いつもとちょっと違う水曜、今回は気楽に重い話をする記事[S]です。
こんなときに自粛しがちになってしまう私たちに、だから宗教大切とわかりやすく説明してくれたツイートを見かけました。
自粛による経済の停滞は深刻。でも、被災者を思うと楽しむなんて出来ない。そんな時は、例えばこんな風に神様を持ちだして、人間社会より上の次元に倫理の在りようを預けちゃうんです。宗教というのは、そもそもこういう使い方をするものなのですよ。 https://t.co/UqzsMn3a0R
天災とかで自粛ムードになってかえって世の中回らなくなるの、最近やっとよくないっていわれるようになったけど、実のとこ「神様が引きこもる様な災いが起こったら、自粛なんかせずお祭り騒ぎした方がいい」って対策が大昔からマニュアル化されてたりするから、神話とか伝えてくの本当に大事。 ― 清少納言 (@seisyounagon_)2016年4月18日
日本人には、自分は無宗教という人が多いですが、宗教っていうとなんか悪い宗教のイメージばっかり先行しているから、宗教なんて信じちゃいけないと考えてしまいます。
でも、日本人の大半は、神道と仏教の混ざったような宗教観をしっかりと持っていて、行動規範にしています。無宗教といいながら、とても信心深い日本教の教徒なのです。
面と向かってそれを聞けば、「いやそれは道徳だから」と答えるかもしれません。まあ言葉としてはそれでもいいかもしれませんが、人はその宗教か道徳か言葉はどちらでもいい「それ」が必要です。
なぜか。それが、冒頭で紹介した「倫理を預ける」ための道具が必要だからです。
一番有名なお題は、「なぜ人を殺してはいけないか」です。一見あたりまえのように思えるのですが、考え出すとこれほど難しい問題はありません。だから、宗教に預けてしまいます。神様がだめと言っているからダメと。この状況では、それは道徳だからだと言ってもほとんど同じに聞こえますが、やはりそういうものを必要としているのは確かです。また道徳に頼る場合は、かつて日本が戦争に突き進んだように、道徳は簡単に変わってしまうことを覚悟しなくてはいけません。
科学が発達したことで、いろんなことが科学的に説明できるようになったので、宗教の必要性は昔よりは減ったかもしれません。しかし、冒頭の例のように震災があっても、祭りをしなければならないといった、反射的には従いにくい倫理に従うには、「心を鬼」にする強さを持つか、「神に倫理を預ける」必要が出てくるわけです。
私はかつて自分は無宗教だと考えていたことがあります。それは、いろんな問題を徹底的に考えて、自分なりに答えを持っていたので、「人を殺しちゃいけない」ことにも「震災があっても自粛しない」ことにもその他諸々にもいちいち悩まなくて済んでいたからです。
でも私は今はそう言いません。なぜなら、何冊か仏教の本を手にとって読んでみたら、そうやって自分で考えた答えと同じようなことが、そこに書いてあるからです。しかもより洗練された形で。ああ、自分が悩むようなことは、昔からちゃんと考えてくれてたのかというわけです。もうあるんだったら、どんどん参考にすればいいわけです。
よほど考え抜いて無宗教だというならともかく、なんとなくであれば、ぜひ一度、良さそうな宗教の本を手にとってみるといいと思います。自分が悩んだような問題について人類が連綿と考えぬいてきた上での答えが書いてありますから。
ということで、被災地の方々の苦境に心を痛めつつ、できることがあれば実行しながら、今日も私たちは普段通りの生活を、むしろより積極的に営んでいきましょう。そこに迷いがあるのであれば、無宗教と言う名の自分教をもっと突き詰めるか、自分は仏教と神道の入り混じった日本教の信者なのではないかと受け入れてみましょう。たとえば冒頭の「神に預ける」話を「もっともだ」と受け入れることです。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: って、[S]なのに、いきなり振られましたがっ。
フツクロウ: ホッホ。