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生きながらにして伝説加藤一二三九段引退しました。最後の対局、終わった直後感想戦もせずに出てくとこ、タイムシフトでみました。
私が将棋を知った小学生の頃はまだ羽生善治とかいなくて(私が1歳歳上)、中原誠全盛の頃です。いや、中原こそ至高と思ってたので、その後まさか7冠やる天才が出てこようとは思ってもいなかった頃です。でもって、デビューにして連勝新記録を達成する天才が出てこようとは。
その中原十六世名人は、加藤一二三九段よりずっと歳下でしたし、とうの昔に引退しているわけで、なのに加藤一二三はまだ現役!!! 本当に生きながらにして伝説です。長生きするもんだ。
そんな加藤先生。負けたら、感想戦もせず片付けもせず帰ってしまいました。とにかく将棋が好きで、とにかく悔しいのでしょうか。負け越しが続いてもこれだけ長く続けられたのは、ただただ将棋が好きなのかなあと思います。
ただ負けた後の振る舞いについては、注目も浴びていただけに少なからず批判もあるようです。
どうかおおごとになりませんように。いや加藤先生らしいですから。
将棋の棋士って、人工知能に負けるようになってからむしろ注目されてます。人工知能との対戦が始まったことで、ニコ動を中心に将棋ファン以外の人が注目するようになりました。
加藤先生もテレビで引っ張りだこです。そんな中とてもいいなと思うのが、彼らがぶっちゃけ「変人」としていられることです。彼らは人類の中でももっとも「とんがっている」人たちであって、普通ではありません。
が、なんかテレビとかに出るようなとんがった人は、なんか「人格者」であることも要求されます。スポーツの世界とか。
まあテレビに出るくらいの人だからその必要もあるのかもしれませんが、それで肝心の本業のパフォーマンスが落ちるのを私たちは望んでいるんでしょうか。
そんな中、将棋の棋士達は、「変わってる」というのをそのまま受け入れられているような感じがします。
テレビに限らず、このまま「とんがった人」が「変わった人」のままメディアに出られるような社会が発展して欲しいです。
だって、もっとそういう人たちもっと見たいです。今は、「とんがっていて」「人格者になんてなれない」人は、メディアを避けてます。みんなバカじゃないですから。メディアなんてひたすらやばいとこで、出ない方が無難な時代です。
今日の加藤九段にしても、すでにテレビに引っ張りだこで、終局後はしっかり感想戦もやってメディアに出た方が「売れる」のなんて明らかなんですが、もちろん彼はそんなことよりも、いつもの彼を貫いたのです。
それこそが彼らが「とんがっている」ことの証なのですから。
今後も棋士が棋士のままでテレビなどで活躍して、他の「とんがった人」たちもどんどんメディアで見られるようになってほしいです。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: そういう意味でニコ動の果たしている役割って時代を象徴していますよね!(ヨイショ!
フツクロウ: ホホウ?
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