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言葉を「借り物」にすることについて
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言葉を「借り物」にすることについて

2017-12-31 12:00

    インターネットが黎明期から発展期へと進むにつれて、
    誰もが情報の発信者になることが可能になりました。環境さえあれば誰でも。

    そういう時期からの、今でも続いているひとつの風習。
    "言葉を借り物にする" という風習。

    例として、
    前文や末文に、議論の相手に向ける「主文を前提とした」人身攻撃的な弁を書いた上で、
    肝心の主文が "どこからか引っ張ってきたニュース記事のコピー&ペースト" だけとか。

    昔の時代は「だってテレビがそう言ってたもん!」という人の言う事って、
    冗談半分に受け止められることもあったとは思うけれど、

    ネットではない現実の世界で、
    自分に向けて同じようなことを何回もされた身だから、
    今ではこう思う。

    楽でいいなあ、って。







    それぞれの言葉が持つ意味は、時代の流れや、使う人によって変わってしまうモノ。

    言葉は本来、それぞれの人が、
    人生でどういう経験をしてきたかの指標だと私は思っている。
    言い換えれば、人という木の枝にひとつひとつ付いている、まさに葉。

    誰かの意見を借りるということは、
    その言葉のひとつひとつを、相手がどういった使い方をしているか、
    自分は元はどういう意味で使っていたか、ということを考えることが必要。
    そうでないと、
    その借りた言葉は自分に適合することなく逆に自分を乗っ取ろうとするモノになってしまう。

    誰かの言葉を、自分自身に適合するように借りなければ、
    その言葉に自分が操られて、自分自身が言葉の "葉" になってしまう。

    「葉がたくさん付いた言葉」に苦しめられた人はいますか?

    自分の持つ考えを、どれだけ正しく、筋道立てて伝えようと言葉を紡いでも、
    葉がたくさん付いた言葉にはなかなか勝てません。
    だってそもそも大きさが違うもん。規模が違うもん。

    それぞれの時代における言葉の意味や、それが複数集まって作られる価値観の正しさは、
    必ずしも論理的な正しさだけでは決まらない。
    場合によっては「同じ価値観を唱える存在の多さ」で決まることもある。







    現実の生活の中で、子どもの頃に周りの人から言われた言葉で締めくくります。

    「あなたは頭が良くていいね」
    「説明が上手だし家電量販店の店員にでもなったら?」

    いいことばかりじゃないんだよ
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