はあちゅうさんの記事が話題です。
ワガママか!改善案無しの「イヤ」を言うやつは、幼稚園からやり直せ!/仕事上手は恋愛上手 byはあちゅう
内容はタイトルそのまんまで、いわゆる「反対するなら対案示せ!」って奴で、「そうだそうだ」という声もたくさんあります。
若い方が自己研鑽のために自らそれを課すのは大変心強いことだと思いますが、しかし社会としてはこの考え方はもう古いものとして変わっていくと思っています。
これからの社会は「『イヤ』なのですね。どうして『イヤ』なのか、どうしたらいいかみんなで考えましょう」です。
「反対するなら対案示せ!」の蔓延は、現場でかなり弊害が出ていると思っています。
似た奴に「言い出しっぺの法則」もあります。言い出した人が責任を持って進めることです。これも蔓延すると、言ったらやらされるけど、大変だし自分がやり遂げられるかわかんないし、言わずにいようというのはよくあることです。
同様に「反対するなら対案示せ!」も蔓延すると、反対なんだけど対案ないし、言えないなーと言わなくなります。
世はコラボ時代。たとえば都会の人と田舎の人でコラボしようとするとき、都会の人がなんかアイデア出して、田舎の人が「イヤそれはちょっと……」と言いよどんだ時、「じゃあ、代わりになんかアイデア出してください」と詰め寄ってうまくいくわけがありません。「イヤそれはちょっと……」の「……」の部分は心では分かってるけど言い出しにくいことかもしれませんが、場合によってははっきりと言語化できないこともあります。「イヤそれはちょっと……」となったら、まずは「そうですか。」と同意して「ではどうしましょう。こんなんだったらどうですか?」と一緒に探っていくことになります。
もし、ここで「イヤそれは……」が言い出せない空気になっていたら、田舎の人は押し黙ってるけど、それでどんどん進めたあげく、一番最後の最後にやっぱできないとご破算になります。
こんな風にいろんな人同士でコラボする場合、その関係者全員に「反対するなら対案示せ!」を課すのは無理があります。
全員が粒ぞろいであれば、「反対するなら対案示せ!」、「言い出しっぺ」も効果的かもしれません。ディベートのように互いを切磋琢磨できることでしょう。でも、みんなで考える場が醸成できていれば、わざわざその制約を課する必要はありません。
ではそもそもなぜ「反対するなら対案示せ!」が叫ばれたのか。旧来からの組織では、終身雇用もあって、チームの中でチームが成果を出す目標に向き合わず、ただ批判するような人が幅を利かせがちだからです。