韓国人とアイデンティティー
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韓国人とアイデンティティー

2016-03-09 22:02
  • 27

さて、本日なのですが最近韓国を観察していてふと新たに気付いた事があり、その気付いた事を基に以前書いた「韓国人は世界一「嫌韓」」で言及した「韓国人にはアイデンティティーが存在しない」という説を別のものに置き換える事にしました。


ただ、今回書く結論に至ったのがつい昨日のことですので、もしかしたらまだまだ穴のある説かもしれません、その点だけご了承ください。


以前このブロマガでは「韓国人の多くにはそもそもアイデンティティーが存在せず、その代替物として蔑視ありきの自民族中心主義がある」と書いてきた。


しかし、最近いくつかの事例に矛盾するような出来事がある事を発見し再考察してみたところ、韓国人は私達とは全くあり方の違う形でのアイデンティティーが存在するのではないかという考えに至った。


通常私達は他者との「違い」を自己の中に見つけ出し、相対的に自己を定義付けてアイデンティティーとしているが、一般的な韓国人は他者との間に「違い」ではなく「優劣」を見出すことで自己を定義しているため、私達からはアイデンティティーがないように見えていただけの可能性がある。



※一部を除き、引用記事が日本語の場合には文中にリンク用アドレスとタイトルのみ表記、韓国語のものやリンク切れで参照不能な記事のみ文末にまとめて本文を引用します。
※本文中のリンクは引用の元記事、或いはウェブアーカイブやウェブ魚拓(別サイト)へのリンクです。


1:韓国人にアイデンティティーは存在しないのか?


過去このブロマガでは、韓国における移民希望者の数、「生まれ変わったら韓国人以外になりたい韓国人」の数、自身の名前を変えたい韓国人の数など、通常私達が「アイデンティティーを定義する」うえで必要な要素を「変えたがる」韓国人の多さから、彼らにはアイデンティティーが存在しないのでは?と結論付けていました。


(※:最初に引用した当ブロマガの過去記事にもありますが、韓国は潜在的な移民希望者が若い世代を中心に非常に多いです)


が、先日以下の記事を読んでいてふとある疑問がわいてきました。


韓国の親が子どものランドセル購入に飛び回るワケ
Record China 2016年3月6日
http://www.recordchina.co.jp/a130158.html

2016年3月5日、韓国・朝鮮日報はこのほど、小学校入学を控えた子どもに、人気の高価な通学かばんを買い与えようと奔走する韓国の親たちの姿を報じた。

韓国の小学生が日々の通学に使うかばん市場で、最近「プレミアムかばん」と呼ばれる高級商品が人気になっている。価格はだいたい20万〜100万ウォン(約1万8000〜9万1000円)、有名ブランドのシリーズは発売直後から品薄状態が続き、中古品のオンラインショップで商品を検索する親もいるほどだ。この高級化の波に乗って、一部の富裕層の間では日本のランドセルも人気。こちらも韓国の売り場では品薄で、数十人の仲間を募って日本から共同購入する例もある。

しかし親が苦労して買い与えた人気商品が原因で、学校では笑えない事態も起きている。記事は、韓国で一番人気のブランドかばんを背負って登校した娘に「クラスに同じかばんを持っている子が7人もいた」と言われたという母親や、「日本のランドセルを買ってもらった子がクラスに2〜3人いたが、重過ぎるので結局は軽いかばんに買い替えていた」という教師の証言を紹介した。ソウルに住むある母親は、「最近の子は互いのマンションの広さを聞き合うくらい親の経済力に敏感だ」と聞いたことから、「子どもが無視されたらと思い、高い日本製のランドセルを買う以外になかった」と語っている。

関連記事
6万円の日本製ランドセル、韓国で売り切れ続出 朝鮮日報 2016/03/06


これら一連の記事を読んでいて疑問に感じたのが、「こうした同調圧力のようなものは多かれ少なかれ日本や他の国にもある」だったのですが、これまでの韓国分析に当てはめると、これは「経済事情という他者の劣等性」から自己の優越性を感じようとする韓国人固有の特徴となります。


しかし先ほども書いたように、同じような同調圧力は韓国以外でも存在するため、これに当てはめると韓国人以外でも「他者の劣等性から自己の優越性を見つけ出す」が当たり前となってしまいます。


ただ、そうだとすると自身のアイデンティティーの構成要素である所属する国や名前、外見などを総合的に簡単に変えたがる傾向が日本やそのほかの国でも顕著に見られるということになるのですが、そのような事実は存在していません。


韓国人以外の多くの人々は、一般的に所属する国や民族や人種・外見などにしっかりとアイデンティティーを感じているということですから、当然矛盾が生じてしまいます。
こうなると「アイデンティティーが存在しないから」という大前提が成り立たず、別の解釈が必要になってくるわけです。


2016年3月9日23時48分追記
また韓国は民族主義傾向が非常に強いですが、これは通常の民族主義ではなく「蔑視ありきの自民族中心主義」に基き、「他者がこれだけ劣等だから自分達は優れているのだ(自己がどう優越なのかは考慮されない)」という発想から来るものであり、それは以下の記事などが顕著です。


【寄稿】韓国が日本を無視しても構わない理由 朝鮮日報 2015/09/27 (1/2ページ)(2/2ページ


この記事では「日本がいかに劣等か」しか書かれていませんが、韓国人的価値観では日本の劣等さから韓国が日本よりも文化的・民族的に優れているという事が証明されます。
ですので、元々の私の考え方では「民族主義ではあるがそれはアイデンティティーとしては確立していない」という考えでした。


あくまで「蔑視ありきの自民族中心主義はアイデンティティーの代替物」という定義付けだったからです。


※余談になりますが、韓国人の使う「無視」という単語には、相手を侮辱するとかバカにするというニュアンスが含まれているような印象を受けます。


2:「違い」ではなく「優劣」で判断する社会


そこで次に、改めて「アイデンティティーそのもの」について考えてみました。
そのうえでいくつかアイデンティティーついて言及しているページや辞書の記述なども参考にしたのですが、私は以下のように解釈しました。


参照:三省堂辞書サイト 10分でわかる「アイデンティテー」の意味と使い方


アイデンティティーとは、自己と他者を相対化し主観的・客観的に比較する事でそこに「違い」を見つけ出し、違いから自己を定義する行為。


これだけですと、所属する国や外見、名前などを簡単に変えたがる傾向の強い韓国人は「アイデンティティーが確立していない」と解釈する事が出来るわけですが、それだと先ほども書いたように矛盾が存在してしまいます。


そこで次に、この部分に韓国社会の特徴である「どんな事でも比較対象にしたがる」という傾向を当てはめて考えてみました。
「違いを認識する」という事は要するに比較行為だからです。


韓国人というのは、とにかく他者との比較をしたがる傾向にあり、「世界○番目」「世界○大国」「世界○大強国」等のフレーズを非常に好みます。
アイデンティティーとは、先ほども書いたように他者との比較によって成り立つものである以上、韓国人のこの傾向はある意味でアイデンティティーの確立を行っているとも解釈できます。


そこで特徴的なのが、最近日本と韓国へやってくる観光客の数が逆転した事例です。
この件に関して、日本では特にニュースになっておらずそもそも「韓国と競争している」という意識すらないわけですが、韓国ではこの事がかなりの大ニュースになりました。


韓国人海外旅行者、先月の旅行先1位は日本…東南アジアを超える 中央日報 2016年02月02日
「なぜ韓国人は日本に観光客を奪われても腹を立てないのか」 朝鮮日報 2016/02/03


そしてなぜ日本では競争している意識すら無いにも関わらず、韓国ではそれが大騒ぎになっているのかを考えた時、先ほどの矛盾に答えを見つけ出すことが出来ました。


韓国において行われる「比較」というのは、原則的にほぼ全てが「順位付け」です。
そして、この順位付けとは要するに「序列の決定作業」であり、韓国人は観光客数が日本より少なかった事を「自分たちのほうが日本より序列が下になった」と感じたため、危機意識や怒りを感じたわけです。


つまり、本来自己のアイデンティティー確立とは他者との違いを比較することで成り立つものなのですが、韓国社会ではこのアイデンティティー確立で「違い」を認識せず「優劣」を計っているわけです。


━━2016年3月10日21時42分追記━━
書き方を変えると、私達の場合は比較する事で自身と相手にはそれぞれ異なった特徴があるのだという事を自覚するわけですが、韓国人の場合には双方の「異なった特徴」というものを認識しないか、或いは軽視し、単純な優劣で「どちらが上か下か」という比較を行なっているという事です。
━━追記ここまで━━


するとどうなるかというと、所属する国や名前、顔などを簡単に変えたがるという行為は、アイデンティティーが存在していないのではなく、「個の特徴の違い」とは異なる、「どちらが上か下か」という序列を前提とした優劣を比較する行為であり、そこから独特のアイデンティティーが形成されているのではないかという事です。


そしてその前提で考えると、「変える」という行為は「(序列を上げる為に)優れた方に変わる」という解釈ができます。


これは例えば観光産業に関する最近の韓国メディアの記事でも特徴的であり、日本へ向かう観光客が韓国へ向かう観光客より増えたのだから、「韓国式ベンチマーキング=真似」をする事で「優れたほうに変わろう」としているのです。


雪がお金だ…観光商品開発に成功した日本の辺境地の村(1) (2) 中央日報 2016年02月02日
<文化が力だ>(3)社会問題、デザインが解決法…旧都心で「江戸時代」発掘した長浜(上) (下) 中央日報 2015年08月31日


観光産業という分野を考えた場合、私達の発想では「他との差別化」つまり個々の違いを作り出すことで個性を出しアピールを行おうという発想になるのですが、優劣を前提として自己を確立する韓国人的発想では、相手のほうが「優れている」のだから同じように優れている事をすれば相手より序列が上がるという発想になります。


この特徴的な反応は、例えばノーベル賞関連でもよく見られます。


【社説】科学分野ノーベル賞日本21人・中国1人、韓国人受賞はいつ? 朝鮮日報 2015/10/07
日本が韓国よりノーベル賞受賞者がずば抜けて多い理由 中央日報 2015年10月07
【噴水台】リピートの中のノーベル賞剥奪感=韓国 中央日報 2015年10月07日


彼らの発想は全て、「なぜ日本が取れているのに韓国は取れないのか」「どうやったらノーベル賞が取れるのか」「どこを真似すればノーベル賞を取れるのか」に終始しています。
「賞ありきではなく個性的な研究が必要」という発想が希薄なのです。


これを最初のカバンの事例に当てはめても矛盾がなくなります。
日本や大半の国の人々の場合には、集団の中における「違い」を避けるために同調圧力を働かせるわけですが、韓国の場合には比較によって「優劣」をつける傾向にあるため、劣等とならないためにあのような結果になるわけです。


恐らく根本的な発想として、彼らは「違い」というものをあまり意識していないか、或いは重要視していないのでしょう。
全ては優劣という比較大前提なのです。


3:私達とは根本から発想の異なる社会


以上のように、私達がアイデンティティーを確立する場合、他者との比較によって違いを見つけ出し、自身と相手が「違う」という事から見出します。


しかし韓国人の場合、「違う」という事が殆ど意識されずその代わりに「優劣」で比較を行う事で、私達とは異なる経路から独特なアイデンティティーを形成するため、私達の常識に照らし合わせた基準では「アイデンティティーが存在しないように見える」というわけです。


私達の常識からするとかなり突飛な発想ですが、韓国人にとってのアイデンティティーとは「相手より優れているか・劣っているか」なのです。


この前提で蔑視ありきの自民族中心主義という彼ら独特の価値観を解釈してみると、今までとはまた違った見え方が現れます。


以前の考え方では、アイデンティティーの代替物として他者の劣等性を見つけ出しているとなっていましたが、今回至った考えに基くと「相手の劣等性を見つけ出すことこそ彼らのアイデンティティー」という事になります。


つまり韓国社会においては、自己を自己たらしめるためには必ず他者の蔑視が必要という事になり、教育によって蔑視ありきの自民族中心主義が広まったというよりも、元々が彼らの社会では「劣等性本位制」のような概念が社会に存在し、近年はそれが先鋭化しただけという事になります。


━━2016年3月10日22時34分追記━━
元々彼等が自己の行いを余り考慮せず、自他の評価を「相手ががいかに劣等であるか」のみを基準とする傾向にあるのも、恐らくは個々の「違い」というものを考慮しておらず、優劣のみを前提とすることでアイデンティティーを形成しているからこそなのでしょう。


違いが考慮されないのならば、「自己がどうして優越しているのか」という命題で、自己の内面を見つめる必然性が無いですから。
━━追記ここまで━━


当然のことですが、ここまで「異なる」相手との通常の友好はまず不可能でしょう。
そもそも私達から見た韓国の反日というのも、本質的には「日本人の劣等性」から自己のアイデンティティーを確認しているという事になります。
以上がここ数日私が考えた結果出した結論です。



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他17件のコメントを表示
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>>18
今回の件なのですが、色々考えたうえで小見出し2のほうにいくつか追記をしてみました。
また、「国籍」という表記を「所属する国」と言及できる範囲を広げる表記にしてみました。
ただ、書き終わった文章に次々と追記をすると、私の経験上大抵が「もとよりダメになる」傾向があるので、なるべく追記はしない、或いはしても短い文に抑えたいという本音もあります。
44ヶ月前
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個人という単位の価値を互いに認めず、その価値が通用しない社会。
自己充足感が得られない社会。
宗教が個人の救済に作用しない社会。
そして、他者との比較と儒教的振る舞いを強要される社会。

そんな場所”ヘル朝鮮”では個人が万能感を得るには、そんな種類のアイデンティティに希望を見出す他ないのでしょう・・・。 

しかし、平凡な言葉で気恥ずかしいですが、大口氏、今回も卓見ですね。
44ヶ月前
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>>19
レス有難う御座います。

ですから、移民希望の件でそう仰りたいのは最初から分かっております。
ただ、そこで国籍云々と言ってしまうと、「意味」が変わってしまうのです。

あと、彼等が「自分が韓国人でない」と考えているのなら、韓国の「先鋭化したナショナリズム」や在米韓人の大規模な反日ロビー活動も有り得ません。
この部分に関しても、大口さんの仰りたい事が分かるだけに、言い方のアヤで「意味」が変わってしまうのがもどかしくてならないのです。
「自己投影の原理」と「依拠の対象」については「ウリとナム」に絡めて説明した時、すっきり意味が通るのではと思われます。
そうすれば、「都合良く韓国人の枠から飛び出したり韓国人に戻ったりする」という節操の無さまで話がつながります。
そうなのです。別に彼等は「自分が韓国人ではない」と考えている訳ではないのです。
場当たり的に自分の足場の範囲を拡大したり縮小したりしているに過ぎないのです。
それでいて、彼等はそれを卑怯な振る舞いだとか不自然な振る舞いだとは考えていない。
なので、その価値観を全く共有しておらず予備知識も無い日本人の目には矛盾上等の人格破綻者の如く映る場合すらあると。
(我々は予備知識があるので我々とかけ離れた価値観によるものだと認識出来ますが。)

そして、「優劣」が「違い」に含まれないかのような日本語の誤用に関して受け手の善解に期待するのは危険と考えます。
「違い」が全て「優劣」とは限らないが、「優劣」は「違い」に含まれます。何故なら、「優」と「劣」はイコールではないから。
長短・貴賤・強弱でもそうです。(このあたりは、論理学や数学の集合の範疇かも知れませんが。)
(もっともたちが悪いのは「なんとなく善解した人」伝いに孫引き情報として拡散すると伝言ゲームの弊害が一層大きくなるという点です。)
「横の比較」を無理矢理「縦の比較」にして、勝負していない者同士に無理矢理勝敗を付けて、無理矢理な「優劣の尺度」で全ての価値を当てはめようとするせいで、我々が持つ「oneselfはoneself」・「欠点も含めて愛する」といった意識を彼等が持ち合わせていないという点を過不足無く伝えるのが肝要かと思われます。(少なくとも「優劣」と「違い」は対立概念ではありません。)
44ヶ月前
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いつも楽しく記事の方拝見しております。
今回の記事で気になった件があったのですが、私なりに考察した結果、「韓国人のアイデンティティは、唯一普遍の真理より優先度が低い」という結論に至りました。
そもそも、大口さんが書いてきた通り韓国人の間に唯一普遍の道徳、すなわち「かくあるべき姿」があるとするなら、アイデンティティなど形成されようがありません(全ての人間の目標が一緒なら、違いなど必要がないから)。
その代わり、彼らにとって重要なのはその理想像にどれだけ近しいか、であり、それは自身の国籍、人種に優先するのではないのでしょうか。その発露が「生まれ変わったら韓国人以外の(より理想像に近い)人間になりたい、という願望なのだと考察します。
大口さんが最後に書いてある通り、韓国人にとって「違い」は「優劣」なのですが、その前提として、「唯一普遍の道徳」を全人類が共有しており、それにどれだけ近いかを比較して「優劣」をつけている事を書いていただければ、より分かりやすいかと思います。
長文失礼致しました。また、もし私の考えが的外れでしたら、ご指摘いただければ幸いです。
44ヶ月前
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韓国人が自分のアイデンティティの無さとそれを他の者や物に求めるので思い出した話なんですが、ある韓国人女性が、他の国の男性と結婚し混血児を出産したことにより迫害を受けやむなくアメリカに移住したのですが、生まれた子供がアメリカンフットボールの代表的プレーヤーになった途端、韓国から英雄として招待を受けたという話です。まさに自分は自分というアイデンティティが無いゆえに自分と違う点(混血であること)を差別し、韓国人が優性であることを誇り、いざその混血児が世界的な評価を受ければ韓国人の血を引くということで英雄に祭り上げてこれもまた韓国人の優性を誇る。韓国人を論文で書こうとしたら多分矛盾に矛盾が重なって頭がパンクしますね・・・
44ヶ月前
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 要約部分6行目<定義つけて>揚げ足取りの様ですが「定義付(づ)けて」ではないでしょうか?
 小見出し2の9行目<比較対照にしたがる>「に」と目的語があるなら「対象」で、対照なら「比較対照したがる」だと思います。

 コメントの国籍離脱の話題ですが、「韓国籍である」という事と「朝鮮民族である」という事もまた違うのではないかと思いますね。在外帰化韓国人等の活動を見ていると、例え韓国籍を捨てても「世界一優秀な朝鮮民族」ではあり続ける、という印象を受けます。ある意味でそれもアイデンティティなのではないかと思うのですが更にややこしくなるだけですね(笑)。

 興味深い記事でした。ランドセルの事例だと、日本なら「他の子供とうちの子で持っている物が違うと浮くかもしれない」という様な「違い」を恐れる心理から同じ物を買い求めるけれど、彼らは「他の子供よりも良い物でなければ劣等に見られる」という「(他者より)劣る事」を恐れて同じ行動を取っているという事でしょうか。
 日本人は「他者が自己と違う事」を前提にして他者と一つになろう(させよう)としますが、彼らは逆で「他者が自己と同一である事」を前提として(劣等性を見付ける事で)「他者より優れたい」と他者から離れる性向なのかな、と思いました。
 「ウリ」などの概念で自己と同一化した(「違い」を均した)他者との境界は「優劣」でしか隔てられない為に、アイデンティティの確立に優劣を用いるのではないかと。ひいては「(朝鮮の)絶対的正義」を世界が共有していると考えているなら、世界すら同一化して優劣による順位付けを行うのは必然ではないかと感じました。

 また、こういったアイデンティティ希求の性向が「自民族中心主義」教育等の影響ではなく、彼らが元々持っている文化的性質なのだとしたら、最早「教育(+諸々)が正されれば国際社会の一員として日本も韓国といつか外交できる」という淡い希望すらなくなってしまう非常に残酷な説でもあると言えるのではないでしょうか(笑)。
44ヶ月前
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>>23
>>24
いずれにせよ、私の以前の韓国観からかなりの修正をしたものが今回の記事ですので、他の主張にも修正が必要になることから、来週そのあたりの考察を行います。
流石に明日の更新では無理ですが。

そのうえで、「ウリとナム」の件や「主観的・絶対的正しさ」や「かくあるべき姿」をこの韓国観に当てはめる考えは非常に興味深いので、それらを当てはめた上での再考察をしようと考えています。

>>25
一見矛盾していますが、もう少し踏み込んで考えればそのあたりも矛盾無く説明できそうな気がします。
現状はあくまで「気がする」だけですが、実際にそれで一つの民族の社会が成り立っている以上、何かしら矛盾なく説明できる要素があるはずなので。

>>26
指摘ありがとう御座います、修正しました。
44ヶ月前
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劣等な日本に比べて優秀なことが朝鮮民族のアイデンティティであり、そんな朝鮮民族であることが個人のアイデンティティに繋がるんでしょうね。

>>26
>「韓国籍である」という事と「朝鮮民族である」という事もまた違うのではないかと思いますね
彼らは(反日ありきの)民族主義、つまりエスノセントリズムとナショナリズムを混同している節がありますね。
44ヶ月前
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>>27
レス有難う御座います。

ふと思ったのですが、韓国では「絶対的正しさ」にとって「不都合な事実」があれば「事実をねじ曲げて解釈」してでも「精神的勝利」を目指す風潮がありますが、「ウリとナム」の線引きを場当たり的に動かすのも「事実をねじ曲げて解釈」する行為の一類型ではないでしょうか?
「絶対的正しさ」を守るためならば、無節操に「ルール」や「解釈」をいじる事もためらわず、ダブスタや一貫性欠如も上等という訳です。
そして、自己の属性までも含めた「設定」が都合良くコロコロ変わるので「彼等はアイデンティティを持っていない」と思われるのではないかと。
何の事はありません。「絶対的正しさ」を守る事こそが至上命題であり、そのために何をしても許されるという風潮の延長線上なのです。
44ヶ月前
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コラム拝読させていただきました。以下に感想と私見を。

久々にじっくりと本コラム、「韓国人は世界一「嫌韓」」、および皆さんのコメを読ませていただきました。
「まだまだ穴のある説かもしれません」と大口さんも述べておられるように、「わたしならばこう述べる」という部分も湧いてきて、少しうずうずしております。
「穴埋め」とか、「この説は違う」といいたいほどではありませんが、以下に、「わたしなりの補強」を含めた、私見と感想を述べさせて頂こうと思います。不躾ではありますが、その点は予めご容赦を。

まず、「韓国人としてのアイデンティティー」のコラムについて。
わたしも参加する以前のコメも含めて読みましたが、
ざっくりと要旨を言うと、
「国籍や名前といった「自身の存在意義」を構成する『アイデンティティー』の要素、その国籍という「帰属意識」がないように見える。「帰属意識」がないのだから、「帰属意識」で構成されるアイデンティティーもまた、ない、もしくは崩れているのではないか?」
というお話だったかと思います。そして、本コラムは過去のコラムの「アイデンティティーが無い」問題を修正しよう、というわけなのだと思います。

「アイデンティティがない」を修正することには大いに賛成です。
「アイデンティティがない人間は少なくとも存在しない、したとしても自我がぐちゃぐちゃになっている」
というおかしな事態になる、だから「ない」というのは言い過ぎだ、と私も思います。

以前『韓国人の中にある「絶対的正しさ」の正体』コメ№29にて、「セルフ・コンフィデンス(自己確立)」について述べました。大口さんの述べる「アイデンティティ」とよく似た話を書きましたが、わたしは各個人の「パーソナリティ」確立の問題として、狭義で述べたつもりです。この含意を「アイデンティティ」に含めているところが、例えばゲストさんの感じる「もどかしさ」を作っているのではないか、と感じた次第です。

ここでわたしの感じる韓国人の「アイデンティティ」は、「一つではない」のではないか、という推論が立ちます。

「理想の」「正統性をもった」「最善の」韓国人のアイデンティティが、すでに「誰かに」よってしつらえられていて、その「像」を普通の韓国人が「無理矢理着せられている」としたらば、かれらはどんな感覚を持つでしょうか?

全く他人の、サイズの合わない服を着せられた人を想像してみてください。おそらく、動くのにも、人によっては邪魔になったり、きつかったり、ゆるゆるだったり、脱げたり、おちたり、役に立たない、都合の悪いことこの上ないです。しかもなくすと怒られる。汚すと非難される、まったくろくなことはないはずです。

ここで移民になりたい人たちの意見と照らし合わせていただけると、その類似性に気付く方も、おられるのではないでしょうか?
つまり、わたしの感じる「韓国人のアイデンティティー」は、二つあるのです。
一つは理想上「韓国人として最善の」『偽のアイデンティティー』
もう一つは自ら感じるままに「自然に形成された」『自我からくるアイデンティティー』
この「二重性」を語らないと、おそらく、「移民したい韓国人」とか、「ヘル朝鮮」を語る人々の心境が捉えられないのでは?
と思います。

付け加えるならば、少なくとも私自身が感じる「自我」の中で、「国籍」という形での「帰属意識」は、さほど濃くないのかなぁ、と思ったりもします。
わざと極論しますが、よほどの状況でない限り「日の丸」「君が代」等の「国を連想させるアイコン」で「帰属意識」を感じることは少なく、「それに影響される知縁・血縁・思い入れのある個人」がどう動くかのほうが、「自我」の中での「帰属意識」を揺り動かす事態かとは思います。

他方、2.以降の、「自我形成」に「他者の劣等性」の占める割合が非常に大きい社会であるという、韓国社会における「個」の問題は、非常に正鵠を得ており、正しい論建てかと思いますし、わたしの考えとも一致するところです。

ただ、少し物足りなさというか、不足を少し感じたもので、その不足を遠慮なく書かせていただきました。
もしかしたら私の見立てが間違っているかもしれませんし、説を汚そうという思いはないと申しておきます。
いずれにせよ、不躾な自説ですので予め謝罪しておきます。申し訳ありませんでした。

以上、長文失礼いたしました。
44ヶ月前
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