のすじいの小説もどき・・どれみふぁ・らぷそでぃー⑬
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のすじいの小説もどき・・どれみふぁ・らぷそでぃー⑬

2020-07-19 03:31

    その夜、胸のつかえが下りたのか=先輩=以外の4回生幹部が妙に生き生きと
    其の持ちパートの楽器を朗々と吹き鳴らして周囲を瞠目させた暗譜練習は
    お蔭を以ってしてか存外にさくさくと進み、練習終了まで20分を残して
    ほぼその日の予定していた演目が終了を迎えるという好結果を生む。

    其の時、此れも普段以上に機嫌の良さそうな学指揮の薄田がいきなり・・・

    「ああ、みんな今日は出来が良いから・・予定外だけど、もう一曲やるよ。
    あ、田原、譜面の子、ちょっと来て、此れ、皆に配って・・急いで。」

    そう言って、どうやら密かに準備していたらしい譜面をいきなり取り出した。

    で、譜面管理の女子部員が配りはじめたのは、往時ブラスバンドやってた奴なら
    大概の人間が一度ならず目にしていた=サウンド・エイト=のポピュラー譜面。
    但し、色々と書き込んであるところを見れば、どうやら薄田が何かしら弄ったものらしい。

    其れを手にしてタイトルを見てフルートの十川が、きゃっ、と笑い声を挙げ・・・

    「OH!  CAN'T GIVE YOU ANYTHING BUT MY LOVE!・・・」

    と、妙にネイティヴに聴こえる発音で其の曲名を思わず口にした。

    「え?・・ちゃんとぎぶゆえに・・・何ですか?・・それ・・十川先輩。」

    此の合宿から既に合奏メンバーに加えて貰ってたおちびちゃんが
    自分でちょこちょこ配ってた譜面を改めて覗き込んで其のタイトルを確認し
    何故かちょいとぽおっと頬を赤く染める・・・まあ、そこに書いてあった邦題が・・・
    「=愛がすべて=」・・と言うちょいとストレートに色っぽいものだったからである。

    「学連コンサートのアンコール、スタイリスティックスの此れにするからね。
    初見でも吹けるレベルのコード譜だけど・・実はちょっと仕掛けがある。
    冒頭部、ソロはトランペットなんだけど・・今回は此れを・・実は・・・」

    全員が食い入るように己がパート譜を見つめて思案中のなか・・・

    「お~い、薄田ぁ・・ラッパのメロディが無えぞお・・・」  ちょい疑問符の蒼山の声。
    「薄田ぁ、チューバの譜面に変なもん書いてあるんだが、冒頭」   此れは先輩の声。

    思わず起こるざわざわっと言う残りの部員のざわめきの中、
    薄田は其の二人の声を聴いて、ちょいと苦笑めいた笑いを漏らしたが・・・

    「まあ、最後まで聴けって(笑)・・今回、受けも狙って最初のソロのメロディは・・・
    哲つぁん、チューバのハイトーンで思いっきり=吹いちゃって=くれる?
    面白いと思うんだよね、意外性在って、ああ、スタンドかませばもっと良いなあ。」

    と、いきなり結構大事(おおごと)なアレンジ変更を加えた事をひょいと明かした。

    「はっ、ハイトーンって薄田、此んな高音域・・普通吹かねえぞっ、こんなもんっ」

    微妙に狼狽する=哲つあん先輩=に満面の笑みの学指揮薄田いわく・・・

    「大丈夫大丈夫、哲つぁんなら絶対に=吹ける=と思うんで、よろしく。
    さあ、時間無いから、皆、準備できた?行くよ・・ワン、トゥー、ワンっ・・」

    有無を言わせず指揮棒を構え、カウントを掛け始める薄田のさらに微妙な微笑。

    こうなってしまえば、もう厭も応も無い、如何に妙な譜面で在ろうと
    慌てようと突然だろうと・・・指揮棒上がったらもう吹くことに没頭するしか無い。

    其れが此の音楽莫迦たちの哀しくも素晴らしい=習性=。

    とは言え、通常絶対に在り得ない譜面見て未だに周章狼狽してた奴がひとり。
    当然のことながら、チューバのトップ、=哲つぁん・先輩=其のひとである。

    此れこそ青天の霹靂で普段見ない尾っぽのいっぱい付いた御玉杓子(♪)が
    いきなり曲の初手から回ってきた=哲つぁん=は、正直若干どきどきしつつも
    楽譜に書いてあるもんは、どうしても吹かにゃあんめえ、と、覚悟を決め
    必死に其の普段は使わない程の高音域を絞り出さんと大きくブレスをして
    ええい、初見だ、外してもまあ許せよっ、てな感じで・・思いっきり=吹き始める=。

    まあ、実際古い洋楽が存外好きで夜の水商売で暮らしてた此の兄ちゃんは
    スタイリスティックスの此の曲は何度も聴いていたことが幸いしたらしく
    其れほど苦労することなくメロディラインは追えたのか・・・
    さしてつっかえたり止まったりもせずチューバはちょっと不器用に唄い出した。

    流石にスタンド・・立って其の存在を誇示するかのようなソロ・プレイは
    いきなり言われても此の巨大な楽器では無理と言うものだったが・・・

    覚悟を決めて吹き出せば、なんと其のメロディはチューバ一本の丸裸。

    ハイハットシンバルのブラシヒットのしゃらしゃらって言う効果音のようなリズムと
    途中から刻み込んで来るスネアドラムのバックビートだけが同伴者と言う
    全くの誤魔化しが効かないすっぴんフルヌードのようなソロ状態。

    ふっ、普通チューバにこんなもん・・初見で渡すかあっ・・薄田ああっ(笑泣)

    心中で思わず呟き、一瞬で必死になった哲つぁんのチューバから
    ・・・奇跡的に・・・そう、あの夕刻の樹下の独演を思わせるような響きが
    ふわりっ・・と、夜の体育館の澄んだ空気の中に流れ出す。
    其の、しっかりとした太く豊かな音には妙な情感が溢れ・・
    普段の硬くて理屈っぽい生真面目な色と響きがすっかり消えていた。

    耳のいい部員が数人、えっ、と言った表情でチューバの方を改めて注視し
    他の連中も、およよ、とか、ええっ、てな表情を一瞬浮かべ楽器を構える。

    想像以上に沁みる、妙に哀感を帯びた豊かな響きが夜の体育館に柔らかく響く。

    チューバってこんなの吹けるんだ・・と、思わず呟くパーカッションの深沢。

    妙に甘く何処か微笑ましいソロのメロディフレーズが2回繰り返され・・・・
    其処にトランペットとトロンボーンの刻むようなリズムの和音が乗っかってきて
    バンド全部で縦のりの短いリズムフレーズを思いっきり刻んだ後・・・
    満を持したようにアルト・テナーのサックス群がメロディラインをなぞり始めた。

    ・・うん、いい感じ、予想以上のグルーブ・・・ほっほっほ・・・哲つぁんナイス。

    指揮しつつ妙ににやけ顔の薄田は、まさに・・してやったり、という表情。

    サビになり冒頭のメロディが復活する部分では、トランペットの蒼山と美樹が
    此れは元々こっちのメロディだい、と言わんばかりに朗々と吹き鳴らす。
    ちょいと練習とは思えぬほどに音がのびた・・ぴったり合った2本の併奏。

    ばばっぱっ ばばっぱっ、と厚い和音でリズム裏打ちするトロンボーン、ホルンと
    本来の通奏低音、前打ちの役目に戻ったチューバとの呼吸が徐々に合い・・・

    スネアドラムぶっ叩いてる斉藤まで、此れドラムセット欲しいなあ、と言わんばかりに
    時折ちょいとアドリブっぽい二拍三連のシャッフルを叩きだし始め・・・

    其れに合わせてハイハットをブラシでおお乗りで叩きまわす深沢の脇では
    三回生の久住という女の子と二回生の広井が妙に楽しそうに
    バスドラムを一生懸命ソフトに叩き、ギロをきっぱりリズム通りに擦っている。

    リズム隊が一体感出てくれば此の手の曲は否応なく締まるし面白くなる。

    $のすたる爺の電脳お遊戯。

    弦の裏メロを唄うように流麗に吹き流すクラリネット系と低音木管、ユーフォニウム。

    フルートとオーボエはチェレスタのようなキラキラした上向アルペジオを
    ちょいとフィンガリングに苦しみつつも殆どムードと雰囲気で散りばめていく。

    其処にアルトサックスの牟田口が、ちょいと演歌風に聴こえなくも無いものの
    妙に沁みる泣き節ふうのサビを情感たっぷりに唄いこむようにソロで吹きあげ

    最後はメロディ系楽器全てのトゥッティ(全奏)で・・・3分足らずの曲が終わった。

    「何だよぉ・・みんな、上手いじゃないの・・他のも最初っから其れで行ってくれよ。

    じゃあ、もう一回、あ、今度、チューバのソロ冒頭からスネアも軽くリズム入れて。
    ああ、リムショットでもいいな、シンコぺ(-ション)のアフタービートでいいからさ
    じゃあ、もう一回、通して終わるか・・哲つぁん、今の・・・=好い=よぉ(笑)・・・。」

    感にたえたような薄田のひとことに続いて繰り返された
    二度目の演奏の完成度は驚くほど高く、ノリも上々のものだった。
    少なくとも演奏している全員が無意識に=大ノリ=になるほど。

    かくして合宿三日目の夜は想像以上に恙(つつが)なく更けて行った。

    たとえ、練習が苦しかろうが体が疲れていようが譜面が初見であろうが
    うまく曲が決まったあとの此の音楽莫迦たちは大概妙にご機嫌だ。
    最後のエキストラな譜面が予想以上に上手く吹けたという事で
    此の夜の音楽莫迦たちは4回生から1回生まで妙に明るい雰囲気。

    各々楽器を片付け宿室に戻り、布団引いたり風呂に入ったり、こっそり何か食ったり
    4回生以下、短い消灯前の自由時間、ちょいと羽根なぞ伸ばして各々おくつろぎ中。

    今年は合宿自体の雰囲気も其れほどカリカリしていないと言う事も在ってか
    慣れない1回生男子のドリル組もそこそこ気を休める時間が持てているようで
    各々の宿室から時折何か言い合って笑う声も聞こえるちょいと長閑な夜となった。

    が、何故か独り、誰も居なくなった食堂廊下の片隅に在る非常用の灰皿の前で
    ぼんやり立ったままハイライトを吸う哲つぁんこと=先輩=の姿が。

    とは言え、今夜は流石に此の朴念仁もあのおちびのことを考えてた訳ではない。
    もちろん、夕食後彼を除いて行われた幹部会の驚愕の内容など知る由も無い。

    どちらかと言えば先程いきなり吹かされたチューバのソロの事だとか
    此処までのドリルの己の踏むステップやフォーメーションラインの反芻だとか
    如何にもこの部の4回生幹部チューバのトップらしい事を漠然と思いながら
    就寝前最後の一服を、と、独り部屋を彷徨い出て今此処に居たと言う訳だ。

    其処にふらりと現れたのは、珍しくも学指揮の薄田だった・・

    手には指揮棒を持ったまま、ぽつねんとハイライト吸う哲つぁんを見つけると
    何気なしに近寄ってきて・・やあ、と言いそうな雰囲気で片手を振ると・・
    思いついたように立ち止まりぼんやりと頷いた哲つぁんこと=先輩=に
    柔らかい微笑を見せて訥々と話しかけてきた。

    「ふう・・哲つぁん・・今夜のあれは良かったねえ・・みんな驚いてたよ。

     まあ、チューバだってメロディ楽器だから当たり前なんだけどね。

     今度もうちょっと長い奴も、ちょいと吹いて見ないかい・・サマコンあたり。」

    褒められて厭な気はしないが、流石にさっきの譜面は予定外だったと言いたげに
    大きくハイライトの煙を吹いて、此の朴念仁は恥ずかしそうに応える。

    「ああ、薄田・・そりゃ在り難いんだが、まあ、俺の腕じゃ・・・ちょい重荷だわ。

     さっきのアレでも、もう、精いっぱいって言うかどう吹いたか良く判らんくらいで・・

     しかし、いきなりあの模様みたいな譜面ってのは、けっこうビビるわなあ。」

    其の言葉を聴いた薄田は、此の男にしては妙に情感の籠もった雰囲気で
    妙に意味深な言葉を呟いたのだった・・しかも幾分悪戯っぽい微笑のまま。

    「哲つぁんは今日、二回も驚かせてくれたからねえ・・最初は夕方、そして
     二度目はさっきの練習終わり・・僕は夕方の、ああ、ソロのほうが好きだが、ね。」

    一瞬怪訝そうに首を傾げ、次の瞬間、哲つぁん先輩の顔が一気に紅潮した。

    「うっ、薄田っ、お、おま・・お前さん、其の、あの、何だ・・体育館裏の・・・」
    「聴いたよ・・亜麻色の髪の乙女・・哲つぁんらしくない小難しくない音だった。」

    「そっ、その、あの、ああ、えっと・・ど、何処で聴いてたっ、薄田っ」
    「体育館の横の踊り場みたいなとこで、スコア見てた時に・・其れが?」

    「い、いや、その・・聴いた以外に・・いや、なんでもねえ・・・何でも無い・・んだが」

    其処まで聴いた薄田、ふと、真顔になって=先輩=を押しとどめるように
    其の狼狽しまくってる言葉尻をひょいっと取り上げて言葉を継ぐ。

    「哲つぁん、実はね・・さっきの夕食後・・哲つぁん以外の幹部が寄ったんだよ・・」

    何を思ったのか、主将山内の箝口令があったにも関わらず・・
    薄田は此の男らしく淡々と今夜起こった此の哲つぁん抜きの臨時幹部会の顛末を
    其の発端から最後の結論まで私情抜きでぽつりぽつりと語り始める。

    其れを聴いていた此の=先輩=の貌が、妙に紅潮したりまた白くなったり・・・
    最後はふうっと此の男らしくない吐息まで吐き、微妙な表情で・・

    「・・薄田、そりゃあ・・面倒かけちゃったんだなあ、俺・・
     其の、=俺の個人的な行動=っていうか・・浮かれてて・・と言うか。

     ああ、あの・・フルートの稚美(ちび)・・いや、弓丘は悪くねえんだ。
     幹部の自覚が無かった俺が全部・・・其の・・すまん・・。」

    妙に意気消沈した顔つきで似合わない暗めの声で呟いて黙ってしまう。

    其れを聴いた薄田は、珍しく張るようなちと大きめの声で
    =先輩=を慰めるとも元気づけるともつかぬ微妙な言葉を語り出す。

    何処か長い、独白(モノローグ)にも似たトーンの響きの・・・


    「そんなことは無いよ、哲つぁん、ただ、僕は君も呼ぶべきだ、と思った。
    ・・当事者なんだからね、あ、欠席裁判は卑怯だって意味でね。

     でも、蒼山はああ見えて気が小さいし存外お人よしだから
     悪気があって君を呼ばなかったんじゃないと思う。

     だから、蒼山を恨むな・・って、哲つぁんそういう奴じゃ無いか・・

     でも・・哲つぁん意外に直情径行じゃん、其の場に居たら、多分・・・
     哲つぁん自身の事はともかく、あのお稚美ちゃんに影響が出るとしたら
     この件、絶対に引かない・・だろ? 特に今の哲つぁんは・・。

     みんな其れが判ってたから誰も呼ぼうって言わなかったんだよ、君を。
     悪く思わないでやってくれる?蒼山も役職だから言いだしただけだし・・
     言いだしたときも重い雰囲気ってより雑談に近い感じだったし・・・
     
     ・・まあ、最後は・・・予想外の結論に落ち着いちゃったけど。

     僕は・・・最後まで哲つぁんには内緒にしようと思ってたんだけどね、さっきまで。
     
     山内も哲つぁんには自分が説明するからって全員に念押ししてたし・・・

     でも、其れもちょっとっていうか、何か嫌じゃね?全員で隠し事するみたいで。

     隠し事無くそうって話の顛末を誰かに隠すなんてのはさ、どうも・・ね。
     だから、此処で全部話しちまったんだ・・ああ、本当に気にすんなって。
     
     哲つぁんは別に悪い事したわけじゃ全然ないと思う、むしろ良い事って言うか・・・

     実際、あの妙な部則を、山内が、あいつらしい大鉈でぶった切るみたいに
     独断で綺麗に無くしちまうってのは、ちょっといきなりで吃驚だけど

     僕は良いことだと思うんだよ・・うん、本当に思ってる・・ああ本当に。

     音楽ってさ、やっぱ、心の状態が技術と同時に演奏に影響すると思うから。

     今までみたいな、あんな妙に押し隠したような付き合い方をしながら
     鬱憤ためて日々送るってほうが音楽的には弊害も多いって思ってたし
     其れが原因でいろいろ在ったことも・・・まあ、事実なんだから。

     ああいう全時代の遺物みたいなものが変な形で残ってたせいでね。

     其れを哲つぁんとあのお花畑なおちびちゃんが・・本来のね・・その
     全然意識せずにっていうか・・まあ・・僕はそういうのあんまり疎いんだが・・
     
     深沢が言うには、すごく一生懸命に真面目に・・って・・はは・・・

     レンアイってそんなに一生懸命にやるもんかも良く判らんのだけど・・
     そういう真面目さみたいなもんが偶然っていうかなんというか・・ね。

     そして、僕的にはもう、其の結果みたいなものも見えてる気がする

     ・・・其の実例が、夕方のあの哲つぁんの音と演奏じゃないかって。」

    薄田は此の男にしては奇跡に近い長広舌を淡々と静かに振っていた。

    其れを聴きながら何故か=先輩=は妙に心の中が暖かく湿ってくるのを感じていた。
    今まで一度も感じたことの無い、妙に切ない安らぎのようなものと共に。

    ああ、此の無口な人付き合いの苦手な奴が・・・こんなに長々と・・
    俺の、まあ個人的に過ぎる感情と其れから出た行動のために
    其処まで真面目に考えてわざわざこんな夜遅くに此処まで来てくれたのか・・

    己のお子ちゃますぎた行動への慚愧や、こんな事であのお稚美を・・・
    悲しませるような事が在ったら、と言う強すぎるまでの惧れを吹き消すような
    何かとても温かい気分が・・・此の朴念仁を静かに揺さぶりつつあった。

    「だから・・あの曲、もう一度、皆の前で吹いてくんないかな・・・哲つぁん。」

    「あ、あの曲って、あれか?いや、ありゃあ人に聴かすようなもんじゃ、その・・」

    「当然、伴奏のアレンジは僕が書くから、此れは指揮者としてじゃなくてさ
     同期の薄田正一としての頼みなんだけどね、音楽好きの低音楽器の。」

    「薄田・・だけどよ、あんなに吹けるかどうか俺にも・・其の、何だ・・」

    「吹けるよ、今の哲つぁんなら・・考えといてよ、此れ、本気だから。

     でも、あのお稚美ちゃん、いい子だね、僕もあの子・・好きだな。
     あ、女の子って言うより、まあ、後輩としてね・・・
     音も素直だし、リズム感も良い・・大事にしてあげなよ、哲つぁん。
     フルートの貴重な戦力になりそうな有望新人だから。

     はは・・僕が今さら言うことでも無かった・・・かな、こりゃ=大野暮=かあ。」

    最後は微笑してふいと立ち去った薄田の後姿が妙に優しく見えた・・・

    哲つぁんこと=先輩=は大きく大きく溜息のような長い息を吐くと
    改めて独りで沈思しはじめる・・お気に入りのハイライトを咥えることもなく。

    俺って、多分・・友達に恵まれてるんだ・・よな・・間違いなく。

    そう呟いた=先輩=の肩先が、妙に細かく震えていた感じがしたのは
    5月とは言えまだ夜は幾分冷え込む山の空気のせい・・だったかもしれない。
    もっとも其の心中は妙に暖かく柔らかなもので満たされていたようだったが。

    遠くの廊下で薄田のひっくしょん、と言うドリフのギャグのようなくしゃみが響き
    ちと肌寒さを増した5月の山中、合宿所の非常口のかたすみで
    =先輩=は結構長い間、無言で佇立していたのだった。

    何処か安堵したような幸福な微笑を浮かべたままの表情で。

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