種率は30%くらいには達していて、
    パラの時には希望する成人はだいたい2回目を打って1~2週間は経過

    どんなに遅い地域でも9月一杯で希望する成人には2回打ち終わって2週間経過している

    8月で雇用助成金が切れる


    イギリスはワクチン接種を若者にまだしていないうちに収束
    現在は変異株により感染がワクチン未接種の若者層を中心に広がってる。アルファ株(英国株)の致死率1.9%、デルタ株は0.1%。

    ◆昨日の日本
    新規陽性 1280人
    死者数 12人

    ◆昨日のイギリス
    新規陽性 45000人
    死者数 6人

    新規陽性が日本の35倍で死者は半分

    イギリスは、ウインブルドンはノーマスクの観客で満員、7月19日にすべての制限が予定通り撤廃。
    アメリカはいま旅行ブームでハワイのレンタカーは足りなくて高騰






    自殺した元近畿財務局職員、赤木俊夫が本省の改竄指示に抵抗したのは、
    問題の国有地を森友学園に特別に低価格で払い下げる「厚遇」はしなかったからだ。

    その後の国会質問でも、売却価格が不当に減額されたという結論は出ず、刑事事件にもならなかった

    公文書偽造は犯罪であり、それを命じた佐川元局長の責任は重いが、最初に森友事件に火をつけ、
    あたかも安倍氏が指示して減額させたかのような報道を続けたのは朝日新聞

    問題のない記述を削除させたのは安倍昭恵の名前を抹消するため
    首相の「私や妻が関係していたということになれば、総理大臣も国会議員もやめる」という答弁(2017年2月17日)のあと、
    佐川氏が「交渉記録はなく、面会などの記録も残っていない」と虚偽答弁をしたのが原因

    2018年3月6日には立憲民主党の杉尾秀哉議員と小西洋之議員が、財務省に乗り込んで「森友の決裁文書を出せ」と要求
    赤木氏が自殺したのは、この翌日(3月7日)。理財局から決裁文書を出せという命令が出たため、それに抵抗して自殺



    6月17日からは大規模接種センターで行うワクチン接種の対象年齢が「65歳以上のみ」から「18歳から64歳も含む」に拡大
    6月28日時点では、全人口の約22%が1回目の新型コロナウイルスワクチン接種を終えており、約10.8%が計2回のワクチン接種を完了
    日本では、ワクチンの1日の可能配送量が上限に達したという理由から、職域接種の新規受付を一時休止

    6月21日時点で世界人口の約10.04%がワクチン接種を完了、この10.04%はほぼ全てが日本のような先進国の人々。
    低所得国において1回目の接種を済ませた人はわずか0.9%


    アメリカは12億回分の新型コロナウイルスワクチンを確保、これは全国民がワクチン接種を終えた後、さらに全国民の80%がもう1度ワクチン接種できる量
    カナダは3億8100回分、全国民がワクチン接種を5回も完了できる分量

    各国が協力して公平なワクチン配布計画を世界的に進めた場合は死者が61%減る
    一方、先進国が自国の接種を優先した場合には死者の減少率が33%にとどまるというシミュレーション

    ワクチンが行き届かない国が残されている場合、「変異株が発生する」という可能性が存在し続ける



    AIDSは1990年代に有効な抗レトロウイルス薬が登場し、先進国では数百万人という命が救われた。

    しかし、こうした抗レトロウイルス薬は非常に高価で、最初の世界初の抗HIV薬であるジドブジンは1年間の必要費用が1万9000ドル(約210万円)。
    さらに値崩れに対する懸念から製薬会社は抗HIV薬の価格を国際的に統一したため、貧困国は手が出せずじまい。

    特にAIDSが猛威を振るったサハラ砂漠以南のアフリカ諸国では2000年時点で約2200万人がAIDSに感染、約3分の2の地域で成人のHIV陽性率が7.5~10%という窮状




    複数人のCOVID-19患者で、COVID-19の発症から約2週間後に「爪の根元の白色の部分に、赤い半月状の線が浮かび上がる症状」が確認
    この症状は、COVID-19による血管の損傷や免疫反応が原因の可能性
    この症状は1~4週間で消えるため、特に治療の必要はない

    COVID-19患者の中には、全ての指の爪にくぼみが現れる「ボー線条」と呼ばれる症状を発症した人も
    ボー線条は、感染症・栄養失調・薬の副作用といった体へのストレスによって、爪の成長が一時的に中断した場合に発生

    COVID-19の発症後に手足の爪の付け根部分が緩みだし、発症から約3カ月に爪が完全に抜け落ちた。
    この症状はオニコプトーシスと呼ばれるもので、体がストレスを受けた時に発症

    新型コロナウイルス陽性が確認されてから112日後に、爪の先端が黄色く変色したという報告

    新型コロナウイルス陽性が確認されてから45日後に爪に白い筋が現れる「ミーズ線」と呼ばれる症状




    平安時代の終わりごろから、狭山丘陵の南、東京都武蔵村山市あたりを本拠とする「村山党」が活躍。山口城と根古屋城は、その流れをくむ「山口氏」の城

    昭和30年代以降、所沢市は東京のベッドタウン、住宅都市としての歩み。新所沢地区や並木地区は、急激に住宅が増えた場所

    在原業平が、この地を訪れ、東川を挟んだ両岸に「野老(ところ)」という植物が多く生えているので
    「野老の沢か?」それを聞いた土地の人びとが、その言葉をとって「野老沢」という村の名前にした説


    所沢市域には中世に「鎌倉街道」が通るなど、古くから交通の要衝。
    明治中期以降は鉄道が開通し、鉄道の要衝としても発展、戦後は「西武鉄道」の本拠地。
    幕末期頃から「所沢織物」の集散地として賑わうようになり、1881(明治14)年に所沢町が誕生。
    戦後は商業の中心地を駅前に移し、現在は再開発による新たな商業施設の建設も予定。
    所沢には明治後期に日本初となる飛行場が造られ、日本の航空技術の発達にも貢献。戦後、広大な飛行場跡地は米軍による接収ののち返還
    昭和初期頃に「狭山丘陵」に貯水池が造られると周辺は観光地となり、戦後「西武鉄道グループ」による多くのレジャー施設が誕生

    所沢市域には古代に「東山道武蔵路」、中世に「鎌倉街道」、江戸期に「江戸道」(現「所沢街道」)が通るなど、古くから交通の要衝
    鎌倉時代、鎌倉に幕府が開かれ、東国の各地から鎌倉へ向かう道「鎌倉街道」が発達、所沢には上州方面と鎌倉を結ぶ「上道(かみつみち)」が通っていた。
    所沢の集落は「鎌倉街道」の宿場のような役目を果たしていた

    1333年、上州を本拠地とする新田義貞が鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、新田軍は「鎌倉街道」を南下、
    幕府軍とはじめて激突したのが「小手指ヶ原」で、鎌倉幕府倒幕のさきがけとなる合戦となった

    所沢の市(いち)が成立した時期は明らかでないが、1639(寛永16)年の文書が最初の記録として残っている。
    当初は、月3回、3のつく日に開かれていたが、文化年間(1804~1818年)に月6回、3と8のつく日に開かれる「三八(さんぱち)の市」に拡大
    戦後、この一帯は「所沢銀座商店街」として賑わった。現在は高層マンションも多いエリア

    所ジョージという芸名は所沢の柳ジョージという意味

    西所沢にオウムの指名手配犯3人が潜伏していた。そのうちの一人が所沢警察署に「なんできづかねぇんだ!」と怒鳴り込んで自首
    2012年、全員逮捕。ワイドショーでくり返し所沢にも潜伏していたことが報じられた

    志村けんは学生時代、プロぺ通りの服屋でバイトをしていた


    東村山市にはじめて人が足を踏み入れたのは今から約2万年前の旧石器時代。
    縄文時代には水の得られる狭山丘陵地帯のふもと、前川・北川そして柳瀬川などに沿って多くの遺跡。発掘調査の結果、住居址や多くの土器・石器などが出土。

    奈良、平安時代になると北川・柳瀬川の低湿地に沿って、多くの集落。住民はわずかな水田と小規模な畑によって、現在の多摩湖・廻田・諏訪・野口・久米川・秋津町などで生活
    4世紀のころから多摩地域にも大和文化の影響があらわれ、7世紀半ばから8世紀(大化から大宝年間)になると武蔵国府中に国府がおかれ、

    東村山市域を南北に貫いて上野国と武蔵国を結ぶ官道「東山道」が通じていた

    東村山地域を貫く道は鎌倉街道の中でも「上ツ道」として、久米川は宿駅として軍事的・経済的にも重視

    1590年、徳川家康の江戸入りにともない、それまでの柳瀬川・前川・北川ぞいの古村は次々と南の原野を拓き発展。
    承応3年(1654)には玉川上水が、承応4年には野火止用水が開さくされ、享保年間以降一面の原野であった武蔵野の新田開発。

    東村山地域は近世を通じ山口領に属し、幕府直轄の天領や地頭領、寺領の分配支配。
    19世紀初頭、文化・文政のころは、多摩郡に属した南秋津村114戸、久米川村186戸、野口村136戸、廻り田村120戸、宅部村42戸、入間郡に属した大岱村は70戸で、江戸近郊の農村として幕末を迎え



    五輪運営の実務をこなすのが組織委員会。経費の面で組織委の能力を超える場合には東京都が、さらにそれを超える分は日本国政府が負担することになっている

    収入は、放映権料10回分(2014?32年)が1兆3000億円、つまり1回分は1300億円。
    中止の場合にIOCがかけている保険が800億円、チケット収入が900億円。

    大会経費は約3兆円

    日本銀行は、コロナ流行前に、東京五輪の経済効果として33兆円という数字を掲げた
    野村総研が五輪中止の経済損失を1.8兆円と試算

    5月19日、バッハIOC会長は、「日本人の粘り強い精神力、逆境に耐え抜く能力」があるから五輪開催は可能だと述べている


    日本のGDPは528.5兆円(2020年)、つまり日本人は1日に1.45兆円の富を生み出す



    先の国会において、対中非難決議が国会決議できなかった。
    自民党内でまとめられなかった。公明党も乗り気ではなかった


    小池都知事には、秋の総選挙時に、東京9区で国政復帰するという噂。
    9区では、菅原一秀衆院議員が選挙区民の買収で自民党離党、衆院議員辞職したが、公民権停止され、秋の総選挙には出馬できない

    東京選挙区では、15区で秋元司衆院議員が収賄罪などにより、自民党を離党したが総選挙には出馬するだろう


    42選挙区127議席を巡って271名が立候補

    「1963年に都政に進出して以来、最大の危機にある」と言われている公明党

    山口代表といえば、「なっちゃんです!」の“つかみ”で演説し、集まった支持者たちを熱狂させることで有名

    共産党は2013年の都議選で8議席から17議席に倍増させ、2017年には19議席を獲得

    国政であれ地方選挙であれ、共産党はいつも第一声を新宿で上げる


    現在の東京都議会の定数は127。
    選挙区は42。各選挙区の議員数は、最も少ない「1」の選挙区から、最も多い「8」の選挙区までさまざま

    6月15日現在の選挙前勢力は、都民45、自民25、公明23、共産18、立民8、維新1、ネット1、無所属5(欠員1)

    都議会議員選挙については都内に3か月以上居住していることが条件

    多くの道府県議会の議員選挙は「統一地方選挙」の1つとして、4年に1度、4月に行われている(前回は2019年4月)。
    都議会は1965年、当時の議員が絡んだ汚職事件を受けて任期途中で解散され、同年7月に選挙が行われた。その後はこの時期に選挙

    統一地方選挙から外れた時期に選挙が実施されている県議会は、
    茨城県(汚職事件を受けて解散)、沖縄県(日本への復帰に伴って実施)、東日本大震災の影響で実施時期が遅れた岩手県、宮城県、福島県


    22日夜、小池百合子都知事は過労のために静養すると発表。27日まで公務を離れ、その間、多羅尾光睦副知事が職務を代行

    2016年7月の都知事選では自民党が擁立した増田寛也氏を応援した公明党

    都民ファーストの会が勝つことを見越した公明党は、自民党を捨てて、この小池党と選挙協力
    都民ファーストの会の半数にも満たない議席しか持たないのに、与党の主導権を握る
    都民ファーストは議席数は多くても素人集団で、都政には無知だから

    都民ファーストの敗北が確実視される中で、公明党はあっさりと都民ファーストの会を捨て、今度は自民党と握手

    公明党は、地方自治体においては議会で警察委員会を牛耳ることによる旨みを味わってきた

    約1兆円もあった財政調整基金などの「貯金」が瞬く間に無くなった

    自民党は現有の25議席を倍増させる勢い

    国政だと、衆議院選挙で大敗すれば、内閣は吹き飛ぶ。それは議院内閣制だから
    都政は、アメリカの大統領制よりも、議会は独立性が強く、都知事を利用するだけで、遙かに勝手気ままな行動をする

    何回も当選した議員は、長くても3期12年程度の在任期間の知事よりも長期間公職に就いているという優越感

    予算案にしても議会の承認がいるし、条例も議会が反対すれば可決されない。
    知事の目の届かないところで、都議会議員たちは都庁の役人を呼びつけ、様々な要求を出したり、陳情

    都議会議員は「二元代表制」という言葉を声高に叫ぶ。
    「知事と同じように、自分たちも有権者に直接選ばれた代表なのだ、だから知事と同等の権力を持っているのだ」

    都議会公明党の東村邦浩幹事長は公明新聞で、
    「議会運営などについて両党の幹事長同志で合意しても、都民ファーストの会の内部でなし崩しにされてきた
     さらに都民ファーストの会は8人もの離党者を出し、会派としてまとまりがない」



    安倍の盟友・甘利明・党税制調査会長が、二階が発足させた『自由で開かれたインド太平洋』構想の実現を推進する議員連盟に、
    『(親中派とされる)二階で大丈夫なのか』とケチをつけた。

    4月12日、「最新型原子力リプレース推進議員連盟」が発足。顧問には安倍と甘利。
    5月21日、「半導体戦略推進議員連盟」発足、会長は甘利。
    6月8日、「日豪国会議員連盟」発足、安倍、麻生太郎副総理兼財務相が最高顧問で、甘利が顧問。
    6月11日、「新たな資本主義を創る議員連盟」、会長は岸田文雄、安倍・麻生・甘利が最高顧問―。

    安倍の後ろには軽く150人以上の自民党議員が控えている
    安倍は菅に対して『長期政権を目指すなら最低100人以上の派閥を母体にする必要がある』などと言って二階からの離反を唆している」



    河井夫妻の資金問題では、選挙の際に安倍の秘書らが頻繁に夫妻の地元・広島入りし、強力にバックアップしていた
    二階はこの問題に対し「総裁と幹事長に責任はある」と言い放つ


    東芝と経産省の結託による『モノ言う株主への圧力』



    武漢研究所流出説の再調査をバイデン米大統領は、90日以内に報告するよう情報機関に指示。

    5月23日の米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)の報道
    米諜報機関の未公開の報告書によると、2019年11月、武漢ウイルス研究所の研究者3人が体調を崩し、病院での治療を求めた

    米国国立衛生研究所(NIH)傘下の国立アレルギー・感染症研究所(NIAID)所長のファウチ博士と武漢ウイルス研究所との間に、「親密な関係」

    NIHが武漢ウイルス研究所に研究助成し、その資金を使って、コロナウィルスに遺伝子操作が行なわれた可能性
    ファウチ氏は、公式には自然発生説を唱えなえているが、遺伝子操作を示唆する不自然な性質がウイルスにあったことを早い時期で認識していた疑い

    新型コロナウイルスが人間の細胞に侵入する際の突起物であるスパイクタンパク質は、中国で2002年から発生したSARSウイルスのものと酷似しているが、一部に人工的な変更の跡
    これは、ウイルスの毒性や感染力を高めるための「機能獲得」という実験の結果だったとみられ、ゲノム編集の形跡
    当時の武漢ウイルス研究所では、同種の研究が行われていた記録がある

    フェイスブックはこれまで、研究所流出説をフェイクニュースだとして投稿を禁止していたが、バイデン政権の決定を受け、この措置を解除

    『ニューズ・ウィーク』など米国の大手メディアも、研究所流出説を取り上げた


    インドは22日、新型コロナウイルスの新たな変異株「デルタプラス」を「懸念される変異株」に指定
    マハーラーシュトラ州でデルタプラスが16例確認

    接種計画の混乱が感染流行の第2波を悪化させたとの批判
    現状で2回目の接種も済ませた人はインドでは5%に満たない

    インドで接種されているのは、英アストラゼネカのワクチン、バーラト・バイオテックが開発した国産ワクチン



    ラムダ型は去年8月にペルーで初めて確認され、最近のペルーの感染の81%を占め、アルゼンチンやチリでも30%以上を占めている

    ラムダ型は490番目のまったく違う新しいところに変異が入っている。これまでにない変異が細胞との接続部分にあり、3倍から4倍、ないしは5倍くらいワクチンの有効性が下がる



    約18,000人ずつランダムに2つのグループに分け、片方のグループにはファイザー社製ワクチンを接種、もう片方のグループにはプラセボ(偽薬)を接種して112日間追跡。
    その結果、プラセボ接種群では169例が発症、9例が重症化したのに対し、ワクチン接種群では発症は8例、重症化は1例に抑えられた
    モデルナ社製のワクチンもほぼ同じ

    発症を減らせるだけでなく、重症化を92%、入院を87%、死亡を72%、感染そのものを92%減らす効果

    mRNAワクチンの効果や安全性は、4万人規模の臨床試験できちんと実証


    mRNAワクチンを接種すると、60%以上の人が接種した部分に1~2日ほど痛み

    2回目の接種の後には、倦怠感が47.8%、頭痛が40.4%、発熱が21.5%とかなり高い頻度で現れる(特に若い世代で多い)

    「アナフィラキシー」は、ファイザー社製のmRNAワクチンでは190万回の接種で21例(0.0011%)
    ドラッグストア等で購入できる風邪薬や痛み止めで「アナフィラキシー」が起こる確率の方が高い

    アストラゼネカ社やJohnson&Johnson社のワクチンでしばしば血栓症リスクの問題から「接種が一時停止」

    ファイザー社製/モデルナ社製のmRNAワクチンでは、血栓症のリスクが高くなるという報告はない

    mRNAワクチン接種と「心筋炎」の発生との関連が現在示唆されており、専門機関が詳しく調査中
    もし関連があっても950万人に7人


    mRNAの技術を用いたワクチンの研究は、何十年も前から行われていた
    ファイザー社は新型ウイルスが特定されてわずか19日後にワクチン開発のプロジェクトを立ち上げ、2020年4月にはもう臨床試験をスタート

    通常、医薬品は臨床試験で有効性や安全性が確認され、承認されてから生産体制を整える
    mRNAワクチンの開発では、国などが多額の投資を行い、承認された時点ですぐに生産・供給を始められるように準備

    既存のワクチンは、ウイルスを取り出し、培養して増やし、そのウイルスを使って作る。ウイルスを安定して増やす技術などをまず確立させる必要
    mRNAワクチンはウイルスそのものを使わずに作る。ウイルスを培養する技術や手間が要らず、ウイルスの遺伝情報を世界中で共有して一斉に研究・開発を進めることができた


    承認のためのプロセスはきちんと完了してて、現在は販売後の追跡調査が行われている。
    「製造販売後臨床試験」や「市販後調査」と呼ばれるもので、今回のワクチンに限らずどの薬でも行われている

    ワクチンによる副反応はそのほとんどが接種直後~2ヶ月以内に現れるため、大きなリスクが今後新たに判明する可能性は非常に低い

    国の資料などで「治験の完了時期が2023年と書いてある」
    「効果がいつまで続くのか」といった長期的なデータは、引き続き年単位での追跡が行われる


    mRNAというのは基本的にすぐに分解されてしまうので、長期的に体内に残るようなものではない

    「DNA」→「mRNA」→「タンパク質」という合成の流れの大原則「セントラルドグマ」

    「タンパク質」を合成する際には、この「DNA」の必要な部分だけがコピーされて(mRNA)、核の外に出される。
    この「mRNA」は、核の外でタンパク質合成

    この「mRNA」が核内に戻ることは基本的にない。タンパク質の合成が終わればすぐに分解される

    一部特殊なウイルスは「逆転写酵素」というものを持っていますが、それはごく一部の特殊なウイルスの話であって、mRNAワクチンの話には当てはまりません


    mRNAワクチンは、mRNAとそれを運ぶ脂質で構成。
    全ての医薬品の組成は添付文書として公開されてるので、簡単に確認できる

    製造工程で水銀含有物を用いるワクチンはあるが、「残存する量」や「それの影響の程度」を考えれば無視できるもの


    妊婦さんにmRNAワクチンを接種しても、流産や早産といった胎児への悪影響は増えないことが確認

    日本の国立成育医療研究センターも「妊娠を理由に接種を控える必要はない」
    日本産科婦人科学会・日本産婦人科医会・日本産婦人科感染症学会日本産科学会の連名で、ワクチンで母子ともに守れることから「推奨」
    アメリカやイギリスでは、妊娠中に感染・発症した際のリスクは大きいことから、妊婦さんへの接種はむしろ「推奨」

    ファイザーの公式に「当初は可能性が考えられたので、動物実験で確認しました。その結果、不妊の可能性は否定されました」

    「ワクチン接種で不妊になる」という話は、HPVワクチン、麻疹のワクチンなど様々なもので出回った


    関節リウマチなどで「メトトレキサート」や「JAK阻害薬」を使っている人は、ワクチン接種後1週間は薬を一旦休むことが推奨
    リツキシマブ」を使っている人は、その薬を使う4週間前にワクチンを接種しておくことが推奨


    2回接種をした人は6ヶ月後でも91%以上の有効性を維持しているというデータ

    初回接種の21日後には70%程度の効果が得られている

    一部の変異株に対しては、1回接種では30%くらいの防御効果しか得られないという知見も

    ワクチン接種で「無症状」の感染者を5分の1に減らせる可能性も

    どんな薬も、栄養素でも、吸収された後には必ずどこかに一時的な「分布」(飴を舐めれば糖分が脳に「分布」

    感染歴のある人は感染リスクが80%ほど低くなる



    下剋上という言葉は、古代中国から使用された言葉で、簡単にいえば「下位の者が、上位の者の地位や権力をおかすこと」

    日本でも中世(平安時代末から戦国時代)から当時の史料や軍記物語で使用、実際の使用例は少ない。
    中世では、主に公家の日記や寺社の文書にわずかにみえる、百姓が領主の支配内容に異論を示したり、身分の下位の者が上位の者を紛争の際に殺害した行為など

    身分が下位であったにもかかわらず、実力によって身分上昇を果たす、「成り出者」。「身上がり」(身分上昇)についての批判的な表現


    平安時代末から鎌倉時代初めにおける武士の台頭
    南北朝時代における下級公家や武士の台頭、
    戦国時代における一族・家臣による主君への叛逆・殺害・追放、下級武士や土豪(地侍)の台頭、その上級武士・大名化

    戦国大名・国衆という領域権力の展開が、戦国社会の特徴。
    戦国大名・国衆は、東国の享徳の乱(1455?83)、畿内・西国の応仁・文明の乱(1467?77)を契機にした戦乱の恒常化のなかで誕生

    本拠を中心に、一定領域を排他的・一円的に統治する領国を形成し、実力によって存立する地域国家。
    ただしその領国には、軍事的に従属しながらも、独自に領国を形成し統治する国衆を多く抱えていた

    陸奥の伊達・南部、
    出羽の最上(山形)、
    関東の北条・佐竹・里見、
    東海の今川・徳川・北畠、
    中部の武田・織田・斎藤(一色)、
    北陸の上杉(長尾)・朝倉、
    畿内近国の三好・六角・浅井、
    中国の大内・尼子・毛利、
    四国の長宗我部、
    九州の大友・島津・龍造寺

    それ以前は、室町幕府を中核にした政治秩序のもと、地方の軍事・行政統治は、守護もしくは守護格の「大名」身分の武家によって担われた

    実力によって戦国大名化を遂げた後に、それを既存の政治秩序に位置付ける行為として、守護職に補任されたり、守護家相当の栄典を与えられて守護格の家格を獲得

    室町時代の守護・「大名」で、戦国大名とはならず、実質的に国衆としてその後も存続した事例は少なくない
    戦国大名として、ある程度の時期まで存続したのは、分家による本家乗っ取りを含めても、伊達・最上・佐竹・武田・今川・北畠・六角・大内・大友・島津くらい
    その他は家臣や国衆からの成り上がり、そのうち上杉(長尾)・朝倉・織田・斎藤(一色)・三好・浅井・尼子の事例は、明確に家臣の立場からの下剋上

    室町時代以来の守護・「大名」家、さらにその下位の国人家では、戦国時代に入る頃から、
    一族・家臣による主君のすげ替え、主家の主導権をめぐる一族・家臣相互の内乱・内紛、主家への叛乱や主家そのものの傀儡化
    戦国時代にはさらに、一族・家臣・国衆の戦国大名家からの自立、国衆の戦国大名領国の経略による自らの大名化


    下剋上の典型例として知られている周防陶晴賢。晴賢自身には主家に取って代わる意識は全くなかった

    初めて将軍を追放し、幕府を消滅させ、「天下」統治をおこなったのは三好長慶

    美濃斎藤利政(道三)。戦国大名家の陪臣の一族の立場から出発した利政。その過程では、暗殺も多用

    主家が戦国大名として展開していたなかで、越後上杉家に下剋上した長尾為景・景虎(上杉謙信)。
    為景は、主殺し、主君のすげ替え、主君の傀儡化、国内勢力の反発により挫折。それをいくつもの幸運が重なって克服したのが景虎

    戦国時代初期に、守護家の重臣から、主家の政治的影響力を排除して、戦国大名化を遂げた越前朝倉孝景と出雲尼子経久

    下位の身分から戦国大名化を遂げた最初の事例、伊勢宗瑞(北条早雲)。宗瑞は伊豆国主の堀越公方足利家を滅亡させて、自ら伊豆国主となる

    戦国時代初期に大規模な叛乱を引き起こした長尾景春。景春の主殺しと叛乱は失敗に終わる




    応仁の乱が終結してから16年後に起こった明応の政変(明応2年、1493年)こそが戦国時代の到来
    東国では応仁の乱の13年前、1454年に始まる「享徳の乱」から

    応仁の乱は、幕府の三管領(将軍の補佐役である管領を出す家柄)の一つ、畠山氏一族の戦争から始まった。
    応仁の乱が勃発する十数年前から、畠山氏は政長派と義就派に分かれて一族・家臣でもめていた


    守護大名の山名持豊が、畠山義就を支援し、将軍義政に働きかけて畠山政長の管領職を罷免させる
    政長は屋敷を焼き払って上御霊神社に陣を敷き、管領の細川勝元に応援を求めた。勝元はこれに応じず

    義就側は釈迦堂から出兵して御霊社の政長軍を攻撃、政長は社に火をかけて自害を装い逃走。勝元邸に匿われた。
    この御霊合戦が応仁の乱の始まり


    11年にわたって続いた応仁の乱が終結した後、再び室町幕府は統一。新将軍の義尚
    引退したくせに父親の義政がなかなか権限を譲渡しようとせず、親子間で確執

    乱の終結から10年後の長享元年(1487)、将軍義尚は将軍の権威を高めるため、2万の大軍を引き連れ、反抗的な六角高頼を討伐する目的で近江国へ出陣

    義尚が25歳の若さで病没。義政の正妻・日野富子は義視の子・義材を将軍にしたいと考えたが、父親の義政が将軍の座に返り咲いた
    翌年、その義政も中風によって55歳で没した

    細川勝元の子で幕府の実力者である政元は、清晃を将軍にしたい。清晃は、義政の異母兄で堀越公方となった足利政知の子。
    結局、新将軍には義視の子・義材(後の義稙)が25歳で就任

    美濃国から義材と一緒に上洛した義視(義材の父)が将軍の後見人として政治を動かす、富子と対立、
    義視も延徳3年(1491)正月に死没

    義材は同年8月、威勢を回復していた六角高頼を攻めるべく近江へ出陣
    六角高頼は逃げてしまったものの、義材は園城寺に拠点を置いて戦いを有利に進め、降伏した六角氏の重臣・山内政綱を殺害

    前管領の畠山政長(応仁の乱の原因をつくった人物)を重用
    畠山基家(かつて政長が応仁の乱で争った義就の子)の拠点である河内国へ遠征を宣言

    細川政元は近江への出陣も反対、今度の河内征伐も強く反対。義材はそれを黙殺して河内への遠征を強硬

    明応3年(1494)4月22日、細川政元は突如挙兵、清晃(足利政知の子)を自分の屋敷に迎え入れ、義材を廃して新将軍に清晃を擁立することを宣言
    日野富子が自ら政元の屋敷へ参じた。
    義材に従い河内で戦っていた守護大名たちさえも、この政変を知ると、続々と陣中から離脱して京都へと戻った

    幕府の実権を握った細川政元は、畠山政長を討つという名目で、将軍義材のいる河内へ大軍を派遣
    戦いに敗れた政長は自殺し、義材も抗しきれずに降伏。捕縛された義材は、京都に連れ戻されて幽閉

    同年12月、還俗した清晃は11代将軍。以後は義澄。将軍就任時、義澄はまだ14歳

    義材が京都を密かに脱し、畠山政長が支配していた越中国放生津へ入り、諸国の守護大名に細川政元の征討を呼びかけて、北陸の諸大名を糾合
    上洛を目指して近江国坂本まで攻め上った。しかし、戦いに敗れて、大内義興を頼って西国の周防へ
    それからも将軍として振る舞い、諸大名にさまざまな命令や通達を発した

    成長した義澄は、自ら政務に意欲、政元との間で相剋を生じ始め
    同年、政元が管領を辞めると言って京都から出てしまったり、将軍・義澄が腹を立てて寺院に引きこもるなど

    5年後の永正4年(1507)、細川家の家督をめぐって政元が暗殺

    前将軍・義材が、翌年、西国から軍勢を連れて都に入り、将軍に返り咲いた
    義澄は、京都奪回を目指したが、永正8年に病死

    こうした中、室町幕府の支配力は山城一国にしかおよばなくなり、その実権も細川氏からその家臣の三好氏に移り、さらにその家来だった松永久秀に移っていった
    地方では、独立した権力である戦国大名が登場



    ニューヨーク州では、ワクチン接種が70%終わって行動制限を解除し、花火大会でお祝い

    2020年の世界全体のコロナによる超過死亡(赤い線)は700万~1300万人で、中央値は約1000万人と推定
    アジアでは実際の死者が公式統計のほぼ6倍で、インドでは、すでにコロナで100万人が死んだと推定

    過去5年の平均と比べたG7諸国の超過死亡率は、アメリカが25%と最高で、イギリス、イタリア、フランスなどがそれに続く
    日本の被害は最小で、過去5年平均と比べると4.1%増ですが、死亡数の増えるトレンドに比べると、1.4%減、合計約3万人の過少死亡

    去年の自殺者は平年より1599人多かった。特に女性が男性の1.5倍


    パソナは「大阪府営業時間協力金に係る書類審査及び相談コールセンター運営等に関する業務委託」を受注(約6億8千万円)



    先日のG7では、財政政策の継続(日本は「拡大」)や、インフラ整備、各国に対するワクチン支援、底辺への競争の回避、グリーン革命、
    「民主主義、自由、平等、法の支配及び人権の尊重という力」の活用などが合意

    G7の共同声明で東京五輪開催を「支持する」という文言が組み込まれた



    20代では半数が発熱するが70代では10%程度
    厚労省が年代別の接種数を公表していない
    年代別の接種数を発表したら「年代ごとの重篤な副反応出現率」はすぐ算出できてしまう。おそらく10代は70代の数十倍もの確率になる

    米国のデータで、2回目のファイザーワクチン接種後に症状が報告されたのは先月31日の時点で528人で、このうち12歳から24歳が52%

    接種した人20代の医療従事者の総数30万人のうち、199人に重篤な副反応が出た。1507人に1人

    20代がコロナに罹患する確率が1.3%、そのうちほとんど重症化しない
    20代がコロナにかかって重症化するのは0.00013%。ワクチン打ったら重篤は0.06%
    ワクチンを打った方が重篤化するリスクはコロナになって重篤化する461倍





    ワクチンの成分に関して使われているものは、化粧品が結構多く、
    化粧品に対してかぶれやすい、アレルギー反応を持っている人たちは、副反応を起こす可能性があるかもしれない

    いまのところは妊婦のデータはない。
    臨床試験の結果としてデータがないわけだから、いまのところ妊婦には推奨されていない


    熱が出る割合は20%前後あり、1日2日くらいは発熱や倦怠感が続く

    ワクチン打った後に、最初に働く自然免疫の免疫応答によって熱が出る。通常は、2回目のほうが頻度は高い。
    局所反応に関しては、1回目・2回目でそんなに差はないが、
    全身反応としての発熱、頭痛、倦怠感などは、自然免疫応答にプラスされて1回目打ったことによって免疫応答が強くなっているので、2回目の所では、発熱とか倦怠感とか頭痛とか増えてきている

    このワクチンは、接種したあとにかなり痛みが強い

    注射やワクチンを接種することへの不安やストレスが要因となって、過呼吸やめまいなどの症状が引き起こされる ISRR=「予防接種ストレス関連反応」


    アナフィラキシーとは急激なアレルギー反応が起こるもので、血圧の低下や意識障害などのショック症状を起こすことがあり、適切に処置をしないと命に関わる。
    食物アレルギーがきっかけで引き起こされることが多い
    (診断の目安の例)
    ▼皮膚の発疹や唇など粘膜に腫れが見られる
    ▼呼吸が困難になる
    ▼血圧が低下する

    1995年ごろ、一部のワクチンに含まれていたゼラチンが原因でアナフィラキシーが報告されたが、現在はワクチンの成分が改良されていて、ほとんど起こることはない。
    「アドレナリン」などを注射し、適切な処置をとれば回復する

    従来のワクチンのアナフィラキシーは頻度が100万回に1回程度だとされているが、新型コロナウイルスのワクチンは10万回に1回ぐらいではないかという報告



    『パソナGが営業最高益に、65%増の175億円 21年5月期』(日本経済新聞4月13日)

    有償の五輪運営スタッフの準備業務ディレクターには1日35万円、管理費・経費を含めると日当42万円という計算になる。
    ところがパソナが一般に募集をかけた際には時給1650円(深夜時間帯は125%の割増賃金)で日当約1万2000円というから中抜き率は95%を超える。

    5月26日の衆院文科委員会では「パートナー契約では人材派遣サービスはパソナにしか許されていない」と独占的契約も明らかに

    ワクチン予約システムの最下部にはシステムの運営会社「マーソ株式会社」同社の経営顧問には竹中平蔵

    昨年秋の国会で竹中平蔵のことを問われ「どういう仕事をしているか私は承知していない」と答弁した菅首相



    バッハは1976年にモントリオール五輪のフェンシング競技(フルーレ団体)で金メダル。五輪、世界選手権、ドイツ選手権で勝ち取ったメダルの数は12個
    様々な有名企業がバッハを国際部長、監査役、顧問として迎えた

    1979年にはドイツスポーツ連盟(DSB)のアスリート委員会の委員長に就任。
    1991年にIOC委員となったバッハは理事、副会長など様々な役職を経験した後、2013年9月に第9代IOC会長

    2016年にロシアで組織的なドーピング証拠隠滅疑惑が浮上した時、バッハはロシア選手団の全員の締め出しを拒否。
    IOCの決定過程の不透明さには、ドイツのアスリート団体などから批判の声

    クウェートの元エネルギー大臣アル・サバーハは、1992年から2018年までIOC委員だった他、2015年から2年間FIFAの執行委員も務めた「国際スポーツ界最大の黒幕」
    「私はバッハを選ぶ。彼を勝たせるためには、何でもやる。これはバッハとの12年前の取り決めに基づくものだ」と公言
    アル・サバーハは現在スイスの司直に追及。文書偽造などの罪で起訴、今年2月に初公判。有罪判決を受けた場合、最高5年の禁固刑に処せられる可能性

    グアム・サッカー協会のライ会長は、2017年に米国の法廷で「FIFA会長選をめぐり、100万ドル(1億1000万円・1ドル=110円)の賄賂を受け取った」と自白、贈賄工作にアル・サバーハが関与

    バッハはサマランチ(1980年~2001年までIOC会長)によって抜擢され、IOCでスピード出世
    サマランチは、スペインの独裁者フランコの支持者で、ファシスト政党の党員

    バッハを採用したドイツ企業のA社長はある日本の大手企業とともに、1982年にISLというマーケティング企業をスイスに設立(ISLは2001年に倒産)
    スイスの検察庁は、2008年にISLの元副社長ら6人の元幹部を詐欺や横領の罪で起訴、有罪判決
    ISLがスポーツ大会の放映権などを確保するために、1989年から2001年までにFIFA幹部らに総額1億4200万スイスフラン(171億8200万円・1スイスフラン=121円換算)を超える賄賂

    バッハは2006年から7年間、アラブ・ドイツ商工会議所(Ghorfa)の会長。アラブ諸国とドイツ企業間の貿易を促進。
    ユダヤ系メディアから「Ghorfaは一時ドイツからの輸出品にイスラエル製部品が使われていないことを認証していた、これはイスラエル製品のボイコットに相当する」と批判


    「この木なんの木」(73年)や「パッ!とさいでりあ」(91年)等のCMソング、『魔法使いサリー』(66年)や『ターンエーガンダム』(99年)の主題歌、『寺内貫太郎一家』(74年)の主役

    レナウンのCMソング「ワンサカ娘」(’61年/歌:弘田三枝子)が亜星さんの出世作
    『超電磁ロボ コン・バトラーV』(’76年)、『超電磁マシーン ボルテスV(ファイブ)』(’77年)等の巨大ロボットアニメの主題歌
    『科学忍者隊ガッチャマン』(’72年)
    『チェルシーの唄』
    TBS系ドラマ『寺内貫太郎一家』の主人公、老舗石材店の主人で、典型的な頑固親父
    『貫太郎一家』の原作者・脚本家である向田邦子さんは当初、小林亜星が実の父親をモデルにした貫太郎役を演じると聞き、「父のイメージとかけ離れすぎ。父がかわいそう」と漏らした
    向田さんは亜星さんを抜擢した久世光彦プロデューサーの慧眼に感服し、以後、プロデューサー(番組スタッフ)のキャスティングには信頼



    埼玉県の大宮は、もとは大宮市。2001年に県庁所在地の浦和市などと合併し、さいたま市になりました。

    大宮駅は、新幹線6系統、在来線7系統が停車する大ターミナル駅。線路の数は19本。大宮駅北側の大栄橋からの見学がおすすめ
    大宮は、鉄道博物館やJRの整備工場もある鉄道の町

    大宮は、もともと氷川神社の町として発展。氷川神社は、天皇陛下が元旦に行う四方拝の対象。年間200万人が参拝。
    大宮の地名は、大いなる宮居(=神社)を由来

    神池を時計回りに巡ると、わずかながら高低差。氷川神社は、大宮台地のへりに位置

    参勤交代で大名の家来が宿泊する脇本陣が9軒もありその数は日本一。しかし、旅籠(=旅館)は、25軒と少なめ。
    参勤交代に特化した武士のための宿場町だった大宮は、商人に利用され続けた浦和や鴻巣に比べ、大きく遅れをとり、非常に寂れた

    大宮は、眺めの良い場所に料亭などがある、一大リゾート地として開発され、森鴎外、正岡子規、夏目漱石、樋口一葉、田山花袋ら、著名人も多く訪ねた

    明治18年に開業した大宮駅の前には、当時家は2つしかなく、畑が広がっていた
    大宮には、国鉄を代表する大宮鉄道工場が置かれ、大宮総合車両センターに改称

    太宰治が晩年を過ごした街。「人間失格」を書き上げたのも大宮に住んでいた時

    中山道の近隣の宿場:日本橋ー板橋ー蕨ー浦和ー(大宮)ー上尾ー桶川ー鴻巣ー熊谷ー深谷ー本庄


    縄文時代までは、古芝川が大宮台地を浸食した谷に、奥東京湾が入り込んでいた。このため、この地の周辺には貝塚が点在
    奥東京湾は弥生時代に入ると海岸線が後退し(海退という)、見沼・入江沼・鳩沼・深作沼(鶴巻沼)など多数の沼がつながる広大な沼沢地となった。
    見沼は三沼・箕沼・御沼とも表され、Y字型で3方向に湾曲して伸び、岬や入江も多い複雑な地形であった。
    氷川神社はこの沼の水神を祀ったことから始まったとする説があり、沼岸には氷川神社・中氷川神社(現中山神社)・氷川女体神社がある


    1675年、江戸商人・加田屋の坂東助右衛門は、一部を干拓して新田を開拓するが、この干拓により溜井の一部を綾瀬川へ流下させたため貯水能力が低下、
    下流の村から新田取り潰しの訴訟が起き、結局1718年に溜井へ復元させられた。
    しかしながら土砂堆積で、溜井の貯水能力は低下の一途をたどり、水害も頻発するようになった。
    享保年間、輪王寺6代・輪王寺宮4代、公寛法親王が江戸往来の途上、膝子村で水害に悩む村民から溜井廃止を懇願され、窮状が江戸幕府へ伝わった。

    1727年、折りしも享保の改革の一環として新田開発を進めていた8代将軍・徳川吉宗は勘定吟味役に紀州藩士・井沢弥惣兵衛を登用して見沼溜井の干拓を開始した。
    井沢は溜井に代わる水源として見沼代用水を現・行田市の利根川から約60 kmにわたり開削して灌漑用水とする一方で、八丁堤を破り、
    溜井最低部に排水路を開削して芝川と結び、荒川へ放水する工事を1年で完成させた。

    見沼干拓後は、加田屋など商業資本も加わった新田開発が進み、開発面積1,228 ha、新田面積1,172 haの見沼田んぼが完成した。
    それ以後、この地は肥沃な穀倉地帯となった。さらに見沼干拓に併せて、八丁堤跡に享保16年(1731年)に建設された見沼通船堀により、江戸とを結ぶ見沼通船が開通、
    見沼代用水流域の川船輸送の発達にもつながった。


    江戸時代に干拓された武蔵国の見沼には、次のような伝承がある。徳川吉宗の治世、紀州藩から来た治水家の井沢弥惣兵衛が見沼の干拓を命ぜられた。
    弥惣兵衛は干拓の準備にとりかかったが、間もなく、彼が逗留する天沼の大日堂に一人の女性が訪ねてきた。
    彼女は自分を見沼の竜神だと言い、干拓によって見沼には住めなくなるので次の住処を見つけるまでの間作業を中止してほしい、と頼んだ。
    弥惣兵衛は彼女の話を真に受けずに工事を始めた。しかし様々な災難がふりかかり工事ははかどらず、干拓指揮者を務める弥惣兵衛も病気になり寝込んでしまった。
    するとあの女性が現れて、病気を治すから願いを聞き入れてくださいと言い、その後も毎晩のように現れては明け方に姿を消した。いっぽう弥惣兵衛の病状は回復に向かっていった。
    ある晩たまたま弥惣兵衛の寝床を訪れた人が、眠っている弥惣兵衛の体を炎を吐きながらなめ回す蛇女を見つけた。
    後でその人から一部始終を聞いた弥惣兵衛は恐怖を覚え、片柳の万年寺に移ったところ、その後は何事も起きず、工事も順調に進んだ。

    しかし万年寺で村人の葬儀を行った際、棺桶が山門をくぐったところで突如黒雲が空を覆い暴風が棺桶を持ち去るという怪事が発生した。
    享保13年、見沼干拓の竣工により弥惣兵衛が万年寺を去ると、怪事は一切起きなくなったという。

    しかし、弥惣兵衛を支援した関東郡代の伊奈氏は、オタケ様と呼ばれる見沼の竜神に祟られ、次々に災いに見舞われた。
    竜神が氷川女体神社の池に移ったと知った伊奈家の家老が神社にお参りをすると祟りは治まった。

    川口市には見沼干拓工事の後日談が伝わっている。差間に残る伝承では、ある日人力車の車夫が美女を乗せて千葉へ向かったが、印旛沼付近にさしかかった時、
    美女が忽然と姿を消したという。人力車の座席は濡れており、植物のような臭いもした。
    村人達は、見沼の大蛇が住処を追われたため美女に変身して印旛沼に移ったのだろうと考えた。
    その後、見沼の大蛇はその姿を見せることはなかったといわれている。

    東内野に残る伝承では、ある日馬を連れた農夫が千住大橋の渡しの辺りで美女に出会い、
    見沼のほうに行きたいので馬に乗せてほしいという頼みを聞き入れて山口の弁天(見沼の三弁天の一つ)まで送り、
    彼女からお礼の品を受け取ったが、彼女の言葉に従い自宅に帰ってから包みを開けると蛇の鱗が2枚入っていたという。
    村人達は、印旛沼に移っていた見沼の主の大蛇が懐旧の思いにかられて帰ってきたのだろうと考えたという

    関東郡代伊奈氏のいた赤山城にまつわる伝承では、庭園の池で伊奈氏が舟遊びを楽しんでいたところに山蛇が来て、見沼の竜神であると名乗り、
    住処を追われた怨みによって伊奈家に災いをもたらすと告げたという。

    干拓前の出来事を伝える見沼の笛の物語もある。
    まだ大きな沼であった見沼の周辺の村々では、夕暮れ時になるとどこからか美しい笛の音が聞こえてきて、
    村人の若い男性たちは、この音色に誘われて歩いてゆき、見沼で姿を消してしまうという事件が相次いだ。
    見沼の主が若者を生贄として連れ去ったと考えた村人達は供養塔を建立した。それが大和田にある塔だという


    鉄道の分岐点になることは、町の発展に大きく影響


    江戸時代は、間口の長さで税が決まったため、間口の狭い商家が多い

    江戸時代には、早馬が駆け巡っていたため、出会い頭の衝突事故を防ぐために十字路を作らなかった



    中国語の「喪」は「意気消沈」や「落胆」の意味。自分を卑下し、競争を嫌い、目標など信じない態度が、中国では数年前から「喪文化」と呼ばれ、若者の間でもてはやされている。

    通説によれば、喪の元祖は2016年の「寝そべる葛優(コーユー)」というネット上の流行。
    人気役者の葛優がだらしなくソファに寝そべる1990年代のコメディー番組の一場面で、誰かが画像に「僕は完全にボロボロ」というコピーを添えた。
    中国版ツイッターの「ウェイボー」では、時代の憂鬱さをそっくり受け入れた態度と解釈する人もいる

    アニメの主人公で自己嫌悪に陥ったアルコール依存症の皮肉屋「ボージャック・ホースマン」やアメリカ漫画『ボーイズ・クラブ』に登場する「カエルのペペ」なども人気






    自由を重視すると格差が拡大して平等ではなくなるし、平等を重視すると社会から自由が失われていく、
    しかし自由と平等の間で、博愛が二者の調整原理として働くことでようやく社会が安定する


    プラスミドと呼ばれる環状のDNAを導入した大腸菌を4日間培養することで、何兆個ものプラスミドのコピーが作成
    大腸菌を破壊する処理を加えてプラスミドだけを取り出す。
    プラスミドに含まれているスパイクタンパク質DNA塩基配列が、大腸菌によるコピーの前と変化していないかの確認
    制限酵素でプラスミドを切断し、環状のプラスミドから線形のスパイクタンパク質DNAを取り出してろ過した後、1リットルのボトルに詰める。
    ボトルに詰められたDNAの塩基配列を再び確認
    マイナス20度を保った状態で施設へ送付
    1リットルのボトル1本当たり、150万回分のCOVID-19ワクチンが作れる
    DNAが入ったボトルを5本ずつ1日かけて解凍し、mRNAへの転写に必要な酵素やmRNAの構成要素と混合して、数時間にわたって転写処理
    転写が完了したmRNAは、不要なDNA・酵素・不純物などを除去した後、ワクチンとして加工
    mRNAを水と混合した後、人間の細胞に入りやすくするために脂質と混合して、脂質ナノ粒子を生成
    この脂質ナノ粒子の生成にはマイクロ流体力学を用いた特殊な機器が必要
    脂質ナノ粒子の完成後、不純物を除去して滅菌した後、ワクチンをバイアルへ封入する作業
    バイアルへの封入完了後、ワクチンをマイナス70度にまで冷却し、施設で4週間にわたって品質テスト。
    ファイザーではDNAの生成からワクチンの完成まで60日間のプロセスを実行
    このうち半分以上の期間が品質テストに費やされている



    水無月(6月)下旬、神社境内で行われる「茅の輪くぐり」。
    茅の輪(ちのわ)とは、茅(かや)などイネ科の植物で作られた大きな輪で、茅には生命力があり、浄化作用と再生の力がある
    東京で設置されているのは、新橋の烏森神社、赤坂・日枝神社、湯島天神、神田大明神など

    左、右、左と3回、8の字に潜るのが作法。
    その際に唱える歌。
    「水無月の 夏越の祓する人は 千歳(ちとせ)の命 延ぶというなり
     さばへなす 荒ぶる神もおしなべて 今日は夏越の祓なりけり
     蘇民将来 蘇民将来 祓へ給ひ 清め給へ 守り給ひ 幸きはへ給へ」

    古代から続く、半期に一度のリセットが「大祓」。特に6月末は「夏越の祓(なごしのはらえ)」

    「夏越の祓」定番菓子 体の内側から祓ってくれる
    白い外郎(ういろう)の上に小豆の乗った三角形のお菓子「水無月」

    宮中の貴族は「氷室の節会(ひむろのせちえ)」に氷を食べて暑気払いをした


    火(か)と水(み)と書いて「かみさま」。神さまとは、火の神、水の神


    16世紀にフランス王シャルル9世が、それまで3月25日〜4月1日としていた新年の始まりを1月1日に繰り上げた暦に変更
    民衆が4月1日に「ウソの新年」と称して馬鹿騒ぎを始めたのがきっかけ。
    怒ったフランス王は騒いでいた民衆の子どもまで処刑、それに反発した人々が、その後も4月1日がめぐってくるたび、「ウソの新年」を祝うように

    フランスではエイプリルフールを「ポワソン・ダブリル=四月の魚」という
    フランスの子どもたちは、4月1日になると魚の絵を描いた紙を人の背中にこっそり貼るというお茶目ないたずら






    心臓カテーテル法は、フォルスマンという外科医が自分の腕の血管を切開し、カテーテルを挿入、レントゲン室で鏡を見ながら心臓まで導いた自己実験のたまもの

    放射能の名づけ親のキュリー夫人や、娘のイレーヌとその夫は、放射性物質に冒された

    バリー・マーシャルは自らピロリ菌を飲んで、ピロリ菌を除去すれば十二指腸や胃の潰瘍が快癒することを証明した


    統合失調症に対する治療として1936年に始められた大脳の前頭葉切除手術がロボトミー
    ポルトガルの神経外科医アントニオ・エガス・モニスはその業績で1949年にノーベル生理学医学賞を受賞


    精神科医ロバート・ガルブレイス・ヒース。統合失調症や鬱病など精神疾患に対して、患者の脳深部に電極―「脳ペースメーカー」―を用いた治療をおこなっていた
    「ポジティブな感情が宿る脳内領域を電気的に刺激することによって、失快感症を起こした統合失調症患者の脳に喜びや快感を呼び覚ますことができる」


    パーキンソン病などに対して、脳ペースメーカーと基本的には同じ方法である脳深部刺激療法(DBS)がおこなわれている。
    現在、日本でも保険適用が認められている治療法
    アルコール依存症や薬物依存症、過食症や拒食症、著しい暴力傾向さえも、脳の正しい位置に電極をセットして刺激すれば治療が可能になってきている

    DARPAの支援をうけて開発中のDBS「電子スーパーエゴ」装置を使うと、衝動性を弱めたり、認知の柔軟性を高めたり、感情制御能力を向上させることができる


    アソシエーションとは、特定の興味や目的で結びついた社会組織

    交換様式には、A=互酬交換、B=略取と再分配、C=商品交換、Aを高次元で回復した「D」の四つがある。
    それぞれが同時に存在しながらも、どの交換様式が支配的かによってその社会の性格が変わり、Aなら氏族社会、Bなら国家および帝国、Cなら資本制社会

    定住は蓄財を生み、互酬交換を発生させ、交易が始まって国家ができ、国家が資本主義を生み出した

    産業資本主義は、個々の資本が利益を追求するばかりでは成り立たない。
    国家が個々の利害を超えた『総資本』の役割を担って労働者をつくり出すために学校教育を行い、年金などの社会福祉制度を作る。

    資本のもとに国家があり、国家が資本主義の理性のように働く。
    だから、国家と資本主義のどちらかだけが滅びることはない

    アソシエーションの運動は交換様式Aの段階で、直接的に資本主義や国家を倒せるわけではない


    誰かが幸福を得るならそれは篤信に対する神の祝福であり、災いは悪心への神の怒りだとする考え
    メリット(成果)とデザート(応報)という図式が生まれ、やがて富は才能と努力のしるし、貧困は怠惰のしるしという見方につながっていく


    能力・成果主義に則ったアメリカンドリームは「多様性」と「変化」への対応力をバネにしていたのに、
    1980年代に始まるグローバリゼーション政策とハイテク化でこれらが逆作用して、富裕層の固定化を促した



    「プレ-トテクトニクス」、10数枚のプレートが独立して運動することで、様々な地質現象が起こるという理論

    2004年12月に起きたM9.1のスマトラ島沖地震の3か月後、スマトラ島の近くでM8.6の巨大地震が。
    本震の震源域内でも余震は頻発、南方への余震の拡大は7年後まで続き、2010年10月にはM7.7、2012年1月にはM7.3の大地震を引き起こした

    「誘発地震」とは直下型地震のことで、陸の地下で起きるM7クラスの地震

    南海地震の震源域の西に位置する日向灘(宮崎県沖)が連動、三連動地震にもう一つ加わる「四連動地震」となる可能性
    この場合には、震源域の全長は700キロメートルに達し、これまでの想定のM8.7を超える、M9台
    30年以内に発生する確率は、M8.0の東海地震が88パーセント、M8.1の東南海地震が70パーセント、M8.4の南海地震が60パーセント

    1703年に元禄関東地震(M8.2)が起きたが、その35日後に富士山が鳴動を始めた。4年後の1707年に、宝永地震(M8.6)が発生。同年に宝永大噴火
    記録が残されている10回の中でも最大のもの

    2011年3月15日に富土山の直下で地震、箱根山では、3月11日の直後から小規模の地震が増え、
    日光 白根山、乗鞍岳、焼岳、伊豆大島、新島、神津島、九州の鶴見岳・伽藍岳、阿蘇山、九重山、南西諸島の中之島、諏訪之瀬島などの活火山で地震が増えた




    「中世の温暖期」を迎え、農業生産が向上し、人口が増え、西暦1000年頃にグローバリゼーションは始まりをつげていた。
    当時の世界人口はおおよそ2億5千万人

    キー・プレーヤーは中国人、インド人、アラブ人。ヨーロッパ人としては、バイキング(スカンジナビア人)が参加していただけ


    ノース人(古代スカンジナビア人で、バイキングはノース人による海賊集団)が
    ヴィンランドという入植地を、米国との国境近くのカナダ東岸、ニューファンドランド島に築いていた

    正式な記録はないが、1000年頃の航海を描いた「サガ」が語り継がれている。ふたつのサガに一致する内容
    その内容を裏付ける考古学的資料も発見。
    バイキングの入植地にあった小屋が発掘され、その建物には、当時北米大陸では作ることができなかった鉄の釘が使われていた

    バイキングがマヤ文明の都市国家チチェン・イツァで捕虜にされていた。
    「戦士の神殿」の入り口に描かれている奇妙な人々の壁画。見かけ、肌や髪の毛の色がノース人のよう


    ノース人たちは西だけではなく東へも向かい、東ヨーロッパでも新たな交易路を開拓し、ルーシ人と呼ばれるように。ルーシがロシアの語源となった

    当時の二大都市、コンスタンティノープルとバグダッドでは奴隷の需要が高かった。
    そこで取引された奴隷の多くが東ヨーロッパ出身者、スラブ人を表すギリシャ後である「スクラボス」が語源となって「スレイブ=奴隷」


    1000年前後からすでに、マレー半島とマダガスカル島間、6500㎞もにおよぶインド洋での航路は開かれていた

    紙幣を「考案」した宋ではそれまで用いていた銅銭が不要になり、その結果、宋銭が流入して日本が変わった



    IQテストの創始者でフランスの心理学者、アルフレッド・ビネーの定義によると、知能とは「判断力・理解力・批判力・方向づけ・工夫する力」などの総合力
    IQテストでは「環境への適応力、基本的な精神能力、推理力、問題解決力、決断力」などが計測できる

    もともとIQテストはこれから教育を受ける子供たちが勉強についていけるかどうかを測るためにつくられたもの
    少年少女の知能指数を判定するのには役立つが、成人の知能指数を測るにはあまり向かない

    現代に至っても「知能」に対する明確な定義づけはされていない。


    暗い部屋で本を読んでも目は悪くならない

    2012年にケンブリッジ大学が行った調査では、幼少期から10代後半にかけて外でよく遊んだ人ほど、視力低下の可能性は低く、
    日光を浴びる時間が週に1時間増えるごとに、近視の発症率が2%ずつ下がるという結果が報告

    つまり「子供の頃の外出時間」が原因。
    日光を浴びることで脳内ホルモンの一種「ドーパミン」が増え、これが目の成長を促進するとの説


    「ヴァイキング」は、アイスランドやグリーンランドに植民をした後、更なる植民地を求めて進出し、11世紀の初め頃にレイフ・エリクソンが北アメリカ大陸に上陸。
    最初の上陸地はカナダの東南地方、現在のラブラドル海岸あたり

    エリクソンは一冬を過ごした後、グリーンランドに帰った。その後、グリーンランドのヴァイキングたちは、北アメリカに進出して植民。
    植民地は先住民族との抗争の激化により放棄される

    1960年に北アメリカのニューファンドランド島で彼らの居住地跡が発見され、「コロンブスが初めて新大陸に到達した」との説は覆った


    お釈迦様が亡くなった時に「頭を北に顔を西に向け、右脇を下にしていた」ことにより、人が亡くなると仏教では北を枕(頭)にする習わし

    地球の磁場は北のN極から南のS極に流れており、北を枕に寝た方が磁気の流れにそってよいともいわれており、
    インドの伝承医学アーユルヴェーダでも中国の風水でも北枕で寝ることを推奨。


    日本の神道では神棚は南向きが最もよい


    奇数は陽、偶数は陰に配され、ここから陽である奇数を「吉」と見て、陰の偶数を避ける習慣が生まれた。
    陰(偶数)よりも陽(奇数)が結婚式などのおめでたい席に似つかわしい

    「三本締め」や「一本締め」、子供の成長を祝うのは「七五三」など


    その年に利用した木の量を生長した木の量で割ったものを森林利用率といい、年間どの程度利用したかがわかる、
    フィンランドやスウェーデンのような森林国では7割から9割程度の利用率となっているのに対し、日本は4割程度しか利用していない

    再生紙を作るには、新しく紙を作るより石油が2倍以上も必要


    呪禁師は道教の影響を受けて成立し、呪術によって病気の原因となる邪気を祓う治療などを行った。
    古くは仏教の祈祷と混同されて用いられた例もある(『日本書紀』敏達天皇6年条)が、本格的な導入の初出は『日本書紀』にある持統天皇5年(691年)

    律令制においては呪禁も病気治療や安産のために欠かせない、呪禁師の中で優秀なものは呪禁博士(定員1名)に任ぜられ、呪禁生(定員6名)の育成に努めた。
    だが、厭魅蠱毒事件の続発によって呪禁が危険視され、同様に道教の呪術を取り入れた陰陽道の台頭によって8世紀末期頃には事実上廃止、9世紀には呪禁師の制度自体が消滅


    陰陽道において、主に暦道を司る賀茂家と主に天文道を司る安倍家が、二大宗家として代々継承
    安倍家は鎌倉時代になっても有力な人材を輩出して、鎌倉幕府からの支持を取り付け関東圏にも勢力を伸ばしたが、賀茂家は凋落

    南北朝時代には安倍家は土御門家と、室町時代に賀茂家は勘解由小路(かでのこうじ)家とそれぞれ称する
    室町時代後期に勘解由小路家の直系の嗣子が殺害されて後継者が途絶え、土御門家が暦道と天文道の両方を司る。

    江戸時代になると途絶していた勘解由小路家に代わって賀茂氏系の幸徳井(かでい)家が採用されて再興

    土御門神道が成立すると全国の陰陽師を統括。
    明治時代の陰陽道禁止令によって賀茂系統の陰陽道は消滅



    伊勢神宮では神社の運営や祭祀の中心的な役割を担う禰宜(ねぎ)として、荒木田(あらきだ)、根木(ねぎ)、度会(わたらい)の3氏があった
    根木氏は早くに断絶。やがて内宮(ないくう)は荒木田氏、外宮(げくう)は度会氏が禰宜の中核となった

    鎌倉時代になると独自の古例を継承していた度会氏は度会神道を成立。

    室町時代に人が参拝しやすい外宮が経済的に優位になって、内宮と外宮の対立は深まり、武力衝突による流血や放火。
    両宮の対立は江戸時代には沈静化したが、融和したのは明治時代


    真言宗と天台宗の公式な和解は、空海と最澄が仲違いした約1200年後の2009年



    穢れに触れた人に接触すると穢れがうつるとされる(触穢[そくえ])

    最も基本的な祝詞で、祭祀の前に行なわれる修祓(しゅばつ)の儀(お祓い)で読み上げられる祓詞(はらえことば)
    「諸々(もろもろ)の禍事(まがごと)・罪・穢れあらむをば祓へ給(たま)ひ清め給へ」

    毎年6月と12月には全国の神社で大祓(おおはらえ)という行事。
    大祓では、知らずに身についた半年間の穢れを人形(ひとがた)と呼ばれる人間の形の紙へとうつす。
    この人形が神職によって川などに流されることで、穢れが祓われ、無病息災で過ごせる


    「柱」の漢字の成り立ちは「木」+「主(燭台で静止している火)」で、「動かない木」を意味。
    日本では樹木に神が宿るとされたことから、ご神木など樹木に対する信仰があり、神を「柱」と数える

    出雲大社の建築様式・大社造りは9本の柱を「田」の字に配置して、神殿を地面より高い位置で支える。弥生時代の高床式住居が基となる最古の建築様式


    出雲の神々の守護神的存在が、太陽神・アマテラスと並ぶ最高神・タカミムスヒ。
    「産霊(むすひ)」とは神道における万物を生み出す力。
    『日本書紀』ではタカミムスヒが出雲大社の建設を指示したとされる

    古典に残る最初の鬼の記述は、『出雲風土記』にある阿用郷(あよのさと)の一つ目鬼



    大正時代に将門の首塚があったのが、まさに無惨と鬼殺隊たちが地上に戻ったポイント
    3階建てほどの煉瓦造りの建物が整然と並んでいる風景は当時の日本ではは大手町と丸の内。

    大正時代の大手町は大蔵省や内務省があった官庁街で、第184話で描かれた地上への排出ポイントの奥には、大蔵省印刷局によく似た建物。
    当時の大蔵省印刷局は事業の拡張に伴い建物も増築され、現在の常盤橋公園から神田橋付近までに及ぶ広大な敷地。

    「一丁倫敦(いっちょうろんどん)」と呼ばれた3階建て煉瓦造りのオフィスが並んだ、大正時代の丸の内の風景と酷似。
    排出ポイントの大手町から戦闘を重ねながら丸の内がある南へ移動していった


    鬼殺隊の出身地
    炭治郎(雲取山)、悲鳴嶼行冥(日の出山)、時透無一郎(景信山)、嘴平伊之助(大岳山)、
    不死川実弥・玄弥(中央区京橋)、栗花落カナヲ(墨田区本所)、胡蝶しのぶ(北区滝野川)、我妻善逸(新宿区牛込)
    冨岡義勇(中野区野方)、煉獄杏寿郎(世田谷区桜新町)、甘露寺蜜璃(港区麻布台)



    藤原秀郷たちの追討軍によって追い込まれ、将門は雲取山へと逃げ延びた。
    雲取山にはこの時の将門の足跡が「将門迷走ルート」として残っている。
    将門の妻・紫の前が自害した場所、将門の7人の影武者のわら人形が岩に変化した場所、家臣の妻や姫99人が自害した場所

    金剛寺で将門は「我願い成就あらば栄ふべし。しからずば枯れよかし」という句を残す。
    梅の枝を地面に突き刺し「わが願いがかなわないならば枯れよ」するとこの梅の木の実は、おかしなことにいつまでも熟さずに青々としたままだった。
    そこから「青い梅=青梅」の地名


    陰陽道でいう鬼門が丑寅(北東)の方角だから、鬼は牛の角と虎の牙を持って、虎皮の褌を着けている

    日本では古くから「鬼」という字を、「かみ」「もの」「しこ」などとも読んでいた、ものはモノノケ、しこは醜い

    鬼という言葉には、精霊や祖先、先住民族などの意味もある。時代が下るにつれてネガティブなイメージが強まる

    謡曲の『大江山』では討ち取られそうになった酒呑童子が、「鬼神に横道なきものを」という有名な台詞を発す。「鬼には嘘や邪悪がない」

    桃太郎と家来の動物たちは五行でいう「金」、鬼は「木」。桃太郎は、金が木に克つという五行説の理を表している。
    鬼伝説の地には鉱山が多いことから、鬼退治を鉱物資源の争奪とみなす説



    1637年に出版された「方法序説」は、本来は、「屈折光学」「気象学」「幾何学」という三つの科学論文集の前に付けられた序説。
    少し前に、ガリレオがローマ教皇庁から断罪され、デカルトは慎重になり、『世界論』という本の出版計画を変更し、できあがったのがこの科学論文集

    『方法序説』は、細かく六部に分かれているが、後世への影響という点で最も重要なのは第四部

    「実生活では、不確かな意見にも従う必要があるが、真理の探究にあっては逆でなくてはならない。わずかでも疑いうるものはすべて誤りとして廃棄すべきだ。
     そうやって廃棄していくと確実なものとして残るのは、まさに私が疑い、考えているということ、それだけである。ならば、考えている私は何ものかでなくてはならない」

    このあと、デカルトは、「疑う私」を出発点として、神の存在を証明

    その後の哲学史には、デカルト応援派と批判派が現れた。
    近代の哲学は、デカルトの命題を補強したり、逆に批判したりすることを軸にして展開した



    マルクス主義の思想家ベンヤミンは、ナチスからの逃亡の途上、ピレネーの山中で自殺。
    この逃避行にも携行した、彼の絶筆原稿が「歴史の概念について」、十九のテーゼから成る短いテクスト

    普通の歴史は、均質で空虚な時間を前提。その空っぽの容器のような時間を、大量の事実で埋めていくのが歴史。
    諸事実は因果関係で結ばれて、物語のような叙述の中に並べられる。この意味で歴史は滑らかに連続している。

    それに対してベンヤミンが提起しているのは、ごつごつとした不連続の歴史、不連続な粒(モナド)の集まりのような歴史。
    過去へと眼を向けた「歴史の天使」は瓦礫の上に瓦礫が積み重なっているのを見る。

    歴史は「今の時」(不連続な粒のこと)に充ちた時間で、例えばロベスピエール(にとっては、古代ローマの(帝政に呑み込まれて消えた)共和政が今の時を孕む過去。

    歴史というものは一般に、現在を終点とする終末論の構成。歴史は、今がどうしてこのようなのかを説明しようとする。
    すると、今のこのあり方を形成するのに貢献した出来事が、因果関係にそって並べられる。
    今を「終末」とするこの歴史に記録されているのは、現在にその功績を留める広義の勝者たち。

    しかし、今この瞬間、歴史の連続性を壊す根本的に新しいことが起きた、あるいは起こされたとしたら、過去をそこから眺める「終末」が置き換わったことを意味。
    すると今の自分たちは、勝者になれなかった敗者――連続的な歴史の中で無視されていた失敗や願望――こそを継承していることに気づく。
    この過去の敗者が、今の時を孕む過去。ゆえに、革命は同時に過去の救済でもある。



    エドゥアール・グリッサン『〈関係〉の詩学』

    西洋に偏った人間概念に、別の特殊性(アフリカ系)を対置しているだけでは、前者の偽の普遍性を克服できない

    「黒人」の代わりに、グリッサンは〈関係〉という概念を提起

    例えば奴隷船(黒人奴隷を詰め込んでアメリカに運んだ船)は、〈関係〉のあり方の一つ
    奴隷船というイメージは、特定の地にルーツを求めることを拒否している。それは起源をもたない。

    ゆえに〈関係〉は、あらゆるパースペクティヴ(視点)から語られた歴史、想像的なものを含むすべての歴史を孕みうる媒体。

    過去を任意の未来を孕んだものとして見る「過去の予言的ヴィジョン」



    東京オリンピックは7月23日から8月8日まで
    東京パラリンピックは8月24日から9月5日まで

    菅首相の肝いりのデジタル庁は9月1日に発足
    菅首相の自民党総裁任期は9月30日に満了
    衆議院議員は10月21日に任期満了

    東京五輪までに、国民の4割以上にワクチン接種ができる
    9月6日に臨時国会を召集し、補正予算を通して、9月28日告示、10月10日に投開票というスケジュール


    東京パラリンピックが終わる9月5日までに、国民の70%以上にワクチンを接種して集団免疫を達成→コロナを打ち勝ったアピール→9月6日に臨時国会を召集、補正予算を通す→総裁選で菅再選→9月28日告示、10月10日投開票で衆議院総選挙



    女性・女系天皇問題に関して、菅、野田聖子両氏は夫婦別姓問題を含めて基本的立ち位置で安倍晋三前首相と相容れない

    当選同期で極めて仲が良い安倍、野田聖子

    石破派からの離脱を既に決めた齋藤健元農水相(4回)は、浜田靖一元防衛相(9回・無派閥)が中心となり進めている野田聖子グループ結成に参加
    小此木八郎国家公安委員長・国土強靱化担当相(8回・無派閥)、佐藤ゆかり前環境副大臣(3回・二階派)などが出馬に必要な20人の推薦人に名を連ねる


    進次郎氏が菅義偉総理に進言した、'30年までに温室効果ガスを'13年度比で『46%削減』という目標が党内で反感
    政府内では『40%が限界』という線で調整。それが進次郎氏が菅総理に強く働きかけたこともあり、6%上積みされた

    茂木外相『あそこまで進次郎が張り切っているのだから、再生エネルギーの目途がついているのだろう』と嫌味
    当初40%が限界とされていたことに触れ『残りの6%は進次郎にやらせれば』

    菅義偉総理は閣僚らにも声を荒らげることがあるが、なぜか茂木氏にだけは及び腰で何も言わない


    「いつまで首相を続けて欲しいか」との質問に、87%もの有権者が「今年9月の自民党総裁任期までに辞めて欲しい」と回答
    秋以降の菅の続投を支持する有権者はわずか1割

    菅は、'05年衆院選での新聞社のアンケートに「女性天皇に賛成」と答えた前歴

    立憲民主党に一本化された選挙区でも、国民民主党支持の民間労組は、立憲と国民との間で正式に協定が結ばれない限りは動けないとして、立憲の支援要請を突き放す動きも

    安倍は次の衆院選挙後、細田派会長の元幹事長・細田博之を衆院議長に就任させ、自らがその後任の派閥会長に座るつもり


    東京地検特捜部が前経済産業相の衆院議員・菅原一秀の選挙違反事件で菅原本人を略式起訴
    特捜部は、有権者への供与金額が少ないことや本人が経産相を辞任したことなどを踏まえ、現金供与の事実は認定した上で一旦は起訴猶予とした。
    ところが検察審査会が起訴相当と議決し、検察が再捜査した結果、供与金額が増えたこともあって起訴する方針に転換


    「桜を見る会」前夜祭をめぐる政治資金規正法違反事件でも、特捜部は安倍の公設第一秘書の略式起訴で捜査を終結
    が、市民グループなどが安倍本人を起訴すべきだとして検察審査会に審査を申し立て、受理

    検察が「桜を見る会」前夜祭の問題を菅政権になった途端に事件化したことに安倍は不信感


    森友学園問題だ。財務省の決裁文書の改ざん問題を巡り、自殺した元近畿財務局の職員の妻が、国などに損害賠償を求め訴訟を提起。
    その裁判で5月に入り、国はこの職員が改ざんの経緯をまとめて職場に残した「赤木ファイル」の存在を初めて認め、近く裁判所に提出することを表明

    国はこれまでファイルが存在するか否かも明らかにしていなかった。
    この方針変更について、安倍は「明らかに、菅政権による安倍に対する脅しだ」と警戒


    2月1日、麻生側近である国会対策委員長代理の松本純が、緊急事態宣言下に銀座のクラブを訪ねていたことが週刊誌で報じられ、自民党を離党。
    離党させるという厳しい対応を決めたのは党執行部と菅首相で、事前の相談を受けなかった麻生は激怒

    同じ麻生派出身の総務会長・佐藤勉が、菅や国対委員長・森山裕に「離党させてけじめをつけるべきだ」と強く働きかけた
    麻生派の中で松本ら古参の麻生側近グループと佐藤ら新参組との確執がある

    麻生の望みは、自らが築いた大派閥を維持したまま、義弟である元総務会長の鈴木俊一に派閥会長を譲ること

    昨年9月1日、菅支持を最終確認する麻生派総会で、当選4回の元外務副大臣・鈴木馨祐ら若手議員5人ほどが次々と立ち上がり「派として河野さんを立てるべきだ」と発言

    麻生「現職の首相が出る総裁選に(その内閣で)閣僚を務めた者が出るべきではない」


    菅と麻生は、安倍政権を支える両輪だったにもかかわらず、消費税への軽減税率の導入の是非や、衆院の解散時期などを巡って真っ向から対立
    麻生の地元の福岡県の衆院補選や知事選で反麻生の候補を水面下で支援して当選させるなど、麻生の足を引っ張った

    麻生内閣で閣僚に登用されながら衆院選を前に麻生の足を引っ張った石破茂



    PCR検査陽性期間は、暴露後3日め(発症2日前)から発症後15日(70%が陽性)または33日(5%が陽性)です。
    陽性率は、15日めは70%、21日目では32%、28日目では12%、33日目になると5%のみに低下します。
    無症状の時期にも検査できますが、早すぎると偽陰性になります。

    抗原検査陽性期間は、暴露5日目(発症0日)から発症後5日目までです。
    無症状の時期に検査しても、検出できない可能性が高いです。陰性とでても、感染していないということにはなりません。まれに全く症状がなくても感染している人もあります。この場合は抗原検査陽性に出るでしょう。診察では判断できませんので、無症状の時期にはPCR検査を行なってください。

    ちなみに、他者への感染可能期間は、暴露後3日め(発症2日前)から発症後10日目までです。


    大阪を中心とした医療崩壊がヤバイ地域でも、そろそろピークアウトして、そのうち重症病床も空きが出てくる見通しが明らかになりつつある
    今延長しても、それが重症者数に関係してくるのは5-6週間後で、その間に、病床に余裕がでてくることがほぼ明らかになりつつある
    (陽性者数のピークの約3~4週間後に重症者数のピークが来ている。で、陽性発覚と感染の間に2週間のラグがあるから、約5~6週間のラグがある)


    収束は終息と違う
    収束というのは「特定の値(この場合はゼロ)に向かって近づいていく現象」を言います。微積の微分の時に使う概念


    1)過去のデータに基づいて「重症者数の推移モデル」をつくり、そのモデルを使って緊急事態宣言を「解除した場合の将来の重症者数」と「解除しなかった場合の将来の重症者数」を推計し、
    2)解除しても医療崩壊しないかどうかを確認し、その確認がとれれば、解除する、
    3)それと同時に、解除後にどの様に感染を抑止していくかを、その副作用の程度も考慮しながら検討する


    自粛率は、感染者数の下落に直接貢献するのではなく「感染増加率の下落」に貢献する「間接的影響」



    御所千度参りは、天明7年6月7日 (1787年7月21日)に発生した、京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをした事件
    天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達した

    後桜町上皇からは3万個のリンゴ(日本で古くから栽培されている、和りんご)が配られた。有栖川宮や一条家などでは茶が、九条家や鷹司家からは握り飯が配られた。

    光格天皇がこの事態を憂慮し、京都所司代を通じて、江戸幕府に飢饉に苦しむ民衆救済を要求。これは、禁中並公家諸法度に対する明白な違反行為。
    天皇の叔父でもある関白鷹司輔平も厳罰を覚悟して、同様の申し入れ

    幕府は米1,500俵を京都市民へ放出することを決定
    この背景には、天明の大飢饉




    江戸後期になると神を自認する者、他の人々によって生きながら祀られる者(イキガミ)が数多く出現

    山崎闇斎(1618?1682年)に始まる垂加神道
    吉田神道が主張する、天皇に奉仕することによって死後神の座に列なることができるという思想

    吉田神道や垂加神道では特定の人物の霊魂に「霊神」「霊社」号を付与して祀る

    山崎闇斎を始祖とする崎門学派の若林強斎(1679?1732年)は、垂加神道の秘伝を論じた『神道大意』において、
    「現人神である天皇に尽した人間はだれでも、八百万神の下座につらなり、君上を護り奉り、国家を鎮むる霊神となる」

    天皇に対する献身の度合いによっては、現世の序列を一気に飛び越えて天皇の近隣に座を占める


    烏伝神道の教祖・賀茂規清は天保14(1843)年、寺社奉行所に意見書『蟻の念(ありのおもい)』を提出
    江戸市中における無縁仏の増加と過去の忠孝者の忘却への対策として、人工の山としての「忠孝山」の築造を提案

    隅田川などの川を浚渫して出てくる土砂を用いて、深川河口に高さ27メートルに及ぶ9段の築山を設けるという壮大な計画

    山上には「御宮」を建て、9段の最上段には瓊々杵尊・天孫降臨に随伴した三二神・東照宮・三河譜代の神々・天子を祀る。
    以下、2段には准后、3段には大臣以上と身分に応じて「国家」の功労者を配し、9段目には農工商の身分の者


    招魂社の直接的な源流は、文久3(1863)年の高杉晋作の発議によって下関に設けられた桜山招魂場
    長州藩と列強4ヵ国との間で起こった紛争(下関事件)での奇兵隊の戦死者を供養
    のちに吉田松陰や山縣有朋など多くの霊が加えられて、現在391柱

    高杉晋作も、名字を持たない庶民層の出身者も、石塔はすべて同じ大きさで統一

    戊辰戦争のさなかの明治元(1868)年5月、
    新政府は嘉永6(1853)年以降、「皇運を挽回せんとの至情より尽力」し、「国事」に命を捧げた「諸士および草莽有志 の輩」の「忠魂」を慰めるため、京都の東山に祭祀施設の建設

    さらに、新政府はみずからの手で国事殉難者の慰霊を行うべく、翌年には九段の地に招魂社を建立し、諸藩から報告された戦没者3588名の霊を招く招魂式
    靖国神社創建(1897年)


    中世において日本が神国である理由は、遠い世界の存在である仏がこの国ではかろうじて、神の姿をとって現れたからだった
    近代のそれは、彼岸の超越的存在の前に天皇の機能が相対化されていた中世の神国思想とは、まったく構造を異にする

    日本に、天皇の権威を相対化し、独自の公的空間を立ち上げる可能性をもった存在が消失した背景には、近世成立期に起こった宗教勢力の徹底した解体と宗教的権威の政治権力に対する屈服があった
    法華一揆・一向一揆・キリシタンなど、世俗の権力に対する聖なる権威の優越を標榜する勢力は根こそぎにされ、参加者は老若男女を問わず惨殺

    彼岸の救済者の観念が後退する近世では、死者が祖霊となるまで供養を続けることが、慰霊のための必須の要件


    19世紀の農村では商品作物の生産に対する商業資本の介入、貨幣経済の流入、格差が広がり、貧農の窮乏
    幕末に頻発する一揆や打ち壊しの原因
    通俗道徳を旗印にする二宮尊徳や大原幽学らがその仕法を実践したのがこうした村落



    「オリーブの木構想」のミニマム版となる「諸派党構想」を当初計画していた4年後の参院選ではなく、来年に前倒し

    「諸派党」はNHK受信料問題を追及するNHK党のようにワンイシューを掲げる政治団体を集結させ、
    参院の比例区で各団体の代表者による統一名簿を作成するというもの

    投票上位の候補者は当選する可能性があり、国政政党であるNHK党がプラットフォームになることで、得票数に応じ、政党助成金を各団体に分配
    立候補に最低3300万円要した供託金も1人600万円でハードルが低くなる

    「諸派党は国民の政治への不満を拾うのが目的。50とか100くらいの政治団体が加盟してくれると思っている」と立花氏

    参院選は各選挙区と全国比例、衆院選は各選挙区と一部比例ブロック(北海道、東北、北陸信越、中国、四国)に供託金のみで出馬可能
    当該候補者の得票数で得られる政党助成金(得票数割)の7割を、寄付として政治団体へ分配(女性の政治参加を応援する目的で、女性候補者は10割)



    大化の改新以後、武蔵国がおかれ、その国府は府中市付近におかれた。府中の名前は国府の中心を意味

    大國魂神社は景行天皇の111年に創建と非常に古い神社。源頼義・義家が奥州に向かう際に戦勝祈願するなど由緒ある神社

    百足退治伝説や平将門討伐で有名な藤原秀郷も府中に縁があり、現在の高安寺付近に館跡があった

    源頼朝と義経の兄弟の関係が悪化し義経と弁慶が鎌倉入りを拒否されたのち、府中市付近に立ち寄った。府中市片町付近に弁慶橋、弁慶坂、弁慶井戸(高安寺)

    鎌倉幕府滅亡時の分倍河原の合戦。鎌倉幕府軍が初戦を勝ち。しかし盛り返した新田義貞軍に打ち破られて鎌倉幕府は滅亡。
    鎌倉幕府の命運を事実上決めた戦いの舞台。その後も南北朝時代に新田軍と足利軍による人見原の戦いが発生

    江戸時代、甲州街道の経路にあり、府中宿は29軒の旅籠をもつ大きな宿場町として成長。現在の町名などにつながる名前はこのころのもの

    くらやみ祭りは昭和30年代前半まではリアルで町ぐるみ乱○パーティーだった

    『中央フリーウェイ』 - 松任谷由実。中央高速道路から見える、ビール工場、競馬場などの風景が歌われている、
    東京競馬場で行われる「フリーウェイステークス」では本馬場入場曲としてこの曲が使用される

    『ちはやふる』 - 小学校編の主人公たちがいる都市は、東京都府中市がモデルとなっている

    奈良時代から平安時代にかけて、国府には朝廷から派遣された国司(地方官)が政務をつかさどった。
    しかし国府は平安時代以降に廃絶され、現代ではどこにあったか判明していない地域も多い

    府中という地名は、同地に武蔵国の総社(複数の神社の祭神を1か所にまとめた神社)の大國魂神社があるため、伝承により名付けられた

    1975年以降に行われた発掘調査によって、国衙(こくが。国司が政務にあたった役所)が発見され、位置が判明。
    その後も発掘調査は続けられて、住居だけでも、これまでに4000軒あまりが発掘

    奈良時代の都と関東地方を繋ぐ幹線道路は東山道
    東山道は畿内(きない。京都に近い山城・大和・河内・和泉・摂津の5か国)から毛野国(けぬのくに。現在の群馬県と栃木県南部)を通って陸奥国(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)へ至る
    武蔵国はこの幹線から外れていたため、国府に向けて武蔵路という支線が設けられていた

    安閑天皇元年(534年)に、武蔵国造の乱 国造(くにのみやつこ)とは、大化の改新(645年)以前における世襲制の地方官
    笠原直使主(かさはらのあたいおみ)と小杵(おき)が争い、小杵が上毛野国造の上毛野小熊(かみつけののおくま)と組んで使主を殺そうとしたため、朝廷が小杵を誅殺し、使主を武蔵国造とした

    このとき、横渟(よこぬ)・橘花(たちばな)・多氷(たひ)・倉樔(くらす)の4つの屯倉(みやけ。大和朝廷の直轄領)が設置された

    武蔵国南部では、府中市の武蔵府中熊野神社古墳などのいくつかを除けば、目立った古墳は見当たらない。
    対して北部は、埼玉県行田市の埼玉古墳群のような巨大古墳。
    ここからわかるのは、有力者とそのしがらみが多そうな北部を避けて、朝廷の拠点が長らく存在していた南部に国府が置かれた

    武蔵国府の中心地は東京競馬場の北西あたりで、市の中心部はもちろんのこと、多摩川流域の低地からは一段高い台地
    多摩川の水運を使った物流ルートに接した場所にあり、かつ土地の標高も高くて水害の危険が低い土地を選んで国府が置かれている

    武蔵国は相模国(神奈川県の一部)や下総国(千葉県北部と茨城県の一部)とも活発に往来するようになり、771年には行政区分が東山道から東海道へと変更
    そうであれば、多摩川の南側には多摩丘陵を貫いて相模国府と繋ぐ道も整備されたのではないかと考えられるが、まだ発見されてない



    インドのカレーは、さらっとしているし、ビーフカレーやポークカレーはない
    インドのカレーは、シナモン、カルダモン、クローブ、胡椒、クミン、ターメリック(うこん)など、何種類ものスパイスをすりつぶし、
    混ぜ合わせたものを一種の調味料にして、野菜や豆、ときには肉や魚介類を入れてつくる

    カレーの語源は、南インドのタミル語のカリ(汁)

    小麦粉を入れてとろみをつけるようになったのは、18世紀末頃にイギリスに紹介されてから
    調合済みのカレー粉が誕生し、牛肉料理などのソースに使われて広まった

    19世紀に日本に渡来。カレーは西洋渡来の洋食の一つとしてハイカラなイメージで広がっていった
    大正時代に、ソース型から、ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、牛肉あるいは豚肉などの具がいろいろ入り、黄色みがあって、やや辛いという、シチュー型のものに日本化

    ジャガイモ、ニンジン、タマネギは、明治時代以降に普及した新顔の野菜


    人口比率で見るとコメを主食にしている人が圧倒的に多く、世界の約半分の人口を占める。
    その次がコムギ、そしてトウモロコシが続き、これらは世界三大穀物。次いで多いのがジャガイモ

    コメは、イネ目イネ科イネ属の植物の実(種子)の皮をむいて食べられるようにしたもの

    作物としてのイネは、野生のイネ科植物と比べて1粒の実がとても大きく、デンプンが多く詰まっている。
    実はいっせいに(同じ時期に)熟す。しかも、熟しても地面に落ちずに、稲穂に留まっている

    野生のイネは花が開いて自分の花粉がめしべについても受精しない。
    他のイネの花粉がめしべにつくと受精する「他家受粉」という性質を持っている。つねに他の花の花粉がついて雑種になる

    栽培されたイネは、花が咲くとすぐに自分の花粉がめしべにつく自家受粉によって受精し、実ができる
    人類は、大きい粒のもの、落ちにくく、一度に熟すものを選んでいった


    ジャガイモは、、チリの山のなか。
    アンデス山地あたりにはいまもジャガイモの野生種、毒があって食べられない

    最初、ジャガイモは観賞用。紫の花を愛でた。
    ジャガイモはスペイン人が野蛮人扱いしていたアンデスの先住民の大好物だったため、気位が高いヨーロッパ人は下品な食べ物とした。動物と貧民の食べ物とされた

    1662年にイギリス・サマセット州のある農場経営者は、「ジャガイモがあれば飢饉のときにこの国を救うことができるでしょう」とロンドンの王立協会に文書で提案
    ジャガイモは高い生産力を持ち、収穫部分が地下にあるため冷害を受けにくく、生育が100日足らずで凶作に強い

    まず食料不足が目立ったアイルランドで広く利用された。アイルランドでは主食となった
    その後、北アメリカへ伝えられ、1718年から動物の飼料として栽培されると、1800年頃には裕福な人々も食べるように

    アイルランドで1846?1847年にかけて始まった飢饉で、75万?100万人が餓死し、100万人以上が国を出てアメリカやオーストラリアに渡っていった。
    ジャガイモが目に見えないジャガイモエキビョウキンに感染したことによる大凶作

    プロイセンでは、18世紀にフリードリッヒ大王(2世)が、拒否する農民には耳と鼻を切り落とすと脅してまでジャガイモを栽培させた

    フランスでは、1771年にある学会が、飢饉のときにコムギに代わる食料を発見した人に多額の賞金を与えると発表
    農学者アントワーヌ=オーギュスタン・パルマンティエ(1737?1813)はジャガイモを提案

    マリー・アントワネットは、ある日の夜会で髪にパルマンティエから贈られたジャガイモの花を飾った。
    すると、パリ中がジャガイモという物珍しい植物の噂でもちきりになった

    ジャガイモは、18世紀以降のヨーロッパの人口増大に大いに貢献

    日本へは戦国時代に、ジャワ(ジャガタラ)から来たオランダ人によって伝えられてジャガイモ(ジャガタライモ)

    広く栽培されるようになったのは肉食が普及する明治時代以降。
    ジャガイモは肉類と一緒に食べるとおいしさが出る。そのため、同じように渡来したサツマイモとは異なる


    家畜化は、イヌで1万4000年前、メンヨウ(ヒツジ)、ヤギ、ウシ、ブタで約1万年前、ウマで5000年前、ニワトリで4000年前

    イヌやブタは野生のときに人間の食べ残しの掃除屋的な存在として生活圏のまわりにいた。
    ウシやヒツジは群れで生活をし、集団のなかではボスに従う性質が強いので、人間が管理しやすかった


    イノシシを家畜として長い年月をかけて改良して、ブタにした

    イノシシは、ブタに比べてずっとスマートだし、鼻ずらが長く、性質も荒々しく、動作も機敏
    ブタは、性質もおとなしく、下半身が太り、鼻の骨が短く、しゃくれ顔
    ブタは、イノシシより発育が早い。体重が90キログラムになるのに1年以上かかるイノシシに対し、ブタでは6カ月ほどで済む

    イノシシはふつう年1回、平均5頭(3?8頭)の子を産むが、ブタは年に2.5回も産ませることが可能。子の数も平均10頭以上、種類によっては30頭近く産む
    子どもを産めるようになるのに、イノシシでは2年以上かかるのに対して、ブタは、わずか4カ月から5カ月で子どもが産めるまでに成熟

    ブタは、キバになる歯を乳歯のときに折り取っている。イノシシにある尾も、ブタではお互いに尾をかみ合ったりするので切られる



    フランスではビーガンの人口に占める割合は0.5パーセント。フランスの人口は約6500万人なので、32.5万人がビーガン

    耕作地は、本来は自然生態系で、そこを開墾して作物を栽培しているわけで、もともとそこに棲んでいた多くの野生動物を結果的に死に追いやった
    作物を食べる害虫も殺戮


    人類以外の類人猿(オランウータン、ゴリラ、チンパンジー)は人間的な感覚で言えば動物性たんぱく質も少しは食べるベジタリアン

    チンパンジーと約600万年前に分岐した人類の祖先も基本的にベジタリアンであった

    サヘラントロプス、オロリン、アルディピテクス、アウストラロピテクスと連なるホモ属以前の人類の脳容量は500ミリリットルを超えることはなかった
    チンパンジーは約400ミリリットル

    アウストラロピテクスからホモ属が分岐する少し前のアウストラロピテクス・ガルヒ(約250万年前)あたりから肉の摂食量が増えて、ホモ属になった途端に脳容量は飛躍的に増大
    最も原始的なホモ・ハビリスで650ミリリットル、ホモ・エルガステル900ミリリットル、ホモ・エレクトス1200ミリリットルとどんどん大きくなり、
    現生人類(ホモ・サピエンス)では1350ミリリットル、ネアンデルタール人は1450ミリリットル

    ネアンデルタール人の脳容量が現生人類より大きいのは、肉食の依存度がより高かったからという説
    約200万年より少し前に、ホモ属に進化するアウストラロピテクスから分岐したパラントロプスは植物食で、脳容量は500ミリリットル

    脳組織の50?60パーセントは脂質でそのうちの三分の一はアラキドン酸やドコサヘキサエン酸といった多価不飽和脂肪酸で、肉や魚に多く含まれている


    植物は水とCO2を原料として主として太陽光のエネルギーで、炭水化物を作って生きているので、他の生物を食べることはない

    筋肉細胞を作り出す体性幹細胞を培養して、ここから肉を作れば、動物を殺さずに肉を食べることができる

    今、地球上でもっとも個体数が多く繁栄している大型動物は、人間を除けば、牛、豚、羊などの家畜




    戦後日本のポピュラー音楽は、アメリカ軍基地とその周辺にあるジャズ喫茶などの音楽関連施設を通じて発展した

    女性アイドルのパイオニア的存在である南沙織は1971年、「17才」でデビュー

    72年には男性4人、女性1人のきょうだい5人編成のフィンガー5がデビュー
    父親がアメリカ軍関係者向けバーの経営者だった

    1990年代、沖縄アクターズスクール(1983年開校)出身の安室奈美恵、MAX、知念里奈、SPEED、DA PUMPらが次々とブレーク

    ストリートダンスをフィーチャーした番組『少年チャンプル』(日本テレビ系、2004~2005年)



    嘴の上部にある角質突起は嘴に沿った単純な形状で、角状にはならない。眼の周囲や喉には羽毛がなく、赤い皮膚が裸出する。メスは喉の裸出部に青色部がある
    主に昆虫、陸生の巻貝類、両生類、爬虫類を食べるが、ノウサギ類ほどの獲物を食べることもある

    生息地では薬用になると信じられたり、干ばつなどの際に伝統的な儀式で用いられることもある
    ガラスに映った自身を攻撃して割ってしまうことがあり、害鳥とみなされることもある

    嘴は大きく、上嘴の基部に、種により異なるさまざまな膨らみがある。これをサイの角にたとえサイチョウと呼ぶ。膨らみは非常に大きな種もいるが、内部は海綿状で軽い。

    アンゴラ、ウガンダ、エスワティニ、ケニア南部、コンゴ民主共和国南東部、ジンバブエ、タンザニア、ナミビア北部、ブルンジ、南アフリカ共和国東部、モザンビーク、ルワンダ、レソト



    柏の名の由来は諸説あるが、河岸(杭の意)場に由来するという説

    柏駅周辺はストリートミュージシャンが多く、連日多くの若者が集まり、若者層をターゲットとした商店も多い。
    「東の渋谷」と表されることもあり、特に柏駅東口側(柏神社・柏郵便局付近)は個人商店が多く、裏原宿のようになっていることから、「裏かしわ(通称:裏カシ)」などと呼ばれる

    江戸時代には水戸街道の宿場町である小金宿と我孫子宿の中間に位置する小さな集落であった。1896年の常磐線柏駅開業により柏の発展が始まった。
    東葛地域では明治以前に栄えていたのは水運の便がある松戸・流山・野田などであり、現在の柏の中心市街地に当たる柏村は水戸街道沿いにありながら宿駅ではなかった



    古代にアビコ(吾彦・我孫・阿比古・網引などと書く)の姓を持つ氏族が、畿内から当地に移住したことに由来するという説

    江戸時代には水運が栄え、特に東端の布佐地区は利根川の主要な河岸。

    大正時代から昭和初期にかけて我孫子は「北の鎌倉」と称される
    志賀直哉、武者小路実篤、柳宗悦、バーナード・リーチなど多くの著名な文化人が居を構えたり別荘を持ったことで白樺派の拠点




    鳥取県は大陸に近く、中国文化の流入が進んでいた。たたら製鉄など鋳造技術はかなり発展
    多くの銅剣、銅鐸が出土。砂丘地帯や大山山麓に縄文遺跡、弥生遺跡が分布し、古墳も数多く発見

    当時の鳥取は湿地帯で、水辺に集まる鳥をとらえて暮らす狩猟民族が住んでいた。
    大和政権成立以後、彼ら狩猟民族は”鳥取部”として従属し、そこから”鳥取県”の呼び名が出来た

    大化の改新後、因幡・伯耆の国として統治される。
    大伴家持が因幡国司に命じられる


    因幡の白兎
    サメに毛をはぎ取られてしまったウサギが大国主に助けられる。
    白兎神社には伝説となった池

    山名氏が因幡・伯耆の国を守護として支配

    天文年間に山名誠通が久松山頂に三層の櫓を築き、城郭を形成。鹿野・智頭・若桜の三街道を中心に町並みが整備

    池田氏により鳥取城が建てられる。(1632年)

    廃藩置県により、因幡・伯耆・隠岐の国が合併されて鳥取県が成立(1871年)
    5年後(1876年)に島根県と併合される。
    地元の名士たちの反対により、さらに5年後(1881年)に隠岐島は島根県に残したまま、鳥取県が分離

    伯耆国風土記によると手摩乳、足摩乳の娘の稲田姫を八岐大蛇が喰らおうとしたため、山へ逃げ込んだ。
    その時母が遅れてきたので姫が「母来ませ母来ませ」と言ったことから母来(ははき)の国と名付けられ、後に伯耆国となった


    千光寺山から見下ろす尾道の町は箱庭のよう小さい
    それに比べ、西国寺や浄土寺の伽藍は不釣合いなほど立派だ
    尾道三山に鎮座する25の寺院は、瀬戸内全域の守り神なのだ

    迷宮のような山麓部の町並みの歴史は意外と新しく、明治中ごろ以降、鉄道の敷設を契機に住宅や別荘が建ち並びました。
    それまで、千光寺山、西国寺山、浄土寺山の、いわゆる尾道三山は、古刹が伽藍を広げる神聖な地だった

    海際まで迫出した山々、狭い平野部、向島を始めとする対岸の島々
    尾道の港は、せまい水道をはさんで対岸に向島があるため、潮の流れはいくぶん速いものの、天然の良港

    潮の干満に伴って起きる瀬戸内の潮流は、紀伊・豊後両水道を迂回して流入し、中央部の広島県福山市の鞆の沖合で合流
    「潮待ちの港」といわれる鞆の浦と同じく、尾道の港も潮待ちの船が多数停泊していた

    平安期 ・・・ 後白河法皇による倉敷地公認
    建武期 ・・・ 足利尊氏の天下取りに協力
    室町期 ・・・ 対明貿易と石見銀山の積み出し港
    江戸期 ・・・ 北前船による豪商達の栄華
    明治期 ・・・ 鉄道敷設と山麓部の市街地化

    嘉応元年(1169)、後白河法皇により、尾道の地が備後国大田荘の倉敷地(年貢米の保管・積出港)の指定を受け公認
    13世紀頃には、尾道倉敷地(船津)に加え、他領の年貢輸送を請け負ったり、航行する船から「津料(通行税)」を徴収するなど、荘園の従属から離れ、港湾の独自性が発揮

    中世の海運業者は、「梶取(かじとり)」とよばれ、彼らが、海の見渡せる山の手に、船の安全を祈願して寺を建立

    建武三年(1336)、京都を追われた足利尊氏は一旦西国へ下向しますが、浄土寺で戦勝挽回を祈願して、空教和尚に徳良郷の地頭職を寄進することで、尾道の梶取らを味方につける
    室町幕府を開いた尊氏は、尾道の恩顧に応え、浄土寺利生塔を建立し、灯明料として多くの荘園を寄進し、寺宝を治めて殺生禁断の浦として外護
    貞治六年(1367)、二代将軍義詮は、父尊氏の遺志を受け継ぎ、尾道浦の豪族万代道円の求めに応じて天寧寺を建立し、幕府の海上進出の中間基地とした

    室町時代、山名氏は備後国の守護職を160年にわたって務め、尾道もその管轄下。
    山名氏は尾道港を基地として、明国を相手に貿易。主要な対明貿易品は、中国山地の銅や日本刀。
    その頃、尾道には「其阿弥(ごあみ)」と証する刀匠の一類がいて、明国ではこの日本刀を「神品」として非常に珍重。
    その山名氏は、長年にわたり西国寺に莫大な寄進

    室町時代末期には、世界有数の銀山として知られていた石見銀山の銀を運んだ石州街道(石見銀山街道)が尾道に通じ、ここから時の権力者の都に向け銀が船積み

    尾道は明治24年に鉄道開通しますが、尾道三山の中腹にある寺院の参詣路が分断され、線路敷きにあった多数の家屋が立ち退き
    古刹が伽藍を広げる神聖な地であった山麓部の中腹には、移転民家が立ち並ぶ
    移転民家の建設が契機となり、豪商達が先を争うように山手に「茶園」と呼ばれる別荘建設


    人間は5つ以上の感覚を持っている。分類の方法は何種類化あるが多いと20以上
    皮膚で感じる触覚は、圧力を感じる触覚以外に、痛みを感じる痛覚、温度の高低を感じる温度覚、他にも振動を感じる、位置を感じるなどはそれぞれ独立した感覚として分類されている。
    他にも飢餓感、喉の渇きなども感覚として分類されている。

    ハワイのマウナケアは、海の中まで計算すると、海底にあるマウナケアの麓から頂上までは10,200メートル
    エベレストの8,848メートル

    低温・高密度の条件でガラスは、固体の条件となる規則正しい構造となる。石材を溶解して混ぜているため構造が不安定なだけの固体

    鳥の嗅覚はそれほど鋭くなく、どこからでもゴミを漁りに来るカラスなども嗅覚は非常に鈍く、視覚で獲物や食事を探している

    カメレオンは、体温や感情の影響で、怒ったり、興奮したり、警戒したりという感情の起伏で色が変わる

    フレンチキスって軽い「チュッ」って感じのキスをイメージしてしまいますが、実はディープキスのこと

    和牛は黒毛和種、褐色和種、日本短角種、無角和種の四種。国産牛の中でも、限られた品種だけが和牛と呼ばれている。国産牛=和牛ではない

    骨が折れて皮膚から飛び出すことを複雑骨折という

    スイートルームは居間や寝室などが一続きになっている客室のこと。スイートのスペルは、「甘い」という意味の「sweet」ではなく、「一続き」「一組」を意味する「suite」

    処女膜といっても、膣が膜で塞がれているわけではない。ヒダがあって、せまくなっているだけ

    役不足は「役がショボくて俺クラスには不足だよ」という意味

    確信犯は「本人は悪いことではないと確信して行われる犯罪」のこと

    ウサギは自分のうんこを肛門から直に食べる。
    植物だけを食べる動物の胃腸にすむバクテリアは、植物を分解することで増え、うんこと一緒に出てくる。これを再び食べることでタンパク質などの栄養をとっている

    コアラの主食であるユーカリには、猛毒の青酸やタンニンなどが含まれている。
    この毒入りの葉っぱが食べられる体になったことで生存競争に勝ち残ったコアラだが、栄養も少なく解毒にエネルギーを費やすため、省エネで一日中寝るしかなくなってしまった

    土の中にいるネズミの動きさえ感じとれるほど敏感な耳を持つサーバル。しかしビュービューと風が強くふく日はこの武器が仇となり、なかなか獲物の居場所が突き止められない

    生まれたては真っ白で、両親から口移しでもらうフラミンゴミルクという赤い液体を飲んで、徐々に羽が色づくフラミンゴ。
    逆に両親は色が抜けて白くなってしまうが、白いとモテないので、子育て後はカロテンという色素を含む藍藻を食べて羽の色を必死に戻す

    「パンダ」は「竹を食べるもの」という意味のネパールの言葉が由来。後にジャイアントパンダが発見され、小さいという意味の「レッサー」が付けられた。
    つまり「パンダ」の呼び名を、後から見つかったジャイアントパンダに奪われてしまった

    チンパンジーは自分で自分をくすぐって笑う。
    自分でわきの下や足の裏をくすぐったり、石などのでこぼこした場所に体をこすりつけたりして笑顔を見せる

    スローロリスは動きがのろいサルの仲間。昆虫は動きの遅いものは風景と見分けがつかず、スローに近づかれると簡単に捕まえられてしまう

    サバンナモンキーは、金玉が青ければ青いほど偉い

    クマは冬眠中、おしっこはたまったものが再び体に吸収され、うんこは「とめ糞」という、かたいうんこでお尻の出口をふさぐ。
    春になって目覚めると柔らかい草を食べてお腹にガスを溜め、このとめ糞を勢いよくオナラでお尻から発射

    大昔に他のクマなどにすむ場所を追われ、生存競争に負けたせいで、栄養が少なく消化の悪いササを一日かけて大量に食べるハメになったパンダ

    敵に襲われると巣穴に頭を突っ込み、かたいお尻で防御するウォンバット。
    うんこはサイコロ状。自分のなわばりの目印にうんこを使うため、転がりにくい四角いうんこになった

    ナマケモノは、7~10日に一度、うんこのためだけに地上に降り立つ。一日の食事量が8gほどと少食なので、その頻度

    牛は色弱なので、闘牛士の旗の赤色に興奮しているのではなく、ぱたぱたと揺れるところに反応している

    卵子の外側の層を破る前に、いくつかの精子によってすり減らされている。つまり遅くに来て、仕事はしてない精子

    毛を剃っても毛深くなったりはしない。毛の根元は太いので、剃った断面が広く毛が濃くなったように見えるだけ

    セブンイレブンのELEVENのNだけ小文字
    SEVEN(7)とELEVEN(11)だけでは、単なる一般名詞であり商標登録出来なかった。Nをnとすることで、独自のデザインになる

    聖書の中で悪魔が殺した人数は10人、神が殺した人数は2,038,344人

    日本では癌と同じくらい中絶で亡くなっている

    「爆笑」とは大勢の人が一斉に笑うこと

    「地震・雷・火事・おやじ」おやじは「大山風(おおやまじ)」もしくは「大風(おおやじ)」であり、「台風」の事

    高濃度茶カテキンが原因と疑われる肝臓障害がカナダで報告された。フランス、スペインでも12件の肝臓障害が報告されており、販売禁止措置もとられている。
    日本でトクホに許可した厚労省は、審議の議事録さえ十分に取らない杜撰な審査しかしていないことも判明

    Googleで「askew」と検索すると傾く
    「do a barrel roll」でくるくる回る

    カエルやヒキガエルを触ってもイボはできない

    イボがある人からはうつる。イボを形成するHPV(ヒトパピローマウイルス)は人から人へ感染する

    地球は楕円軌道を回っているゆえ、北半球では夏よりも冬のほうが太陽に近くなる。
    寒暖があるのは地軸が傾いているからで、北半球に垂直に日光が当たる時が夏になる

    河川法上、琵琶湖は一級水系「淀川水系」に属する一級河川

    ヒジはアゴにつけることができない

    パプリカ、ピーマンはナス科

    小さいお子さんがリカちゃんの小さなパーツ、例えば靴などを食べてしまっても、すぐに吐き出すように「にがい味」にしている

    大工が釘を加えるのは釘を濡らすことで錆びやすくさせ、打った後に抜けにくくするため

    人間はあらゆる脳の部分を違う時に違う過程で使っているので、“人間は10パーセントしか脳を使っていない” という説は語弊がある

    1940年代に英歴史学協会が、「コロンブス時代の人は地球平面説を信じていた」と述べたことから生まれた誤解で、中世のほとんどの学者は地球の球体説を支持していた

    ダイヤモンドは地球内部で、純粋な炭素に高温・高圧がかかることにより生成される


    ・パプリカとピーマンはナス科
    ・リカちゃん人形のパーツは「にがい味」。幼児が食べてしまってもすぐに吐き出すように
    ・再生紙を作るには、新しく紙を作るより石油が2倍以上も必要
    ・「暗い所で本を読むと目は悪くなる」は迷信
    ・サバンナモンキーは、金玉が青ければ青いほどモテる
    ・「地震・雷・火事・おやじ」のおやじは「大風(おおやじ)」で台風の事
    ・地球は夏よりも冬の方が太陽に近い。夏が暑いのは地軸の傾きで垂直に日光が当たるから
    ・牛は色弱だから、闘牛士の旗の赤色に興奮しない。動きにイラついてるだけ
    ・大工が釘を加えるのは濡らして錆びやすくさせ、打った後に抜けにくくするため
    ・聖書の中で悪魔に殺された人間は10人、神に殺された人間は2038344人
    ・フラミンゴのピンク色の体は藍藻で染めてる
    ・「パンダ」は「竹を食べるもの」というネパール語で、レッサーパンダのことだったが、後から発見されたジャイアントパンダのインパクトが凄すぎて、パンダという呼び名をもっていかれた
    ・コアラが一日中寝てるのはユーカリの毒が原因
    ・役不足は「役がショボくて俺クラスには不足だよ」という意味
    ・確信犯は「本人は悪いことではないと確信して行われる犯罪」のこと
    ・スイートルームは居間や寝室が一続きになってる部屋のこと。sweet(甘い)ではなく、suite(一続き)





    古事記上巻の3分の1の記述は出雲のものであり、全国にある多くの神社に出雲系の神が祭られている。大和政権が日本を統一した後も豊富な神話を伝えるなど、一大古代勢力であった

    姫原西遺跡や西谷墳墓群、荒島古墳群がある出雲平野、安来平野、意宇平野には、強大な国があったと推定できる。また、四隅突出型墳丘墓に代表される独自の文化を生み出した
    山間部で時代の特定できない「野だたら」の遺跡が数多く見つかっている
    古墳時代前期では、全国最大級の方墳である大成古墳・造山一号古墳にその繁栄の後がうかがえる

    出雲地域をはじめ北陸地方、東北地方に分布する「ズーズー弁」(裏日本方言)と古代出雲の関連性はしばしば指摘される。「ズーズー弁」が飛び地状に分布する理由として、かつて日本海側で広く話されていた基層言語の特徴だとする説

    『風土記』によれば「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」が国をつくるのに、出雲国は小さすぎるので各地から引いてきて継ぎ合わせた。継ぎ足されたところが島根半島の部分。
    東端の「三穂(みほ)の埼」は北陸から、西端の「支豆支の御埼(きづきのみさき)」は朝鮮半島の新羅から、
    その間の「闇見(くらみ)の国」と「狭田(さだ)の国」はそれぞれ「北門(きたど)の良波(よなみ)国」、「北門の佐伎(さき)国」から引いてきた
    引き寄せた国を固めるために立てたくいが三瓶山と大山になり、引いた綱は、園の長浜と弓ヶ浜となりました


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