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2011~2013年
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2011~2013年

2019-01-18 07:46
    1月に仕事を辞めた。

    この後の人生のことは何も決まっていない。

    俺が社会から孤立したのが、2011年だった。

    東日本大震災の年だ。

    当時は、職場のパワハラでおかしくなって退職へと追い込まれて、その後の震災。世間は大変なことになっている、ということは分かるが、それよりも自分の人生のほうが大変だった。だからTVに映る震災の風景はなるべく目にしないようにしていた。

    その代り俺が何をしていたかと言うと、それまでのライフワークともいえる風俗通いばかりを続けていた。あとはネット・・・主にニコ生に没頭していた。まったく他人からは理解出来ないだろうけど、当時の自分はそれでも苦しく感じていた。

    しばらくは傷病手当をもらいながら生活をしていた。

    傷病手当の受給期間は、1年半。ということは、2012年の夏頃まではだらだらしていたのかも知れない。

    もしくはリハビリ代わりにコンビニでバイトを始めたのが、この時期だったような気もする。記憶が曖昧だ。

    たぶんこんな自分のことなので、2012年の夏までは傷病手当をもらい続け、その後にコンビニバイトに応募したんじゃないかと思う。

    コンビニバイトはあまり長く続かなかった。

    「向いてないな」と思ったのが主な理由で、自分は組織人間だったので、自発的に仕事を見つけて動くということが出来ていなかったのだと思う。

    結局、3ヶ月とか・・・辞めた月は確か2月だったので、2013年2月に辞めたんじゃないだろうか。

    その後はハロワに通い、就活を始めた。

    もともとが親のしがらみで始めた仕事でおかしくなったので、親の縁故とは関係なく、どこかの組織に属するのが俺の目標だった。

    しかし、当時すでにいい歳になっていたこともあってか、就活はどれも惨敗だった。

    そんな感じで、2013年を終えたような気がする。

    その時に自分が所有する株の一部を売却したはず。確か売却にかかる税金が10→20%に変わり、ちょうどその頃貯金が一定のラインを下回ったので、売っぱらったのを覚えている。

    そういえば、2013年は父の愛人と仕事をするという訳のわからん状況にいたはずだ。

    なんでも京都にある古い町家を所有していて、それを旅館にするためのリサーチをアシストしていたように思う。

    ということは、就活で大した手応えも感じられず、困りあぐねていた時期に、父からその話が出てきたのだろう。

    この頃の話は面白いので、次に記事を分けて書いてみようと思う。


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