のすじいのそーさく(笑)日誌33・・8月になると思う事、思う景色・・・
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のすじいのそーさく(笑)日誌33・・8月になると思う事、思う景色・・・

2017-07-31 15:56
    本日で7月も終わり・・依然として我が居住地、故郷は梅雨が明けぬが・・
    まあ、暑い事は普段の夏以上に暑い・・特に蒸すのが閉口だ。

    ただ、今年はまだ蝉の声を聴いていないのだな、この時期に成っても。



    住み暮らす場所は日本海岸の政令指定都市だが
    不思議なことに蝉だけは田舎並みに鳴くのだがな・・季節になると。
    ある意味今年は幾分天候の異変が今までの其れと違い
    本格的な大陸規模の気候変動の予兆かも知れず。

    何となく温帯のはずの日本が亜熱帯化し始めてる気もするが
    其れでも冬はそこそこ雪降るからなあ(笑)
    四季の移り変わりがはっきりしている美しさのある場所は
    寒冷酷暑両方持ち合わせたある意味過酷な場所でもある。

    まあ、其れが為に旨い米が取れたりもするんだけども・・



    ちょっと市街に足を伸ばせば故郷はほぼ田園地帯のど真ん中だ・・
    8月は出穂の季節、若い稲に花が咲き其処に穂が出て来る。
    丁度8月10日の頃になるだろうか・・その時期になると思う事がある。

    自分の育ての親だった祖父母のうち祖父は満州からの帰還者だ。
    戦後、数年のシベリア抑留を経験し帰国した苦労人であり
    若い頃満州で馬賊まがいの商人を経て満州鉄道に潜り込んだ謎じじいで
    どうやら満州映画にも絡んでたらしき節がある豪儀で洒落たじじい。

    故郷の港町の祭りが8月の・・の三日間行われるが
    其処で佐渡おけさや新潟甚句に混じって歌われる新潟小唄と言う
    北原白秋作詞 町田華宵作曲の俗に言う新民謡往時のご当地ソングに
    ロシア語の合いの手が唄い込まれている、などと言う与太を
    まだ小学生だった自分に缶ピースふかしながら教えてくれたじじい。

    其のじじいに必ず連れられて行ったのが盆の中日に行われる
    護国神社の万燈みたままつりと言う静かな慰霊祭だった。
    戦没した英霊、郷土を、国を、家族を守って逝った人々への慰霊に
    神社参道を幾つもの明かりで埋め尽くす・・本来静かな祭り



    爺さんは自分がまだ幼稚園児の頃から高校二年の夏まで・・
    そう、爺さんがいきなり脳出血で夕涼みの縁側で急死した夏まで
    矍鑠とした足取りで着流しに竹の杖など片手にしつつ
    自分を伴って必ずこの慰霊の提灯祀(まつり)に参詣してた。

    帰りには必ず近隣の歓楽街のカウンターな割烹めいた店で
    精進な代物の肴をあてに孫の自分を侍らせてしみじみ呑んでた。

    まあ自分は其処の女将から喰わせてもらう最中アイス
    今でも此の港町の名物なまん丸い牛乳使わぬさっぱりアイスを
    坊やのおごっつぉ(ご馳走)と称して喰わせてもらうのが
    何よりも嬉しかった記憶が今でも残っている・・



    軽く酔った祖父は、其処の女将(まあ明らかに還暦過ぎ)に唆(そそのか)され
    満州に雄飛した日本人が口ずさんだらしき歌を歌ったが
    其れが何処か今思えば、遊びつくして尾羽打ち枯らした游野郎のような
    枯れた、何処か粋な声と節回しだったようにも・・

    満州里小唄だの流砂の護りだの蒙古放浪歌だの・・
    ♪行こか戻ろかオーロラの下を・・♪と言う歌詞の歌、
    北原白秋のさすらいの唄などを餓鬼ながら覚えた理由は
    此のみたままつりの後の爺さんのささやかな遊興にあるやも知れず。



    リンちゃんの声が可愛くて妙に萌えたさすらいの唄思い出の縁に貼っておこう(笑)
    やっぱり白秋や雨情、紅華、夢二、虹児・・此のあたりは良いなあ、と。

    ああ、自分はあの爺さんの血をかなり色濃く引いてる事は間違いないらしい(苦笑)

    ああ、そう言えば爺さんが日本に帰ってきた港、舞鶴軍港を舞台にした
    引き上げ船を待つ老母のものがたりを歌にしたものが在ったな・・・
    結構日本全国に広まり人口に膾炙した曲で・・モデルになった老母がいた。

    彼女の名前は端野いせ・・最初に未帰還兵の母としてラジオがインタビューした。
    今回、其の曲をリメイクした二葉百合子版を更にカバーしてみた。
    台詞もあるんでCeVIOの香澄さんからトーク担当まで総動員である(笑)


    作詞家の藤田まさとは此の端野いせのインタビューを聞くうち身につまされ、
    母親の愛の執念への感動と戦争へのいいようのない憤りを感じてペンを取り、
    高まる激情を抑えつつ詞を書き上げたと言う・・・。

    確かに、此の状況は日本人の感涙を誘うものであることは確かだが・・

    自分の旧職時、職業上の理由で様々な方にお会いしお話を伺った。
    その時お会いした横田めぐみさんのご両親、特にお母さんが
    講演会で此の歌を歌われることがある、と聞き・・感慨が深かった記憶がある。

    此の国の戦後と言うか占領下状況は・・未だ変わってねえのか、と。







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