韓国の「仮想」集合意識と朴大統領
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韓国の「仮想」集合意識と朴大統領

2016-11-19 22:53
  • 16

さて、本日は現在唐突に強気になった韓国の朴大統領の動向などに関連し、韓国社会独特の主観的・絶対的正しさに基く考え方について書いていきます。


韓国発の情報をチェックしていると、論争になっている内容に関して「普遍的」とか「普遍性」といった表現をつかって問題提起しているものが頻繁に出てくることがわかるが、これは以前から書いているように韓国社会では「自分の正しさは社会的な普遍性を持つ」という考え方からきている。


そして韓国では、この主観的な「正しさ」があたかも集合意識であるかのように「誰もが同じ考えを共有している」と考えられており、自分の想定する正しさは世界で通用する絶対的な道徳的正しさであるという考え方から「普遍性」の単語が頻繁に使われている。


しかしあくまでこれは主観に基くものであるため、国際社会や他国とは頻繁に「ズレ」が発生するうえに、韓国内であっても同じく「ズレ」が発生する場合があり、朴大統領の唐突な続投宣言などは明らかにこの「正しさのズレ」からきている。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはインターネットアーカイブやウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。



1:韓国社会の仮想的な集合意識


まずはこちらの記事から


韓日軍事情報協定推進  国防部「大統領府の指示ではない」
聨合ニュース 2016/11/17
http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2016/11/17/0400000000AJP20161117002300882.HTML

【ソウル聯合ニュース】韓国国防部の文尚均(ムン・サンギュン)報道官は17日の定例会見で、記者から韓日が仮署名した防衛秘密共有のための軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の推進は青瓦台(大統領府)の指示によるものかと尋ねられ、「そうではない」と否定した上で「関係官庁との十分な協議を経て国防部が建議し、国家安全保障会議(NSC)で決定した」と説明した。一部韓国メディアは国防部がGSOMIA推進を建議したのではなく、同部が推進の可否について指針を示してほしいと青瓦台に要請し、朴槿恵(パク・クネ)大統領がGSOMIAの推進を決定したという趣旨の内容を報じた。

 GSOMIAをめぐっては、日本が歴史認識問題に対し従来の立場を変えていない状況で韓国が日本と軍事協力を行うことは不適切だとする指摘が多いが、政府は14日の仮署名に続き、締結を急いでいる。

 文報道官は、記者から国防部がGSOMIAの推進をどう建議したか問われると、「私が答える事案ではない」と回答を避けた。


この記事なのですが、注目すべきは「日本が歴史認識問題に対し従来の立場を変えていない状況で韓国が日本と軍事協力を行うことは不適切だ」という部分です。


そしてこの歴史認識とは何かという事になるのですが、それは要するに慰安婦問題や竹島問題、その他戦後補償問題の事であり、要するに慰安婦問題ならば慰安婦の定義として「軍命令で軍人が行った女性の拉致」を認めるとか、徴用が強制連行であったと認めるとか、竹島が韓国領と認めるとかそういった内容です。


なぜ韓国がこれら問題とは全く関係が無い軍事情報協定でこの問題を引き合いに出して反対しているのかといえば、要するに上記の定義が韓国社会においては「(世界中で)絶対的な普遍性」を持っている事になっているからです。


【コラム】少女像は「合意」の外側に座っている=韓国(1)
 (2) 中央日報 2016年01月05日
強制労働施設調査の韓国団体 軍艦島に上陸できず=船故障で 聨合ニュース 2015/06/04


上記2つの記事では、慰安婦問題や軍艦島に関連した強制連行問題を「世界共通の普遍的価値」としており、韓国人の主張が世界中全ての人々が共有する歴史認識であるとの考えに基いています。


しかし実際には、そもそも韓国側の主張はどれも客観性が無かったり、主張が矛盾していたり、或いは資料の曲解や都合のいい部分を抜き出して継ぎ接ぎする、いわゆる「チェリーピッキング」などが行われており、客観的に見てとても根拠とよべるようなものではありません。


ではなぜこれらが韓国社会において「普遍性を持つ」となっているのかといえば、元々根拠を重視しない社会であると同時に、単純に問題意識を共有しているというだけではなく、ある種の集合意識のような感覚で、「当事者の感情」まで共有できると考えられているからです。


つまり、被害者が「こんな被害を受けた」と訴えれば、それはその本人のその時の感情まで全ての人々が自他の境界を越えてある種の追体験ができると考えられており、被害者の話を聞けば全ての人々が同じ感情を共有できるのだから、国際的に絶対的な普遍性を持つと考えられているのです。


ですから、その追体験行為に対して根拠が無いとか客観性が無いとか、或いは矛盾しているとか主張するのは、異論ではなく被害者を侮辱する行為であると感じているわけです。


そのうえで最初の記事に戻ると、彼らからしてみれば韓国の主張する「歴史」を否定する日本は「世界中の人々が共感できるはずの被害者の感情に共感できない異常者」であるので、歴史的事実を認めない日本と協力するなどありえないとなるわけです。


逆に韓国人から良心的日本人(例1 例2)と呼ばれている、私が便宜上「日韓友好論者」と呼んでいる人々は、要するにこのある種の韓国の集合意識にアクセスし感情を共有している事になっているというわけです。


また、韓国では受験シーズンになると様々な理由で受験に間に合わない学生を救急車やパトカーなどがサイレンを鳴らして送迎するという事例がありますが、これも要するに「受験生の苦労を全国民が追体験し共有する」という考え方が根底にあります。


「玄関が開かない!」 救助隊が受験生救出、救急車で会場へ 朝鮮日報 2016/11/17


2:あくまで仮想上の「集合意識」


上記のように、韓国では感情などの内面的な部分までも、証言者の言葉からある種の追体験ができると考えられており、これを世界中の人々が同じように追体験できるのだから、韓国人の想定する歴史観には世界的な普遍性があると彼らは考えています。


しかし実際には、これはあくまで主観によって個々の韓国人が「そう感じている」だけであって、そのような社会的共通認識が出来ているから「そう感じているだけ」のものです。


ですから、実際には韓国内でも問題意識等にかなりの温度差がありますし、韓国社会が「派閥争いの国」とか「3人集まると7つの派閥が出来る」等と揶揄されるのも、皆が皆主観で「自分の考えには普遍性がある」と想定した結果です。


要するに、これはSFの世界や一部の心理学で想定されるような「集合的無意識」などとは全く異質のものであり、韓国人の多くがそう認識しているから「(社会的に)存在している事になっている」、つまり仮想上の集合意識という事です。


これが良くわかる事例が、最近の朴大統領を巡る問題です。


ニュースでも度々報じられているので知っている人も多いでしょうが、韓国人の多くは朴大統領の即時退陣と望んでいるようですが、政界や財界は必ずしもそうではなく、その先の選挙を見越して弾劾ではなく大統領はそのままで首相への権限委譲を望んでいます。


しかしデモをしている韓国人の多くは、「皆が同じ感情を共有している」という事になっているので、単純に朴大統領が権力にしがみついているという事になっています。
実際には派閥争いによる駆け引きの結果の影響のほうが大きいのですが。


朴大統領自身にしても、「退陣しない」という意思表示を最近行ったのですが、その背景にはいわゆる親朴派による後押しがあったのと、恐らく韓国与党内の反朴派にしても、潘基文国連事務総長の任期終了前に選挙が行われると不味いという思惑があったのでしょう。


国政介入:韓国大統領府、「退陣するほどの違法性ない」と判断か 朝鮮日報 2016/11/17
 (1/2ページ) (2/2ページ
大統領府が反転攻勢 野党の「小細工」批判に反論=韓国 聨合ニュース 2016/11/17
【社説】国民感情に火を付ける朴大統領の業務復帰 朝鮮日報 2016/11/18
【噴水台】本当に驚く朴槿恵大統領 中央日報 2016年11月18日


その結果、上記集合意識によって朴大統領の窮状や国の危機を感じ取り、保守側は世論も含めいずれ団結するという「かくあるべき」が働き、上記のように態度が一変しました。


そして野党にしても、誰かが主導権をとろうとするとどこかしらから足を引っ張られるという状況下で、自分達が有利に事を進めるためには政局が混乱していたほうが都合が良い、という思惑の下、何一つ決定せずにただひたすら朴大統領と与党の「劣等性の指摘」を行っています。


出口を見出せない「無能な」与野党 東亜日報 November. 16, 2016
[社説]野党はトップ会談に応じて、弾劾準備も並行させるべきだ 東亜日報 November. 18, 2016


要するに、異なる立場の人々がそれぞれに「普遍的に正しい」と感じていることを実行した結果が今起きている現象であり、正しさに普遍性が無いのに「ある事」になっているからこそむしろ何も決まらないわけです。


つまり、この現象そのものが韓国社会に「仮想上の集合意識があるということになっている」事を証明しているわけです。
要するに誰もが「自分の考えが正しい」と思い、相手の考えを「劣等さ」と認識し、そこからも正しさを導き出しているため、誰も相手の話を聞かないというだけなのですが。


3:異なる価値観をどう認識するか


今回、韓国社会における正しさについて、丁度わかりやすい事例があったので改めて紹介したのですが、今回良い機会なので、私が今回紹介したような異なる価値観というものをどう認識しているのかについて書いてみます。


※以下は1年ほど前にペイントで描いたものなのですが、最初に書いておきますが私は絵心もPCスキルも無いです、わかり難くても突っ込んだら負けです。


以下の図は要するに常識の違いをどう認識しているかを表したものです。
この図では日韓の常識の違いを上下(優劣)であらわしています。





一般的に多くの人々は、日本と韓国が「同じ軸線上の常識」を共有していると考えているため、韓国に否定的な考えを持つ場合には韓国を劣等だとか狂っているとか未開だと認識するわけですが、それはこの図Aにあるように認識しているからです。


また、日韓の価値観の違いについて指摘することさえ「韓国人に対する差別だ」と考える人も、同じくこの図のように考えており「日本人の常識」を絶対視しているため、その常識から見て「非常識」に見えるからこそ、問題の指摘すらも韓国人を下に見て差別していると認識しているわけです。


要するに、どちらも日本の常識を絶対的な基準としており、その基準をどう捉えるかの違いで態度や認識が変わっているだけなのです。


それに対して私が想定しているのは以下です
この図では価値観や常識の違いを異なる平行軸で表しています。







図Bは要するに、日本と韓国は異なる軸線の常識の上に存在しているのですが、私は日韓の違いをこのように認識しています。


この場合の「違い」には善悪や優劣は存在していません、双方が異なる軸線上で別々に進んでいるわけですから当たり前です。
この考え方ではそもそも特定の常識を絶対視していないわけです。


この考え方に立てば、実際のところ私は日韓の問題の多くがそれだけで解決すると考えています。
なぜなら先ほど図Aの解説で書いたように、殆どの問題が「善悪や優劣の問題」を前提にしているからです。


善悪や優劣で考えるために、韓国に対して「それは非常識だ」と考え敵意が向くわけですし、逆に友好しようと考える人々も、強引に「同じだ」と考えて無理やり受け入れるから次々と弊害が生まれ、またその行為への批判を差別だと感じているのです。


しかし、これを別の軸線の常識を持つ人々と割り切って認識すれば、そもそもはじめからその前提で対策を立てて対応し相応の距離を保って関わっていくことができるわけですから、大半の問題は事前に解決が出来るので「非常識だ」と怒る必要もないですし、逆に問題の指摘すらも差別していると考える事もなくなります。


また、今回紹介した韓国の現状も、同一軸線で考えた場合「おかしな考え方をしているからこんな事になるのだ」という結論になったり、(大半の人は日本人と同じ)まともな人なのに一部の例を全体に当てはめているという認識になります。


しかし、これを別の軸線上の常識の中で生きている世界の人々の行いと考えれば、これはどこの世界でも起きる社会常識のエラーという認識が出来ます。


たとえば日本のいわゆるブラック企業で起きる過労死や最近話題になっている電通社員の自殺の事例、アメリカの銃社会の問題や今回の大統領選におけるトランプ氏勝利に伴う一連の暴動などです。


要するに、よくいわれる「韓国の常識は日本の非常識、日本の常識は韓国の非常識」という考えは、特殊な事ではなくどの社会でも発生している問題の延長線上となります。
私はこのような前提に立ってこのブロマガを書いているわけです。


勿論、国際ルールのようなものは当然ありますから、それに関しては韓国側が破れば批判していかないといけませんが、それも含めあくまでこの前提に立って「事前予防策」をとった上でやっていけば、余計な問題を作らなくて済むというわけです。


そもそも現在発生している問題の多くは、日本側で何の対策もなしに安易に韓国に関わった結果起きているものが多いのですし。


「違い」は違いでしかなく、そしてそれは現実に存在しているのですから、違いそのものを否定しなければ良いという、ただそれだけの事なのですが。




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他6件のコメントを表示
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 仮想集合意識ですか。コメントでも言われている様に「ウリ」とほぼ同じと考えて良いのでしょうか?

 「追体験」という言葉で被害者証言を重視する理由が今更ながら分かった気がします。「感情」を重視する為に被害者の証言を聞けば、同じ感情(彼らの認識では事実)を共有したと見做しているという事ですか。彼らの脳内には他人の過去を追体験出来るタイムマシンがある訳で、被害者証言に証拠能力がある様な認識をするのも道理ですね。証言を事実と認識するのは被害者が自分達に都合の良い「ウリ」と認定される場合だけでしょうけれど。
 そうなると半島の歴史を扱った創作物も、学校での歴史教育も、彼らの認識では全て「歴史的事実を追体験」しているという事になるのでしょうか?「教科書に書いてあった」なんて根拠が通ると思っているのはこれか。やっと得心が行った気がします。
 言い換えれば感情移入が深いとも言える訳で、世の色々な「物語」を深く楽しめそうですからある意味羨ましくもありますね(笑)。
36ヶ月前
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>>5>>6>>7
広義では「ウリ」ですね。
ただ、この事例の場合は原則的に人類全てが100%共感できる感情と考えられているため、狭義の意味ではウリの概念から少し外れているように見受けられます。

ちなみに韓国では、「(歴史などを見て)今現在自身が感じている感情は当時の人々と全く同じである」という考え方が一般的です。
要するにこの集合意識は時間も超越して普遍なはずなのです。
36ヶ月前
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コラム拝読させていただきました。夜分遅くにすみませんが、以下に感想と私見を。
文章を読ませていただき、「共感でまとまる集合組織」なんてものを仮想してしまいました。以外に斬新という方もコメにておられたようですが、実はこうした、個人的「共感(シンパサイズ)」で社会や集団が形成される、という考え方は、案外古典的であるような気がします。

皆さんは、「アダム・スミス」と呼ばれる人をご存知でしょうか?

教科書的な暗記法では、「経済学者」で、著書「国富論」内の『神の見えざる手』が有名。
なんて通り一遍の覚え方をして点を取った受験生は数多いと思いますが、
実は彼は、当時としては「経済学者」のつもりはまるでなかった、というのが実態です。

「哲学者」で、それも今でいう「社会科学者」的側面を持った、「道徳哲学者」というのが本当の肩書です。

その彼が「国富論」の前に記した大著が、

「The Theory of Moral Sentiments」=「道徳情操論(または道徳感情論)」
という書物です。

Wikiから引用すると、
「主に近代市民社会における、個体として独立している個人が、「共感(sympathy)」をある種の原理として、まとまっていること」が前提にあり、そうした「個人の集まりの集団」が、「道徳的適切さを指摘した上で、第三者である「公平な観察者」が「同感(sympathy)」でき、当事者は「内なる人」として内面化する。」

要は、各個人が「共感」で「まとまる」が、「共感」を「客観性」を鏡として「道徳」に「定義し直して」「同感する」というのが社会で行われている、という考え方で、そこからさらに「客観的かつ道徳的に」練磨されて、「常識(コモンセンス)」が生まれる、と考えています。
これは「現代社会科学」の基礎的な考え方の一つとして、またあらゆる「社会現象」の基礎として現代では捉えられています。

さて、かの国の場合ですが、「共感」が「道徳」にならない、と大口さんは述べているわけで、その理由に、『「主観的な」感覚で判断するから』だ、と述べておられるような気がします。つまり、「アダム・スミス」的感覚に照らせば、かの国の人たちは、「共感」を「客観性」で「練磨」できないから、他の国で言う「道徳」や「常識」のレベルまで上げることができない社会だ、と仰っているような気がします。
こんな解読で正しいのでしょうか??

以上、わたしなりの解釈を長々と書かせていただきました。長文失礼いたしました。
36ヶ月前
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 韓国の事を気にし始めたのが、韓流ブームでした。テレビを点けていると、何時の間にか韓国のドラマが流れていました。何気なく見ていると、引き込まれる部分がありました。激しい闘争が展開しています。見続けてきて、この激しい闘争は
、鬱陶しく感じられてきました。日本人よりも人間関係が近く、あらゆる関係での競い合いがあるように感じてきました。韓流ブームで韓国の整形美男子を追っかける中年女性が多くいるそうだ、ということもしりました。
 このあたりから、このあたりから、韓国人ってどういう人達かと興味が沸いてきました。
 1944年生まれですので、小学校には、『金』という北か韓国かは解りませんが同じ教室いました。東京の下町ですが、当時、籐製の家具を作っている結構な羽振りの朝鮮半島の人の工場があったりしました。歳上でしたが、絶世の美女がいて、遠くから眺めていました。このくらいが朝鮮半島の人に対する認識しかありまませんでした。
 そして、李明博大統領の変身で竹島への上陸で、強烈な反日が起こり、何故なの? と関心度が深まり、韓国ドラマを見て、創りものですが、無意識で出てくる韓国人気質を探りました。そして、財閥の人脈を使った横暴に朝鮮する主人公が、勝ったのだろうか、何故かドラマとして、歯切れが良くない結末でおあわります。
 財閥が金に物を言わせて、警察、検察、栽培所、日本の大臣級の人達への出世の手助けをしたという恩着せで、罪を逃れる姿が現れます。恐らく、テレビドラマを視聴している一般庶民も周知の事実なのでしょう。主人公はこうした財閥の人を追い込んでゆき、政財界や、官僚への影響力が失われて没落してゆく。しかし、ドラマの主人公はスーパーマン化して描かれますが、韓国の社会のあり方そのものは何ら変化がなく、ジ・エンドになります。訳が解らないドラマで感情的に鬱屈が残ります。
 高麗国のドラマですと、仏教が登場しますが、仏教そのものへの知識不足でしょうか、仏教が描かれず、仏教の僧侶の全てが、韓国式の権力志向で描かれる場合がおおく、李朝の成立期に仏教の破壊がされる原因となっています。

 こうして韓国のニュースやネット上で受けた知識で、感じたことがあります。日本には、仏教が根付き、比叡山では、その建設の課程で、最澄は、中国から持ち帰った仏典の整理に終始した学者タイプであったがてめに、彼自身が悟りを開いた高僧として君臨はせずに成り立っていました。これに対して、空海は(祖父の代に帰化した中国人)権力欲が強く、遣唐使として渡った中国では、密教が時の皇帝に興味を持たれて、仏教、道教、と共に貴族や知識人に持てはやされていあたそうで、空海は、この密教では、高僧が少ない状態で、密教の悟りを得た人に師事して、気に入られて修行を始めたそうで、密教の修行を終えて、密教の後継者の地位を獲得して日本に帰国してきます。
 比叡山を得て活躍する最澄との間で、時の天皇へのアプローチがはじまります。日本での権力者としての地位を獲得するための演出や、ハッタリもあったようです。そして認められて、高野山に本拠地を構えますが、即身成仏、として、空海は密教の悟りを得た人と演出して、永遠の命を得た人として、現在でも毎朝食事が運ばれる生き仏になっています。最高の悟りを得た人として空海は権料の頂点に現在も君臨します。中国の格王朝の栄枯衰退に学んだ空海方式の永遠性を持った権力構築の方法です。
 一方、日本人的な最澄は、そうした権力志向ではなく、学者としての生涯を終えます。そのために、比叡山では、色々な高僧が生まれて、中国式仏教から、にほんお風土に合った、佛教が誕生します。禅、浄土真宗、日蓮宗、鎌倉時代に民衆へ広がる佛教が生まれて行きます。武士に時代、普段は農耕をしている武士が、戦争となると、槍や刀を持って戦場へ駆けつけます。こうして一般大衆へ、簡略化した仏教のエッセンスだけが大衆へ伝わり、日本人の自然への多くの神を認めていた習慣と共に仏教が浸透してゆき、日本人が完成されたという学者もいあます。
 空海の真言密教は、空海が大きく蓋うぃしてしまい、空海だけを敬う宗教として存続するように工夫がされています。

 こうしてみると、朝鮮半島に仏教或いは、陸続きなので、中央アジアや、インド、ヨーロッパへと文化を求めるのであれば何とかなったはず。ギリシャの古代哲学や、ローマ帝国や、中世のヨーロッパの哲学などに遭遇する機会が多かったはずですが、何故か、韓国人に多種多様な哲学が存在しなかったか不思議な部分があります。
 高麗国から李王朝にかけて、仏教からは何も学ばず、お節介なイエズス会がキリスト教の布教に訪れたはずです。倭寇(実質は中国人の集団だったそうであすが)がインドネシアからフィリピン、中国の沿岸、沖縄諸島なの海上貿易を独占していて、種子島に火縄銃を持ったオランダ人を連れてきて売り込みをしたという歴史が新しく書き換えられました。戦国時代の日本へと商売人としての倭寇の振るまいです。僅か50年で日本国中に火縄銃が広まり、堺の商人は、なんと火縄銃の製作に分業システムを創り、部品ごとに専門に創る職人を設け、組み立ての専門家を創り、当時のヨーロッパ全体で所有する火縄銃の数と匹敵する数を保有すす巨大な軍事国家があったそうです。

 大陸に続く朝鮮半島にこうした文化が何故生まれなかったのか不思議なのです。
 朝鮮半島は、地下資源も無く、結構寒い気候で、農作物もそんなに多くないようで、代々の中国や高麗国時代の蒙古の支配でも、牧畜の技も取り入れることもしなかったようだ。

 『衣食住が足りて礼節を知る』中国の考え方ですが、確かに日常が飢えとの闘いであれば、知恵も生まれにくいでしょう。0.1%の貴族が賤民の労働に載り、『汗して働くのは卑しいこと』とする儒教的な言葉が現在ものこっているようですが、何時の間にか、『努力する』という精神性がなくなってしまったのでしょうか。とりあえず生きる。生き残ることは善に値しますが、様々な人がいて、出世しなくても好きだからこの仕事をしていると言う人もいないようです。

 わたしの感想です。
 1000年も間、厳しい身分制度におかれて、(中国の文化の一部しか入ってこなかった)小さな壺のなかで権力争いをしてきたからでしょうか、視野が狭い感じがします。自分たちで創る文化よりも他国から取り入れる方が苦労しないのは事実です。貴族以外には、長い間一般民衆に様々な知識が行き渡らなかった。知恵の底辺が浅く広がりがなかった。
 狭い世界観から、現在も抜け出せない。
 例)国連事務総長のバン・キブン氏が就任したら、親族を国連の要職にどんどん就かせた。これが非難とともに驚かれたというニュースが流れたが、このサイトで教えていただきましたが、客観的に考える風習が無いためにこうした事が起きるのですね。

 長々書きましたが、解ったようで解らない朝鮮の人達 これが今のかんそうです。 年寄りです。誤変換や脱字お許しください。よろしく
36ヶ月前
×
>>11
 人生の先輩として流石だと思います。特に日本仏教についての知識と洞察は大変参考になりました。真言宗に対して日頃疑問に思っていた事が示されていて興味深かったです。「南無大師遍照金剛」と「仏」に帰依するのではなく「(弘法)大師」に「南無」するというのはカルト的性質ではないかと自分も常々思っておりました(真言宗僧侶檀家信徒の方には失礼だとは思いますが)。
 更に言わせて頂くならば、日蓮宗も権力に寄るカルト的日本仏教だったという認識を自分は持っています。国を守る事が出来るのはうちの教えだけだ!みたいな事を言っていませんでしたっけ?宗教が国を人質にする行為ですし、常軌を逸していると思うのですが。後に分派したものだと思いますが「呪殺」などという事もやっていますし…。
 余談ですが、日本仏教の例に浄土真宗があって浄土宗が無いというのは違和感を覚えますね。彼らが権力側というなら自分とは意見が違うだけですけれど。

 朝鮮について未だに客観的に見る事が出来ず「日本=加害者、朝鮮=被害者」という、戦後GHQやそれに倣うマスコミの操作した印象「だけ」を持っている年配の方も多いというのに、インターネットを駆使してこうして知識を広げんと勉強され続けている事に敬服致します。
36ヶ月前
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>>13
年寄りに暖かい言葉をいただきありがとうございます。
 しかし、激しい誤字、変換ミスでした。お読みいただいただけで感謝してます。

 しかし、韓国の文化や人間論でこんなに的確で、偏らないように書き続けておられるのも大変なことですね。
 その情熱は何なのでしょうか。
 中国の人も日本人がきらいなようです。アジアでの新幹線と、あまり賛成ではありませんが、ベトナムの原発の解約、全て中国が邪魔をしています。アジアは勿論、世界制覇に邪魔をするなとばかりに日本への風当たり強いようですね。華僑の進出が古代よりあったように、激しい気性の中国人の方が、韓国人よりも先への展望が確りしていて長期的ですね。
 周恩来首相は、確か日本の大学を出ているはずですが、日本人を揶揄して『島国根性』と言っていました。日本人のファジーなところ、はっきりしない物の言い方、右左をはっきりしない。これは日本人の大きな特徴でしょう。
 価値観が、2元論ではないようなのです。右と左との間に、白と黒との間に別の価値観が存在してるようで、このことは、我々日本人も無意識に使っているようです。日本人の特有の価値観のようです。
 韓国の人との付き合いで、ツケ入れられる大きな部分がここにあるように思います。これは、日本人の長い縄文時代が影響しているといいます。このあたりをもっと研究していきたいと思います。外来の物を取り入れる能力があり、しかも、日本的なものを捨て去るわけでもなく、この曖昧さ、一見どっちつかずな態度の文化が日本的な多くの物に根付いているようです。
 宗教のカルト性の問題ですが、ユダヤ教から始まるキリスト教、イスラム教にも多いにカルト性は存在します。
 ネットに載ったニュースですが、創価学会のカルト問題、みたいな発言を内閣参与の人が、アメリカで記者達の前で言ったのが報道されました。創価学会はフランスやその他2カ国でカルトと指定されてるそうで、アメリカで活躍する創価学会が狼狽えて、公明党が震撼して、安保法案の反対をしていた公明党が賛成へ。そういうこともあります。
 私は、下町にくらしてきました。創価学会の強引なシャクフクと言って、会員を募る粘り強い運動がありました。近所の路地を歩いていると、『南無法蓮げきょう』(一太郎を使っていますが、『げきょう』の漢字が出てきません)と一心不乱に唱えています。20~30分もあの激しさで読経していると、頭の中に悩みや迷いもなくなるでしょう。そうした空虚な頭脳に暗示をかけられるとなんでもスイスイ入ってしまう恐ろしさをか感じました。
 ありがとうございます。
36ヶ月前
×
>>10
すみません、記事作成が遅れてしまっているので、回答は明日とさせていただきます。
36ヶ月前
×
>>14
 すみません。自分は大口さん(この記事の製作者)ではなく一読者に過ぎませんので…。コメントの左下のNo.が9のコメントの様に、右側に名前がある(右側から吹き出しが出ている)コメントが大口さんのコメントです。
 創価学会の事は詳しくないのですが「南無妙法蓮華経」という事は日蓮宗系でしょうか。南無、妙法、蓮華、経と分けて変換すると良いかもしれませんね。
36ヶ月前
×
>>10
まず、よく韓国人は「個人主義だ」と評価するひとがいますが、実際には「個人主義的性質を持つ全体主義」と表現したほうが正しいです。

どういうことかといえば、個々の韓国人が「皆自分と同じ”正しい”考えを持っている」と想定しており、それが仮想的な集合意識を形成しているわけですから、実際にはそもそも現実には共通認識そのものが無いわけです。
ここまでが個人主義的部分です。

そして、皆が皆「自分の想定する正しさを信じているはずだ」と考えているため、学校教育やマスコミ報道、政治団体などの運営者によるプロパガンダによってこの個人主義的な正しさが補正(ある種の思考停止)され、その補正された正しさが国民情緒とか民族情緒と呼ばれているものです。
彼らに都合が悪い事実を何度指摘しても無視するのはこのためです。

その結果、個人主義的な「皆がこう考えているはずだ」が全体主義的な「皆がこう考えなければいけない」と同質な状態になっているのが韓国の現状であり、自他の境界が曖昧なウリとナムの概念のある社会だからこその特異性となっています。

そのため、「自分と異なる考えを持っていると知ると裏切られたと感じる」という個人を主体とした現象と、「異論を口に出すと社会的に排除される」という集団を主体とした現象が両方同時に発生しているわけです。

こうした背景があるので、反日のように道筋が「解りやすくはっきりしている」状況ではほぼ完全な形で一致団結しますが、そうでない場合は「3人集まると7つの派閥が出来る」という状態になります。
なぜなら外的に補正された特定部分以外に共通認識など一切無いからです。

少々まとまりがない説明になってしまいましたが、私は韓国社会をこう解釈しています。
ですので、furufuruos@nさんが想定する考え方とは性質上全く別の経路の思考が行われていると考えてもらったほうが良いです。
36ヶ月前
×
国際ルールに対しどのようなアプローチをするかもまた、国家の特性だと思います。
スポーツマンシップに則るのか、グレーゾーンを攻めるのか、反則してでも勝てば良かろうなのか。
だからオリンピックは平和の祭典と呼ばれているのだと思います。その国の姿勢が平和裏に伝わり易いですから。
36ヶ月前
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