「我々は強制連行で奴隷として連れてこられた被害者だ」日本の多文化主義と在日韓国・朝鮮人
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「我々は強制連行で奴隷として連れてこられた被害者だ」日本の多文化主義と在日韓国・朝鮮人

2014-01-09 23:56
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(画像は2010年、外国特派員協会での民主党原口一博議員の講演より

さて、今回は在日韓国・朝鮮人と多文化主義について少し掘り下げてみます。
前々回も在日問題については取り上げたのですが、実は在日問題はいずれ強制連行関連で書こうと考えていたので、あまり深く掘り下げていませんでした。
しかし、よくよく考えてみれば強制連行関連単体で掘り下げるよりも、多文化主義と関連付けて掘り下げた方がこの問題は相応しいのではないかという考えにいたり、このようなタイトルにしました。
それと、今回文章のかなりの部分を強制連行問題の検証にあてる訳ですが、引用ソースがかなりの量になるので、ためしに今回に限りソースを全て一番下にまとめて貼り付けてみる事にしました、もし見難かったりわかり難かったりした場合には、コメントで指摘してくださると有難いです。



以前にも書いたように、多文化主義とは一つの国や地域の中に、異なる文化圏が共存しお互いに尊重しあうことで成り立つ社会システムだ。
日本において在日韓国・朝鮮人はよくメディアなどを通じてこの多文化主義の引き合いに出され、「共に生きていく」事が強調されている。
そして、在日への批判は全て「多文化主義を嫌う民族主義者や貧困層の右翼」とされている。

だが、実際はどうだろうか、そもそも在日への批判とはどんなものなのだろうか。
彼らは長年「自分達は強制連行で奴隷として連れてこられた被害者とその子孫だ、帰りたくても帰れなかったから仕方なく日本にいるのだ」と主張して来た。
そして、日本人との間に何か問題が起きれば「無理矢理連れてきておいてなんだ」と返すのが彼らの常套句だったわけだが、ここ7~8年で様相が一変した。
メディアでは強制連行という言葉を使わなくなり、変わりに在日の来歴を紹介する際に「歴史的経緯」という言葉を使うようになった。在日たちも「強制連行などと言っているのは一部の例だ」とか「土地を奪われ仕方なく日本にやってきた、それが実質強制連行だ」と言うようになってきている。

なぜこのようになったのかといえば、それは「在日は皆強制連行の被害者」という従来の主張がまるで嘘である事が数々の資料から判明し、それがネットを通じて多数の人達に情報の共有化がされた結果、嘘がまるで通用しなくなってしまったからだ。

経緯はこうだ。
2003年頃、ネットに1959年7月の朝日新聞の記事の画像が出回り始めた、そこには「朝鮮人徴用者の殆どは戦後帰国し、日本に残ったのは自らの意思で残った245人のみ」と書かれていた。(※1)
それまで在日達は国民徴用令=実質的な強制連行であり、朝鮮人の奴隷化制度であるとし、自分達はその国民徴用令の被害者とその子孫と主張して来た在日の主張が朝日新聞の記事で完全に崩れ去ってしまったわけだ。
しかし、これだけで在日たちが「(強制連行というのは)一部の例だ」と言い出し、メディアが「歴史的経緯」と言葉を濁すようになったわけではない。

この朝日新聞の記事が出回りだしてから暫らくすると、在日達はこう言い出した。
「民斡旋も官斡旋も実質的な強制連行であり、その人達も含まれる」と。
しかしそれもすぐに嘘とばれる、国立公文書館アジア歴史史料センター所蔵の民斡旋に関する記録「朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件」(※2)という当時の内部資料から、そもそも民斡旋の目的が職人工の少ない朝鮮人の技術水準の向上にあり、強制労働を目的とした物ではない事が判明したのだ。
つまり、彼らは嘘の上塗りをした事になる。

更に同じ時期、アジア歴史史料センター所蔵の資料から、1920年からの資料として「日本本土へやってきた朝鮮人によって土地の不法占拠や借家詐欺などが横行、社会問題化しており朝鮮人の内地渡航制限が必要である」と言う趣旨の資料と、混乱回避のために「朝鮮人内地渡航制限」が実施されたという資料が見付かる。(※3)
これにより、そもそも朝鮮人たちは戦前から自らの意思で日本へやってきた事が判明した。

すると在日達は2006年頃より、今度はそれまで殆ど主張されていなかった「我々は日本人に土地を奪われ仕方なく日本にやってきた、これが実質強制連行だ」と言い出すようになった。
しかし、これはそもそも根拠そのものがないうえに、「無理矢理連れてこられた」という従来の主張と大きく矛盾する、何より日本による土地収奪説は、実はまるで証拠がないので韓国のソウル大学教授からすら「商業化された民族主義の見本」と批判されているような代物なのだ。(※4)

そもそもこの土地収奪論、「証拠がない」という以外にも大きく分けて2つ問題点がある。
まず一つ目は、そもそも李氏朝鮮から大韓帝国までは個人の土地所有という概念そのものがなく、親族間や近所間で土地の利用が適当に行われており、朝鮮総督府は近代化する過程で必要に迫られ土地調査事業を行ったという背景がある事。
もう一つは、19世紀から20世紀中盤頃にかけて世界中で起きた「近代化により医療と衛生状態が改善され、農村部の人口が増加、土地を継承できない余剰人口が工業化された都市部へ流入した」という現象が全く考慮されていない点だ。
そのため実は、現在日本に住んでいる特別永住資格を持つ在日の殆どは、現在北と南どちらに所属していようと、その殆どが現在の韓国の支配領域出身なのだ。
理由は簡単だ。
総督府は併合時、比較的温暖で農業に適した南側に重点的に農業の推奨政策を行い、寒冷で農業にあまり適していない北側では工業化を推し進めたからだ。

これまでの過程の間にも更に様々なことが判明していく。
国会HPにある「国会会議録検索」1955年の国会議事録より、実は戦後朝鮮人たちが大挙して日本へ密航してきたこと、更に密航した事を証明して韓国へ送り返そうとしても、韓国政府の棄民政策により受け入れ拒否がされ、日本は人権問題からこの密航者達を受け入れざるを得なくなったこと(※5)、戦後朝鮮人達による大規模な土地の不法占拠があった事(※6)、戦後の密航者の数が20万~40万人という膨大な数であったこと(※7)、実は「朝鮮人内地渡航制限」後も密航が後を絶たず、偽造渡航証が横行し渡航制限が機能していなかったこと(※8)などが次々と判明していく。
その結果、今から3年ほど前より在日達は「強制連行などと言っていたのは一部の例だ」と言い出したのだ。

更に朝日新聞などは、今までの経緯を完全に無視して「在日達は元々日本人だったにも拘らず、無理矢理国籍を奪われ差別された」という趣旨の社説を掲載する。(※9)
「そのまま日本人でいたかった」というのが在日たちのそれまでの主張だったのならまだわかるが、そんな事実は今まで一度もない。それどころか、戦後GHQが「そのまま日本に滞在する朝鮮人は日本国籍とする」という趣旨の決定をしたところ、それに大反対して撤回させたのが在日たちなのだ、最早整合性など何もない、「日本が悪いとできればなんでもいいのではないか?」と疑われても仕方のない行いだ。


長くなってしまったが、これがこれまでネット上で発生した在日問題の根幹部分だ。
在日達は、強制連行の嘘がばれて以来ずっと責任転嫁とレッテル貼りと嘘の上塗りしかしていない、自浄作用など一切見せてこなかったのだ、これでは批判されて当たり前だ。
そして現在も、日本のメディアと組んで「在日批判をしているのは多文化主義を否定する排外主義者と貧困層」というレッテル貼りをし続けている。
これのどこが多文化主義・多文化共生なのだろうか、日本の多文化主義者達と在日達がやってきたことは、事実を歪め場当たり的な嘘をつき、在日批判側の主張を歪め問題の解決を遠ざけてきただけに過ぎない。

当たり前の事だが問題は「日本人の中に排外主義があったから発生した」のではない、メディアや多文化主義者、在日たちが問題を無視して適当なことをし続けた結果「対立が生まれた」のだ、問題の原因と結果が逆なのだ。
そもそも多文化主義とは「異なる文化がお互いに尊敬・尊重しあう」という大前提が必要にも関わらず、在日たちの態度はそうではない「自分達は何も変わらないし責任も取らない、日本人は自分達の態度を無条件に受け入れ許容しろ」という態度だ。
日本人に対する尊敬も尊重も何もない、自分達の我侭を一方的に押し付けているだけだ、共生では無く寄生することを強要しているに過ぎない。
これが日本の多文化主義の現状だ、当たり前の事だがうまく行くわけがない。


以下情報元のソース(文章の都合上、本文で言及しなかったものも一部含まれます)

外務省による「強制連行」に対する公式回答(※1)
朝日新聞 1959年7月13日
大半、自由意思で居住
外務省、在日朝鮮人で発表
戦時徴用は245人

 在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行なっているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。
 これによれば在日朝鮮人の総数は約61万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は245人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前には約200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの30万人は大部分、鉱工業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。
(中略)
一、終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引き上げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引き上げ計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち75%が帰還している。(中略)現在、登録されている在日朝鮮人は総計61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労働者としてきた者は245人に過ぎず、現在日本に居住している者は、犯罪者を除き、自由意志によって残留した者である。

民斡旋の資料(※2)
国立公文書館 アジア歴史資料センター
http://www.jacar.go.jp/
朝鮮工場労務者内地移住幹施に関する件
(大日記甲輯昭和15年)
レファレンスコード:C01001832500
最も重要な部分は「朝鮮ニ於ケル技術水準ノ向上ニ資スルコトヲ以テ目的トス。 」という部分。
朝鮮人斡旋労務者(いわゆる自称強制連行された人)の業務内容(金属工など)や、契約の仕方などが詳しく書かれている。
特別きつい仕事をさせる目的というような記述はなく、基本的に雇用者(斡旋した人)によるものとしてる。
また原則として2年~5年程度の仕事の契約、契約が終れば帰ることと再契約も可能な事が書かれており、帰る際雇用者がその金額を負担し、一部が国が負担するとしている。
ちなみに、この文書には「部外秘」という印が押されており、当時の内部文書であったことがわかる。(つまり外に向けて嘘の発表をしたとか、そういう意図のものではない)
戦前の朝鮮人密航者に関する資料(※3)
国立公文書館 アジア歴史資料センター 
http://www.jacar.go.jp/index.html 
レファレンスコード:A03023591400
 表題:朝鮮人移住対策ノ件
(公文別録・内務省・大蔵省・陸軍省・海軍省・商工省・逓信省・大東和省・昭和六年~昭和十八年・第一巻)
 作成者:内閣
 記述単位の年代域:昭和6年~昭和18年

騒乱・その他の犯罪・家賃踏倒し・借家の損壊等の借家紛議・衛生風俗上の問題等、各般の問題を惹き起こし又、借家の困難に伴い土地を不法占拠し不潔な陋屋を密集して建て
治安上憂慮すべき事態が生じている等々、朝鮮人密航者を食い止める事が緊急の要務だと報告されている。
韓国内からの土地収奪論に対する批判(※4)
李栄薫教授「厳格なジャッジなき学界が歴史を歪曲」
李栄薫ソウル大教授インタビュー(3/4)
http://megalodon.jp/2008-0406-0548-21/www.chosunonline.com/article/20070603000016(web魚拓)
ところで李栄薫教授は、『大韓民国の話』の中で、「“土地調査事業により全国土の40%が日本のものになった”“食糧の半分を日本に強制的に持ち去った”というのは、何ら根拠のない話」と主張している。

—日帝が土地調査事業で土地を収奪し、食糧を強制的に奪ったというのは事実ではないのか。 

「1982 年、金海郡庁で土地調査事業当時に作成された文書が大量に発見された。そこで、この資料を活用した研究を行ったところ、総督府は国有地を巡る紛争を公正に扱っていたことが分かった。全国484万町歩(1町歩は約0.99ヘクタール)の国有地のうち、12万7000町歩だけが国有地として残ったが、その大部分は朝鮮人農民らに有利な条件で払い下げられていた。食糧を日本に搬出したのも市場を通じた商行為に基づくものであり、強奪したわけではない」

—それならば、なぜ日帝が土地調査事業の過程で全国土の大部分を強奪したとされているのか。 

「韓国の学界には厳格なジャッジがいないためだ。先進社会では学界を支配する厳格な審査グループがあり、主張の妥当性について判定を下している。後進社会にはこうした審査を行うグループが存在しないため、何が正しく何が間違っているのかについて、大衆はもちろん、研究者さえも知ることができない状況に陥っている」

—日帝時代を扱った小説『アリラン』を「憤怒の念と狂気で満たされた作品」と批判したが、350万部も売れたベストセラーに対し、余りにひどい評価ではないだろうか。 

「土地や食糧の収奪、虐殺など、この作品が描いた内容は事実とかけ離れている。自分も学校の図書館でこの本を借りて読んだことがあるが、本には学生らがあちこちに書き込んだメモが残されていた。例えば、日本人の巡査が土地調査事業を妨害したという理由で、朝鮮人農民を裁判にもかけずに処刑する場面では、“ああ、こんなことがあってよいのか…”と怒りを示していた。このように商業化された民族主義が横行し、被害意識だけが膨れ上がった結果、(植民地支配を実際に体験した)高齢者よりも若い世代で反日感情が強くなった。これは、商業化された民族主義と間違った近現代史教科書に基づく公教育のせいだ」
国会会議録にある朝鮮人密航者に関する議事録(※5)
国会議事録 昭和30年06月18日 法務委員会
http://kokkai.ndl.go.jp/
「朝鮮 その送還を容易に受け付けない」で検索
こちらから、密航した者を密航したという確証をあげて韓国に申し入れましても、 その送還を容易に受け付けない、こちらは向うから出てきた者を受け入れっぱなし、 不法入国であろうが何であろうが、返すことができないで、大村収容所にはますます人員がふえていく、
それをみな国費で、国民の血税で養ってやらなければならない、その取扱いについても、きわめて懇切丁寧にしなければ、人権じゅうりんというような問題まで起きてくる。
戦後の朝鮮人密航者に関する資料(※6)
川崎在日コリアン生活文化資料館 2006年聞き書き事業報告007
http://halmoni-haraboji.net/exhibit/report/200608kikigaki/hist007.html
〈終戦直後の川崎で〉
 うちも朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。
その時はヤミでしか手に入れられなかったから。
川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。
土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。
うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。
向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。
戦後の密航者に関する新聞記事(※7)
産経新聞  昭和25年(1950年)6月28日(水)付朝刊
「密航4ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」

 終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる。
<敗戦国の悲しさ>
 これが取締りは目下、海上保安庁と国家警察本部が当っているが、密輸団は火砲装備を持っているに反し、我が監視船は何ら装備なく、捕捉率はきわめて悪く、密輸船の2割程度しか捕捉出来ない現状にある。また、入国した際の外国人登録証明は暴力と買収につきるといわれ、それがそのまま合法化する場合が多いようだ。


朝日新聞 1959年6月16日
密入出国をしたまま登録をしていない朝鮮人がかなりいると見られているが、警視庁は約20万人ともいわれ、実際どのくらいいるかの見方はマチマチだ。

朝日新聞 天声人語 1959年12月15日
韓国から日本に逃亡してくる者は月平均五、六百人もある。
昭和二十一年から昨年末までに密入国でつかまった者が五万二千人、未逮捕一万五千人で、密入国の実数はその数倍とみられる。
戦前の密航に関する資料(一部抜粋)(※8)
戦前日本在住朝鮮人関係新聞記事検索
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/shinbun/
『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30
『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日1938/3/3
『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3
『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29
『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2
『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21
『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24
『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26
『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1
『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17
『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日 1938/12/20
『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21
『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3
『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12
『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13
『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18
『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5
『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕
『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版
『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30
『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14
朝日新聞2013年3月21日(※9)
主権回復の日—歴史の光と影に学ぶ
http://web.archive.org/web/20130321013612/http://www.asahi.com/paper/editorial.html
政府は条約発効を機に、一片の法務府(いまの法務省)民事局長通達で、旧植民地の出身者はすべて日本国籍を失うと定めた。
日本でくらしていた人たちも、以後、一律に「外国人」として扱われることになった。
領土の変更や植民地の独立にあたっては、国籍を選ぶ権利を本人にあたえるのが国際原則とされる。それをないがしろにした一方的な仕打ちだった。
戦後の在日に関する国会議事録
第019回国会 法務委員会 第62号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/019/0488/01905260488062a.html
昭和二十九年五月二十六日(水曜日)
   午後一時五十二分開議

○長戸説明員 覚醒剤の密造に関するパーセンテージでございますが、東京ではたしか朝鮮人が七二%くらいと存じております。
おつしやいますように、覚醒剤の密造犯というものはその根元でありますからして、その意味において、われわれとして徹底的に撲滅しなければならぬというふうに考えております。従つてその中心をなすそういうふうな悪質外国人に対しましても、容赦なくやるという態度をもつて行きたい。またおつしやいますように、売春窟の支配者というものに対しても同様な態度で臨みたいというふうに考えております。

○養老参考人 ヒロポンの密売者、密造者には韓国人が非常に多い数を占めておるのであります。
それはもうおつしやる通りであります。それから特飲街の従業婦に対して、そうした覚醒剤が売られていたという具体的な例も幾つか持つております。また特飲街の中にポン窟をつくりまして、韓国人の方方がそれを密造、密売いたしておつたという例ももちろんございます。そうした点は御指摘の通りでございまして、われわれといたしましても覚醒剤の取締りについては、十分そうした点も考慮しつつ取締りはいたしておる所存でございます。

参 - 治安及び地方制度委員会 - 11号
昭和23年04月27日
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=13390&SAVED_RID=2&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=1&DOC_ID=24426&DPAGE=1&DTOTAL=24&DPOS=2&SORT_DIR=0&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=14515

○岡本愛祐君 芦田總理大臣にお尋ねいたしますが、只今委員長の質問に對しまする御答辯で、今後の治安の維持については從來の方針を堅持して當るというお話でございました。
我々はこの現在の新警察法案をこの委員會で審議いたします際に、日本が敗戰後新憲法によりまして軍備を廢した。そうして治安の維持に當りますのはどうしても警察力に頼るより仕方がない。
然るにこの新警察案によりますと、自治體警察主議を採られまして、横の連絡、縦の連結ということは非常に弱化して來たのであります。
こんなことでは到底完全な治安の維持はできないではないか。殊に第三國人に對して非常に警察力が弱化をするのじやないか。
それで本委員會におきましては政府に要求いたしまして、二十二年度における第三國人の不法行爲、密入國、そういうものの調査といたしまして、朝鮮人の不法行爲におきましては、昭和二十二年に一萬五千六百十何件ございます。
集團強盗及び窃盗が三千五百五十三人、件數にいたしまして千八百八十四件、それから集團恐喝及び詐欺は、件數にして三百四十八件、人數にして五百九十三人、その他實に件數にして全部併せまして五千六百八十二件、人數が一萬五千六百十人、こういうことになつております。
この他に表ま現われないこういう不法行爲、密入國の關係もありますが、こういうものは非常に多いのだろうと思つております。
然るに最近になりまして段々それがひどくなりまして、毎日のように新聞紙上に現われる集團強盗の大部分は朝鮮人である。
着庭を襲い、工場や倉庫を襲い、自動車を奪い遂には列車内で傍若無人の強盗をやつておるのは大部分朝鮮人であります。
遂に濱松事件となり、犬山事件となり、神戸大阪の大事件となつて參りました。
精神的強制連行
強制連行真相調査団全国協議会 各地の報告
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/01/1001j0208-00002.htm
(前略)
時期的な限界から、証言収集を「肉体的」強制を中心にしていたので限定されていたが、日弁連勧告に基づいて「精神的」強制を含む証言収集を呼びかけたところ、さまざまな証言者たちが名乗り出てくれ、証言を集めることができた。

 また、泉南アスベスト裁判の26人の原告の中に10人の在日朝鮮人がいることを確認、対応を急いでいる。

 この他にも、南朝鮮の国家記録院の名簿との照合作業なども進めている。
(後略)

[朝鮮新報 2010.2.8]
※朝鮮新報:北朝鮮系の朝鮮総連機関紙


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温暖で農耕に適した半島南部では農業振興、寒冷な半島北部では工業振興に重点を置くという朝鮮総督府の政策と、19世紀~20世紀の「近代化により医療と衛生状態が改善され、農村部の人口が増加、土地を継承できない余剰人口が工業化された都市部へ流入した」という命題を併せ考えてみると、

南部農耕地帯の余剰人口は、併合されたとはいえ同じ朝鮮であり、なおかつ工業化の進められた半島北部(総督府による近代化政策が成功していればですが)の都市に流入することも当然出来たと思います。ナショナリズムが強ければむしろ北部行きが自然かもしれない。それにもかかわらず敢えて対馬海峡を越えて内地に来たというのは、それだけ彼らの決断の自主性を示すものだと思います。

つまり、農村からの行き場を探すにしても、半島北部工業地帯(日本統治下ではあるが)の都市で同じ朝鮮人とともに働く途もあった(近代化に貢献しているという実感も持てます)のに、併合による渡航自由化に乗じて内地の工業都市の経済的魅力に飛びついている。なので強制連行や特殊な歴史的経緯とはとても言えないです。
63ヶ月前
×
併合当時の記録などを見ると、「日本に行って裕福になって帰ってきた」という記述が結構あるんです。
なので、当時そういう噂が朝鮮半島で広まっていた可能性が高いです、だからこそ、渡航制限が施行された後も密航が後を絶たなかったのでしょう。
あとは朝鮮北部の工業地帯が現在の北朝鮮と中国の国境付近に密集しており、当然そこには満州人も数多く住んでいました、その中で満州人が朝鮮人を蔑視して露骨に差別していたと言うのも影響していたようです。

それと、実はこの総督府の政策は戦後の韓国と北朝鮮にも影響していて、工業化が進んでインフラが揃っており、ソ連と中国からの支援があった北朝鮮は建国当時非常に裕福で、逆に農地ばかりの韓国は世界最貧国のうちの一つという有様でした。
発電所も殆どが北朝鮮地域にあり、朝鮮戦争少し前には北から電力を止められたせいでソウルが電力不足に陥るなんて事態も発生しています、それくらいインフラに差があったわけです。

戦後の密航も、済州島事件のような李承晩による大虐殺事件があったことも当然関係しますが、済州島から逃げてきた在日は在日全体の2割ほどでしかなく、殆どは「韓国がインフラに乏しく貧しかったから」というのが実情のようです。
そして彼らは日本で「強制連行されて来た被害者だ」と日本人をだまし続けてきたわけです。
63ヶ月前
×
大口センセの文章を読み始めて少しかしこさの上がったワイが書くと

大口センセがしっかりと主張の根拠を下記に示して下さっているのは
韓国人から見ると、自分の嘘に自信が無いから証拠と主張するものを一緒に示している
だから聞く耳を持つ必要のない妄言だという事なのですね?

なにしろ被害者である我々(韓国人)はどこまでも日本人には『忖度』される立場なのでしょうから
11ヶ月前
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