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俺の棒銀と女王の穴熊【1】 Vol.13
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俺の棒銀と女王の穴熊【1】 Vol.13

2013-05-18 20:00
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         ☆

     休憩と昼食を挟みながら、六局の勝負をこなした。
     今のところ、三勝三敗。最初の対局ではどうにか勝てたが、同じ4級の別の人にはミスを連発してしまい、勝つことができなかった。あとの二敗は5級と6級が相手だったが、これも序盤で致命的なミスをしてしまって、いいところなく負けた。
     部活の練習とはまるで違う。勝てばとても嬉しいし、負ければとても悔しい。そんな当たり前のことが、ストレートに突き刺さってくるのだ。
    「はあ、頭が疲れる……」
     自動販売機のジュースを飲みつつ、次の対局を待つ。
    「お疲れ様、春張くん。健闘しているみたいですね」
     紗津姫はとても涼しい顔だった。
    「先輩はどんな調子です?」
    「おかげさまで、今のところ全勝です」
    「さすがですね……」
     依恋はどうしたかな、と視線を向ける。ちょうど対局が終わったようだ。受付に手合いカードを持っていく。
     対局が終わると、勝ったほうが双方のカードを持っていくことになっている。つまり依恋が勝負を制したということだ。
    「えへへ、勝ったよ~」
     いつもの強気な面影はなく、無邪気に喜んでいた。対戦表にずっと黒丸が続いていたが、初めて白丸が押されたのだ。
    「これが初勝利か。おめでとさん」
    「あ……ありがと」
     ポッと頬が染まった。珍しい光景だった。
    「なんだ? 人並みに照れてるのか」
    「うっさい! バカ!」
     ふくれっ面をして、依恋は休憩に出てしまった。
    「春張来是さん、城崎未来ちゃん」
     手合い係に呼ばれる。
     相手は聞き覚えがあると思ったら、最初に関根と対戦した3級の子だ。
    「未来ちゃん、四枚落ちでお願いね」
    「はーい」
     手合いカードを覗くと、白丸ばかりが続いている。紗津姫と同じく、今日は全勝だ。しかも途中で昇級基準に達して、2級に上がったことが書かれていた。
    「すごいね、君。なんか勝てる気がしないな」
    「だって、お兄ちゃんと毎日練習しているもん」
     少女はえっへんと胸を張る。
    「お兄ちゃん? 強いの」
    「すごく強いんだよ~。自慢のお兄ちゃん!」
    「ふーん」
     自信に満ちあふれた顔で駒を並べる少女。きっと今回も勝てると思っているのだろう。そして来是は、ほとんど勝てる自信がなかった。
     自分のような初心者と上級者が勝負する場合、規定の駒落ちをされたところで、まだ上手のほうに分があるのだと来是はわかってきた。
     何しろ、習得している技術に差がありすぎる。一定の局面までの最善の指し方を「定跡」、個別の局面における有効なテクニックを「手筋」と呼ぶが、来是はそれらをまだほとんど学んでいないのだ。
     対局が始まった。
     すぐに不安は現実のものとなる。最初は駒の物量差にものをいわせてグングン攻めていくのだが、いつの間にか手が止まってしまう。
     相手は飛車角に加えてふたつの香車がない。端が弱点だとはわかっているのだが、当然相手もそれを承知しているから、破られまいとしっかり守備を固める。
     そうして来是が攻めあぐねているところへ、急所の一手を放つ。桂馬によって攻めの要の銀が捕まった。どう進んでも、逃げられない。
    「ぐむむ……!」
     仕方なくそこは放っておいて、別の箇所から攻める。あっけなく銀は取られたが、来是は代わりに桂馬を獲得した。
     この桂馬で何か反撃の糸口が……と思っていたが、少女は即座に奪ったばかりの銀で飛車取りを仕掛ける。
    「うぐ、厳しいなあ。でも飛車が逃げたら」
    「他の駒で攻めちゃうもんね」
     それから十数手が進むが、来是に反撃の目処は立たなかった。ああ、こんな小さな女の子にコテンパンに負かされてしまうんだなあと、達観気味に思った。
    「これで詰み!」
     パシンと、最後の一撃が突きつけられた。それで来是は投了した。
    「ありがとうございました!」
    「うん、ありがとうございました。いや、まいったな。どこが悪かったのか」
    「ここでわたしが歩を進めたでしょ。おにーさんはそれをタダで取れるって飛びついちゃって、銀を前に進めたから、逃げられなくなっちゃったんだよ」
    「あれは罠だったんだなあ」
    「銀は後ろには戻れないから、あまり前進はさせない方がよくて、斜め移動がよくて……」
     十歳にも満たないであろう女の子から、丁寧なアドバイスを受ける。
     大人も子供も、男も女も関係ないのが将棋。純粋な頭脳の勝負。
     負けたことは確かに悔しいが、これほど平等な競技に身を置いていることに、来是は不思議と清々しい気分になった。
    「それじゃ、がんばってね! おにーさん、結構スジはいいよ」
     年上に対して遠慮も何もない。でも子供だからあれくらいのほうがいいのかな、と思うのだった。
    「おー、春張くんもやられたか! こりゃ完敗じゃないか」
     関根が終局図を見下ろしながら、うんうんと頷いている。
    「どうだ、ああいうロリッ子に負かされると、ほのぼのするだろ。萌えるだろ」
    「俺は部長とは違うんで……」
    「あの子は将来、きっと大物になるぞ。今のうちにサインをもらっておこうかな」
    「やめてください、恥ずかしい」
     ここで来是は棋力を正式認定された。最初の予想どおり、10級となった。ほどなく依恋も七局目を終え、ひとつ下がって11級の認定を受けた。ふたりとも名刺サイズの棋力認定証を渡される。
    「なんであたしが来是より下なのよ」
    「俺は三勝四敗、お前は二勝五敗。その差だな」
    「とりあえずこれで、今日の目標は達成できましたね。これから少しずつ、上の級を目指して頑張っていきましょう」
    「はい!」
     まずは自分の実力を、冷静に自覚する。そこからが始まりだ。
     上達への道は遠いだろうが、根気よく勉強すれば……そして紗津姫の教えを受ければ、きっと大丈夫のはず。
    「どうする? もうちょっと指していくか」
     関根が聞いた。朝十時から始めて、もう午後三時を回ろうとしている。部活よりもずっと長い時間を過ごしていた。さすがに少々疲れている。
    「あたしはもういいわ。帰って他のことしたいし」
    「そうだな……俺も今日はこのへんでいいかなと」
    「わかりました。帰りましょうか」
     紗津姫が代表して、手合い係に今日はここまでと伝えた。すると紗津姫と関根には勝敗券というものが渡される。現在の段級位とともに、直近でどれだけ勝てているかを記録したものだ。たとえば紗津姫は前回から数えて十八連勝、関根は五勝二敗と書かれている。来是や依恋のように負けの割合が多いと、これといった記録はつかない。
    「勝敗券がある場合、次回はすぐに記録の続きから始められますので」
    「なるほどー。道場のシステムがよくわかりました」
     もうひとりで来られそうだが、それでは味気ない。次はぜひ神薙先輩とふたりで! ふたりきりで! 来是はたくましい妄想を始めていた。
    「あっ、お兄ちゃん!」
     ふいに、嬉しそうな声が上がった。例の女の子、城崎未来のものだ。
     毎日将棋を教えてくれるお兄ちゃんの存在は、ちらっと聞いていた。いったいどんな人なんだろうと振り向く……。
    「……神薙紗津姫?」
    「あら、城崎さん」
     長身で体格もいいその男は、なぜか紗津姫を睨みつけていた。いや、ただ目が細いだけで睨んでいるつもりはないのかもしれないが、とにかく迫力があった。
    「あなたのお兄ちゃんって、城崎さんだったのね」
    「おねーさん、お兄ちゃんと知り合いなの?」
    「ええ、ちょっとした知り合い」
     その言葉を聞いて、来是の嫉妬の虫が湧いた。
    「……神薙先輩とどういう関係なんです? あの人」
     小声で尋ねると、関根は神妙な顔をしていた。
    「大蘭高校将棋部のエース、城崎修助(きざき・しゅうすけ)だ」
    「それって……今度、交流戦で戦うところですか」
    「そう、去年の交流戦で神薙が戦って勝ったのがあいつなんだ」
    「えっ……確か一歩間違えればこっちが負けていたっていう?」
    「めちゃくちゃ強い。なんたって去年のアマチュア名人戦の都代表だしな。確かベスト8に勝ち進んだはずだ」
    「アマチュア名人戦――」
     まだまだアマチュアの将棋界に疎い来是だが、名人と名のつくその棋戦がよほどレベル高いことはわかる。ともかく妙な関係ではないことにホッとした。
     そんな会話を交わしている来是のほうには目もくれず、城崎は紗津姫だけを見ていた。
    「今日は何をしに?」
    「新入部員を案内したんです。まったくの初心者なんですけど、なんとふたりも入ってくれまして」
    「なるほど。あんたほどの人が、こんなとこで鍛えようってはずはないものな」
    「そちらの新入部員はどうですか?」
    「ま、それなりに。俺は別に後輩の指導とか、どうでもいいんだけどね。そんな暇があったら自分の将棋の勉強に集中するって話」
     フッと涼しそうに笑っている。
     何だかいやみったらしい男だ。旧知の間柄とはいえ、紗津姫と馴れ馴れしく話しているのを見るとムカムカしてくる。
    「君らが、その新入部員?」
    「そうっすけど」
     ぶっきらぼうに答える。
    「そうか。交流戦ではせいぜいよろしく」
    「お兄ちゃん、帰ろ!」
     妹に上着の裾を引っ張られ、城崎は道場をあとにした。
     将棋に励む妹を、ただ迎えに来ただけなのだ。彼本人は、ここで実力を磨こうなどという考えは微塵もない。
    「なんかあいつ、感じ悪くない? 後輩の指導はどうでもいいとか」
     依恋が唇を尖らせていた。
    「まったくだな。それだけに神薙先輩のよさを再確認しました」
    「まあ、ありがとうございます」
    「それにしても、あんな妹がいるとはうらやましい!」
     関根の叫びは、心からどうでもよかった。
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