• “批判されても聞き入れるな!”は正しいか?

    2019-06-15 17:02
    自分が何か新しいことに挑戦しようとするとき、決まって登場するのが
    「そんなのやめときなさい」と言う批判者だ。
    これに対して多くの人が「自分が信じたことをやるべきだ。失敗してもそれを経験にして、また挑戦すればいい」と語っている。果たしてそれは、常に通用する理屈なのだろうか。




    終身雇用が失われ、年金制度も破綻しかけている現代社会において、「男はこうあるべき」や「これは女の務め」などという指標は意味をなさなくなった。同じ仕事に一生徹することは、今ではもはやリスクにしかならなくなった。そんな中生まれたのがネットビジネスだ。どこにも属さず、ネットを駆使することによって己の力でお金を稼ぐことが、今では「仕事」の一つとして世の中に認知されている。広告アフィリエイトや株式投資など、一部は昔からあったりしたのだが、それが最初から「仕事」という形で捉えられていたわけではない。ネットビジネスが人々に浸透していない当時、ネットだけでお金を稼ぐ彼らは「ネオニート」と呼ばれ、あくまでもニートという位置づけだった。



    ネットビジネスという概念が先立って認知されたものの一つはやはり「ユーチューバー」だろう。彼らの掲げた「好きなことをして生きていく」という言葉は、若い人に絶大的な影響力を与えたに違いない。新しいことへの挑戦に対して「そんなのやめときなさい」という批判は、人と違う道を歩んで成功できた彼らにとってみれば、それほど無責任な言葉はないだろう。だからこそ投資家しかり、ユーチューバーしかり、成功した人の言う「批判されても聞き入れるな」「自分を信じろ」という言葉には説得力を感じるのである。
    「批判する人はあなたの人生を考えてものを言っているのではない。自分の人生は自分だけのものだから、批判を聞いてはいけない。」というのももっともだ。



    よくある例えとして、「賢い人よりも、バカの方が成功しやすい」と言われている。なぜかと言えば、賢い人が何かを始めようと思った際、賢いが故に、生じるリスクや方法論などと考えをめぐらせ、さらにはさまざまな人の意見まで取り入れようとし、あれこれしているうちにチャンスを逃しかねないからだ。変化の早い現代社会においては、考える前に行動を起こし、それが失敗しようとまた難しいことを考える前に次のやり方に挑戦する。結果、ある程度バカである方が成功してしまうという理屈だ。
    そんなバカが...失敬。そういう成功者が揃って口にするのが「人から反対されても自分を信じろ」という言葉だが、これはあくまで、あれこれ考え過ぎてしまってなかなか行動に移せない、いわばちゃんと“賢い人”に向けた言葉であって、“本物のバカ”に向けた言葉ではないということを理解しておくべきだろう。なぜならいくら自分が信じた道とはいえ、騙されている可能性も大いにあるからだ。




    僕は今までくどいくらいにトランスヒューマニズムに騙される若者たちを話題に取り上げてきたが、それと同時に巷ではアムウェイという企業からビジネスの勧誘をされている人が多くいるという話を聞いた。「トランスヒューマニズムで人間が神になる」も宗教だし、「アムウェイで不労所得を得る」もマルチ商法である。いずれも論理的に考えれば理想通りにいかないということはわかるはずだが、勧誘側はもちろん論理的に考えられない“バカ”をターゲットにしているのだ。だから勧誘側にいくら「そんな話は嘘だろ」と論破をしたところで痛くも痒くもなく、次のカモを探すだけなので被害はおさまらない。被害を食い止めるには、バカが自分から気づくしかない。でも気づけないからバカなので、気づいた人が気づかせてあげるしか手立てはない。



    心理学では「ロミオとジュリエット効果」というものがあって、その人を反対すればするほど余計に強固な態度に陥るという現象がある。これは反対する側が特に気をつけないといけない。
    マインドコントロールされた人は、マインドコントロールされていると気づいていないのが特徴で、冷静な考え方を失い、極端な視点に向いている。冷静な考え方を取り戻させるには、そのビジネスや宗教の論理的な矛盾を一つ一つ指摘し、「だからそのやり方だとおかしいんじゃないの?」と、相手に“気づかせる”というのが1番いい手法だ。極端な面に向いている視点を「それはだめだ!」と真っ向から否定すれば、相手からすれば否定している方が極端であると見えてしまう。そうすると相手は「ロミオとジュリエット効果」によって余計に自分の意見を固くしてしまうだけなので、それだとただの対立になってしまう。そして最終的に「人に批判されても自分を信じろ」という言葉を思い出し、連絡を断たれてしまう。



    「バカだから騙される」とは言ったものの、賢い人が安心かと言えばそうでもない。なぜならあの「オウム真理教」の幹部だった人間は、一流大学卒などの知的エリートが多かったからだ。真面目で理性的な人間であっても、心の拠り所を失っている場合、信じるものが欲しいと考える性は結局ほかの人と同じだ。そんな時に生きる意味を与えてくれる宗教は心強い。理性的であるが故に、それが人類の為だなどと理論的に説明されればコロッと騙されてしまう。騙す側は必ず賢いので、人の弱さに漬け込んで騙すことができる。そこには結局、バカも利口も関係なくなる。



    多少話が逸れたが要するに、自分に意見してくる人の話が単なる「批判」なのか、「助言」なのかを聞き分けないといけない。もちろん無責任に批判をする人も多くいることは承知だが、先人の知恵という考え方もある。自分よりも長く生きた人は、自分のことを自分自身以上に俯瞰して見てくれている場合がある。その人が信用できる人だったり、自分が向かおうとしている道に精通している人であれば、なおさら耳を傾けることには意義があるはずだ。
    この記事のタイトルは『“批判されても聞き入れるな!”は正しいか?』だが、実はどっちが正しいかは問題ではない。「正しいことなんてこの世にない」と、多くの人は中高生くらいになったら気づくものだが、それでも正しさにすがろうとするのが人間だ。
    つまり「批判されても聞き入れるな」は、ある程度の見識を持った人にのみ通用する言葉であって、何も知らないお子様がこれを鵜呑みにすると大変なことになる。自分と批判者、どっちが正しいかばかりにとらわれていると、「こっちが正しい」と主張する悪に騙されかねない。だから僕はトランスヒューマニズムの話題で再三「独裁国家が生まれる可能性」を示唆していたのだ。もしもこのブログを見てくださったあなたが「正しいのか?」という言葉に興味を惹かれてクリックしたのなら、あなたも正しさにこだわっている可能性がある。



    こういった流行りのフレーズをやたら使いたがる人からは傲慢さが見え隠れする。なぜ傲慢になるかと言えば、彼らも結局反対されることが不安で、せっかく手に入れた心の拠り所をまた失うことが怖いからである。怖くて仕方ないからこそ「自分を信じる」というフレーズで覆い隠す。だけどそれ故に視野が狭まってしまうのだ。



    スターウォーズの悪の帝王“ダースベイダー”は、もともとジェダイの騎士として活躍したアナキン・スカイウォーカーだったが、その裏ではずっと自分や周りを信じられない不安を抱えていた。その不安を見抜いていたダース・シディアスからそそのかされて、心の暗黒面である“ダークサイド”に堕ちた。その結果がダースベイダーだ。だがそんな彼も、根っから悪だったわけではない。自分が正しいと思っていたものを突き詰めた結果、悪に堕ちただけなのだ。

    正義は悪にも善にも存在する。正しさを追求することが常に正しいとは限らないことを、我々国民は肝に命じておかなくてはならない。

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  • マイクロチップを埋めることが進化?冗談じゃない。

    2019-06-09 14:27


    『“トランスヒューマニズム”に騙される若者達。』

    『都市伝説界隈とトランスヒューマニズムの実態』



    日本トランスヒューマニスト協会が、ツイッターの抽選で当選した人にマイクロチップを入れてあげるということを行なっています。
    「これで私もアップグレードできる!」と喜んでる人がおられますが、変身ベルトを買ってもらって喜んでる子供かお前らって感じです。
    ピチュウからピカチュウに、リザードからリザードンに進化するみたいに、人間からトランスヒューマンに進化できると思い込んでるみたいですね。もうアニメやSFに脳を毒されて育ってきた現代人はトランスヒューマニズムを1から教え込ませるまでもなく、すでにマインドコントロール済みだったのかもしれません。まぁせいぜいサーバーもしくはクラウドという名のモンスターボールに閉じ込められて一生、主人のポケモンとしてこき使われたりしなければいいんですけどね。

    人間はコンピューターの犬になるのでは?」という懸念に対して孫正義さんは
    ウチの飼い犬たちはいつも楽しそうにしていますよ(笑」と言っていたそうですが、マイクロチップという名の首輪を装着して楽しそうにしている人たちと全く同義で、進化というより頭が退化していると言わざるを得ません。というかこの現象はコンピューターというよりも、それを誘導している人間によって飼いならされているわけですけども。
    すでに海外では、社員全員にマイクロチップを埋め込んでそれを社員証代わりにしている企業も多く存在するらしいですが、そんな社会体制が整っていない日本で今からマイクロチップを埋めて一体何になるのか教えてほしいもんです。それで人間と地球が救われると思い込んでるなら勘違いも甚だしい。よく映画とかで、重要人物の社員IDを盗んでオフィスに侵入し、研究資料を盗み出すというシーンを見ますが、マイクロチップになったから安心、ではなく、今度はその人の手首ごと切り落として盗みに入られる可能性もなきにしもあらずだと思っています。現に、指紋認証だと指を切り落とされると懸念して、指の血流による認証に置き換えたという話もあるくらいですから、マイクロチップにしたくらいで安心などと言えないのではないでしょうか。あぁそっか、切り落とされてもトランスヒューマニズムで手首を作ってもらって解決するんだっけ。

    最初にお見せしたこの本、そろそろ、人工知能の真実を話そうに書かれていることは、ちゃんと科学や歴史、宗教などの見地に基づいて、昨今のシンギュラリティというものを批判した本です。「1つの可能性でしかないものを盲目的に誘導している」や、「傲慢な心が引き金に」といった、僕がブログで書いたことと一致する見解もあったりして、読んでて嬉しかったです。もし僕の知り合いの中でマイクロチップの埋め込みを検討している人がいたら、変な宗教勧誘に騙される前に先にこの本を勧誘しておきましょう。

    僕がツイッターで「日本トランスヒューマニスト協会は新興宗教です」と呟いたところ、1人の信者から「それは違います。」と言われてしまいました。まぁちゃんと宗教を理解して信仰している人と違って、マインドコントロールされた人は宗教だと気づかないのが特徴なので。その反論の内容を一言で言えば、「人には選択の自由がある。思想の自由をあなたが侵害することはできない」といったものですが、僕が『“トランスヒューマニズム”に騙される若者たち。』で予想した反対意見と大体一致します。最終的にみんな「マイクロチップを埋めるかどうかは選択の自由」「あくまで都市伝説」という言い逃れをします。選択の自由といっても、それなしでは生きていけない社会体制が敷かれてしまうのが世の常理です。僕は『若者に熱意がない理由。【第五章】』で「“自由”や“人それぞれ”の裏には“自己責任”の共通観念が潜んでいることに気づいていない」と書いた通り、自己責任で人間選別をくぐり抜けるかどうか問われるという風潮なわけですから、「本当に選択の自由があると言い張れるなら、人間選別なんて嘘ですと断言してみろ」と言っても誰も断言した人などいない。ということはやはりそれは「選別されるかもしれない」という、都市伝説に植え付けられた可能性を信じているわけですから、「あくまで都市伝説です」なんて言い逃れは通用しないんです。

    小学生でも知っているような「自由の権利」を大の大人が鼻高々に主張して何を目覚めた気になってるのか分かりませんが、そんな大義名分で理論武装することしか脳がないからこそ、自由の名のもとに近づいてくる商法に騙されるんです。「自由」とか「人類の進化のために」という利他的な思想を逆手に取られて「それ以外の目覚めない人間は奴隷になる」という利己的な考えを誘発しただけのことであって、結局国民一人一人の脳みそはいつの時代も進化などしていないことがわかりますよね。「自由のもとに」「神の名のもとに」「お国のために」と言って紛争や戦争を繰り返したのが歴史ですから。

    全く現実を見ようともせず、勉強しようとも思わず、「進化」に惑わされてそれが正しいと思い込んで疑おうともせず...。本当に、僕と同世代の人たちがいかに周りの環境に支えられてぬくぬく育ってきたかがわかるんですが、だからこそ疑問に思ったことなんてないんだろうなぁと思います。そういう国民一人一人の行動が社会を形作っていくのですから、あなたたちのせいで独裁国家が生まれたらどうするんだと言いたい。まぁそれこそ「あくまで都市伝説です」って言うんでしょうけど。日本の教育水準ランキングは何位かとか、今の日本の教育は遅れているなどという話があったりしますが、これは全国規模で比べてどうこうの問題ではなく、自分で見極めていくための勉強が必要になるんですが、人間が管理されるための教育に頼り切ってるようじゃ話になりません。

    僕はツイッターとかでよくこういったことを呟いているので、きっと人工知能から反社会的であると判断されて、人間選別からは除外されてしまうでしょう。そして予測逮捕されてしまうでしょう。だけどAI、もとい人間のペットになってワンワンと媚びへつらうのは僕の性に合わないのでちょうどいいんです。わずかなプライドにしがみつきたいんです。
    あなたたちのように、何もしないで進化できる方々が羨ましくて仕方ありません。僕は所詮、目覚めることのできないただの人間でございますので、まだまだ本を漁って勉強させてもらいます。それでも僕が目覚めることができなくて、ずっとツイッターで同じようなことを呟いていたとしたら、どうぞ負け犬の遠吠えくらいに思っておいてください。いつか殺処分されてしまっても、檻の中でぬくぬくしているあなたたちの目には映らないでしょうから、何も心配することはありません。そう、あなたたちの人生はAIさまによって守られているのですから(笑

  • これの意味が分かっても、公言してはいけません。

    2019-06-03 21:36
    第5章の後半を書いて載せるつもりでしたが、それはあまり言っちゃいけないことであると気づいたので、終始抽象的な言葉を綴って終わろうと思います。

    ちゃんと書くテーマも決まっていたし、構成を練りながら書いている途中でした。だけどその前にトランスヒューマニズムのブームが巻き起こっていることを知り、話題性を考えてそっちを先に書いて載せました。ひと段落ついたのでそろそろ後半に移ろうと思ったのですが、そのさなかで、言っちゃいけない、その新たなことに気づきました。言ってしまったとしてもおそらく意味が分からない人が大半で、意味が分かった人であればすでに気づいている可能性が高いので、何も問題はないと思います。それこそ映画であるようなうさんくさい言い方もできるのかもしれませんが、逆にそれをうさんくさいとみんなが思うようになっていることがもう、流石であると言ったところでしょうか。


    知識の問題ではなく気づくかどうかによるもので、中には先天的にそれが体現している人もいて、一部だけ体現してるが気づかない人もいて、気づいても体現しない人もいます。一番賢いのは、体現もしているし気づいていて、なおかつそれを上手く、あるいは都合よくコントロールできる人です。「人は皆、罪を背負って生まれてくる」とは言い得て妙でありながら大義名分としても機能しているので、人は今までずっと体現しないように、気づかないようにされていたのでしょう。だからこそ、なにかの拍子に、あるいは先天的に体現しているにも関わらず、気づかないまま「人」として生きようとすると上手くいかないのだと思います。
    気づいている人にとっては、気づかない人に言っても仕方ないことであり、その結果が今の世の中であると同時に、わりかし「必然」とも言えます。


    前半では、思春期から大人にかけて〜っていう話をしましたが、今の世の中は人類規模での反抗期が訪れているというのが僕の見方です。
    ひとつ確かなことは、国も社会も神さえも信じられなくなった世の中に新たに生まれた信条は、「合理性」です。まるで中学生が「なんで勉強するんですか」「なんで人を殺しちゃいけないんですか」と聞くように、今では社会そのものが、今までの社会のあり方に対して反抗するかのごとく、「合理性」を見出そうとしています。だからこそ人はAIという新しい親にすがろうとするのですが、それ故に人の中で体現されてしまいやすい状態になっているのも事実です。その上で人間は上手く大人になるか、やさぐれるか、はたまた新しい親元に移ってずっとサンタクロースを信じ続けるか試されていますね。
    「スターウォーズ」シリーズでは、それが体現されてしまうことを恐れていたジェダイの方が結局滅ぼされたので、その前提でどうするかは自分次第なのです。