日本のGDPが増えなかった真の理由がわたしたちを豊かにする(その3)  の続きです。

 これまでの考察を踏まえて、GDP0成長の世界はどんな世界なのか、改めて想像してみようと思います。

 孫の代まで物価が変わらない世界

 望んだわけではありませんが、日本のGDPは20年ほとんど増えていません。物価も安定しています(参考:比較グラフ)。GDP0成長とは、物価があまり変わらないということです。これがこれからずっと続くとしましょう。

 私の祖父の時代はまだ銭があって、1円でいろいろ変える時代でしたが、私の孫の時代では、うまか棒は相変わらず10円の世界です。

 それは進化がないということではありません。例えばランチは相変わらずワンコイン 500円で食べられますが、たとえば食品の安全性は格段に上がっているでしょう。出てくる食事の材料がどこで作られたかがスマホ(のような未来のなにか)でその場でわかるようになっているのです。

 家賃も今と同じような額。でも、地方への分散が進み、みんなの家の大きさは大きくなっているかもしれません。家の設備も進化していることでしょぅ。

 車も今と同じような値段で自動運転が実現しています。

 個別に見ていくと上下するものもあります。でもGPD0成長の世界は全体としての物価は変わらないのです。

 孫の代まで給料が変わらない世界

 我々の生活でもう一つ重要なのは給料です。これも変わりません。大卒初任給が今も昔も同じような水準なのです。

 誤解してはいけないのは、個人個人の給料が変わらないという話ではありません。20代で働き始め実力があがれば当然それに見合った額に上がることでしょう。でも同じような仕事であれば同じような給料が続きます。

 ものと同じように、同じ仕事であっても内容は変わります。医者で言えば、診断などについては人工知能がより正確な診断を分担する代わりに、医者は高いコミュニケーション能力で、患者が今よりずっとすくない不安で診察が受けられるような能力を求められるといったことです。

 なくなる仕事もあるでしょうし、新しくできる仕事もあるでしょう。でもGDP0成長の世界は、全体としてこれまでと同じような給与水準が保たれるということです。

 (ただし、GDP0成長では労働人口が増えると平均給料は減少し(今の状態)、減ると増えます。今後は少しずつ減っていくので、とりあえずは一定と考えても問題ないはずです)

 貧困問題などの問題と真面目に向き合える

 そのような定常的な社会を前提にすることの大きな利点は、今ある貧困問題などの社会問題などに真面目に向き合えるということです。

 そのような定常な社会を前提にするとは、それら社会問題の解決を諦めるように聞こえませんか? 違います。むしろ逆なのです。

 今は貧困問題などをむしろ先送りしがちです。だって、GDPが増えないことで経済成長していないと思い込んでますから。国民一人一人にしても、貧困問題は問題だけど、今はGDPが増えなくて、それどころじゃない、自分たちがまず楽になるように、まずは GDP が上がるようになってからだと考えてしまいませんか?

 それではいつまでも解決しません。

 GDP0成長を考えるということは、これからは、GDPは上がる時もあれば下がる時もあると考えることで、それでも貧困問題を解決していかなければならないということです。

 上に書いたように、GDPは上がらなくても、私たちの生活はどんどん便利になっています。上がってないからといって、日本人全体が飢えているわけではありません。

 結果として、これからGDPが上がることもあるかもしれません。そうなったらラッキーくらいで、でも私たちはGDP0成長を仮定して経済や社会を考えるべきなのです。

 財政再建にも向き合える

 さらに、私たちに大きくのしかかっている赤字国債の問題にも向き合えます。

 だって勘違いしませんか? GDPが上がるようになれば、税収もあがって財政再建もできると。