のすじいの小説もどき・・どれみふぁ・らぷそでぃー⑧
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のすじいの小説もどき・・どれみふぁ・らぷそでぃー⑧

2020-01-19 17:01



    かくして道中聊かの椿事はあったものの此の集団は田舎バスの終点に到着。

    其処から更に徒歩で10分ちょっと山道を登り降りしての初夏の午後・・・
    ようやくたどり着いたのは県営の青年の家という色気の無い施設である。

    此処が此の音楽莫迦たちの合宿の定宿にしてある意味の思い出の場所。

    色気の無い8人部屋の畳の宿室が一・二階に幾つかと集会場のホール。
    食堂に結構立派な体育館とグランド、テニスコートを持った公共施設で
    ともかく利用料金が安いという事がまず何よりも、な選択理由だったのと
    周囲に民家と言うものが全く無く、どれ程の音を出しても迷惑にならぬという事と
    何よりも田舎バス以外に逃げ道がないという隠された理由によって選ばれた
    一週間のプチ地獄が繰り広げられるお決まりの合宿場所なのだ。

    着いて早々に大きな楽器を積んできた2トントラックからの積み下ろし。
    気合入れてきびきび動けっ、と言う3回生の叱咤激励のもと
    1・2回生が総出で慌ただしく走り回りつつ、丁寧に楽器を体育館に運ぶ。
    女性も男性も区別なし、積み下ろしと積み込みは主に1・2回生の仕事。
    3回生が其の監督をしつつ手を貸して、色々と指示を飛ばす。

    もっとも4回生幹部も其の時先輩風吹かせつつサボってる訳では無い。
    此の施設の管理者への挨拶や宿泊に必要な書類の提出、
    宿泊の部屋割りに今後のスケジュールの確認と修正などと言う
    運営と管理の雑事に忙しく動きまわり、準備万端怠りなきよう手分けしてお仕事中。

    何せ、県営の公共施設、毎年の常連で好意的に対応しては貰えるものの
    なにせ役所仕事の施設だ、やたら杓子定規で気を使うことは言うまでも無い。
    文字ひとつ印鑑ひとつ間違っても全部書き直しなんてえ事も在る厳密さ。
    学内の届け出書面で慣れてる=先輩=と主将、統制の三人が首っ引きで
    結構な量の書類を作り、会計の斉藤が大事そうに抱えてきたアタッシュケースから
    虎の子の団費を入れた封筒を取り出して宿泊費を払い終わる頃には
    長くなってきた日も暮れ、周囲の山や森も森閑と静まり返る山間の合宿所。

    全員がちょいと一息ついた、と思って暫し、待望の夕飯の時間が来る。

    配膳は四回生筆頭に班分けされた部屋ごとに毎食交代で
    平等に担当決めて行うのもこの種の施設ならではの流儀。
    まあ、教育的見地からと言う奴なのだろうが・・・此の吹奏の男どもの中には
    平然と丼飯3杯喰うような剛の者も居るのでそういう奴が当番になると
    何処の我慢大会だと言うような凄まじい盛りの飯が出現したりするのも
    毎年恒例の飯時の笑い話だったりする、一番のリラックスタイム。

    で、初日の夕飯はカレー、此処の施設での合宿初日のお決まりメニュー。
    其れも大きいジャガイモと小さめの豚肉が大量に入った家庭風の代物で
    独り暮らし下宿暮らし地方出身者の多い大学生にとっちゃ妙に郷愁を誘う逸品。

    其れでなくともカレーとくりゃこの頃の普通の若いもんで嫌いな奴はまず居ない。
    大學周囲の定食屋にもカレー専門のような店が在って大人気なくらい・・。

    遠距離からでも一発で判る芳香に・・おっ、カレーじゃん、ラッキー・・と言う
    本音の呟きを幾つも響かせながら、みんないそいそとテーブルにつき、
    頂きますもそこそこに1回生の男どもは欠食児童のように齧り付く。

    一日移動で気疲れした後の食欲は無論言うまでも無く旺盛そのもの

    女の子だって、まあ、遠慮がちながら結構なペースでぱくぱくと喰い始め
    高校時代ソフトボール部だったユーフォニュームの米山お嬢ちゃんなぞは
    喰えるときに喰っとかないと持たないわよぉとか言いながら大盛り喰う始末。

    其れ見て直属のパート長である=先輩=が
    ・・おい、太るぞ、お米(およね)・・なんぞと、
    妙に真剣に声なぞ掛けると、・・
    いいんです、もう、太ってますから・・などと
    身もふたも無い莫迦返事が快活に帰ってきて周囲から笑いが起きたりする。

    其れゆえ此の段階では、合宿初参加の1回生どもも、
    幾分の緊張はしているものの食堂に漂う平和な雰囲気にリラックスし
    食事しつつも、そこかしこで談笑が起こるような雰囲気だったのだが
    中でも元気の良さそうな1回生坊やが夢中で一杯喰いおわり、
    さあておかわり行こうかな、と立ち上って飯櫃に向かおうとして・・・

    其処で、何故か男の先輩たちの食が・・妙に進んでない、と言う事実に気づく。

    進んでないと言うか、大概の男の先輩が・・
    最初から殆ど軽めの盛りを喰っている・・・
    しかも其の普通に食堂で出されたらちょいと不満顔に成る盛り具合のカレーをも
    えらく時間かけてひと匙づつ口に運んでると言うけったいな光景が其処に在った。

    頭の上に疑問符を浮かべつつも、失礼します、と言って飯を皿によそい
    カレー大目に掛けていそいそと席に戻ってくる同輩を見て・・・
    トロンボーンの一回生桃川、そう、あの脱走騒ぎの一年坊も
    喰えるときに食っておけって、米山さん言ってたよなあ・・・と思い返し
    おずおずと、空いた皿を持って立ち上がろうとした、其の時である。

    隣に座ってカレー喰っていたあの哲つぁん、=先輩=が・・ぽそっと言う。
    其れも周囲の幹部に聴こえぬように、と言った風情で視線を逸らしつつ・・・

    「桃川・・今は腹八分以下にしておきな・・後で、まあ・・・そのな・・・
    でないと此の後・・確実に=苦しむ=から・・此処だけの話だぞ。」

    例の退部阻止ピンク絆創膏の一件以来妙に
    此の=先輩=に懐いていた一年坊のトロンボーン吹き君は
    訳が判らぬながらも二杯目のおかわりに立つ脚を止めて
    コップの水を飲んで=先輩=の言葉に頷いた。

    「あと・・いいか、部屋に行ったら、まず着替え出しておきな・・
    特にジャージな、其れと体育館履きの運動靴も・・・」

    =先輩=はそう言うと、おもむろに自分も軽く盛られたカレーの
    最後のひと匙を喰い終えて、腕を組んだまま黙ってしまった。

    何時もなら食後の一服を、と席を立つ此の=のほほん兄ちゃん=が
    お決まりのハイライトの箱を出すそぶりも無く、じっと目を閉じたまま。
    まるで、何か大事の前の精神集中、とでも言いたげな表情で、である。

    で・・桃川一回生は微妙な緊張とちょいと不吉な予感を覚える・・。

    こ、此のあと・・・何があるんだろう?・・
    たぶん・・あんまり楽しくない事・・だよなあ。

    で早めの夕食が終わって、しばらくした午後6時30分・・其の予感は的中する。

    各々の宿室で私物を開きようやく一息ついていた男子部員の頭上から
    割れんばかりの音量で、俗にいう=館内放送=が突如響き渡った。

    「あ~・・・本日は晴天なりっ・・もといっ・・緊急呼集っ。
    ドリル隊男子、全員5分以内に運動着に着替えて
     体育館フロアに集合せよっ・・時間厳守っ・・・繰り返すっ・・・」

    其れは気合の入りまくった4回生、ドラムメジャーの森村の声に間違いなかった。

    其の蛮声の館内放送を聞き終えもせぬうちに脱兎のように部屋を飛び出す
    二回生以上・・手際の良いことにもうジャージに着替えているあたりは
    流石に経験者である、が、一年坊はそうも行かない・・
    必死に着替え運動靴片手に先輩たちの後を追って体育館に息を切らせて駆け込むと
    其処には竹刀を手に鉢巻姿で仁王立ちのメジャーとサブメジャーが既に居り
    其の前には4列縦隊で整列する先輩たちの姿が在ったのは言うまでも無い。

    「遅いっ、1分遅刻っ!気合入れろっ、
    腕立て1回生全員・・30回・・始めっ。」

    呆然と立つ一年坊を突き飛ばすように二回生が=指導=に回る。
    息も付かせずアンダンテのテンポ(歩くくらいの速さ)でカウントが始まる。

    「いっち、にぃー、すわん、しぃ~っ・・・そこっ、遅れずについてこいっ。
    こらあっ、誤魔化すなっ、肘はしっかり曲げろ、胸が床につくまで落とせっ
    4回生以下っ、声が小さいっ、後輩のために大声を出せっ、いいかあっ!」

    此の不意打ちのような新人の強制腕立て伏せは此の合宿恒例の=儀式=

    かくして、吹奏楽研究部伝統の春のドリル三昧合宿最初の洗礼、
    =煉獄の夜操演練習=が有無を言わせずに開始された。

    体育会の猛者どもが、吹奏は半分こっちの仲間、と蔭で笑いながら言う
    大きな理由が此の男子のドリル隊の存在であることは言うまでも無い。
    此れから6日間、ちょいとしたお遊び体育系サークルが
    裸足で逃げ出すような妙に汗臭い、容赦のない
    ドリル操演完成のための猛練習が続くのだ。

    其れは、此処までの昼間の脚あげラインダンスで
    凡その空気を予期していた新人も
    思わず逃げ出したくなるちょいと苛烈な一週間の真の幕開け。

    息を切らせどうにか腕立てを終えた新人を列の先頭に加え、
    今度はおなじみのおとこラインダンス、
    脚あげという奇妙な苦行が間を置かず始まる。

    静まり返った山中の闇の中、煌煌と灯る体育館の水銀灯の下
    叫ぶような気合声とカウント、床を踏み鳴らす音が低く強く響く・・・

    最初の脚あげは此れまで大学でやっていたようなテンポで20分・・
    今までならそこで一度休憩を挟むのだが・・・
    此処では其の休憩の間を置くこともなく、倍テンポ、
    つまり倍の速さでの脚あげが更に5分続き、其のあと更に再び
    元のテンポに戻って15分の脚あげ・・で漸(ようや)く数分の休憩が入るのだが
    其の時も座り込むことは許されない・・軽く脚をひらいた直立のままの姿勢。

    此のセットを3回、およそ2時間・・無論脚の上がりが低くなったり、
    よろけたり座り込もうもんなら容赦なしに四回生から新入生まで平等に
    強烈な=気合っ=の叱咤と同時に竹刀が飛ぶ・・竹刀飛ばすメジャーも必死だ。

    二時間余、声を張り其処らじゅうを走り回るような速度で闊歩しつつ
    全体を監視し、本当に危なくなった奴は居ないか注視しつつも
    鬼の形相で竹刀を振い続けるのだから此れだって相当な難行である。

    1時間過ぎたあたりで流石に慣れてるはずの4回生も朦朧としてくる久々の苦行。

    初めての1回生は最初の罰則腕立ての分もあるから既にふら付きはじめ
    殆ど怒声のカウントと己の心臓の鼓動だけしか耳に入らなくなるような時間帯・・

    汗臭さで麻痺し始めた此の男どもの嗅覚に妙に=いい匂い=が流れてきた。

    ああ、湯上りの石鹸の匂い、いいや、香水の匂い?もちょっと混じった其れは
    絶対に男の匂いでは無い・・・若い女の子の匂い・・幻聴?いや幻臭?・・・

    いきなりの難行苦行に若干感覚が野生化した音楽莫迦おとこたちが、ふと、気づけば
    ・・全員、私服の室内着に着替えた女子部員たちが体育館の入り口に整列して
    此の苦行を直立したまま見守って・・・いや、ある意味、此方も・・・
    自主参加と言う名の強制のもと、遠巻きに=見学=させられている。

    こ、此れって何、とか、凄いぃ・・床に汗が溜まってるよお、とか
    驚愕とも感嘆とも若干の怯えともつかぬ黄色い声が其処彼処で上がる中
    四回生の美樹遥(みき・はるか)の甲高い声が体育館に木霊する蛮声に
    混じるように切れ切れに響く・・・其れは必死の音楽莫迦男どもの耳にも
    何処か遠くの山の木魂のように幽かに聴こえていた・・

    「みんな、しっかり見てっ!・・・男子は当部の年間の活動費や
    演奏会の個人負担分を軽減して、私たちみんなが演奏に集中できる
    環境づくりのために毎週行うアルバイトの操演の
    ・・ドリル隊の練習をしてるのっ!
    此の合宿で、毎日、ドリルが完成するまで休みなしの練習ですっ。

    判るっ、男子たちだけに苦労させられないわよねえっ!
    だから、私たちも・・きちんと練習して、いい演奏をしなきゃ駄目。

    判った?・・判ったら返事はっ? そう、元気出して返事してっ!
    じゃあ、みんな、練習中の男子に声掛けてあげてっ、いいわねえっ・・・はいっ!」

    宴席でのぐだぐだや昼間の莫迦騒ぎが嘘のようなきりっと引き締まった表情。
    4回生としての立場も在っただろうが、此のドリルを統括する森村は
    此のお嬢ちゃんの、まあ、浮気者と幾分恨んでいても、其れでも切れられない
    ある意味最愛の男なのだから、此の弁舌に熱が籠もるのも当然と言えば当然。

    其の真剣で真摯な声音で叱咤されるかのように現状の説明を受け
    此の苦行に必死に耐えている己が同期や先輩の男たちの姿を
    一種の閉鎖空間で否応なしに見せられ、竹刀で入れられる気合の鋭さに
    時折びくっと躰を震わせているうちに・・・アナクロである意味=大莫迦=な
     滑稽ささえ漂うと言っても良い光景を見つめていた・・・此の一群の
    少女からおんなに成り掛けの子たちのなかに奇妙な感動が生まれ始める。

    先程、全女子部員に檄を飛ばすかのごとき弁舌を振った四回生の美樹と
    普段温厚で微笑みを絶やさないことから密かに=おっかさん=と呼ばれる
    クラリネットのパート長、田村の二人が其れこそ絞り出すような声で
    =みんなっ、がんばっ!= =蒼くんっ、声出してえっ!=
    =山内主将っ、気合いれてっ!=なぞと必死に叫び出したのを切っ掛けに・・

    妙に真に迫った、黄色い声援が・・・次々に夜の体育館に響きだした。

    同期の男子部員の名をひたすらコールしつづける可愛い声、
    みんな頑張れぇっ、と何度も繰り返して言い続ける元気な声
    中には、先輩かっこいいっ、とか、ああっ、素敵っとかいう
    妙に色っぽい声も交えつつ・・夜の体育館は黄色い声援と気合声の洪水になる。

    あのフルートの天然おちびあたりに至っては、何を思ったのか
    半分涙目で、其れでも精いっぱいの声で・・せんぱぁい、死なないでぇ・・と
    一体何処の戦時体制下だと言うような妙な応援を口走る始末。

    正直、傍から見たら馬鹿か?おまえ等、と言いたくなるような微妙な景色。

    少なくともお洒落なキャンパスライフなぞ満喫する学生さんたちには
    未来永劫、縁もゆかりも無い、絶対にお洒落じゃない一種の=蛮行=
    が、集団心理とは怖いもので、此のお嬢ちゃんたちは、既に此の状況が
    微妙に切なく、何処か感動的な光景に見えはじめていた。
    其れゆえに、黄色い声援も徐々に本気の必死さを帯びて響きだす。

    既に限界を超えつつあった男どもにとって此の黄色い声の必死な声援は
    ある意味どんなものより強烈なカンフル剤のような効果をもたらした。

    顔つきがしゃきっと変わり、此方も張り裂けんばかりの気合声が思わず出てくる。

    平成の今なら一笑に付されるような・・でも何処かちょいと切なく甘ずっぱい
    純情音楽莫迦男女の古い青春映画のようなワンシーン・・・

    此れも毎年恒例の、ある意味お決まりな此の合宿の夜の光景。


    声を枯らした女子部員が、静かに一礼して体育館から引き揚げても
    此の音楽莫迦おとこたちの気合と蛮声と必死の脚あげは終わらなかった。
    疲労困憊になりながら、其れでも延々と・・誰も落伍することも無く。

    そして二時間余の時が過ぎ、全員の体力が限界に達したと思われた時
    四回生から新入生まで其の表情こそ疲労困憊の極にあるように見えるものの・・・
    ぜえぜえと荒い息を吐き、カウントの声も擦れきってきては居たものの・・・
    此のドリル隊の男ども全員の眼がしっかりと座り、妙に炯炯として見えたのは
    不思議と言えば不思議な人間のこころの仕組みとでも言うものかも知れない。

    一見、無駄な体力消耗に見える此の練習の真の意味は・・実は其のあたり。

    同一の苦行を耐えたと言う奇妙な一体感と達成感が産む=何か=
    其れによって出来上がる連帯意識とお互いの距離感の消失。
    先輩も後輩も無い、ひとつの集団としての同胞意識のような=繋がり=
    そんな無形の何かの形成が此の夜の煉獄の本当の目的だったとも言えた。

    そして、其れを匂わせる言葉が、
    声を枯らしたメジャーの口から最後に発せられる。

    「いっ、以上っ!操演練習~っ、止めえぇっ。
    お前らっ・・今日はぁ、・・よ、よく頑張ったっ・・
    確かにまだ・・・脚は上がってねえ・・・リズムも滅茶苦茶だ・・・
    だけど・・・お前ら、=気合=だけは・・・
    全員、=満点=だっ!   有難うっ!、解散っ!」

    「レディ(注目っ)! ゲットセット(気を付けっ)!
     ・・メジャーにっ・・=礼(れいっ)=」

    体育館に木霊する、有難うございましたあっ、と言う凄まじい絶叫のあと、
    全員に敬礼するメジャーの森村に向かって、自然発生的に
    うおぉ、とか、おおっと言う、およそ音楽屋らしからざる声が響きわたる。

    其れは、春の合宿の最初の夜、真の意味での此の年度の・・・
    逞しくちょいと凛々しいドリル隊のメンバーたちが産声を上げた瞬間でもあった。

    4回生から1回生まで、学年も体型も楽器の腕前も抜きにしての
    頑張りぬいて耐えた同士的感情が此の疲労困憊の莫迦たちを包む。
    何故か全員の口元が自然に微笑むような形に変わっている・・・。

    恐らくは今まで経験したことのない疲労と終わったと言う安堵感から
    崩れるようにしゃがみ込む一回生を助け起こすように二回生以上が立たせ
    先程までの厳しい叱責や気合声が嘘のように・・おっ、具合はどうだ、とか、
    お前・・気合入ってたなあ、ほんと、見直したぞ、などと口々に言いつつ
    三々五々パートごとに集まりながら、汗臭い体育館を出て部屋にもどる。

    最後に残ったメジャー筆頭の4回生幹部は、後輩が出て行くのを見計らい
    用具室からモップを出して汗まみれの床を軽く拭い掃除し始めた。

    此れも、此の最初の夜間操演お決まりの幹部による恒例の行事・・・
    苦労した後輩、付いて来てくれた後輩への無言の感謝表明だった。
    まあ、翌日以降は3回生の指導の下、学年ごとに分担して行うのだが
    物理的に最初の夜、疲労困憊の1回生に此れをやれと言っても無理と言うもの。

    実際、殆ど怪奇映画のゾンビか、と思うほど蹌踉とした足取りで
    宿室に戻ったと言うか連れ込まれた1回生は、2回生以上に即されて
    着替えを持つのもそこそこにのろのろと風呂場に直行がやっと。
    殆ど朦朧としながら浴室に這い込み、
    お湯をぶっかけられてようやく蘇生する始末。
    湯船の中で全身を伸ばしぐったりとしたところに4回生がようやく到着。
    妙に全員ほのぼのと無言で湯に浸かり、時折ひえ、~とか、ふわあ、とか
    妙な声を発して顔を洗ったり、汗を流して、ようやくに人心地を取り戻す。

    最後、湯上りに汗まみれのジャージを備え付けの洗濯機に次々と抛り込んで
    新しい下着やら寝巻のような部屋着に着替え、やっと一息・・である。

    流石に1年ぶりの此の夜間操演に4回生も疲れの色が表情に漂い
    パンツ1丁で湯あたりしたかのように床に座り込む3回生も居れば
    ちょいと気分でも悪いのか洗面台に向かって突っ伏している2回生も
    中にはごいんごいん回る洗濯機によっかかってうとうとする新入生も居る。

    ああ、後は寝るだけかあ・・でも、道理で先輩たち、喰わなかった訳だよなあ・・
    でも、終わってみたら・・腹減ったなあ・・
    ああ、此処じゃ食い物・・売って無いだろうし。
    持ってきたチョコレートでも食べないと・・眠れそうもないかもなあ・・・

    幾分回復した一回生たちは、急に感じ始めた空腹にちょいとブルーに成ったのだが
    意外に平然とした表情で徐にドライヤーなぞ使っていた学生指揮者薄田が、
    満面の笑みでひょいと放った似合わぬ大声の台詞に現金にも=活性化=した。

    「あ~・・兵士諸君、現在、食堂で・・おいしい餌(えさ)と
    可愛いお嬢ちゃんが首を長くして=お待ち=ですっ。
    気合入れろっ!元気出せっ、てめえらっ!
    しゃきっとしたとこ、女の子に見せてやんなさいっ!」

    可愛いお嬢ちゃんは兎も角も、おいしい餌に敏感に反応した男どもが
    一目散に向かった消灯時間ちょい前の食堂には煌煌と蛍光灯が灯り
    先程のカレーの残りご飯が小さい一口大のお結びに成って並んでおり
    氷の入った麦茶のガラスポットやら切った林檎やらの皿まで揃えてある。

    そしてちょいとうるうる眼になった吹奏の女子部員たちが一斉に
    拍手でお出迎えと言う、=地獄から天国=な光景が。

    無警戒で此のお疲れ様の拍手を喰らってちょいと感動する単純莫迦男たち。
    新人のお兄ちゃんの中には感動して涙目になる純情坊やまで居る始末。

    其処に居た食堂のおばちゃんや管理人の馴染みの爺ちゃんも
    時間外の食事と言う規則外の行為では在りながら
    其の音楽莫迦たちの微笑ましい光景を嬉しそうに見ている。

    此の子たちは良いねえ、今時珍しい、しっかりした子たちだねえ・・
    と言いたげな妙に好意的な眼差しで・・まあ、其れは他の此処の利用者が
    相当に酷いと言うことの裏返しでもあったのかも知れず
    一概に喜べぬ事だったのかも知れないが・・・其れはさておいて・・・

    一口で食えるお結びも麦茶も此れみんな女子部員の伝統的引き継ぎ事項。
    此の吹奏が在る意味培って来た一種の礼儀作法のような行為行動。

    無論、当初、女子部員にとっては半強制のようなものでは在ったのだが
    今ではドリル操演練習を目撃した女子部員の殆どが自発的に参加する様になり
    嬉々として此の行為に心を込める純情女の子も決して少なくは無かった。
    ある意味微妙な=おんなごころ=が籠もる、ささやかなサプライズ差し入れ。
    が、其のささやかな差し入れ其の物よりも何よりも、其の=心遣い=が沁みる。
    此の純情な音楽莫迦の坊やたちには特に・・其れが=おとこごころ=かも知れず。

    兎も角も、座ったり立ったりして此の差し入れに
    かぶりつく元気を取り戻した男どもに
    女の子たちがそれぞれ此れも思い思いに、在るものは初々しい笑みで
    在るものはちょいと色っぽく悪戯っぽく、プラスチックコップの麦茶なんぞを
    はい、どうぞ、と・・優しくも差し出してくれたりするものだから
    もう堪らないと言えば堪らない・・・全部の女子部員が天使に見えてくる。

    で、この時ばかりは鬼の統制も怖い四回生も男女が如何のこうのとか
    風紀を考えて団体行動をしろとか五月蠅く言わないどころか
    率先して其のご好意に妙に目じり下げたりしちゃってるものだから
    微妙にほんわかした雰囲気が、此れも妙に明るく漂い始める夜の合宿所食堂。

    其の食堂の一角、あんまり人気の無い自動販売機の影の方
    ぐったりとベンチのようなソファに座り込み脚を投げ出して
    微妙に自堕落に、うう、限界ってな顔でぽそぽそ林檎齧ってる=先輩=のもとに
    真っ先に近づいてきたのは意外にも満面の笑みのフルートの十川。

    くすくす笑いながら=先輩=に近づき、麦茶差し出すかと思えば・・・
    そっと耳打ちする様に何か囁く・・
    今度は微妙に悪戯っぽい表情の十川(そがわ)。

    其の耳打ちを聴いた=先輩=が・・妙に擽ったそうな顔つきで頷いて笑った。

    で、ひょいひょいと手招きした十川の後ろからおずおずと出現したのは
    ・・まあ、予想通り期待通りの、例のお花畑おちびちゃん・・
    弓丘お稚美(ちび)・・其の童顔は・・・
    え?熱でもあるんじゃない?・・と、思うほど=ぽっ=と赤い。

    彼女が手に持っていたのは、大きなガラスのコップに入った麦茶だった。
    プラスチックカップとは微妙にモノが違う、ちょい大人めな雰囲気の・・
    なみなみと注がれた麦茶を零さぬようにちょこちょこと真剣に歩いてくる弓丘嬢。

    手のなかでしっかりと持たれたきらきら光る涼しげなグラスの中には
    バーで言うクラッシュアイス、細かくした氷がぎっしり詰まっている。

    常温の液体を一気に冷やすには最高の代物では在るのだが・・・
    往時、多くは本格のバーとかでお目に掛かるような=氷=であって
    此の田舎山中の合宿所に普通在るわけが無い・・代物。
    其の冷え具合とガラスのコップの汗のかき具合は将に絶妙で
    思わず=先輩=がごくりと喉をならすほどの風情を掻き立てる。

    おずおずと、ふにゃっと恥ずかしげにちょい震える手でグラスを差し出すおちび。

    ふんわりした微笑で其れを受け取った=先輩=だったが、
    其の差し出した手、其れを見てちょいと顔つきが変わる。

    何故って・・・其のちいさい手が=真っ赤=になっていたのに気づいたから・・・

    北国生まれ雪国育ちの=先輩=には其れが何かすぐに判った。

    「・・弓丘・・・此の氷・・自分で割ったのか?
     ・・こんなもの此処に無いだろうし・・
     製氷機の奴を・・わざわざ・・こりゃあ、相当の量・・あるよなあ・・」

    其のちいさい手で此れだけ割る、いや砕くのにどれだけ頑張ったんだい・・・
    そう続けようとした言葉が、妙に声に成らなくなって黙ってしまう=先輩=。

    実は前にも述べたが此の=先輩=の学資稼ぎのアルバイトは夜の稼業。

    此の手の氷割ったり扱ったりは日常のこと、其れゆえに此の氷砕き作業が
    実は、かなりの根気と忍耐と慣れが必要な事を熟知していたから・・・

    しかも・・よくよく見れば其の震えてる細いちっちゃい指先には
    いくつかの出来立てと思しき=傷=まで在るではないか。

    「弓丘・・・わざわざ・・もしかして、俺のために・・此れ作ってくれたの?
    じゃあ・・・もしかして・・あの・・昼の弁当箱も・・ひょっとして・・」

    其の問いにこくんと頷いたきり、下を向いて黙ってしまった此のおちびちゃんの
    ぽっと染まった頬やちょい震えてる肩をじっと見ているうちに・・・
    此の流石の=朴念仁=も遂に・・其のことにはっきり=気づいて=しまう。

    今、自分の中に芽生えてるもやもやした、でも不快じゃない気分と・・・
    此のお花畑ちゃんの今まで垣間見せたほのかな好意とが

    恐らく、全く同質で同じベクトルを向いちゃってる感情の故、
    と言う極めてこの場合重大な事実に。

    無言で受け取ったグラスを一気にぐいっと砂漠の甘露のように飲み干すと・・・
    ちょいと躰を起こし、ソファーに座ったままの視線の殆ど正面に向け
    俯いてる此のおちびちゃんの童顔の瞳を柔らかに覗き込むようにしつつ

    此の男らしからざる真面目な、ちょいと微妙に優しさの籠もった声で
    周囲に聴こえぬよう、そおっと、こう、囁くように・・呟いたのだった。

    「有難う・・でも、フルート吹きは、いや、女の子は・・・その・・・
    指、大事にしなきゃ・・駄目だよ・・
    なっ・・弓丘・・・いや、えっと、その・・」

    何時になく柔らかな声の調子に思わず顔を上げたお稚美ちゃんは殆ど涙目・・・
    何か応えよう、として言えないもどかしさが其の表情から丸わかり。

    其の目を真正面からさらに優しい視線で見つめた=先輩=は・・

    「その・・な、・・あの・・・・・妙にこっぱずかしいな・・・」

    そう言って、飲み干したグラスをソファーのうえにちょいと置くと
    赤くかじかんだ弓丘嬢のちっちゃい手とかわいい指を
    其の大きな手でそおっと柔らかく包み込むようにいきなり握り・・・

    息をふうっと吹きかけ、優しく撫(な)ぜ、摩(さす)りはじめる。

    男の子とおんなのこの愛情表現と言うにしてもあまりに稚拙で
    雪国の冬の日、兄貴が凍えた小さな妹にしてあげるようなあどけなさと
    牧歌的に過ぎるような、ほわん、とした雰囲気で・・黙ったまま。

    其の好意にびっくりして・・ぴくん、と震えた弓丘おちびちゃん、
    でもその表情は徐々に・・・柔らかく、安堵したような・・・
    何とも言えない幸福そうなへにゃっとした幼い笑顔へと変わって行った。

    此の奇妙な二人のどうにも照れくさい実に初心な行動が繰り広げられている
    食堂の一角だけ・・賑やかな笑い声もちょっと明るい嬌声も
    まったく聴こえないような一種の異空間と化したような雰囲気が漂って・・・

    =先輩=が殆ど囁きに近いくらいの音量で恥ずかしげに呟く声が聴こえる。

    「弓丘・・・君のことを・・此れから・・・その・・ああ・・・
    とっ、=稚美(ともみ)=って・・あのさ・・・うん・・
    い、いや、其れだと流石に・・妙に照れちまうんだよな、俺。

    ああ、ちっちゃくて・・・可愛いから・・・その・・なんだ・・
    その・・・=稚美(ちび)=って呼んでいいか?」

    「は・・い・・=先輩ぃ=・・・ううん・・・嬉しいですぅ・・・
    ・・・かっ・・=かずき(和樹)せんぱあぃっ・・・」

    そう言ってお手手握り合ったまま徐々に赤く染まって行く凸凹男女一組。

    事の成り行きに呆然としたのか
    あまりの此の二人のお子ちゃまぶりに呆れたのか
    其れとも、邪魔はすまいと言う好意からか、
    既にフルートの十川は何処かに逃亡済み。

    ちっちゃい手を宝物のように優しくふうわりと握る、
    いや包んでる=先輩=の大きな手。
    其の手を包まれたまんま、殆ど真っ赤に成って
    佇立しているお稚美の震える肩先。

    此処に於いてどうやら・・・ようやく此のお花畑と朴念仁は・・
    まあ、周囲はとっくにそう成ってると思っていた関係、つまりは、
    おとこのことおんなのこ・・・そう、=初歩的な恋愛=の
    第一歩の一歩をこっそりと踏み出すことになったようだった。

    無論、両者とも・・・おずおずと
    おっかなびっくり、な=手さぐりで=はあったが。




    その夜、女子部員の八人部屋の一角で昼からの出来事を思い出してか
    実に幸福そうな寝顔で此のおちびちゃんがくうくうとお休みしてるころ・・・
    其の真下の男子部屋の壁ぎわの安布団のなか、=先輩=こと
    =和樹(かずき)さん=・・本名、加藤和樹青年はちょいと、寝付けないと言うか
    生まれて初めての悶々とする夜を過ごす羽目に陥っていた。

    ・・あ、あいつ(稚美)の手って・・えらく小さくて柔らかいんだ・・な・・・・

    無論、此のちょいと大人というか親爺めいた兄ちゃんが21歳過ぎた時点で
    純粋=おこちゃま=だったからではない・・無論そっちのほうの経験・・・
    男と女が大概は裸で取っ組み合う競技・・・
    =性行為=も一応体験済みではあった。

    ただ、其れは此の兄ちゃんのもう一つのアルバイトの貌に妙に相応しく
    プロのお姐さん相手の、まあ、お金で片付くものに
    限られていたと言う訳(わけ)で・・口の悪いバイト先のお姐(ねえ)さんは
    彼を=素人童貞=と揶揄したが将に其の通り。

    実は、そういう意味で、此の=先輩=は生まれて初めてまともに愚直に本気で
    真剣そのものの=恋=をしてしまった=おこちゃま=同様に脆かった。

    故に、さっきの妙にくすぐったい僅かな時間のあの程度の出来事すら
    後後其れを思い返した此の兄ちゃんの純粋に過ぎる部分をものの見事に直撃し
    あのお花畑おちびも斯くやと言うほどの=おこちゃま=状態に其の精神が
    完全に=回帰=してしまい、此の若親父は殆ど中学生のような
    初々しい=レンアイ症候群罹患患者=に一気に退行してしまったらしい。

    ・・・稚美(あいつ)・・・か、可愛かったなあ・・
    うん・・お、俺・・何考えてんだっ・・・
    ・・は、早く寝ないとっ・・明日、持たんっていうのに
    ・・ああああ・・・で、でもよおっ・・・
    ・・あ、明日から、あいつと・・
    どうやって顔合わせりゃいいんだっ・・うわああっ・・・

    悶々と打たれる寝返りと溜息は・・夜半過ぎてもまだ続いていたようだった。

    まあ・・・誰のせいでもありゃしない、
    みんな此の朴念仁が悪いのさ・・なのではあったが(笑)。

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