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日本の大学の没落を憂う記事が流れて来ました。
中国の大学は大躍進、止まらない東大の没落 世界大学ランク46位 日本は「大学村」を破壊せよ(木村正人) - Y!ニュース
日本より上のランキングに出ている国とその最高順位を取り出すとこうなってます。
1 イギリス
3 アメリカ
10 スイス
22 シンガポール
22 カナダ
27 中国
32 オーストラリア
34 ドイツ
38 スウェーデン
40 香港
46 日本
ランキング中の大半を占めるイギリス・アメリカは別格、中国はでかいから、とすると、その他の国のイメージとして特徴的なのは、移民に寛容な国です。
私がもし研究者になったとすると、それらの国は、外国人の私でも暮らしやすそうだなというイメージあります。私が暮らしたアメリカのサンディエゴなんかは、まさに自由の国アメリカ!ってイメージそのまんまでした。
でも日本はそんなことありません。基本的に日本人しかいません。「日本は私のような外国人でも暮らしやすそうだ」と思われてるかというと、なかなか難しい気がします。記事の中に、
世界のトップ大学がひしめく英国では世界中の頭脳を確保するため、恐ろしいほどの勢いで大学に資本が投じられていますとありますが、日本はどんなに資本を投じたところで同じような頭脳は確保できないでしょう。だって国自体がほとんど日本人の国なのですから。
ざっくり印象を書くと、たとえば渋谷くらいの規模でどこでも英語が通じるくらい国際化された地域があると、日本も国際的な国だなあと思われるのではないでしょうか。
ですから、最近はぐっと外国人観光客も増えたし、ITも発達して言葉の問題もどんどん緩和していますから、これからは外国人から見ても、外国人が普通にいられる街が増えていくことでしょう。
そういう底上げがされれば、東京大学の順位も上がりますし、逆に今莫大な資本をかけても上がるとは限りません。問題は大学だけではないのです。
一方で、東大が46位なのは本当に問題なのでしょうか。
このランクの上位は、真にグローバルな大学で世界中から志願者がいることでしょう。そのためには国や街自体もグローバル化していなければなりません。少なくとも今の東京はそれほどではなく、おそらく最強のドメスティク大学と考えれば1,2位を争っていそうです。
そして、それでもいいんじゃないの? という考え方はないのでしょうか。日本が多額の資本を費やしたり街をグローバル化に大改造してまで、グローバル大学が必要なのでしょうか。
優秀な日本人研究者はどのみち自分のしたい研究ができる大学に行きます。具体的にはわかりませんが、特定の分野では日本が一番で自然と世界から人が集まっていることでしょう。総合順位をやみくもに追わず、そういう分野をがっちり育むという考え方もあります。
なんといっても国民に望まれていません。世界のエリートを集める大学を作るために税金倍増に賛成する人はそんなにいません。それより社会保障、景気、育児など身の回りの問題を重視してほしいのです。エリート学校作れば将来日本が豊かになるとも感じていません。わずかなエリートが増えたところで、私たちの身の回りの無数の社会問題が解決することはありません。そこそこ高い教育を修めた人材を大量に作って、しらみつぶしに取り組まなければなりません。
単一民族の日本の大学は、下手なグローバル市場を狙うより、ドメスティックな問題に特化した方が、効率的に結果を残せるし、その方が世界にも貢献できます。高齢化に取り組めばその成果が今後世界に役立つと期待されているように。
日本の大学にドメスティックにとどめておく人材がいれば、むしろ積極的に世界に送り出せばいいでしょう。その人たちの成果は、それが海外で作られたものであっても、日本も享受できるでしょうし、人によっては日本に帰ってくる人もいるでしょう。
要は身の丈に合わせればいいのだと思います。東大46位は日本を取り巻く環境を考えればそんなものかなと思うし、観光客が増えたことで自然に進む国際化に合わせて、自然に順位も上がるでしょう。
何もしなくていいというわけではなく、元記事の具体的な施策の中には、私も取り組むべきだと思うものもあります。無理しなくてもできる範囲のことを愚直に取り組むので十分です。
《ワンポイントミライ》(?)
ミライ: グローバル化のさじ加減はとても難しそうに見えますよね。
フツクロウ: ホホウ。
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