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隕石の落ちる夢。
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隕石の落ちる夢。

2021-06-06 19:04
    長年やってきたことはずっと記憶に残っているから夢にも見やすい。
    例えば昔のバイト先でバイトしている夢、学生時代に戻って授業を受けている夢、家族と生活している夢などは今でもよく見たりする。だが奇妙なことに唯一、一度も経験していないにも関わらず小学生の頃からしょっちゅう見る夢がある。それは隕石が落ちてくる夢であり、そこから自分はなんとか生き延びようと必死で逃げている。

    その夢を見ているときは決まって「もう世界が終わるのかもしれない」という恐怖を感じている。一昨日も今日もまたそんな夢を見たのだけれど、「これが仮に何かの記憶なのだとしたら、ひょっとすると第二次世界大戦ではないだろうか」とふと思う時がある。

    僕はスピリチュアリストではないが、科学で証明できないものを真っ向から否定する人間でもない。生まれ変わりなどがあって、前世の記憶を持っている場合もあるのかもしれない、くらいに思っている。もしかすれば僕は第二次世界大戦中に死んで、生まれ変わったのが今の自分であり、前世で受けた空襲の記憶を、夢では隕石というものに置き換わった形で思い出している、ということもあるのかもしれない。しかしどちらかと言えばリアリストである自分としては、その解釈だけで片付けることは個人的に釈然としない。
    現実的に考えるとすれば、映画のシーンで観たものが強烈に記憶に残っている、といったところだろうか。しかしそれでも、小学生の頃から成人した今でも、何度もその夢を見続けるほどの強烈なシーンがあっただろうかと考えたところで、具体的な映画のタイトルやそのシーンを思い出せるわけでもない。もちろん今でもたまに、モンスターものの映画などを観た日の夜に、モンスターに襲われる夢を見るということはあるのだが、基本的に一夜限りである。隕石が落ちる夢を見る時というのは、昔から決まってなんの前触れもなく見るものであった。現実的に解釈するにしても、「映画で観た」だけでは無理があるような気がするのだ。
    と言っても所詮夢なので、個人が納得できる解釈ができればいいものだと思っている。「この夢を見た人はこういう状況に置かれている」などと決めることはできないし、精神状態が夢に反映されるとしても、反映のされ方は人それぞれ無数にある為、型にはめることは非常に難しい。

    では、僕が個人的に納得できる為の解釈を見出すことが不可能かと言えばそうでもない。一つ面白い科学的事実を知っている。
    それは、「強烈なトラウマ体験による記憶は自分の遺伝子レベルにまで刻み込まれ、それが3世代にまでわたって受け継がれる」というものだ。
    そもそもトラウマとは、同じ状況に出くわした際にすぐ対処できるよう、強烈な記憶として残しておくという生存のメカニズムとして存在しているわけだが、それは自分だけでなく、次の世代にまで伝わる性質がある。もちろん具体的な記憶が受け継がれるわけではなく、その対象への恐怖心や嫌悪感といった形で受け継がれる場合が多い。馴染み深い例だと、虫に対する嫌悪感も、病原体回避の為の適応心理と言われており、僕らの本能に根強く残っている。


    これに関していくつかの興味深い事例がある。まず、1年間不眠に悩まされていた男性の話だ。
    その男性、ジェシーは19歳の誕生日を迎えた翌日の午前3時半、ひどく凍えそうになって目が覚めた。毛布を羽織っても体は温まらない。また、眠ると何か恐ろしいことが起きるかもしれない、もう目を覚まさないのでは、というかつて経験したことのない恐怖に囚われていた。それから1年間、彼は不眠症に悩まされていたのだ。
    ジェシーがとある臨床心理士にその話を打ち明けると、「寒気、眠気、そして19歳という要素を含むトラウマが、家系の中に存在していないか」と問われた。すると彼は、父親の兄(伯父)の悲劇的な死について、最近母親から聞かされたことを明かしたのだ。
    その伯父、コリンはかつて、冬の嵐の日に送電線の点検をしていて凍死したのだ。そのときの年齢が19歳。低体温症で意識を失い、うつ伏せで倒れているところを発見された。あまりにも不幸なその出来事により、家族は二度とコリンの名を口にすることはなかった。それから30年の月日を経て、ジェシーはコリンの死と、意識を失うことへの恐怖を追体験していたのである。
    ジェシーはこの事実を臨床心理士と共有した上で適切なセラピーを受け、不眠症を克服したのだ。

    もう一つ、ミーガンという女性の話も取り上げておこうと思う。
    ミーガンは19歳で結婚した。だが25歳になった彼女は、ある日キッチンテーブルの向かいにいる夫を見て、感覚が麻痺するかのように、夫への愛情が消え失せているのを感じた。そしてほどなくして、夫に離婚を申し立てたのだ。しかし彼女自身、急激に愛情を失ったことを異常に感じ、臨床心理士のもとへ駆けつけた。
    そのカウンセリングの中で臨床心理士は、家族史の中に潜んでいるトラウマを探ってみた。するとミーガンは、彼女の祖母が25歳という年齢で夫を失っていたという出来事を思い出したのだ。ミーガンはそれをもともと知ってはいたものの、まさかそれが影響しているなどとは思っても見なかった。それを受け止めるのには少し時間がかかったらしいが、少しずつ希望が湧き、数日後に臨床心理士の元へ、「夫への愛情が戻ってきている」と電話を入れたのだった。


    僕の「隕石が落ちる夢」は落ちてくる数もその時によりけりで、一つ二つで止む夢もあれば、無数に降ってくる夢もあり、そこから必死で逃げていたりする。そして決まって、「世界が終わるかもしれない」という恐怖がつきまとう。
    亡くなった僕の祖母や祖父は第二次世界大戦を経験したまさにその人だが、第3世代にあたる僕にその恐ろしさを伝えている、などと勝手に解釈してみるのもアリかもしれないと、ふと思ったのだ。
    祖父や祖母から戦時中の体験を直接聞いたことはない。だが僕の母の話によると、祖母が小学生だった頃は戦時中の真っ只中で、バケツにくんだ水を泣きながら、燃えた家にかけていた経験があるということを、母は聞かされていたらしい。
    僕がこの夢を見始めたのは小学生の頃であり、その頃から漠然と、「いつか世界が破滅を迎える日がやってくるかもしれない」という恐怖を抱いてきた。高校に入ってからは少しずつ社会状況や世界情勢にも目がいくようになり、「日本が日本でなくなるかもしれない」「別の国に乗っ取られてしまう」という不安も感じるようになり、成人してからはとりわけその恐怖が強くなってきている。
    第二次世界大戦中ではまさしく、アメリカに日本が乗っ取られることを危惧していたに違いないが、その時の危機感や大切な人を亡くす悲しみ、そして空から降ってくる爆弾への恐怖を、もしかしたら受け継いでいるのだろうかと考えた。
    もちろん、政治を意識し始める年齢だと言ってしまえばそれまでだし、隕石の夢なども全ては偶然であり、自分で勝手に関連性を見出しているだけかもしれない。
    しかしあえて拡大解釈するとすれば、昨今若い人の間で増え続けている鬱や自殺、そして自分の人生に対する無気力、無力感などは、戦時中を生き延びた人達の第3世代または第4世代にあたる僕らに共通して潜んでいる恐怖かもしれない。第二次世界大戦の強烈なトラウマが受け継がれるということは、当然同じような記憶を他の多くの日本人も受け継いでいる可能性が大いにあるということになる。

    今では精神疾患に対しては投薬による治療が主流だ。また巷では「幸福とは、セロトニン、オキシトシン、ドーパミンの分泌される量やタイミングによって決まる」などといった具合に、物理的な側面で物事を捉えることが増えている。
    ここで考えたいのは、トラウマが遺伝子レベルにまで刻み込まれるということは、これも当然物理的な遺伝子の変化なのである。全てとは言わないが遺伝子レベルで引き起こった精神疾患も存在するとすれば、果たしてそれを投薬によって無理やりセロトニンを分泌させたところで治ると言っていいのだろうか、という点である。投薬による効果には個人差があるということは医師も認めている事実であるが、抗うつ剤は麻薬と同じだとする見方もあったりする。投薬はいけないと断言するつもりは全くないし、その判断を下せるだけの知見は僕にはない。しかし、個人へアプローチする治療やカウンセリングに効果がないのであれば、それはあなただけの問題とは言えないかもしれない。


    今回挙げたジェシーとミーガンの事例は、マーク・ウォリン著の『心の傷は遺伝する』から引用させて頂いた。
    こちらには科学的根拠を踏まえた詳細なども載っているので、詳しく知りたい方はこの本を読むことをお勧めする。

    ちなみに僕が読んだ感想としては、根拠となる部分は理解できたが、実際の治療と一般的な催眠療法との違いがよく分からないというのが正直なところであった。
    催眠療法と言っても様々だが、その中でもオーソドックなものは、起きている不調に対して内面と向き合い、その原因を探って解決を図るというアプローチではないかと思う。それでなぜ治療できるかというと、トラウマに対しての解釈が変わるからである。
    挙げさせて頂いた2つの事例からもわかる通り、今まで恐怖を抱いていたものや、違和感を覚えていた感覚に対して、恐怖や違和感ではない別の形へと解釈を変えることによって、その事実を自分の中でしっかり受け止められるようになることにより、引き起こされていた不調が治るのだ。
    自分を蝕んでいるはずの不調は、皮肉なことに、生存を促す為、即ち自分がこれ以上傷つかないための防衛策として身体が引き起こしていたりすることもあると考えると、薬で症状を抑え込むことの無意味さが理解できるだろう。

    ただ、催眠療法と何が違うかと言っても、プロセスは違えど、やっていることは同じなのかもしれない。
    催眠療法とはその名の通り、患者を変性意識にして、患者自身で内面の深いところにアクセスすることによって、気づいたことを発話させる方法だが、紹介したこの本の著者は、患者が自身のことを説明する際に使ったワードの中から手掛かりになりそうなワードをピックアップし、そのキーワードを元に原因を探るという試みが為されていたようだ。いずれにせよ、解釈を変えていくという点は似ていると思うのだ。催眠にしても対話にしても、その分野に精通した人ならではの技術と言える。

    僕は一度も精神科や心療内科にかかったことはないのだが、自分で調べて自分で自分の内面を分析するという作業が好きである。間違った病院に行ったことによって誤診を下されて薬を処方されて終わるのも嫌だし、かと言って自分が納得できる病院を探すのにも時間とお金がかかりすぎる。だから自分で分析して、それを文章にして書き起こして紹介する。因果関係がはっきりしなくてもいい。とにかくそれを説明する為には、例えとしてどういう事象を持ってくるのが妥当か。これを考えるのが僕にとって今のところ1番しっくりする療法なのだ。
    もちろん人によって違う。だが、あまり軽はずみに薬に手を出さない方がいいとだけ言っておきたい。何か高い技術を習得するのに時間がかかるのと同じように、長年の不調をすぐに解決できると考えるのは尚早である。薬は1番最後か、もしくは急を要する時だけ、例えば誰かが目を離すと自殺してしまうほどに追い込まれている時などでいいと思う。
    自分だけと思っていたことがひょっとすると、多くの人に根付いた集合的無意識の中にその答えがあるかもしれない。

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